第47話 河北征伐(Ⅶ)


「アリアボネいる?」

 甲高い声とともに中書省に入ってきたのはラヴィーニアである。

 中書内がざわめく。それもそうだろう、下官にとってはついこのあいだまでの彼らの上司だ。

 そして今となっては王が一番嫌い憎んでいる人物である。だから地方の県令に飛ばされたはず・・・何故ここへ?

 そんな微妙な雰囲気にラヴィーニアはニヤリと笑う。悪びれる様子もない。

「ほい。頼まれたやつ。河北の民の一部を近畿に移した場合と、向こうで自立させた場合の計画書。ただ、あたしは地方にいてここの資料に触れられないし、河北の現状を正しく把握していたわけじゃないから、細かいところは君自身が手直ししたほうがいいと思う。」

「いい暇つぶしにはなったでしょう?」

「・・・そりゃあ僻地へきちの県令なんか、暇で暇でしょうがなかったけどさぁ」

 王の寵臣と嫌臣。その二人の成り行きを興味深げにうかがい見ていた中書の下官だが、ラヴィーニアがなめつけるようにぐるりと見回すと一斉に目を伏せる。

「ふん」

 どいつもこいつも、あたしにこびを売って出世しようとしてたくせに失脚した途端これかよ。ラヴィーニアは不快そうに鼻をならした。

「で、あのマヌケから私を中央に戻す約束は取り付けたかい?」

「何度言ったら理解するのです。陛下とおっしゃいなさい。陛下が留守中だから王都に呼んだのです。陛下がおられたら呼び出したり出来ませんよ」

「なんだ、それじゃただ働きか」

 ラヴィーニアは不満そうだった。

「田舎もいいわよ。いろいろ考えることもあるでしょうし。しばらく驥足きそくを伸ばしたらどう?」

「かつての君のように田舎に閉じこもり、晴耕雨読の生活を送れってか? そんなの御免だね。あたしは自身の能力ちからに絶対の自信がある」

「これは河北と関東が同じ王の下でまとまる大事な第一歩よ。それはあなたの望みにも繋がることだと思うけれども?」

「あたしはあたしの能力をまっとうに評価してくれるやつの下でしか働く気はないね」

 その言葉にアリアボネは溜め息をする。

「私たちは同じだと思ってた」

「同じだって?」

 ラヴィーニアは心の鬱屈と共に言葉を吐き捨てた。

「違うね。君は榜眼ぼうがん様で、あたしは探花さ。今も昔も、ね」

「いいえ、私たちは同じ。同じように無くしたものを悔やんで、乱世の終結を願っている。違って?」

「・・・・・・」

「君はいいよ」

「じゃあ変わる? 労咳けっかくはつらいわよ」

「労咳がなにさ」

 甘えたことをぬかすな、とラヴィーニアは鼻白はなじろむ。

「君は王にも好かれてるし、宮中のみなにも実力が認められて、さらにはその美貌さ。お姫様みたいに誰からもチヤホヤされる」

「それはただ単に陛下の歓心を買いたいだけ。私を使って陛下に近づこうとしているだけ。誰も労咳の行く末が知れてる女なんて本気で相手してるわけじゃない」

「自分の考えを実行に移し、実力を発揮できる場所を与えられてるじゃないか」

「それは否定しないけど・・・でもそれは、あなた自身に問題があってよ。壁を作って容易に他人に心を開こうとしない、その心。それじゃあ誰もあなたを信じて、あなたの為に場所を用意しようとは思わないわよ。いくら才があってもね」

「・・・フン」

 ラヴィーニアは一瞬横を向いて心中のもやもやしたものを吐き出すように息を吐いた。

「君はいいじゃないか。青春ってやつがあったじゃないか。南洋の名花とうたわれたキラキラする時期があったじゃないか。・・・あたしにはそれを持つことすら許されなかった・・・」

