第45話 河北征伐(Ⅴ)

 両側が切り立った山で囲まれているためか、朝になっているにも関わらずアクトールの館はまだ暗かった。

 いつもならアエネアスが少しでも寝たくてぐずる有斗から布団を剥ぎ取りにやってくる時間のはずなのだが、その日はいつまで経ってもアエネアスが来なかった。

 寝台を出て着替えると顔を洗い、アエネアスの天幕に向かってみると、ダルタロス出身の兵らが集まってちょっとした騒ぎになっていた。なにか事件でも起きたようだった。

「え・・・なに? 何があったの!?」

 天幕に入るとアエネアスが臥せっており、励ますようにアエティウスがしっかりと手を握っていた。

「兄様・・・アエネアス、先立つ不孝をお許しください。兄様のこれからの人生の御多幸をお祈りいたします」

 アエネアスの声は日頃から考えられないほど弱弱しく、今にも消え去りそうだった。

「あの元気だけが取り柄のアエネアス様がこんなに衰弱なさるなんて・・・」

「お嬢のこんな姿、見たことありませんぜ」

 有斗だけでなくダルタロスの兵たちも心配そうだった。

「大丈夫。たいしたことはない。気をしっかり持つんだ、アエネアス」

「いいえ、私にはわかるんです。きっと今日明日中の命、美人薄命とはよく言ったものです・・・」

「なにがあったの!? アエネアスは大丈夫なの!?」

 有斗は心配のあまり、横にいた見知った顔のダルタロス出身の近衛兵に問いただした。 

「昨日、ふもとの畑を荒らしたイノシシをうちの兵士が狩ったんです。で、久々の新鮮な肉ということで張り切ったアエネアス様がベルビオ様と食べ比べをなさった結果、勝ったのですが・・・」

「肉・・・!? 寄生虫とか食中毒とか!?」

「いえ、ベルビオ様や私など他の食べた人々はピンピンしておられるのでそれはないかと」

「じゃあ、どうしてアエネアスだけ!?」

「ベルビオ様に食べ比べで勝ったのです。それはそれは尋常でない量を食べられたので、そのせいかと」

 それはつまりあれか。なんのことはない。食いすぎでお腹を壊しただけではないか。

「うう・・・おなかが痛ぁい・・・!」

 涙目でうめくアエネアスを生暖かい目で見つめて、有斗は黙って天幕を後にした。

「心配して損した」

「申し訳ありません。お恥ずかしいばかりです」

 くだらない茶番に付き合わせたことにアエティウスが謝意を述べた。


 仕方がないのでアエネアスに代わって、有斗はベルビオに剣術の稽古をつけてもらう。

 アエネアスが急病なのだから、やりたくなければやらなくてもいいと有斗も思うのだが、すっかり毎日の日課になっているからしょうがない。

 毎日やってることをやらないっていうのは、何か落ち着かないものだ。


「陛下、これくらいにしときましょうか?」

 有斗はもう足に力が入らない。足腰が生まれたての子鹿のように震えていた。

 ベルビオはかなり手加減してくれているんだけど、やはり一撃一撃がアエネアスのそれより遥かに重い。有斗にとっては一合打ち合うだけで相当疲れる。

「でも・・・強くなりたいんだ」

 もう少し強くなって皆に最低限馬鹿にされない程度の腕前になっておきたい。

「僕みたいなモヤシじゃ、誰も付いてきてくれないだろうしさ・・・」

「へ? 何言ってるんですかい? 剣技の技ってのは持って産まれたものがものをいうんです。陛下ほど大きくなってから仕込んだって、俺等みたいになるなんて絶対無理ですよ」

