第49話 河北征伐(Ⅸ)

 一方、少なくない被害を出したにもかかわらず、一騎打ちも乱戦も五分に終わったと見えたことに、クサンソス伯は上機嫌だった。

「さすがにバルブラよ。そして我が自慢の強兵よ。正直、どうなることかと気をもんだが、敵も数だけでたいしたことはないな」

「兵は数ではないということです。精鋭であることこそ肝要かと」

 今回の戦いは乱戦となったが故、双方とも有用な手を打てなかったことで、結果的に痛み分けとなったに過ぎない。楽観論を述べる文官にバルブラは渋い顔をした。

「我が主よ。慢心は禁物ですぞ」

 バルブラは硬骨漢であり役に立つ男ではあるが、いつも空気を読めずに水を差す。今くらい、戦勝の余韻に浸ってもいいではないかとクサンソス伯は不快を感じた。

 バルブラの苦言に嫌そうな顔をするクサンソス伯の顔色を見て、傍らに控えていた文官が近づいた。

「いいことを思いつきましたぞ」

 文官はバルブラを一度見ると、次いで当てつけるように声を潜めてクサンソス伯に耳打ちする。文官の言葉を聞くうちに、クサンソス伯の機嫌はみるみるうちに元に戻っていく。

「なるほど、それはいい」

 進言の内容がよほど気に入ったのかクサンソス伯は大笑した。

「バルブラよ。明日も王師に勝負を挑み、今度はわざと負けて帰ってくるのだ」

「・・・して、いかがいたすのです?」

 バルブラの問いに文官が得意げに答えた。

「敵武将は向こう見ずな猪武者と見受けました。将軍が逃げれば、後を追いかけてくるに相違ありません。そこで兵を伏せておいて、追いかけてきたところに襲い掛かる。多勢に無勢、捕らえることができるでしょう。その者の身柄を交換条件として、優位な立場で交渉を行うのです」

「実に痛快、爽快であるな!」

 大盛り上がりの二人に反して、バルブラは浮かない表情を浮かべた。

「我が君、そのような姑息な手段を使っては、たとえ勝利したとしても主の器量が疑われます。それに策を弄さずとも、このバルブラの力をもってすれば、決して負けなど致しませぬ」

「将軍の実力は承知しておりますが、楽に勝てるならそれにこしたことはないでしょう」

 自身の献策を無下にされたと感じた文官だけでなく、クサンソス伯も不快を露にする。

「それともバルブラよ、そなたはこの儂が負けても構わぬと申すか。内心では王に味方しておるというのか?」

「まさか!」

「ならば我が命に従うがいい」

「しかし・・・それではあまりにも卑怯ではありませぬか!」

「勝てばいいのだ! わかったか?」

「・・・」

「返事はどうした?」

「・・・わかりました」

 バルブラは主君の言うことは絶対と考える古風な男である。不承不承ではあるが、結局はクサンソス伯の命令に従うことに了承した。


翌朝、前日と同じようにクサンソスの郊外に両軍が布陣すると、クサンソス伯に促されたバルブラが愛馬に乗って陣の前へと進み出ると、大声で叫んだ。

「昨日は邪魔が入ってうやむやになってしまったな。まだ儂と戦う勇気があるのなら、今日こそ決着を付けようではないか! もちろん、その勇気がないというのなら、別の者でもよいぞ!!」

「望むところよ!!」

 バルブラの言葉に応えて、ベルビオが大斧を小脇に抱えて馬を走らせて出てきた。

 睨み合うのもつかの間、短気なベルビオの方から間合いを詰めて打ちかかった。バルブラも昨日と同じく、全身全霊をもってベルビオの攻勢に正面から応じる。

 互いに一歩も譲らぬまま一騎打ちは続けられたが、二十合を越えたところでバルブラが突如として撃ち合いを止め、後ろを向いて逃げ出した。

「待て! 臆したか!?」

 ベルビオは本能のまま、逃げるバルブラを追って駆け出した。それを見たベルビオ配下の兵が慌てて後に続く。

 バルブラは馬上よりときおり後ろを振り返り、敵兵がついてきているのを確認しつつ、つかず離れずの距離を保ったまま、クサンソス伯が兵を伏せた場所まで逃げ続ける。

「不本意ではあるが、これも主命だ」

 バルブラが敵兵を連れて戻って来たのを確認したクサンソス伯は計画通りだとほくそ笑むと、すぐさま兵を立たせ、矢を射かけさせた。

「しまった、これは罠か! 逃げろ、皆逃げるんだ!」

 クサンソス伯の伏兵を見るや否や、ベルビオはすぐさま馬首を返し、逃げ出した。そのあまりの素早さに、クサンソス伯の兵はベルビオたちに一槍さえ突き入れることができなかったほどだ。