「それは・・・」

「君の策にたいして、あたしのは謀」

 ラヴィーニアは口の端に皮肉を浮かべる。

「それは二人の歩んできた人生の違いさね。しょせん相容あいいれぬ二人なのさ」


 僅かな抑えの兵を残してスコピエの地を後にした有斗は、河北の東西を貫く主要街道を東へと進み、クルシャリの地へと向かう。

 スコピエ伯の時と同じように、クルシャリ伯も城の前に兵を繰り出して布陣し、王師が来るのを待ち構えていた。

 有斗は後で知ったのだが、河北での戦いは流賊相手が主たるものであるから、城壁の前に布陣して威を示し、相手を怯ませるのが常道であるのだ。

 だがそれはありがたいことに王師にとっては組しやすい戦い方である。

 と、両軍が見守る前で、長鉄錘ちょうてつすいを片手にひっさげた、胴回りの豊かな大男が軍の前に立つと、酒焼けしたどら声を張り上げた。

「この盗人どもめ! 我らが土地を奪いに来たか!!」

「この天の下、一片の土地さえも陛下のものである。諸侯がわたくししてよいものではない!!」

「この関東の地に王などおらぬ! このかたり者が!」

「陛下をそのような汚らわしい言葉でののしるなど・・・どうやら命が惜しくないようだな!」

「賊が王を名乗るとは片腹痛い! 我が名を聞いて驚くなよ? 俺の名は火眼将のエザウ!!」

 その自信に満ち溢れた物言い、やたらとかっこいい二つ名を鑑みるに、相当に名の知れた豪傑であるようだが、異世界育ちの有斗には知る由もない。そこで傍らに控えるアエティウスに「知ってる?」と、尋ねてみたところ、「いいえ・・・聞いたことはありませんね」という返事が返ってきて、有斗の困惑は深まるばかりである。

 有斗は河北出身のアクトールにも尋ねる代わりに振り返ったが、アクトールは首を左右にゆっくりと振って知らないことをアピールする。

 返答のないことを、どうやら敵が恐れたためであると勝手に解釈し、気をよくした大男は腹に手を当てて大笑した。

「どうした! かかってこい! 可愛がってやる!! 俺の名を聞いて怖気づいたか! 無理もない! とく立ち去れぃ! 今なら命だけは勘弁してやる!! ぐわははははははは!!」

 エザウと名乗る敵将が自信満々なだけに、有斗の顔には不安の表情が浮かぶ。エザウという男が、この兵力差を簡単にひっくり返すような、なんとか無双とかいったゲームに出てくるような人外の化け物ではないかと思ったのだ。

「大丈夫? 敵将はかなり強そうだよ?」

「所詮は無名の輩です。気になさることはないかと」

「それにしては自信満々すぎるよ」

「あれは馬鹿の空威張りですよ。虚勢です」

 それまで敵武将を睨み付けていたベルビオが、ここでアエティウスと有斗の会話に割って入った。

「若、俺に行かせてください。あんな奴、俺なら一捻りでさぁ!!」

 あんな田舎者に馬鹿にされては男が廃るとでもいうのか、ベルビオはたいそう怒っていた。

 あんな単純な煽りに引っかかるなんて、アエネアスといい、どうしてダルタロスの人間はこうも猪武者ばかりなんだろうと有斗は少し頭が痛くなった。

 とはいえベルビオも大事な家臣の一人ではある。勝手に戦って、死んで来てもいいよとは口が裂けても言えない。

「落ち着いて、ベルビオ。敵の挑発に乗らずに、もう少し様子を見ようじゃないか」

「まぁ・・・陛下がそうおっしゃるのなら仕方がありませんが」

 有斗の言葉にベルビオが不承不承ながら引っ込んだかに見えたその時、「じゃあ、私が代わりに行きます! 行かせてください!!」と、何故か代わりにアエネアスが名乗りを上げて事態をややこしくさせる。

