第48話 河北征伐(Ⅷ)

 河北の小諸侯相手とはいえ、アエティウスらが口を揃えて困難と言う籠城戦を、たいした日にちをかけずに攻略し終えたことで、ここのところ何かと悲観的な考えにとらわれがちだった有斗の中の生来の楽天的な気質が顔をもたげた。

 もっとも、ここまでの戦いで、有斗が格別に何か活躍をしたというわけでは決してないのだが。

「わざわざ兵を進める必要あるのかなぁ? クルシャリ伯にスコピエ伯と、王師に敵対した諸侯がこんなふうに簡単に敗北したことを聞けば、最後に残ったクサンソス伯も抵抗を諦め、おとなしく開城し、頭を下げて謝ってくるんじゃない?」

 わざわざ攻めていくのはめんどくさいという、大っぴらに口に出せない理由以外に、そうなれば兵の損失も無いし、いらない遺恨を双方に残すこともない。いいことずくめではないか、といった現代の日本人らしい考えで有斗は馬上のアエティウスに話してみたが、アエティウスの賛同は得られなかった。

「もしそのような考えが思いつくような目端の利く男なら、既に使者の一人も陛下の下に送っているはず。クサンソス伯は現状分析が甘く、決断力にかける人物と見ました。陛下が慈悲心を持ってクサンソス伯に時間をお与えになっても、考えるのを止め、敵が疲弊して去ってくれるんじゃないかなどと甘く考え、籠城策を選択するでしょう。それまでの経験則からもそうするはずです。それでは無駄な時間を費やすが落ちです。長期の籠城戦を行うにしろ、いったん帰るにしろ、河北に王師を駐屯させるにしろ、不要な戦費がかかります」

「そうかなぁ」

 それに対して、有斗は全面的に賛同する気にもなれなかったが、さりとて明確に反論する論拠も持っていなかったので、生返事を返した。

「むしろ間髪を入れずに一気に攻め滅ぼし、陛下に敵対する愚と、朝廷の威光をアメイジア中に知らしめるのです。そうすればこれ以降、諸侯は陛下に簡単に弓を引こうとはいたしますまい」

「・・・そうかなぁ」

 アエティウスの言葉に、いまいち合点のいかない有斗は再び生返事をした。

 そんな有斗にちらと目線をくれて、「それにここで時間を置けば、ここまでの勝ち戦で高まった兵の士気に水を差します。戦とは流れです。流れを掴んだ者が勝つ。上げ潮の時は何も考えずに前に進むものです」と、アエティウスは言った。

 今のところ、アエティウスの考えが正しいか間違っているか、判断のつけようがない有斗は、アエティウスの言に素直に従うこととする。


 屋根のある郭内で一両日、兵を休めると、クサンソスの地に向けて出立した有斗の軍に、新たな随従員が加わった。

「なんでエザウがついて来るの?」

 実用的とはとても思えない、派手な装いの鎧を着た一団が、まるで王師の一部隊でもあるかのように、大きな顔をして追従してくる。エザウが率いるクルシャリ伯の兵の一部である。

「エザウたちはクルシャリ伯に弓引いたのですよ。クルシャリ伯も内心、快く思ってはいません。あのままクルシャリの地に留まっていては新たな火種になりかねません。もしクルシャリ伯がエザウを殺せば、エザウは陛下に味方したことになっているのですから、そのエザウを守れなかったということで陛下の御名に傷がつきますし、クルシャリ伯を追討しなければなりません。逆にエザウらがクルシャリ伯をしいしたとしても、陛下がエザウらを唆して主君殺しをさせたのだと、やはり陛下の御名に傷がつきます。彼らは離しておかねば危険なのです」

 言われてみれば納得の理由である。

 だが問題がないわけではない。

「役に立つのかなぁ・・・・・・」と、有斗はエザウの才覚に疑問を持つ言を思わず口にする。

 エザウは封建領主ではない。よってエザウらの軍用品や食事など必要経費も国庫から支払わなければならないのだ。財政不如意の昨今、無駄飯ぐらいを雇う余裕は有斗にはないのである。

「槍働きに期待はできなくても、陛下の矢除けくらいにはなるでしょう」

 と、アエティウスもエザウの能力自体にはさほど期待していない様子だった。

 有斗も、エザウも身体だけはでかいから、盾にすれば矢を大いに防いでくれそうだなどと酷いことを考えた。


 山々の間に挟まれた荒れ果て、せた赤茶けた土地。乾いた大地にまばらに残る僅かな木。そんな河北に来てからの見慣れた光景が突如、一変する。クサンソスの地は木々が生い茂る、緑色に包まれた、河北の中では群を抜いて豊かな土地に見えた。河北は畿内から遠いほど人口が密集しておらず、その分、自然が残っているのである。

 とはいえここも流賊の襲撃や周辺諸侯との戦いがあるのか、耕地はそう多くは見られない。ここに安定がもたらされれば、多くの流民の口を満たすことができるのにと有斗は思った。