 だがその姿はクサンソス伯の目には伏兵によって敵の陣形が大いに乱れたように見える。

「敵は総崩れであるぞ! 追え! 追え!! 一気に片を付けよ!!」

「殿、敵があっさりと逃げ出したことが気になります。これは罠では!?」

 バルブラは自分と数十合打ち合って勝敗のつかないほどの剛の者が、伏兵に会っただけで、戦いもせずに敵に後ろを見せたことが解せなかった。

「どうした? バルブラともあろうものが臆病風に吹かれたか!」

「深追いしてきた敵を包囲して叩くという当初の目論見は失敗したのです。ここは慎重に、慎重に参りましょう!」

「ここで敵を叩かずして、いつ敵を討つ! 臆病者はついてこずとも良い! 勇者たちよ、私に続け!」

 クサンソス伯はそう言うと、バルブラの手を振り切って、兵たちに交じって敵を追いかける。

「殿!!」

 バルブラはクサンソス伯を自分の言葉では止めることができないと悟ると、後を追おうと急ぎ愛馬へと走る。


 ベルビオが待ち伏せに遭い、逃げ出す姿を見ても、アエティウスは慌てる様子を見せなかった。

「やはり敵は兵を伏せて待ち構えておりましたね。二日続けて同じ策を取ったことや、バルブラの逃げっぷりの良さから察してはおりましたが」

 それもそのはず、アエティウスにとってこれも織り込み済みのことだったのである。

「陛下、頃合いです。御命令を。プロイティデスに命じて、伏せていた兵を立たせてベルビオを追ってきた敵を包囲しましょう」

 有斗が頷くと、アエティウスは兵に命じて大きく旗を振らせてプロイティデスに合図を送った。アエティウスは有斗の了解をもらったうえで、ベルビオとバルブラが対峙し、両軍の衆目が集まっている間にプロイティデスに一部の兵を率いさせ、丘陵の影に潜ませたのだ。

 一切の抵抗を受けずに逃げるベルビオたちを追ってきたクサンソス兵は隊列も乱れたままであった。

 クサンソス伯と違って敵兵を十分に引き付けてから立った王師中軍の兵は、あっというまに敵を反包囲し、簡単には逃れさせない。

「えっ!? いつのまにプロイティデスにこんな重要なことを命じていたの? どうして私に命じてくださらなかったんですか!?」

 アエネアスはアエティウスが自分ではなく家宰のプロイティデスに重要な役目を割り振ったことに不満いっぱいだった。

「アエネアスには陛下をお守りする大事な任務があるだろう?」

「・・・そうですけどさぁ」

 もちろんアエネアスの一番の任務が戦いの間、王の身に危害が加わらないようにお守りすることというのは本当のことだし、王の身に何かがあれば戦は負けだということを考えれば重大で代えがきかない役目ではあるが、やはり地味な役目である。アエネアスにしてみれば派手な活躍をして、いいところをアエティウスに見せたかったのだ。

 だがアエティウスにしてみれば、うっかりしたところがあり、何かと調子に乗ることの多いアエネアスにこのような大事を任せるのは不安だったというのが本当のところだ。もっともそんなことはおくびにも出さない。

「ならばアエネアスの次に信頼のおける者に任せるしかないじゃないか」

 アエティウスの言葉にアエネアスの機嫌は直ぐに元に戻った。

「そっか、じゃあ仕方ないね!」

「それに我らには我らですることがある」

「どんな?」

「味方が敵の罠にはまったと知れば他の部隊も動揺します。動きの乱れをついて、一気に敵軍を壊滅させましょう」

 有斗の問いにアエティウスはそう答えると、まず目の前の敵陣にまっすぐに兵を入れるのではなく、一度横手のプロイティデス隊に増援を送ると見せかける。そこにはベルビオを追ったクサンソス伯がいた。主君が危ういと見たクサンソス伯軍は動き出さざるをえない。陣形を大きく崩すこととなった。

 余裕をもってその動きを見てから、アエティウスは本隊を大きく前進させて、敵本隊にぶつけた。

 陣形が崩れたところに、バルブラやクサンソス伯ら全体を指揮する将軍もおらずでは、クサンソス伯軍の主力部隊は王師の攻勢を支える術を持たない。

 それでもしばらくは持ちこたえるという善戦を見せていたが、自力において大きく勝る王師に押し切られ崩れ去る。

 勝敗は決した。


 クサンソス伯軍は崩れても散発的な抵抗を止めずに力戦したが、さすがにクサンソス伯が王師の兵に打ち取られると武器を捨てて次々に投降し、クサンソスの地は有斗の手に落ちた。