「お嬢、ずるいですぜ。俺が先に名乗り出たんです。ここは俺に任せてください!」

 アエネアスに張り合うかのように、ベルビオも再び自分を売り込もうと声を張り上げた。

「ベルビオは先日のスコピエ伯との戦いで衆目を集めるような戦功を立てたよね? ずるい! 今回は私に譲ってくれてもいいじゃない!」

「ダメです。先に名乗り出たのは俺ですから!」

「私は主筋、ベルビオは家来筋でしょ。譲って!」

「ダメです、ダメです! 主従関係と戦功は、また別物ですぜ! こればっかりは例え相手がお嬢であっても譲れません!」

 二人の口論に巻き込まれることになった有斗は、ダルタロスの猪体質に心底、あきれ果てた。

「二人とも落ち着いて。見え見えの敵の挑発に乗っちゃだめだよ。冷静になろう」

 無駄とは思いつつも、有斗は二人を落ち着かせようと試みる。もちろん無駄な努力であったのであるが。

「陛下、俺を行かせてください! あの野郎を真っ二つにしてみせます!」

「陛下、先の戦では腹痛で参戦できずに歯がゆい思いをいたしました! ここは是非とも私に!」

 自分では二人を止めることができないと見た有斗は、傍らのアエティウスに救いの手を求める。

「アエティウス、言ってやってよ」

「行かせてもいいんじゃないですか」

「えええ!?」

 驚く有斗とは対照的に、ベルビオとアエネアスは嬉しそうに身を乗り出して自己アピールを続ける。

「本当ですかい、若! 俺に行かせてください!」

「本当!? わたしが! 今回は絶対に私が行きます!!」

 アエティウスは二人の顔を交互に眺めて何事か考えこんでいたが、

「ベルビオは前回の戦で功を立てた。今回はアエネアスに譲ってやれ」と、最終的にはアエネアスに白羽の矢を立てた。

「若! それはないですぜ!!」

 悲鳴を上げるベルビオの背中をアエネアスは笑顔で叩いた。

「やった! 悪いね、ベルビオ!」

 さすがに己の主君とその従妹には逆らえないのか、ベルビオは悔しそうな顔はしたものの、最終的にアエネアスにその役目を譲り渡す。

 さっそく馬上の人となろうとしたアエネアスにアエティウスが注意を促した。

「念のため、少し気を付けろ。そうだな・・・敵将にも何か策があるかもしれない。手加減して数合手合わせして、わざと負けたふりをして、こちらに誘い込め。敵陣から離れれば、敵も策を用いられまい」

「あんな奴、何でもないですよ!! ほんっと兄様は心配性ですね。小細工をろうされたくらいで私は負けません!!」

「そういうな。念には念を、だ。陛下も心配されておる。陛下の気遣いを無駄にするな」

 アエティウスの言葉に合わせて、有斗もこくこくと頷いて見せた。

「・・・んんぅ、わかりました」

 アエネアスは不承不承といった体で承知する。


 アエネアスは青龍戟を小脇に抱えると馬の腹を蹴って、エザウに向けて突進する。

「下郎め! このアエネアスが相手をいたす!」

「お主のような小娘では物足りぬが・・・よかろう、来い! 我が花山震天錘かざんしんてんすいの餌食となれ!!」

 エザウは見るからに重そうな大錘を馬上で器用に回転させる。少しメタボ体形ではあるが体格はベルビオと比べても見劣りしない。やってみないと分からないが、軽量のアエネアスでは厳しい勝負になるかもしれない。

 アエネアスは劣勢を装うために、まずはわざと攻撃を外すと体制を崩す。そこをエザウは見逃さず攻撃するが、アエネアスは簡単に戟で大錘を受けきった。

 一瞬、アエネアスの顔に変な表情が浮かんだのを有斗は見逃さなかった。

「ん?」

 アエネアスが何か敵の罠でも見破ったか、あるいは危険を察したかと思って、不安に身を乗り出すが、アエネアスは何事もなかったかのように戦闘を続ける。

 アエネアスは手筈通りに数合手合わせをすると、後ろを向いて逃げ出した。

「敵は弱いぞ! このまま打ち破れ!!」

 勇んだエザウは手勢を引き連れてアエネアスを追った。

 敵陣から十分に距離を取って、罠にかかる心配がなくなったと見たアエネアスは振り返った。

「勝手なことばかり言って、許さないから!」

「む!? 手向かうか!」

「本気で行くよ!」

 アエネアスの、先ほどとは段違いに鋭く重い攻撃に意表を突かれたのか、エザウは大錘で青龍戟を受けきるのに失敗し、あろうことか自分の大錘の鉄塊の部分でしたたかに頭を打つ羽目になった。