 しかし周囲の風景はこんなに違っても、変わらないものも存在する。

 クサンソス伯はスコピエ伯やクルシャリ伯のように城外すぐに兵を布陣して王師を待ち受けていた。

 しかも・・・似ているのはそれだけではない。

「賊め! このバルブラがおる限りは、このクサンソスの地には一歩も踏み入れさせぬぞ!!」

 またまた一人の武者が兵の前に馬を出して、王師に挑みかかろうとする。 

「またか」

 同じような展開も、もはや三度目となると有斗も呆れるしかなかった。

「私が行きましょうか!?」

 さっそく青龍戟を抱えて立ち上がろうとするアエネアスをアエティウスが制した。

「お前はこの間、一騎打ちでエザウを捕らえるという大功を立てたのだから自重しなさい」

「でも・・・」

 アエティウスはどうやらアエネアスに行かせたくないようだった。

「暴れたりないって、毎日のように文句を言っている、ベルビオにでも相手させたら?」

 その気配を察して投げやり気味に言った有斗のその言葉を、ベルビオは自身に向けられている王の信頼とでも都合のいいように捉えたらしかった。

「行かせてください! 必ずや陛下のご期待に応え、この俺があいつに二度と生意気な口を叩けないようにしてみせます!」

 だが駆け出そうとするベルビオの馬の手綱をアエティウスが掴むと、器用に馬の脚を止めた。

「・・・陛下、ベルビオに任せるのは考え直したほうがいいかもしれません」

「若! 俺の何が不満なんですか!? そりゃあんまりですぜ。相手は明日にも黄泉路に旅立ちそうな老いぼれじゃないですかい!!」

 アエティウスの慎重な言葉に、何事もアエティウスに従うベルビオが、珍しく不満の色を見せた。

 有斗がバルブラと名乗った武者をよくよく見ると、兜の下から覗いた髭は豊かではあるが、白いものが多く混じり、傷だけでなく皺だらけの顔は確かに歴戦の勇者ではあろうものの、確かにベルビオの言う通りで、全盛期をとうに過ぎた老将であるように思われた。

 それに結果的に鎧の下は張りぼてだったとはいえ、それでも見かけだけは立派なエザウとは違い、バルブラという男はベルビオと比べると明らかに貧弱で、比べるのがかわいそうになるほどだった。もちろん、有斗に比べると十分に逞しいのではあるが。

「・・・ベルビオなら秒殺で勝てるんじゃない?」

「そうですよ! いいことをおっしゃる! 流石は陛下! まさしく陛下のおっしゃるとおりです!!」

 ベルビオは有斗の言葉に応えるように、その逞しい二の腕を振り上げてアピールするが、アエティウスは取り合わない。

「バルブラといえば河北にその人在りと南部にまで聞こえた豪傑です。よわい六十を超えて益々盛んだと聞きおよんでおります。油断は禁物かと」

 だがアエティウスの言葉はベルビオのいきり立った感情に油を注いだだけであった。

「若! あいつがかつてどんなに猛将だったとしても、今や棺桶に片足を突っ込んだ老いぼれ、恐れることなんかないですぜ!」

「どうした! 見ると、将も兵も年若い者ばかりではないか? そこに見える、少しはマシな外見の幼子を王にしつらえたようだが、そのような幼稚な小細工、わしの目はごまかせぬぞ! 世間のあぶれ者が賊を偽るために王師を名乗っておるのであろうが!」

「あいつ、生意気にも陛下に対してあんなこと言ってますぜ!?」

「どうした来ないのか? そなたらの槍は見せかけか!? そなたらの中に男は一人もいないと申すか!」

「若、もう我慢できません!」

 そう叫ぶと、ベルビオは遂にアエティウスの手を振り切って、バルブラに向かって馬を駆け出させる。

「じじい! 俺や陛下への暴言、許されぬぞ! よほど冥府へと旅立ちたいと見えるな!! この俺の大斧のさびとなるがよい! 安心しろ、死んだら立派な棺をこしらえてやる!」

 その丸太のように太い腕と強靭な背筋を存分に活用して、ベルビオは馬上で自慢の大斧を軽々と振り回した。それを見たバルブラも負けじと地面に突き立てていた黒槍を片手で構えた。

 二メートルを超える槍は例え木槍であっても、片手で扱うには重すぎる獲物だ。それを馬上で振り回し、バランスを取るのは思った以上に難事で、有斗などにはとてもできない芸当である。

「抜かしたな小童こわっぱめが! 来い! この儂が冥途の土産に、人生の厳しさを教えてくれるわ!!」

 先に馬を走らせた勢いもある。上背もある。二人の激突は、ベルビオの大斧がバルブラに襲い掛かる形となった。

 上段から振り下ろされたベルビオの大斧の勢いは凄まじく、見ていた誰の目にも、バルブラは両断されるかに思われた。

 だがしかし、バルブラは少し押し込まれたものの、ベルビオの大斧を完璧に受けきり、それだけでなくね返し、あまつさえ隙を見つけて槍を打ち込むことまで見せた。

 しかもその外貌からは想像もつかないほど、バルブラの槍は重く正確で、ベルビオも簡単にはさばくことができない。

 戦いは互いの隙を見出そうと慎重な攻防になり、互いに撃ち合う膠着状態が続いた。もちろん、その一撃のどれか一つをとってしても、有斗ならば致命傷になりうるレベルの攻防だった。

