第46話 河北征伐(Ⅵ)
そもそもスコピエ伯家は単独ではニケーア伯に抗しきれず、周辺諸侯と同盟を組んだということだ。それでもニケーア伯に決定的な勝利を得られなかったということは、ニケーア伯の数倍の兵力を持つ王師の敵ではないと判断できる。
だから有斗は楽観視していた。
それに有斗はニケーア伯の言葉を完全に
しかし事態は有斗の考えとは反対の方向に向かって動き出すこととなる。
「恭順はせぬ」
一瞬だけは有斗が出した書状を見たスコピエ伯だったが、中身に関しては、さほど興味を惹かれなかったらしく、床に放り投げる。
「なぜでございましょうか?」
「そもそも王とは言うが、本物であるかどうかもわからぬ。人の家に土足で上がり込んできた輩に、たやすく膝を屈してよいものか」
「とはいいますが、敵は我が方の数倍の兵を有している模様。しかも王を敵に回せば朝敵とあいなりまする。ご再考を!」
「だが王には怨敵エウデマが組している。あのような奸賊に手を貸すような犬畜生が王であるなど片腹痛いわ。それにきゃつの口から王とやらへ、どんな流言が吹き込まれたか知れたことか。のこのこ行っても首を落とされるだけよ」
「殿!」
「殿!!」
「これ以上、言うな。このアルブパレス、小なりともいえども伯の一人である。武門の家に生まれたからには意地がある。戦いもせずに手を上げたとなれば末代までの恥辱。例え王が相手であっても一戦せずばなるまい」
有斗がスコピエ伯に送った使者は、はかばかしい返答を持ち帰らなかった。
「諸侯ってのは、王に従うのが務めじゃないのか」
別に領土をよこせとか、娘を一夜、慰み者にするから差し出せだとか、命を取るだとかの無体なことを有斗は相手に要求してないのである。ただ頭を下げて、有斗が王であると認めるだけでいいのに、どうして戦わねばならないのか有斗にはさっぱりわからなかった。
それも有斗の見るところ、兵力差のある勝ち目のない戦にである
「スコピエ伯は剛毅の質であったのでしょう。諸侯には諸侯の意地というものがございます。一戦もせずに膝を屈すれば、家臣や領民に呆れられ見捨てられます。それに悲しいことに勤王の精神を持ち合わせるものなど、今の世には皆無ということですよ」
「・・・アエティウスも?」
「私は違いますよ。まぁ・・・そこそこ持っております」
この世界のそこそことやらが、どの程度のものなのか有斗は知りたいと一瞬、思った。
「こうなっては戦は避けられません。軽く
有斗は城攻めは初めての体験である。ティトヴォの攻防戦があるではないかと言われそうだが、あれは有斗にとっては防衛戦で、外から見る景色と中から見る光景とではまったく違う。
なんといっても守るより攻める方が、心理的に相手より上に立てるだけに有斗にとっては気が楽である。
もっとも命を賭して攻城を行わねばならない兵士たちにとっては、難しく犠牲の多い攻城戦は防衛戦以上にやりたくないであろう。
幸いなことにスコピエ伯は一個の城塞である伯都に兵を
「スコピエ伯は籠城策を取らなかったね」
有斗は少しは戦慣れしてきたのか、これから戦闘が始まるというのに、以前のように恐怖で体が震えるということが無くなっていた。おかげで口も極めて軽い。
「いきなり籠城すれば、将が敵を恐れていると思われ、兵の士気も低くなります。それに城壁を背にしているから背後に回り込まれる心配がなく戦えます。また不利になれば、いつでも城内に退却できる。心にゆとりを持てます。兵力に劣る時の常道ではありますね」
「そういうものなんだ」
「だが兵はそもそも死にたくないもの。家に近く、すぐに逃げ帰ることができる散地では、兵はすべての実力を発揮することなく逃げ去りやすくなります。先手を取り、兵勢を強めれば敵を壊乱させることは容易いでしょう」
「そっか。じゃあ、布陣が終わり次第、戦闘を開始しよう」