 その有斗の希望をベルビオはいとも簡単に打ち砕いた。

「身も蓋もない言いかただね・・・」

「でも真実でさぁ」

 ベルビオは素直で良いやつなんだけど、容赦ないよなぁ。相手が王であっても言葉をオブラートに包むとか一切しないもんな。

 そういうところだけはアエネアスと同じだ。基本、ダルタロスの連中ってそうなんだろうな・・・

 それを許しているのはアエティウスの寛大さととるか、監督不行き届きととるか・・・微妙な問題だ。

「それに陛下が俺等みたいに四六時中剣を振っている連中に勝つようになったら、俺等武将の立つ瀬がありませんや。俺等はこれで飯食ってるんですよ」

 でもアエティウスは部隊の指揮も、兵の指揮も、剣術も全てできている気がする。

「アエティウスは剣術も、ベルビオやアエネアスよりも強いと聞いたよ?」

「若は特別ですよ」

 ベルビオがそう言いきるのを聞いて、有斗は大きく溜め息をついた。

 神様は不公平だ。アエティウスを見ていると本当にそう思う。当主として有能で剣術も一級品で軍学にも長けている。さらに顔がかっこよくて性格もいい。欠点らしい欠点がないのだから。そのうち一個か二個くらい有斗に譲ってくれても罰は当たらないだろうに。

「若は剣を使わせても一級品だ。俺等みたいに兵を指揮する部隊長もできるだろうし、大局を見て部隊を動かすことのできる将軍でもあります」

「・・・」

「ですが俺に言わせりゃ、陛下だって特別ですよ」

 剣を使わせては雑兵以下、兵を付いてこさせる器量も無い、戦場でどう進退すれば迷ってしまう、この僕が!? 明らかに慰めの言葉じゃないか、と有斗は表情を曇らせる。

「・・・・・・どこが?」

「若は一見何でもできるようですが、若にできなくて陛下にできることがあるからですよ」

「それは何?」

「若のような将軍たちを用いることですよ。アリアボネ殿の献策を用い、諸候や王師に命令でき、この世に平和をもたらすことは陛下にしかできんことです。陛下は剣の使い方を学ぶ必要など、俺に言わしてみればないんですよ。そんな仕事は俺等、下っ端に任しておけばいいんです」

 そうか。

 それもそうだ。僕にもできることがあるんだな・・・

 有斗は少し慰められた思いだった。


 昼まで待ったがニケーア伯から迎えの使者が送られてくるということはなかった。

 アエティウスはちらりと皮肉気な笑みを浮かべただけだったが、ベルビオやエレクトライなどは王の威を軽んじていると憤慨しきりだった。

「陛下に代わって、俺がぶん殴ってやる!」

「ベルビオ、手荒なまねはよせ。陛下の威光を損ねる」

「申し訳ありません」

 何故か代わりに恐縮するアクトールに慰めの言葉をかけて、有斗は館を後にした。

 途中で小さな流賊をひとつふたつ蹴散らして、河北西部の中心へと有斗は足を踏み入れる。

 途中で見た景色は、有斗が南部へ逃げ延びる時に見た景色の何倍も荒廃した不毛の大地だった。水田は見当たらず、ぼうぼうと雑草の生い茂る畑らしきものが僅かに見える程度だった。

「河北は畿内の食を支える地と、かつてはうたわわれる豊穣の地でしたが、もともとは水に恵まれぬ土地です。溜池を作り、農業用水を引いて灌漑することで農業が成り立っていたのです。長年の戦でそれらを補修することができなくなり、今の惨状があるのです」

「河北を手にしたとして・・・すぐに元の豊かな土地に戻せるかな?」

「一朝一夕にはいかぬでしょうね」

 雑草の中から僅かに覗いた穂を垂れたあわを見て、有斗は小さくため息をついた。


 あるのは僅かに湿った堆肥という、川底というのもおこがましい谷めいたものを越えると、そこは一転して開けた台地だった。明らかに人の手が加わった幅二メートルほどの道が整地され、流賊に備えてか一定の間隔で木造の見張りやぐらがこしらえてあった。

 それまでの荒野とはうってかわった光景に、ニケーア伯領に入ったことは有斗の目にも明らかだった。

 有斗は一万の兵を率いて侵入したのである。もちろん、有斗はニケーア伯を攻め滅ぼそうとしてやって来たわけではないのだが、それでもそこに住む者にとっては脅威に映るであろう。

