第44話 河北征伐(Ⅳ)

「私はアクトールと申します。代々この辺り一体を治める領主でございます」

 先頭に立って指揮していた、その勇敢な騎士は顔を上げると、そう名を告げた。

「僕たちはこの河北に平和を確立しようと大河を越えてやってきたんだ。賊が蔓延はびこって、民を襲っては略奪を働き、その結果何もかも無くした民がやむを得ず賊になっては他の民を襲うという悪循環で、河北は荒廃したとは聞いていたけれども、畿内には河北の情報がまったく入ってこない。賊の規模はどの程度の大きさか? 民はどのくらいいて、諸侯はどうしているのか? 今現在河北はどうなっているのか知りたいんだ」

 有斗のその質問に、アクトールはうやうやしく一礼し、返答する。

「三十諸侯を数えた河北ですが、未だ残っている諸侯は十に満ちません。あるものは戦乱に乗じてた周辺諸侯に併呑され、またある者は海嘯かいしょうのような流賊の波に飲み込まれました。我らは采地の一部が山に抱かれ天険に守られていた為、残った少しばかりの住人とそこにて細々と暮らすことで難を逃れておりました」

 わずか十・・・か。河北は有斗の想像を超えて荒れ果てているんだな・・・

「今は戦国乱世だ。諸候同士の戦争や多少の揉め事が起きるのはわかる。でも畿内も、南部も、河東も、ここまで酷くはない。いったいどうして河北だけが、流賊が大手を振って歩いているような、こんな無法地帯になってしまったの?」

「関東と関西に分かれて戦争を始めた頃、河北の諸侯たちは愚かにも、代々の因縁、領土の境界争いや水争いなどの問題を解決する格好の好機と考え、隣が東となったら西に、西となれば東につきて合い争うことと相成りました」

 いわば単なる私闘じゃないか。

「朝廷や諸侯はそれに対応しなかったの?」

「関東は関西との戦いに忙しく、一地方の趨勢すうせいなど気にすることはありませんでした。戦いは長引き、諸侯の間に拭い難い遺恨が生まれました。その結果、関西の王族が戦いに敗れ、関西に逃れて鼓関こかんを閉じた後も戦いは連年、続きました。諸侯は憎き相手を打ち滅ぼしたり、代替わりをしたり・・・・・・あるいはみ疲れ、戦はいったんは小康状態を迎えるかと思われたのですが・・・」

 ・・・だとしたら、それで終わりじゃないのか?

「が?」

「その戦いの間に田畑を荒らされ、家を焼きだされた民が、故郷の地を捨てて流浪を始めました。彼らは戦の中で命を落としながらも、やがて集団を形成して自衛し、生きるために流賊となりて河北を荒らし始めました。当初は諸侯に追い立てられていた流賊も、戦いが長引くにつれ、加わる民は増える一方で、やがて諸侯すら抗しえぬほどの勢いとなりました。彼らは内部抗争をはじめ、分裂いたしましたが、それでも未だに各地を荒らし続け、新たな流賊を生み出しております」

「諸侯が争い始めた時、関東の朝廷が、なんらかの手を打っておけば、河北はここまで悪化しなかったのかも」

「・・・ええ、おそらくは」

 有斗はその言葉に溜め息をついた。先人の後始末で今現在の王である有斗が苦労する。

 乱世を収めてみせるなどと、かっこいいことを言ってみたものの、やってることは誰かの尻拭いばかりだ。

「流賊の発生が諸侯同士の争いが引き金になったことはわかったけど、今でも賊同士で繋がりはあるのかな?」

 繋がりがあるなら、降伏させるにしろ、殲滅せんめつするにしろ、話は簡単だ。ひとつに集めてしまえばいい。

「もう何十年も昔の話ですからね。指導者も替わっておりますし、賊同士の小競り合いなども日常茶飯事です。おそらく繋がりは少ないのではないでしょうか」

 そうするとやはり三軍をもって河北全土をローラー作戦で行くしかない。

 各地に残る諸侯を糾合し、王師の力で賊の集団を一つずつ磨り潰していくしかないか。・・・時間掛かりそうだなぁ・・・

「諸侯同士の争いはどうなってるの?」

「私は河北の西南端の山奥に逼塞ひっそくしていたので、詳しいことは知りませんが、漏れ聞こえるところによりますれば、一時は止んだ諸侯の戦いも、流賊によって弱体化した諸侯を、そうでない諸侯が併呑しようとして、再び戦闘が激化しているという話です」