ベルビオを筆頭に本陣備えの兵たちも今にも前へ駆け出しそうなほどいきり立っていた。味方の士気は高いと判断した有斗は、これを戦に生かしたほうがいいのではないかと考え、アエティウスに即時の開戦を提案してみる。
「そうですね・・・この戦力差なら、あえて戦機が熟するのを待つ必要はないでしょうね。ひた押しに押し続けるだけで勝利は得られましょう」
布陣が終わると、陣形を崩れるのを嫌ったスコピエ伯が動かなかったこともあり、王師はさっそく押し出した。
戦は定法通りに矢合わせから始まる。
互いに矢を撃ち合い、耐えきれなくなって兵列が乱れたところで戦列を前進させて攻撃し、敵を破る。
が、これが思った通りにはいかなかった。兵力は王師が多いのだから、弓合戦も優勢に進められる踏んだのだが、敵は城壁に弓兵を上げて、射て来たのだ。
数は少ないが高低の差のぶんだけ弓勢に差がある。王師の矢が届かない距離からスコピエ伯側の矢は届くのだ。
王師は
「存外弱い、これが王師か。たいしたことはない」
スコピエ伯は余裕を見せる。
それもそのはずで、敵はスコピエ伯の数倍の兵力を有している。負けて当たり前なのだ。つまりスコピエ伯にとってはこの戦、負けなければ勝ちなのである。敵を大破し勝利する必要などどこにもないのだ。
適度に戦って、兵を城内に退いて籠城する。後は時間が解決してくれる。河北は貧しい。万に近い兵力を食わしていけるだけの蓄えはどこにもない。そのうち敵も飢え、諦めて兵を退かざるを得ないだろう。
もちろん王師には兵站がある。有斗が命じれば、アリアボネが王都より兵糧を送ってくれるだろう。だがスコピエ伯は今まで流賊やニケーア伯相手の戦いで不利になれば、そうしてやり過ごしてきたのである。スコピエ伯にとっての戦とはそういうものであったのだ。だから兵站という概念を重要視しなかったのである。
とはいえ朝廷も財政不如意であることには変わりはない。関西や河東の情勢も気がかりだ。戦後処理の問題もある。河北に長期間、兵を留めたくないという思いはあった。王師としては敵が城外にいる今、なんとしてもこれを一気に叩き潰したい。
一気に敵を叩くには、接近戦に持ち込んで、数にものを言わせるのが手っ取り早い。
「ええい、怯むでない! 陣形を崩すな!!」
だが弓戦で劣勢になった兵は矢の雨を避けるために盾を頭上に挙げて固まろうとし。隊列を乱す。
それでなくとも王師中軍はもともとの兵とダルタロスの兵との混成軍だ。まだ一体感がなく、足並みが揃わない。これではとても前進を命じることができなかった。
「くそっ! こんなチマチマした戦、やってられっか!」
当初は他の部隊と合わせて混乱の収拾に努めていたベルビオだったが、有斗が、といよりはアエティウスが積極的な回天策を打つ様子が見られないことに
わずかばかりの兵が後に続いた。ベルビオの元々の配下のダルタロスの兵だろう。
ベルビオは飛来する矢を大斧で薙ぎ払いながら、雄たけびを上げて馬を走らせる。
そして臆することなく敵のただ中に突入した。
単騎で敵に突入するという常道ではありえない行動に、敵兵は慌てふためく。ベルビオが斧を振り下ろすたびに、簡単に死体が地面に転がった。
だが敵兵は千は確実にいる。ベルビオの勢いもいつまで続くかわからない。
「ベルビオが危ない!」
思わず馬車から身を乗り出す有斗を、アエティウスは手で軽く制した。
「敵兵の質は悪い。見たところ衆に優れた将軍もいない。一騎駆けするベルビオの足を止めることなど、できやしません。ご案じなさいますな」
ベルビオの強さは十分に承知している有斗であっても、そのアエティウスの言葉は容易には信じることができないものだった。
「ベルビオの強さは知っているけど、でも・・・!」
「無用です。そもそも今から兵に追いかけさせても、ベルビオにはとても追い付けませんし、その動きは敵の目には我が方の焦りと映りましょう。ベルビオを援護したいのなら、むしろその裏側を攻めることで、敵の目を分散させ、混乱させて、敵陣の