 現に見張り櫓から合図ののろしが上がっている。

「これで我々が領土内に来たことはニケーア伯にも知られたことでしょう」

「戦いになるかな?」

「さて・・・それはニケーア伯に聞いてもらわねばなりますまい」

 アエティウスはどこまでも余裕綽綽よゆうしゃくしゃくだった。


 さすがに有斗が一万の兵を連れていたからか、あるいは自分の庭とも呼べる場所に来たからか、ニケーア伯は使者をよこして、改めて自分の館に王の下向を願い出た。

 先導の使者に付き従って、有斗は四方を城壁で囲まれたニケーアの都市へといざなわれる。

 河北には不釣り合いなほど城郭は大きい。だが所詮は一地方の小都市、東京龍緑府や南京南海府には遠く及ばない。それだけのことだが、有斗は気が大きくなり余裕が生まれる。

 乱れた河北といえど諸侯として生き延びてきた誇りからか、王を居城に迎えるという栄誉に応えたためか、あるいは虚勢を張ったか、ニケーア伯はその正門前に数百の兵と官吏を勢揃いさせて有斗を迎えた。

 ベルビオやアエティウスが異変がないか、油断なく周囲を見張る。

 中年の、少し小太りの、立派なあごひげを持つ男が有斗の前に進み出ると、膝をついて長跪して、印璽を差し出す。

「ニケーア伯エウデマと申します。陛下をお迎えできて光栄に存じます。陛下はサキノーフ様の末ではなく、召喚の儀で改めてご降臨なさった天与の人であるとのこと。ならば武帝陛下からお預かりしたこの地を陛下に返さねばなりますまい。ここにニケーア伯の印璽を奉ります。お納めください」

 アエティウスの手を介して、いったんはその印璽を受け取った有斗だが、それを収めることなく、ニケーア伯の手に戻させた。

「河北という難しい土地を、代々にわたって、これまでよく治めてくれた。ニケーア伯は得難い賢臣である。これからも僕に代わってニケーアの地を治めてほしい。それが国のため、民のためだと思う」

「恐れ多きお言葉。陛下の心はまさに大海のように広く、このエウデマ、心より感じ入ってございます。陛下を決して裏切るようなことはいたしません。忠勤を励みます!」

「よろしく頼むよ」

 いっぱしの王でもあるかのように鷹揚おうように頷いて見せる有斗だったが、これはすべて規定の路線、いわば演技である。

 王としても手向かいせずに両手を上げて降って来た諸侯から、無慈悲に領土を剥ぐようなことは、他の諸侯の手前、できないのである。もしそんなことをしようものなら、王は諸侯に愛想をつかされ、見捨てられるのだ。ここは王の度量が試されている。


 王の行幸ということもあり、ここでもうたげが催される。

 ここで出されるのも例のまずい酒の類だ。有斗は苦笑いを浮かべながら、それを料理でごまかしながら、胃袋に流し込む。

「ところで、よほどニケーア伯はお忙しいようですな。陛下が河北に親征なさったというのに、なかなか参陣なさらなかった」

 アエティウスがちくりと嫌味を言った。だがニケーア伯もそれしきのことでは動じない。

「それでしてな・・・一刻も早く陛下の下に馳せ参じたいと日々焦がれましたが、そうもいかぬ理由がありましてな」

「というと?」

「実は恥ずかしいことですが、我が家とスコピエ伯家の間には先祖から続く領土争いがありましてな。もちろん、河北が荒廃した今、その土地も、もはや双方にとってどうでもいい土地になってはおるのですが、死者も多く出たため、長年の間に生まれた怨恨はもはや拭い難いものになっておりまして、数年に一度、戦になり申す。我が代になってからは優勢になっておりましたものの、スコピエ伯のやつめ、最近になって近隣諸侯と手を結びよったのです。こうなっては我が方は防戦一方、それで民を守るためにも居城を留守にするわけには参らなかったのです」

 一応筋は通っている言葉に有斗は納得する。

「なるほど」

「しかもスコピエ伯は狡猾な男でしてな。自分の兵の犠牲を少なくするために、流賊をまるめこんで先鋒に用いたりするのです。流賊が荒廃した河北で暮らしていけるのも、きゃつのような奸賊が後ろで暗躍しておるからですよ」

「それは・・・なんとかしないといけないね」

「我がニケーア伯家は河北きっての大豪族でして、二千の兵を有しておりますれば、陛下のお役に立てると思います」

 ニケーア伯は昂然と胸を張ると、やっとのことで空になった有斗の盃に酒を溢れんばかりに注ぎ込んだ。

「ささ、御一献を」

 上機嫌のニケーア伯になみなみと例のまずい酒を注がれた有斗は、苦笑いを浮かべた。

 ニケーア伯は挨拶をする中軍の将士には、まるで自分の下僕でもあるかのように尊大な構えを崩さなかったが、有斗と、ダルタロスという古くはサキノーフの御代より続く大豪族の主だと知ったアエティウスだけには、一転して靴でも舐めんばかりの下手さを出す。