「流賊だけでなく諸侯の争いも鎮めなければなりますまい。河北は王都から近い。何かあれば波及します」

「そうだね」

 アエティウスの言葉の正しさは認めつつも、有斗の頭では、その手段をすぐさま思いつきはしない。有斗は押し黙り、考え込む。

「陛下、まずは戦塵をお払いになられませんか。どうぞ我が城へおいでください。つたないながらも歓迎の宴を開きますので是非に。陛下が来られたと聞いたら領民たちもきっと喜ぶことでしょう」

「じゃあ・・・お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 アエティウスの目に拒否の色が浮かんでないことを慎重に確認してから、有斗はアクトールにそう言った。


 有斗はアクトールの先導で城に向かった。

 そういえばアクトールたちと戦っていた連中は誰なんだろう。

「さっきの黒い布をつけていた賊は?」

「黒布賊ですね。たまにああやって我が領内に侵入しては荒らすので、戦って追い出すのです」

「さっきので賊は全部?」

「全部ですね。河北では小規模なほうです」

「追い出したら二度と来ない?」

「しばらくしたらまた来ます。いつまでたっても懲りない連中で困っていますよ」

 アクトールは苦笑して見せた。

 やはり根本的な解決をしないと河北は元に戻らないのだろう。降伏したものを民に戻し野を耕作させ、諸侯の管理下に戻す。いつまで経っても逆らうものは・・・殺すしかない。

 流賊にならないと生きていけなかった彼らを可哀想だとは思うけれども、もっと可哀想なのはまっとうな生活をしているのに、突然襲ってきた賊に何もかも奪われる民のほうである。

 普通の生活が送れない河北の現状を普通に戻すことこそ、今の有斗が最優先するべきことだ。

「あそこです」

 アクトールが指差すその先に小さな山城が見えてきた。

 そこは両側を険しい山で囲まれた谷で、斜面にへばりつくように家々が立ち並んでいた。谷の出入り口の門には尖塔が二つ並んで周囲を警戒している。谷は三、四百メートルは続いており、向こう側も塔と塀で守られていた。山の南面に沿って段々畑が幾重にも並んでいた。黄金色に染まった田は収穫がまだなのか、稲は重そうに穂を垂れている。

 会う住人会う住人、アクトールを見ては頭を下げる。そしてちら、と有斗に視線を向ける。

 見慣れぬ有斗たちが大人数で訪れたことに不安な眼差しをしていた。無理もない、一万もの武装した兵など見たこともないに違いない。


 アクトールは城と言ったが、それはいかにも地方の豪族の館と言ったほうがふさわしいたたずまいだった。

 さすがに大人数で押しかけても座る場所がないだろうから、十名ほどの限られた人数で訪問する。

 まぁベルビオとアエティウスとアエネアスがいれば、アクトールが謀反気を起こして、暗殺者を潜ませたとしても大丈夫だろうと有斗は高をくくっていた。

 しばらく部屋でくつろいでいると、女の人たちが膳を持って一斉に入ってきた。せいいっぱい着飾っているんだろうけど、後宮の美々しい衣装、そしてレベルの高い美人を見慣れた有斗には質素で田舎っぽく見える。

 急遽用意したものであろうが、出された膳は二十品を超える豪華な物だった。

 今の河北は貧しいのに王が来たからって奮発したんだろうな、と申し訳ない気持ちになる。

 そして有斗は当然のように、主であるアクトールを追い出す形で上座に座らされる。居心地が実に悪い。御尻がむずむずする。有斗にとって上座に据えられることは、さらし者にされてるようで、いつまでたっても苦手だった。

「陛下の威光を持って、河北が安定を取り戻しますように!」

 アクトールの挨拶で乾杯をする。宴会が始まった。

 しきたりどおり、酒を一気飲みする・・・これも不味いいつもの酒の味がする・・・どこでもこれなのか・・・

 もし日本に一時帰国が許されるなら、酒の作り方をマスターすることにしよう、きっと大富豪になれる予感がする、などと有斗はありもしない空想をたくましくする。

「ところで陛下はどなたのすえなのでしょう? 最後の王が崩御されて数十年。河北にいると朝廷の情報が入ってきません。迂闊うかつなことですが、陛下が即位されたことも存じませんでした」