 有斗は城内に入ると、残されたクサンソス伯の一族や旧臣を保護し、兵に略奪を禁じ、まずは民心を落ち着かせた。有斗は侵略しては物を奪うだけの征服者ではなく、今日からはこの地の新しい支配者なのだ。

「そういえば・・・クサンソス伯は戦場で死んだからいいとして、あのバルブラとかいう勇猛果敢な老将はどうしたの?」

「戦の後、病気と称して自宅の門を閉じて誰にも会おうともしないとか。幾度か使いを送ったのですが・・・」

「そっかあ・・・あんな勇猛な将軍なら味方に一人でも欲しいところなんだがなぁ」

 その有斗の言葉に反応したのはエザウだった。

「なるほど、それでこの私を味方に引き入れたというわけですな! さすがは陛下、

 お目が高い! このエザウ、感謝の極みですぞ!」

 自分にとってあまりにも都合のいいその解釈に、有斗だけでなくアエネアスやベルビオも、思わず一斉にエザウに生暖かい視線を向けた。

「・・・まぁ、ともかくだ。自宅に籠ったまま、出仕しようとしないんじゃあ、僕に仕えるつもりはないんだろうなぁ・・・」

 これも自分の威厳の無さのせいなのだろうかと、有斗はため息をついた。

「陛下、このアエティウスにお願いがあります。聞いていただけますか?」

 珍しい、アエティウスの改まっての言葉に、有斗は思わず振り返った。

「何?」


 半刻後、有斗はクサンソスの郭内にあるバルブラの屋敷を僅かな兵と共に訪ねていた。

 王の下向を告げられたバルブラは慌てて門前まで出てきて平伏し、有斗を出迎える。

「入ってもいいかな」

「御意のままに」

 バルブラは有斗を邸内へと誘うと、家僕に命じて茶と茶菓子を用意させる。

「病と聞いていたんだけど・・・思ったより健康そうで良かった」

「身体ではなく心の病なのです。陛下に御心配をおかけしたとあらば、恐縮のいたりです」

「長年仕えた主君を失ったんだ。気持ちは分からないでもないよ。バルブラ卿は実に主君に忠実な将軍なんだね」

「恐縮です。しかしこのようなところに僅かな供でおいでになるとは・・・私は敗軍の将ですぞ。もし私がいまだに逆心を抱き、王の命を狙っていたとしたらいかがするおつもりですか」

 今、襲い掛かったとしたら、御付きの華奢な女武官アエネアスが助けに入る前に、この王のか細い首の骨をへし折ることは可能だな、とバルブラは武人としての本能から一瞬であったが考えた。もちろん考えただけで実行には移さなかったが。

「敗軍の将ではあるが、同時に高潔で硬骨な人物であると聞いている。そんな将軍がまさかそんなことはしないんじゃないかな」

「買い被りですな。実に恐縮です」

 拱手し、腰を深々と折るバルブラの姿を見て有斗は微笑んだ。

「やっぱり。将軍は僕が考えていたとおりの人だ」

「それで何の御用で? 儂の処刑をわざわざ告げにでも参ったのですかな」

「いや、将軍は主君であるクサンソス伯に忠義を尽くしただけだ。むしろ王としては、その忠義を全うしたことこそ褒めなければならない。将軍に罪はない。それよりも、僕としては将軍に味方になって欲しい。王師に欲しいんだ」

「陛下を兵の前で罵った私なのに、お許しくださると言うのか」

「事実だから仕方がない。まぁ、見ての通り、威厳のない僕だもの」

 有斗は相変わらずお仕着せられた感満載の、その似合ってない豪奢な衣装を自ら広げて、ひらひらと袖を振って見せる。

 その姿がまた案山子かかしに無理やり衣装を着せたみたいで、傍にいたアエネアスは笑いを堪えるために下唇を嚙まねばならなかった。

「おふざけが過ぎますぞ」

 正直なところ、この王と名乗る少年には威厳も何もありはしないという、バルブラの初見の考えは揺るがないところである。

 だが王に相応しくはなかったが、その正直で朴訥な物言いにはバルブラは少し好感を抱いた。

「だが陛下の下には王師の猛将、勇将が多くおられる。今更、儂のような老骨の手助けなど必要ありますまい」

「見ての通り、今の僕の軍は王師と南部諸侯の混成軍で、指揮官も多くは戦場経験の浅い、若い者が多い。勢いのある時はそれでいいと思うけど、苦しい時にどうしたらいいか分かっている将兵はいない。そんな時に、多くの戦の経験のある将軍のような人に支えてほしいんだ」