「アエティウス殿はあの名家ダルタロスの当主だとか・・・いやあ、その若さで・・・実に立派、御立派ですぞ!」

 その王やアエティウスに対するなれなれしい態度、そしてその他の者に対する尊大な態度は中軍の将士たちに不快の念を抱かせた。

 とりわけダルタロスの兵の不興を買ったのは、

「私は五男二女の子福者なのですが、この一番下の末娘が、親の目から見ても、器量と才覚に優れておりましてな。お聞きしたところ陛下は未だ未婚であらせられるとか。国母がおられぬのは家に大黒柱が無きも同然です。どうですかな、我が末娘を後宮に仕えさせていただけないものでしょうか」という言葉であった。

 有斗は会ったこともなければ、顔も見たこともない、しかも親の推薦という、この世で最もあてにならない評価基準で薦められた女性と結婚する気は皆無だったので、考えておくという。例の先送りの必殺技を出してかわしておいたが、ダルタロスの兵たちは、

「陛下にはアエネアス様がおられる。河北の田舎娘を娶せるなどとんでもない」

 と、むしろ有斗が聞いたら、そちらのほうがとんでもないことだと言いたくなるようなことを口にしていた。


 接待される側の有斗が苦痛そのものでしかないという、長ったらしい宴会がようやく終わると、スコピエ伯は王や王師の主だった者の饗応役を命じつけておいた老僕を呼び出し、様子を聞いた。

「陛下はお休みになられたようです」

「そうか」

「しかし奮発しましたな。手前は生まれてからこのような大宴会、見たことも聞いたこともありませぬ」

 老僕の言葉と違って有斗にしてみれば、そこそこの宴会でしかなかった。それだけ河北が貧しいということでもあるが、これにはもう一つ原因がある。ニケーア伯はしわいのだ。家臣の衣服や食事にまで口を出すほどケチくさいので、家臣から内心煙たがられているほどだ。

「王を迎えたのだ。それなりの格式というものがある」

「ではありましょうが」

 そういう理由はこの老僕とてわからぬでもない。だが老僕にしてみれば、ニケーア伯はそれでもなお料理のひとつひとつにまで文句をつけるタイプの主人だと思っていたのだ。

「なんだ? 文句でもあるのか?」

 ニケーア伯は老僕を睨み付けた。

「いえいえ、めっそうもない」

「まぁ痛い出費であることには変わりはないが、無駄な出費ではないのだ。問題はなかろう」

「と申しますと」

「分からぬか。王の力を使ってスコピエ伯らを滅ぼし、長年の遺恨を晴らすのよ」

「であらば、予期せぬ王の親征も奇貨と申せましょうな」

 老僕はそう言って主人にゴマをすったつもりだったが、言われたニケーア伯はむしろ悔しさをにじませながらつぶやく。

「あと五年あらば、自力で河北をわがものにしてみせたものを」

「めったなことを言われますな。陛下の耳に入ればことですぞ」

「ここは我が城だ。だれがわしの言葉を王の耳に告げるものか。まぁよい。せいぜい、あの少年を利用させてもらうさ」

「またそのようなことを・・・」

 あの少年とやらは召喚の儀で呼び出された天人であるという。老僕にしてみれば、己が主人も怖かったが、天に唾するようなことはもっと怖かった。

 だがニケーア伯は老僕と違って、さほど信心深くはない性質である。

「なんとしても娘を後宮に入れ、あの少年を虜にし、垂簾すいれんの奥から朝廷を牛耳って見せる。あんな南部の若造の風下になんぞいつまでも立っていられるものか」


「ニケーア伯のことをどう思う? 少々、あくの強い人物のように思えるけど・・・」

 有斗はアエティウスを自室に呼んでニケーア伯について問うた。

「ですね。ニケーア伯の思惑は陛下を前面に押し立てて、宿敵を滅ぼす・・・あるいはこの河北の覇権を握ろうといったところでしょう」

「で、どうするのがいいかな? 今更、味方にしないってのは難しいと思うけど・・・」

「何もしないことこそが肝要かと。それくらいの野望、諸侯すべてが抱いていますよ。そんなことで罰していたら、味方する諸侯が一人もいなくなってしまいます。それにマシニッサに比べれば可愛いものです」