「わ、わかった。前軍を進めて、ベルビオを援護しよう」
「御意」
ベルビオの突撃とそれに釣られて突出した兵のおかげで、敵の矢勢は弱まっている。有斗の命令に従い、王師は前進した。
先ほどまでとは一転し、スコピエ伯の軍は苦境に陥った。
戦列の後ろで暴れまわられては将兵は背後が気になって前面の王師に集中することができない、体内に入られ食い破られるようなものなのだ。
もちろん単騎のベルビオを止めようとはするのだが、腕に覚えのある者でもベルビオの大斧に十合もせぬうちに両断され、被害は広がるばかりであった。
「あれは私にも出来ぬ技ですよ。ベルビオだからこそできる技です。小さな戦など、混戦や苦戦、勝敗の分かれ目となるような局面において、戦略や戦術をたった一人でひっくり返すことができるだけの男です。我がダルタロスの誇る第一の勇将と言えましょう。あ、この言葉はアエネアスには内緒ですよ」
「すごいね。ベルビオは恐怖を感じないのかな」
「感じないことはないと思いますが・・・少し人より鈍感なのでしょう」
いくら腕に自信があるからと言って、敵意どころか殺意を持っている、武器を手にした数百人のただ中に自ら突入していくなど、逆立ちしたってできそうにない、と有斗は思った。
王師はついに槍合わせを終え、本格的な乱戦へと持ち込んだ。
それだけでスコピエ伯軍は崩れ去った。専業兵士と農民上がりのにわか仕立ての兵とではどだい勝負にならなかったのだ。
王師は敵兵の流れに紛れ込んで郭内へなだれ込もうとするが、敵は非情にも城外にいる味方の一部を見捨てて、無垢の樫の木でできた分厚い門扉を閉じた。
「城外にとり残された敵兵のうち、抵抗しない者の降伏を受け入れてはいかがでしょうか。彼らは陛下に逆らったというよりは、主に従っただけでしかありません」
その考えは有斗の感情と大いに一致するところだったので、有斗はアエティウスの進言に大きく
城外に取り残された敵兵は、王師の言葉に次々と武器を捨てて投降する。
敵の兵力は格段に減ったとはいえ、これからは気の滅入る籠城戦である。
兵を城内へ入れることができなかったことで、早期決着は難しくなったかと思われた。
「このままでは力攻めを行わねばなりません。それでは兵の損耗も激しい。一気に城郭の中に入れなかったからには、いったん兵を退いて立て直すと同時に、相手の頭を冷やさせてやるのも一考かと」
「・・・払った犠牲の大きさに降伏してくるってこと?」
「もう十分にこちらとの力量の差も分かったでしょうし、兵を退いたと知れば、王師にもそれなりの被害があったと考えてくれるでしょう。部門の意地は立ちますし、交渉の余地があると考えるはずです。我々もスコピエ伯も双方の全滅を望んではおりませぬから、案外、これで決着がつくやもしれません」
「降伏を持つのじゃなく、こちらから降伏を促す使者を送ってはどうだろう?」
「そうですね・・・わかりました」
だが降伏を勧める使者は、城門内に入ることなく、矢を持って追い払われた。
「敵もしぶとい」
「他に手は?」
「内部分裂を狙ってみましょう。スコピエ伯に降伏する意思がなくとも、その配下や領民には王に降伏したいと思っているものが、少なからずいるはずです」
アエティウスは郭を囲む形で営塁を築かせ、城内の者に見える形で
反応はすぐには現れなかったが、それでも諦めることなく、毎夜続けて矢は放たれた。
そんなある朝、ニケーア伯の一兵士が地面に矢文が落ちているのを発見し、ニケーア伯がそれを有斗のところに持ってきた。
内通者は明日の
「ぜひ我が兵に先導役をやらせていただきたい。スコピエ伯の城は幾度か攻めたこともあり、勝手知ったるなんとやらです。陛下のために尽力いたす所存です」
ニケーア伯はやけに意気込んでいた。