「そのようなお戯れを申されるな」

「将軍として国のために戦うのも、それもまた忠義の道。苦難に喘ぐ民を僕と共に救ってほしい」

 有斗の言葉にバルブラはしばし沈黙した。つまり考えているのだ。迷っているのであろう。

「もし嫌だと言ったら、どうなさる?」

「どうもしない。将軍が望むようにするといいよ。どこへ行くのも自由、何をするのも自由さ」

「もし私が陛下の御誘いを断り、クサンソス伯の敵を討つために、河東なり関西なりに逃れたらいかがなさるおつもりですか? こうして自らおいでくださった陛下の面子を潰す形になりますが、本当によろしいので?」

「そう最初に言ったからね。将軍に罪はない。なら、どこに行くのも何をするのも自由さ。将軍が僕の誘いを断ったって、それは僕に人望がないからで、将軍の罪じゃない」

 バルブラは有斗の言葉に大きく破顔すると膝をついた。

「陛下。陛下は実に器量の大きいお方です。御厚恩感謝いたします。この老骨にもできることがあるとおっしゃるのなら、尽力いたす所存です」

「よかった」

 有斗はにっこりとほほ笑んだ。心の底からの笑みだった。

 エザウの時と違い、有斗にとってバルブラが加わったことは大いに心強い出来事だった。


 翌日からの出府を約束させて伯城に帰って来た有斗やアエネアスをアエティウスが出迎える。

「兄様! バルブラ卿は明日から出仕するってさ!!」

「僕はうまくやった?」

「さすがは陛下、お見事です。バルブラ殿はクサンソスの武のかなめとして、長年、臣民を守ってきました。民衆からの人望も厚い。バルブラ殿の心を獲らねば、クサンソスの民心を得られません。それに河北に豪勇鳴り響くバルブラ殿を臣下に加えたとあらば、陛下の威明は遠国まで鳴り響きましょうぞ」

「そうだといいね」

 有斗はようやく気付いた。王と言えども、いや、王であるからこそ、なおさら人に気を遣わなければならないということだ。人に気を遣われてはいけない。王とは人におだてられていい気になっていてはいけないのだ。むしろ人をおだてなければならない。それでこそ人はついてきてくれる。本当に人の上に立つということはそういうことであろう。

 自分の思いのままに命令をするだけでは、肝心な時に誰もついてこない。

 それに気づいたと同時に、そんなことも知らなかった自分の無知が恥ずかしく、情けなくもあった。


 さてクサンソス伯を破り、バルブラを味方に引き入れると、従軍していたニケーア伯が有斗に会見を申し込んできた。

「僕に言いたいことがあるって聞いたけど、何かな?」

「陛下の御威光で河北にはびこる巨悪どもを討伐できたこと、まずはお祝い申し上げます」

「ありがとう」

「しかしこの戦で我が兵は陛下の期待に応えるような、満足な活躍ができませんでした。申し訳ありません」

「気にすることではございませぬ。ニケーア伯が王師に加わったという事実が何よりもの大功。河北の諸侯に与えた心理的影響を考えると、一城を落とすよりも価値があります」

「ダルタロス公はそうおっしゃって下さりますが、やはり諸侯たるもの、槍先の功名を引っ提げてこそ、陛下の馬前に推参できるというもの・・・! このままでは私の面目が立ち申さぬ!」

「気にすることはないよ。アエティウスの言葉、僕もそう思う」

「ありがとうございます。ですが私の気が収まりませぬ。そこでですが・・・各地にいまだはびこる流賊を討って、陛下に我が赤心をお見せしたいと思います。ぜひとも、この件をお許しを賜りたく・・・!」

 深々と叩頭するニケーア伯に、有斗はにこにこと笑って許可を与える。

「中軍や左軍を遣わして各地の賊を討っているところだ。だが賊は細かく分かれて各地を彷徨さまよっている。いくら手があっても手が足りないという話だ。ニケーア伯の申し出はとても有り難い」