「ふぅん!」

 ベルビオの剛力を考えれば、どんな巧者であっても正面から力を受けるのではなく、得物を撃ち当てて力をそらす形で対処するものだ。王師一の槍の達人、ヒュベルでさえもそうだ。だがバルブラはまたもベルビオの上段からの攻撃を槍の柄で受けきって見せた。もちろん槍の柄が木製でなく鍛鉄で作られているから可能な技であろうが、バルブラの腕力も大したものである。

「やるな老いぼれ!」

「若造が! 負けぬぞ!!」

 バルブラはベルビオに張り合うように、牽制けんせいや小手先の技を発せずに、全身全霊を持った一撃を叩き込む。

 ベルビオもそれに応えるかのように、小技を使わず避けもせず、あえて正面で攻撃を受けて見せた。

 二人の戦いは力対力の真っ向勝負となった。

「驚いた。あのベルビオと互角に渡り合うなんて」

「バルブラの老いた姿は、逆にあの年まで己の現状に安住することなく、心身ともに鍛錬したということです。噂通りの河北きっての名将、凡百の武人ではありません」

「あ、そっか。ここはそういった世界だった」

 有斗はすっかり失念していたが、アメイジアは精神が成長すると共に肉体も成長する。精神の成長が止まると肉体の成長も止まる。宮廷の高官などは悪い意味で精神が歪んで変化するのか年老いた容姿の者が多いが、他は概して二十代くらいで容姿は固定されている。

 だから後宮にいる女官などは皆、若く美しく見えて有斗のストライクゾーンど真ん中の女性ばかりなのだが、中には有斗の母親どころではない年齢の女性もいるらしい。もちろん有斗は毎日、彼女らの世話になるのであるから、機嫌を損ねたりでもしたら、後がいろいろと怖いので、御付きの女官に対して、いちいち年齢を訊ねたりはしない。

 つまり目の前の老将は年老いるまで精神的に大いに成長したということだ。

 もちろん、若いベルビオとの肉体的なハンデはその分、あるのではあろうが。


 さて、いつぞや見たヒュベル対アエネアス、アエティウス、ベルビオの高速展開を見せた戦いと違って、今回のベルビオとバルブラの一騎打ちは意地の張り合いもあって、まるでターン制のRPGのように相互に全力の一撃を打ち込むだけの単調なものとなった。

 とはいえ、双方全力を籠めての一撃もさることながら、それを防ぐ技術も高等なもので、それはそれで見ごたえがあり、両軍の兵士たちも固唾かたずをのんで見守って、自陣営の将が少しでも優勢な局面になると歓声が、逆側では悲鳴に似た声が上がる。

 互いに譲らないまま五十合を越えたところで局面に新たな動きが出てきた。

 ベルビオの怪力をバルブラが受け損ねた結果、二人とももつれ合うようにして落馬した。それまでバルブラがベルビオの攻撃を完全に受け止めていたから、むきになったベルビオは体重を相手に預ける形で攻撃していたのだ。

 双方、すぐに得物をぶつけあって距離を取る。片膝を立て、大きく息を吐いて睨み合った。

「バルブラが危ない! 助け出せ!」

 遠目ではバルブラが落馬したとしかわからない。クサンソス伯は兵を前進させる。

 敵軍が動き出したことで今度は一転してベルビオが危険な立場になる。さすがにベルビオも全力で一騎打ちした後で、大勢の兵の相手をするのは無茶というものであろう。

「兄様、ベルビオを助けに参ります!」

 このままベルビオを放置しておくわけにはいかないと、アエネアスが馬に一鞭くれて駆け出すと、ダルタロスの兵が慌てて彼女を追って駆け出して行った。

「待て! 不用意に近づくな!」

 アエティウスは策もなしにこのまま戦いを拡大するのは上策ではないと、アエネアスらを止めようとした。

 だがアエティウスの静止の声はアエネアスの耳には届かない。アエネアスの動きにつられて、次々と飛び出した兵の馬蹄の音にかき消されたのだ。

 ベルビオとバルブラ、双方の身柄を確保しようと両軍の兵が一か所に殺到した。

 両軍入り乱れて、互いに収拾のつかぬまま乱戦となった戦いは、最終的に夜陰をもって一時中断された。

 大暴れできたベルビオとアエネアスは傷一つなく帰ってきたこともあって上機嫌だったが、

「乱戦となってしまいましたね。敵にも損害を与えましたが、味方にも被害を出してしまいました」

 詰まらない戦い方で思わぬ損害を出してしまったことに、アエティウスは渋い顔をした。

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