「んきゅううううぅぅ」

 エザウは口から泡と同時に奇妙な音を出すと、落馬した。気絶したのかぴくりとも動かなくなった。

「・・・ん? これだけ?」

 これには本人よりもアエネアスのほうがびっくりしたに違いない。

「本当にこれだけ!?」

 少なくとも数十合は熱い一騎打ちを繰り広げることになると思っていたアエネアスは、目の前で起きたことが信じられず、呆然となった。

 当然であろう。両軍見守る中で派手な活躍をして、大好きな兄様と王からたっぷりとお褒めの言葉を頂くという栄誉を脳内で思い浮かべていたのだ、無理もない。

「見せ場は・・・? わ、私の見せ場は!!?」

 素敵な未来予想図が崩れて、一人呆然とするアエネアスには構わず、アエティウスは敵将を討たれて浮足立った敵軍を攻撃する命令を下す。

「それっ! 全軍、突撃! この機を逃さず、敵を打ち破るのだ!」

 先鋒将軍が見るに堪えられないほど無様な負け方をしたということもあって、王師の攻撃を支えきれず、クルシャリ伯の兵は散々に打ち破られたうえで城内に逃げ込んだ。


 まずは幸先よく初戦に勝利した有斗が、機嫌よく祝宴を開いていると、いつもならば真っ先に料理の前の特等席に陣取るアエネアスが随分と遅れて入って来た。

 「陛下、この口先だけの豚野郎をどうします?」

 アエネアスは縄で簀巻きに縛られたエザウを引きずって連れてきたのだ。グラマーな美人が裸で縛られているならともかく、太ったおっさんのそんな姿を見ても嬉しくともなんともない。有斗はそっちの趣味はないのだ。

 有斗はその哀れな姿を見て、まるでボンレスハムみたいだなと冷淡に思っただけだった。

 有斗の姿を認めたエザウは一段と声を張り上げた。

「お、おおおおお願いです。命だけはお助けを!!!」

「くどい!」と、アエネアスはエザウを足蹴にした。

 捕まってからここに連れてこられるまで、エザウに泣き言を聞かされ続けたアエネアスはもう心底うんざりしていたから、自然と扱いが粗雑になる。

「私には妻も子もいるのです。まだ死にたくない!」

「おまえも兵を率いる将なんでしょ? だったら、戦場に出たからには覚悟ってものを持っているはずじゃない!」

「わ、私は生粋の将軍などではありません! 体格の良さを買われて戦に駆り出され、いつのまにか将軍などに祭り上げられただけ・・・! 元は単なる酒屋の主人なんです・・・!!」

「陛下に対する暴言・・・あれほど悪態をついていたくせに、今更、命乞いとはふざけてる! 来なさい! 首を切ってやる!!」

「ひいいいいいい!! お許しを!! 首を切ることだけはお許しを!! どんなことでもします!」

「こら! 暴れるな! 首が嫌だと言うのなら、胴を斧で両断してやってもいい!」

「どちらも嫌ですぅ! 家には六十五の、病に伏した母もいるのです。たった一人の息子である私をとても頼りにしているのです! 私が先立っては他に頼る者もなく、行く末が心配なんです! どうか私に母に孝養を尽くす機会をお与えください! おおお、お願いいたします!!」

「どこまでも往生際の悪い奴だ! 諦めてあの世に行け!」

「い、命をお救いくださるのなら、奴隷になっても構いません! 宮刑に処されても、腕を切り落とそうと、足を切り落とそうと構いません! ですから命は・・・命だけうわぁああああ!!!」