「では私は西南へ向かい、各地の流賊を平らげてまいります」

「期待してるよ」

「はっ!!」

 ニケーア伯はその足で早速に流賊の討伐に向かう。翌日にはアエティウスも、ベルビオやアクトールらに兵を付けて送り出し、各地の賊を平らげることとした。

 東進する王師に対して、賊は堅固な地形や砦に篭って抵抗しようとした。

 王師は賊と十度戦い、その全てに勝利した。賊は戦うたびに降伏するものが増え、ついに消滅した。

 その噂を聞くと、遠方から多くの賊がやってきて次々と降伏する。残った者たちは山伝いに芳野や河東に逃げだした。

 これで河北のあらかたの地ならしは終った。

 とはいえまだまだ辺境部では賊の影がちらちら見える。だからと言って、それに備えて王師を河北に貼り付けておくのは、逆に近畿を危険にさらすことにもなるし、効率的でもない。

「どうしたらいいと思う?」

 有斗はアエティウスに相談した。

「帰るべきです。長期間畿内を開けておくと危険です。関西かんせいや河東から攻めてくるやもしれませんし、なにやら企む廷臣がでないとも限りません」

「でも・・・僕らがいなくなった後、河北は安定するかな?」

「安定はしないでしょうね。昨日まで賊だった連中を大挙農民にしたのですから」

「諸候だけでは抑えきれない?」

「と思いますよ。それにその諸侯ですらどれほど信頼して良いものやら。特にニケーア伯などはね。ですから王師一軍はここに残していくべきですね。そして将軍で誰か一人に河北の軍事と警察の権を与えて監督させるべきです」

 統治の能力があり、それほど信頼できる者はと言えば・・・

「アエティウス、やってもらえるかな?」

「私は遠慮しますよ。そんなめんどくさいことはやらない主義です」

 自分のやりたくないことを他人に押し付けるのか、それは酷いと有斗は笑った。でも断られて、当の有斗がほっとする。アエティウスなら河北の行政も朝飯前だと思うから適任だろうけれども、今の有斗の誰よりも大事な相談相手でもあるから、正直手元から離したくないという思いもあった。

「私のオススメはリュケネ殿です。あの方は何事にも慎重ですし、上司、同僚から部下まで公平に扱う術に長けております。占領地の統治には厳格でありながら公平でもある、そんな政治がなによりです。リュケネ殿なら上手くやっていけるでしょう」

 そのアエティウスの献策を有斗は採用することにした。

 もちろん、どんな有能で清廉な為政者が居ようとも、力なくしては統治することはできない。リュケネだけでなく下軍を河北に残し、引き上げる。

「リュケネ、諸侯たちの手綱をしっかりと握って河北を安定させて欲しい。治安もすぐには良くなるとは思えない。特に辺境部は王師が去ったと知ればきっと賊が戻ってくると思う」

 残していくリュケネに念を押す。

「わかっております」

 リュケネは大きく頭を下げて、了承したことを示した。

 地元諸候は合計七千、それにリュケネの下軍一万があれば、何か不測の事態が起こっても、王師が河を渡って河北に来るまで充分持ちこたえてくれるはずだ。

 有斗らは再び河を渡ると、王都へと帰路についた。

 よかった。思ったより犠牲者を出さずに河北を平定することができた。有斗はその結果に深く安堵した。

 アメイジアの人から見ると、自分はまだまだ良い王様とは思われていないと思うけど、最低点くらいは貰える王様になってきたんじゃないかな、と有斗はちょっとだけ自惚うぬぼれてみたりした。


 だが四師の乱から続く勝利に気をよくした有斗に冷や水を浴びせる一件が存在したことを、有斗は東京龍緑府に帰還した後に知ることになる。

「陛下、お耳に入れたきことが」

「何?」

「申し上げにくいことなのですが・・・・」

 別行動を取っていたニケーア伯が、流賊を討つと称して、スコピエ伯やクサンソス伯の領土の一部に押し入り、主を無くして不安定状態なことに付け込んで、在地の官人を追い払って占拠し、実質的な支配を進めているとの話だった。

 話を聞き、みるみる顔色が変わって不快を面に表した有斗の膝にアリアボネが手を置いて自制を促した。

「ここは堪えてください。ニケーア伯は陛下のために功を立てたばかり。そのような人物を勝利後すぐ処罰なされては、陛下の器量が問われます」

「でも彼は私欲を満たしただけだよ! 国のことも、王のこともなんとも思っちゃいない! 悪を許してはおけない!」

「・・・この程度の人物です。陛下がお気に止める価値もない人物です。今回、上手くいったことで、自信を深めましょうし、陛下を侮りましょう。必ずや同じようなことを行います。それから堂々と大義を持って処罰なされればよろしいかと。今は一時、ニケーア伯に勝利の凱歌を奏でさせようではありませんか」

 有斗は賛同の言葉を発しなかったが、さりとてそれ以上、議論を続けようともしなかった。

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