ニケーア伯の持つ兵力だけではこころもとないのではと思った有斗がアエティウスに視線をやると、アエティウスが有斗の予想に反して
「アエティウス、ニケーア伯だけで大丈夫かな?」
ニケーア伯が退出した後、有斗はアエティウスに問いただす。
敵兵の数も減り、内応者がいるとはいえ、城攻めは難しい戦だと聞く。ニケーア伯の僅かな兵力だけでは失敗するかもしれない。このチャンスを逃したくなかった。
「敵兵はもはや少ないのです。城内に入ればこちらのものです。それにもし敵に気付かれてしまい、戦いになるのなら、城門付近ということになりましょう。狭い場所ではどのみち大軍を展開させられない。王師を加えても無駄です」
「そっかあ」
アエティウスは有斗の耳元に近づいて、声を潜める。
「それに・・・これが罠でないとどうして言い切れます。城門を開けると申して敵をおびき寄せ、一網打尽にする。そういった罠かもしれませんではないですか。犠牲を出すのなら、王師ではなく、ニケーア伯の兵にすべき。そうは思われませんか?」
思わずぎょっとして、有斗は振り向くと、そこにはいつにない真面目で冷徹なアエティウスの顔があった。
有斗はアエティウスの別な側面を見た思いだった。
結論から言うと、矢文は罠ではなかった。
翌早朝、空が白み始めるや否や、城門が明々と燃え上がり、それを合図として、ニケーア伯の兵が内側から開かれた門から城内へと突入した。
勝手知ったるなんとやらは言葉上の遊びではなく、ニケーア伯は実に手早く要所を抑えて城内を押さえていく。いずれは我がものにしてやると虎視眈々と狙っていたのであろう。
散発的な抵抗はあったものの、完全に虚を突かれたスコピエ伯側は多くは降伏し、郭内は瞬く間に後から悠々と入場した王師の兵で満ちた。
「後はスコピエ伯を降伏させれば、まずは一段落だね」
「殺しますか?」
「いや・・・王師に囲まれても、容易く中から裏切り者を出さなかった・・・つまりそれだけ官民に慕われていたってことだよ。そんな諸侯なら一人でも味方に欲しい」
「御明察です」
有斗はアエティウスに命じて、スコピエ伯を捕らえることを優先するよう、王師に命じたが、少しばかり手を打つのが遅かったのである。
「・・・スコピエ伯の首をあげたって!?」
「はっ!」
あっけにとられ呆然とする有斗の靴を、アエティウスは靴先で軽く蹴って正気に戻す。
「・・・そうか、わかった。ニケーア伯の働き、本当に素晴らしいものだ。感謝する」
「はっ!!!」
これで恩賞も期待できると満足げに退出するニケーア伯とは裏腹に、有斗は不満たらたらだった。ニケーア伯が居なくなると、アエティウスも不快を隠そうともしない。
「確かにニケーア伯にとってスコピエ伯は先祖代々の仇敵ではございましょうが・・・これでは陛下の面子を潰すようなもの。陛下が敵対すれば容赦なく命を取る苛烈な君主であると噂されましょう。河北の臣民に陛下への不信を抱かせるだけの悪手です」
「僕も気分が悪い。ニケーア伯に対して文句のひとつも言いたい気分だ」
「とはいえ戦で敵を殺すなとも申せませんし、スコピエ伯を生かしておけと命じてもおりませんでした。こちらの片手落ちであることもまた事実。これを叱責するというのも陛下の器量を下げることにあいなりましょう」
「・・・確かに」
「それにニケーア伯に敵に回られるのはもっと悪手です。ここはニケーア伯を逆に褒めておいて機嫌を取り、ニケーア伯の部隊は後方に配置して、これ以上、我々の邪魔をさせないようにするというのが良策でしょう」
スコピエ伯が戦死したことは、早期決着を急ぎたい有斗にとってあまり良い材料とは言えなかった。
残されたクルシャリ伯とクサンソス伯がそれを聞いてパニック状態に陥ったのだ。
王がニケーア伯の言葉を
それぞれ領内から兵を集め、抗戦の支度を開始した。
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