 エザウは縛られたまま、涙だけでなく、鼻水まで垂らして這いつくばって額を地に打ち付け、みじめな姿で命乞いをする。

 人間らしいと言えば人間らしい態度ではあるが、あまりにも見苦しく、有斗は思わず頭を抱えたくなった。

「殺しますか?」

 ダルタロスきっての理知派であるアエティウスも何か思うところがあるらしく、いつにない物騒なセリフを口にする。

「ひいいぃ! お、おた、お助け、お助けください! どんなことでもいたします! 靴を舐めろと言われれば舐めますし、犬になれと言えば犬になります!」

 エザウはさらに怯え、体をわなわなと震わせる。

 有斗は大きく長嘆息した。

「もういい」

「陛下?」

「許してやろうよ。聞けばかわいそうな奴じゃないか。親や子のことを考えるなんて根は良いやつっぽいし。それに見かけに反して弱っちい。生かしておいても害はないよ」

 有斗はエザウを哀れに思って助命することにした。こんな男ならば生きて再び刃向かったとしても、障害になることはないと思ったのだ。生かしておいて有斗の役に立つとも思わなかったが。

「あ、ありがとうございます! 命を救われた恩義、このエザウ、一生忘れません!」

 喜びに顔を輝かせるエザウに対して、反してアエネアスは渋い顔になった。

「陛下! 甘い、甘すぎます! 口先ばかりに決まってます! 明日になれば、恩義など忘れて敵になるやつです! こんな奴を生かしておいてはいけないですよ!」

「そんなことはありませぬ! このエザウ、命を助けていただいた恩義、一生忘れませぬ!」

「嘘つけ!」

「アエネアス、陛下がお決めになったことだ。その男を許してやれ」

「そんな! 兄様まで!!」

「なんだ? 陛下の御決定に異議があるのか?」

「・・・! わかった、わかりました! しかし、どうなっても知りませんよ!!」

 王と大好きな兄様相手に、自分の意見を主張し続けるのは分が悪いと思ったか、アエネアスは押し黙ることで、不承不承ながら同意を示した。


 放逐されたエザウの姿は翌朝には、なんとクルシャリ伯が籠城する城内にあった。

「殿、このエザウ、帰ってまいりましたぞ!」

「おお、エザウ。無事だったか!! 敵に捕らえられたと聞いて、いたく心配しておったぞ。して、今までいかがしておったのだ?」

「一騎打ちでは我が上回ったのですが、一対一では敵わぬと見た敵は、卑怯にも十重二十重に私を取り囲みんだのです。衆寡敵せず、悔しくも捕らえられましたが、夜になって警戒が緩んだところを見計らい、牢番を殺して牢を抜け出、追いすがる敵を千切っては投げ、千切っては投げ・・・百の敵を打ち倒し、脱出してきたのです!!」

 エザウは本当のことなどおくびにも出さず、自分に都合のいいように話を盛りに盛った。

「エザウ、そなたはまさに万夫不当の荒武者よ! いにしえの英雄たちもかくやという大活躍であるな!」

「王師に兵なし! あのような弱兵がいくらおろうとも、このエザウがおる限り、恐るることはございません! 次のいくさでは伯の為にきゃつらの軍を粉みじんにしてごらんにいれます!」

「うむ。頼もしいぞ、エザウ! 頼りにしておるぞ!!」

 クルシャリ伯の言葉を受けて、エザウは大きく胸を叩いて哄笑した。

「うわっはっはっはっは! お任せください!」


 クルシャリの城は伯の住まう城塞だけでなく、住民を他の諸侯や流賊から守る郭を備えた大掛かりな城である。一万の王師に囲まれても即日陥落するようなやわな城ではない。

 エザウという自慢の猛将(?)も帰ってきたこともあって、クルシャリ伯は切迫した気持ちになることなく、夜も安心して眠っていた。

 しかしそんな彼の貴重な静寂も深夜には打ち破られることとなる。

「何? 敵が押し寄せてきた?」

 別に自分が起きていたからと言って結果に変わりは無かろうと思ったのか、たたき起こされたクルシャリ伯は少し不機嫌だった。

 それにしても・・・と、クルシャリ伯はこんな時間に攻め寄せてきた王師の行動が解せなかった。こんなどこに何があるか見えない真っ暗闇の深夜に攻城戦を行うのは常識外だ。城壁にかける梯子すら上れやしない。夕闇を利用して奇襲する夜討ちには遅すぎるし、かといって敵の不意を打つような朝駆けを行うには早すぎる。