 アクトールは深々と平伏して申し訳なさそうに尋ねた。

「陛下はサキノーフ様のすえではありません。召喚の儀で天が授けてくれたお方です」

 アエティウスが有斗に代わって説明した。

「・・・これはまた失礼を・・・!」

 アクトールは慌ててひざまずく。

「天授の人とは知らず、重ねてお詫び申し上げます」

 またこれか。召喚の儀とやらで呼び出されただけで、過剰な期待をされるのは本当に困るんだけどなぁ、と有斗は思った。

 有斗は心の中で何度も溜め息をつきつつ、饗宴の膳を平らげた。おかげで飯の味がしない。

 その一方でアエネアスは何倍もおかわりをしてアエティウスを呆れさせていたし、ベルビオなんかは食べ過ぎたのか、ふくらんだ腹を抱えて柱にもたれて、早くも高いびきをかいている。


 追い払った黒布賊が戻ってこないか確かめるためと、周辺に諸侯がいないかを調べるためにアエティウスが放った偵騎が翌日、戻って来た。

「黒布賊はよほど肝が冷えたのか、戻ることなく逃げに逃げたのですが、一昼夜追っていったところで待ち伏せを喰らって、黒布賊は壊滅しました。彼らを討ったのは一千ほどの兵を率いる将でニケーア伯と名乗られました。陛下の親征を聞き、ぜひとも陛下のお手伝いをしたいと申し出ております」

「・・・ニケーア伯はどういった人物かな? 彼は信用できるだろうか?」

 有斗は河北のことなら河北に住んでいる人物に聞くのが一番であろうと、アクトールに尋ねたが、

「私の口からは、なんとも申し上げられません」と言葉を濁された。


 アクトールが部屋から退室すると、アエティウスが近づいてきて耳打ちする。

「ニケーア伯の申し出を信用なさらぬほうがよろしいかもしれません。陛下が来られたと知ったにもかかわらず、御自身が来られぬどころか、使者の一人もつかわさぬのは解せませぬ。アクトール殿が人柄についてはっきりとおっしゃらなかったことも気にかかります」

 アエティウスの言葉に、有斗は四師の乱のことを思い出してぎょっとする。

「アクトールがニケーア伯と組んで、よからぬことを考えてるってこと?」

「アクトール殿は見たところ裏表のない、信用できるお人です。その御仁が陛下を前にして、はっきりとおっしゃらなかった。つまり、おそらくはご自身の口から他者の悪口を言うことをはばかったと考えるべきでしょう」

「ニケーア伯は南部で言うならマシニッサのような、油断がならない人間ってことかな?」

「・・・その可能性もあるやも。西の地に派遣した王師左軍を呼び戻し、合流してからは向かわれては?」

「戦う可能性があるってこと? 厳しい戦になる?」

「例えニケーア伯と戦うことなくとも、河北に深入りすることになります。負けるとは思いませんが、苦戦するかもしれません」

「負けないのならば、王師中軍だけで戦いたい」

「・・・その理由は?」

 王師中軍は有斗に敗れて失った兵を、ダルタロスの兵で穴埋めした形になっている。つまり有斗の作戦ではダルタロスの兵が死ぬ確立が上がるのだ。アエティウスはダルタロスの長としてきちんとした理由がなければ、兵をそんな危険には晒すわけにはいかない。

「諸侯の兵にしろ、流賊にしろ、王師中軍左軍二万の大軍で安全に破っても河北の人は驚かないよ。むしろ王師はそんなものかと見くびられてしまう。一万の兵で少しでも華やかに勝つ。それでこそ勝利が河北の者に響き渡るというもんじゃないかな?」

 確かにそうだ。ダルタロスの兵を危険に晒すことになるが、有斗の言にも一理あることは認めざるをえない。

「わかりました。ではそういたしましょう」

 アエティウスはとりあえず一当たりしてみてからでも遅くないか、と思い直す。

 自分やベルビオやアエネアスがいるのだ。めったなことでは負けはしないだろうし、王を落ち延びさせることくらいはできる。

 それに別の考えをすれば、中軍が万が一敗れても、王師にはまだ無傷の左軍と下軍がいるのだ。再起は十分に可能だということでもある。

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