「・・・それは理解しているけど・・・なんかニケーア伯は嫌なんだよね」

「陛下、諸侯を感情でえり好みしてもらっては困ります」

「大丈夫。表には出さないようにしているつもりだよ。でもニケーア伯を利するだけの結果にはするのは国として得るものがないんじゃないかなぁ」

「ニケーア伯の思惑通りに動くのは癪ですが、我らも河北に安定をもたらすには、ニケーア伯の力を借りるにしかずです。ここはあえて騙されたふりをすることにいたしましょう」

 有斗はアエティウスの言を受け入れ、スコピエ伯らに対して出兵すると告げると、ニケーア伯はとびあがらんばかりに喜び、兵力と糧食の提供を申し出た。


 翌日、ニケーア伯の兵八百(ここでもニケーア伯は吝嗇りんしょくなところを見せた)を加えた王師中軍は河北を更に東へと向かう。

 領土争いをしていたという話だか当日、おそくとも翌日には到着することができるかと思っていたのだが、五舎の距離だと言う。

 それだけ諸侯領の間に荒野が広がっているというわけだが。

 夜、兵士たちの朝は早いので野営地は早々と静かになる。有斗は外の空気を吸いたくて天幕を出ると少し歩いた。

 そこにアエティウスが柵にもたれるように立っていた。

 月に照らされたその姿は絵画の中から抜け出してきたように美しかった。

 有斗にはないものを全て持っているこの男は、何のために生きているのだろう。きっと人生も有斗と違って楽しいだけなんだろうな。・・・ふと疑問に思った。

「こんばんわ」

 有斗はアエティウスに声を掛ける。

「これは陛下」

「ねぇアエティウス」

「なんでしょう陛下」

「今更こんなことを聞くのはおかしいかもしれないけど、なんで南部に現れた僕を助けてくれたの?」

 その有斗の疑問にアエティウスは意表を突かれたのか、激しくむせた。

「今更ですか!? あの時、助けて欲しいって言ったのは陛下の方ですよ!?」

「そうなんだけどね・・・」

 有斗は照れ隠しに頭をかいた。

「ただ不思議に思ったんだ。君は南部の大豪族の長で、お金もあれば若くて頭も良くてかっこいい。僕にいわせればなんでも持ってる男だよ。僕を援けて危ない橋を渡ってまでも、得たいものってあったのかなって思ったんだ」

「それはありますよ。人間の欲には限りがない。私だって手に入れたいものは沢山あります」

 想像力の貧弱な有斗にも思いつくのは、大臣の官位とか、もっと広い領土だとか、もしくは王を助けて戦国を終らした比類なき人物って名声とかかな・・・

「じゃあ教えてよ? 何故、僕を助けてくれたの?」

「どんなことを言われても怒りませんか?」

「うん。二人だけの秘密だ」

「そうまで言われると困りますね・・・ただ私はこの世界には王が必要だと思ったのです。それだけですよ」

「王女がいたじゃないか? 彼女じゃ駄目だったの? 関西の、さ」

「あれは飾り物の人形です。アメイジアのことを何も考えていない。しかも飾り立てているほうも、アメイジアのことを考えていないだけ性質たちが悪い」

「噂では立派に関西を治めているようだけどなぁ・・・」

「私はこう思ったのですよ」

 と有斗をちらと見ると言葉を続けた。

「この目の前の男がどれほどの器量の持ち主か分からないけれども、有能であればそれを王佐し、そうでなければ私の傀儡かいらいとして立てておいて、このアメイジアに平和をもたらしてやろう、とね」

「なるほど・・・」

 納得できる。アエティウスほどの男でもいきなり王になれないことを考えるとそうすることが合理的だ。

「あれ、怒らないのですか? これはかなり不敬な考えですよ。他人に聞かれたら打ち首ものです」

「あ・・・そういえばそうだね。でも何故だろう腹は立たないな・・・日頃、アエネアスに似たようなことを言われ慣れているせいかな?」

 アエネアスは思ったことをすぐに口にしてしまい、有斗の気分を害することがたまにあった。もっとも悪気はないというのが分かるだけに、人の好い有斗ととしては怒ることもできないのである。