 王師は城壁間際まで兵を寄せたが、城壁に梯子をかけるわけでもなく、矢頃まで入ろうともしない。

 完全武装のエザウを伴って城門の楼閣の上に登ったクルシャリ伯は、城壁に松明たいまつを多く掲げさせ、身を乗り出した。

 にわかに城門上が明るく騒がしくなり、雑兵と違った派手ないでたちの一団で色付いたのを見たアエティウスは頃合いとばかりに大声を張り上げた。

「エザウ殿、時間きっかりですな! さすがは天下の大英雄! ささ、約定通りに門を開けてくだされ! クルシャリ伯の首を献じて、陛下への忠誠を示すのです!」

 アエティウスの言葉でクルシャリ伯から一兵卒まで、エザウに厳しい視線を突き刺した。エザウの汗腺という汗腺から、どっと汗が噴き出した。

「と、殿、これは罠です! 敵の罠です!」

 エザウは必死に弁明するが、クルシャリ伯がエザウの言葉を信じた様子は見られなかった。

「殿、そういえば敵に捕まったエザウ殿がこうも易々と逃げてこられたことが怪しいのです。敵に丸め込まれたと考えるのが自然では?」

 それどころか内宰のその言葉を信じたクルシャリ伯エザウに対して明確な敵意をあらわにした。

「何が罠だ! このわしは騙されんぞ!」

「殿! 信じてください! このエザウ、そんな不忠者ではございませぬ! 一介の酒屋の主人から将軍にとりたてていただいたという未曽有のご厚恩は、一生忘れぬものではございませぬ!」

「また分かりやすい嘘をつきおって! 前々からお前の見え見えの嘘に付き合うのは飽き飽きしておったのだ!! ええい! 殺せ! あの裏切り者の首をねよ!」

「そ、そんな。殿おぉぉぉう!!」

「謀反じゃ! 謀反!! この男を今すぐ斬り捨てぃ!!」 

「殿! これは罠です! 敵の策に乗ってはなりません!」

 エザウは刀を抜いて近づいた兵を馬鹿力で払いのける。それを自分の身を守るためだったが、外から見る分には十分にクルシャリ伯に逆らっているように見えた。

「本性を現しおったな! ええい、捕らえよ!! この外道を討取った者には恩賞として金百を取らす!」

 クルシャリ伯の言葉に、傍らに控えていた側近の武人たちが刀を抜いて次々とおどりかかったが、エザウはそのことごとくを退けた。

「殿、これは罠! 罠なんです!!」

 エザウは周囲を兵に取り囲まれながらも、アエネアスと戦った時の醜態が嘘のように八面六臂はちめんろっぴで暴れまわった。

 その意外な奮闘ぶりに有斗は驚嘆の声を上げた。

「・・・意外と強いね」

「いや、アエネアスと戦った時はあんな力を発揮しなかったんですが・・・想定外です」

「簡単なことです。私が強すぎるんです!」

 エザウが弱すぎる男に映るほど自分が強いんだとばかりに、アエネアスは鼻を高くした。

 だが如何に超人的な働きをしようと一対多、そのままでは助かる術はない。だが雑兵の海に埋没するかに見えたエザウを助けようとする兵たちが現れ、その波を跳ね返した。

「伯は我らの主君だが、このアメイジアの全ては王のもの。王に従うことこそアメイジアに生きるものの本義と言えよう。王に刃向かうなど無謀に等しい。エザウ殿を助けて王に忠誠を示せ!」