 そんな日頃のアエネアスの失言を思い出してか、微妙な表情を浮かべる有斗を見て、 アエティウスは声を押し殺して笑った。

「・・・これは申し訳ありません。家長として代わりに謝罪いたします」

 アエティウスが仰々ぎょうぎょうしく有斗にお辞儀する。

「で、僕はどうなの? 王としての僕は合格? それとも傀儡かな?」

「合格ですよ。私の想像よりも、陛下は立派な王でいらっしゃる」

 その言葉を裏返せば、有斗を大した人物ではないと想像していたってことである。

 もしかしたら本当はまだ僕を王として認めていないのではないか、有斗はそうも思う。

 でもこのアエティウスの言葉は信じていいと思う。というより信じたい。最近はアエネアスの失言も対して気にならなくなった。まぁ諦めの境地でもあるんだが、同時にそれはアエネアスと自分との間の心の距離が近いからではないかと有斗には思えるのだ。アエネアスは他の相手の時のように、ダルタロスの令嬢として振舞おうと思えば振舞えるのだから。・・・ただ尊敬されてないだけという可能性も捨て切れはしないが。

 それに南部の、特にダルタロスの将士とはもっとも長く付き合ってることもあって、家族のような親友のような気持ちを抱いているのも事実だ。もしそれが見せかけの関係だったりしたら、有斗はもうきっと立ち直れない。

「そっか・・・それが真実だったら嬉しいよ」

 アエティウスはいらえをしなかった。

「アエティウスは何をしてるの?」

「待ち人来たらず・・・というやつですよ」

 逢引デートか。

 王師には少ないながらも女性もいる。あるいはニケーア伯の城内には大勢の女性が暮らしている。そのどちらかはわからないが、アエティウスのことだから、きっとり取り見取みどりなんだろうな。羨ましい。

「ひょっとしたら、僕を見て逃げちゃったかな? ゴメンすぐ戻る」

「いや、いいですよ。こうやって一人で月を見ているのも、たまにはいいものです」

 地平近くに上がった月は赤い光を放っていた。

 それを映すアエティウスの瞳も赤かった。まるでアエネアスの瞳のように。そういえば・・・アエティウスはアエネアスのことをどう思っているのだろう・・・? アエネアスはたぶんアエティウスのことが好きなんだろうけど。

「アエティウスってアエネアスのことをどう思っているの?」

 抽象的な質問に有斗の意図を見出せないのか、アエティウスは問い返してきた。

「それは人として? 兄として? それとも一族の長としてですか?」

「全部かな・・・アエネアスに対してどう思っているか素直に聞きたいんだ」

 さすがに女の子としてどう思ってるの? という質問はいきなりし難かった。あまりにも踏み込みすぎた話だろう。

「好きですよ。私の宝物です」

 それを見抜いてか、アエティウスはずばり有斗の質問の本質を突いた答えを言った。あまりにもあけすけなその言葉に、有斗のほうが恥ずかしくなったくらいだ。

「でも陛下ならば、お譲りしてもかまいませんよ」

「だから、なんでそういう話になるんだ・・・そういうところはニケーア伯に対抗しなくってもいいよ」

 そりゃ、賢いアエティウスにしてみれば従妹いとこが王の后になれば、なにかと好都合とか考えているのかもしれないけどさぁ・・・アエネアスは悪い子じゃないし美人だけど、ちょっと有斗の趣味からは外れるのだ。セルノアやアリスディアみたいな優しく控えめな女の子とかが、どちらかというと有斗にとってドストライクなのだ。

「でもこの会話の流れだとそう思っても仕方がないでしょう。陛下はまるで気になるが好きな相手にどう思われているか、かまをかけているようでしたよ?」

「ない! それはないから!」

「強く否定されるところが、かえって怪しいのですが・・・」

「た、ただアエネアスは、君の事が明らかに好きなようだから気になっただけ」

 有斗の言葉にアエティウスは首を傾げる。

「さぁ・・・どうでしょうかね? アエネアスが私に感じている想いは、たぶん純粋な意味での『好き』ではないと思いますよ」

 その言葉の後に、何か深い意味がありそうなセリフを付け加えるように言った。

「あれは・・・憧憬とか感謝とか・・・そういったものが入り混じったものです」

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