 あちこちで兵同士が勝手に争いを始め、混乱が広がる。敵と味方とが明確に把握できない混沌な状況に、エザウも伯爵も指揮が取れずに打つ手が無かった。

 だがどちらかというとエザウ側に立って戦う兵の数の方が多いように見えた。

「・・・主君を裏切ったエザウなのに、伯爵ではなくエザウの方に兵士が集まっている。人望があるのかな」

「わかりません。単にこのまま籠城しても先が知れていると、勝ち馬につこうとした結果かもしれません」

 しばらくアエティウスは考え込んでいたが、

「まぁ・・・あやつが暴れてくれたおかげで敵に混乱が広がってます。こちらにはかえって好都合かと」と言った。

「ところでアエティウスは、いつの間にエザウに裏切る約束をさせたの?」

 そんな話を片言たりとも聞いていなかった有斗は不思議そうに尋ねた。

「嘘ですよ」

「え!?」

「陛下があの男を無償で解放するとおっしゃったので、何か利用できないかと考え、敵を内部分裂させようと内通話をでっち上げたのです。あの男は声だけは人一倍大きいものの、話に実がない。伯爵家内でも内心、皆が軽んじていることでしょう。そこを付け込んだのです。そもそもあのような男、信用などできるものですか。内応を諾しても、翌日には裏切るでしょう。味方に引き入れるなど論外です」

「・・・・・・アエティウスも案外、人が悪いね」

「馬鹿となんとかは使いようって言うじゃありませんか」

 アエティウスは一片も悪びれる様子を見せず、抜け抜けと言い切った

「さあ、この騒ぎに乗じて敵を打ち破りましょう」

 クルシャリ伯派とエザウ派との戦いで城内が混乱していることもあって、王師はそれほど苦労することなく、城門の中に兵を突入させる。


 郭内に兵を入れられては、これ以上、王師に抗するすべはないと悟ったクルシャリ伯は、戦火が郭内全域に広がる前に降伏を申し出た。条件はたった一つ、兵や領民は自分の命令で王と戦っただけなので、王の寛大な心で許して欲しいということだけである。

「案外と領民想いなところがある。悪人じゃないんだな。僕は許してやっても良いと思う」

 普段は有斗の甘い考えに賛同することの少ないアエティウスだったが、今回は積極的に有斗の考えを支持する姿勢を見せた。

「そういたしましょう。クルシャリ伯を許す大度を見せれば、未だ趨勢を決めかねている中小の諸侯に良い影響を与えることでしょう。彼らの懸念は自らの地位、財産の保持です。王に従えば本領安堵されると分かれば雪崩を打ってお味方すること間違いなしです」

 それにもうクルシャリ伯に王師と戦う力は残っていない。万が一、もう一度逆らっても、今度はずっと簡単に捻りつぶすことができるはずだとアエティウスは胸中で計算する。

 有斗は敗者として現れたクルシャリ伯に優しい声をかけ、領土を安堵した。

 クルシャリ伯は感激し、平身低頭して有斗に忠誠を誓った。

 これで有斗はクルシャリ伯領の問題はすべて片が付いたかと思ったが、実はまだひとつ、解決を必要とする、ちょっとした問題が残っていたのである。


「で、こいつはどうします?」

 今度はベルビオがエザウを簀巻きにして、再び有斗の前に引きずって来た。前回と同様、今回も、泣き、喚き、懇願しながらというはた迷惑な騒ぎっぷりである。

 有斗が内心、持ってこなくていいのにと思ったことは言うまでもない。

「へ、陛下、お、おた、お助けをぉぉ!!」

「陛下、いかがいたしましょう。私は生かしておいても、もう利用価値はないと考えますが」

「そんな! 私を勝手に利用するだけ利用して、このような扱い、非情ではありませぬか! アエティウス殿、お助けください!!」

 エザウの言葉に、アエティウスは芝居がかった物言いで、殊更丁寧に拱手した。

「エザウ卿は実に役に立ってくれた。このアエティウス、礼を申す。だがもう役目は終わったのだ。感謝はするが、エザウ卿には陛下にあらがった罪を償っていただかねばならぬ」

「そんなぁ・・・私には妻と子が! 私を失っては乳飲み子を抱えた妻はどうやって生きていけばいいのですか!! そ、それに、家には六十八の年老いた母が・・・」

「・・・確か六十五じゃなかったっけ・・・?」

 有斗が朧げな記憶を探りながら、エザウの言葉尻を捕らえる。

「そちらは妻の母・・・つまり義理の母なのです! こちらは産みの母でして・・・!」

「・・・本当かなぁ~」

 アエネアスが疑いを隠そうともせずに口に出す横で、さすがに人の好い有斗も疑わしげな眼でエザウを見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る