第39話 国士

 その騒動の一報が有斗に入ったのは、午後の暇な時間帯だった。

 吏部りぶ尚書が大慌てで駆けつけてきた。内府の腰巾着だった男だが、四師の乱の時には積極的に動くこともなかったので、留任させた。当座の人事権は有斗が取り上げたので、それほど害悪にはならないと判断したのだ。

 その吏部尚書の話によると、求賢令で集めた受験者たちが、試験をする前にダルタロスの者を採用したことに不満を持ったのだと言う。

・・・え? 何で? 何でそうなるんだ?

 有斗は困惑した。有斗は彼らが有能だから採用しただけだし、別に奨学館にいる受験者たちも有能な者は、平等にこれから採用するつもりだぞ?

「差別とか区別とかしているわけじゃないんだけどな・・・」

 有斗がそう苦言を呟くと、

「直接、そう言ってやればいいじゃん!」

 アエネアスは簡単に言うが、それでうまく収まってくれるものかな?

 そう思ったが、

「是非にお願いいたします。陛下が直々にお話になれば、彼らとて態度を改めるやもしれません」

 と、吏部尚書にまで言われると、そうしないわけにはいかないだろう。

 そうだな・・・これは僕か出ないと収まらないかも。有斗は自ら乗り出すことを決意する。

「わかった。直接会いに行こう」

 有斗は椅子から軽やかに立ち上がると奨学館に向かった。


 奨学館は王城の端にある。城の外に出るときはともかく、普段は城内の移動のお供はアエネアスとアリスディアくらいである。下手をするとアエネアスだけという場合も多い。

 だが奨学館にいる受験者は宮廷の外の人間である。朝廷の威信ってものがある。アエネアスをはじめ羽林25人、アリスディアをはじめ女官12人、先触れも含めると合計40人の大行列となった。

 珍しい僕の大名行列に偶然通りかかった官吏たちは興味津々な目で見つめる。

 だからいつもやらなかったんだ。これではまるでさらし者じゃないか!

 奨学館にやってくると先触れが一足早く門の中に入り、大声で告げた。

「陛下のおなりである!」

 それまで殺気すら発していた受験生たちだったが、その声を聞くと一斉に平伏した。

 僕はゆっくりとお付のものと一緒に奨学館に入る。僕の横に羽林中郎将であるアエネアスと後宮の長たるアリスディア、その外に女官11人、僕と受験者の間に立ち塞がるように羽林24人が並ぶ。

 こういう並び方も決まっているらしい。それも何十通りも。覚えるのめんどくさくないのかな? 僕は真ん中に立てばいいだけだからいいけどさ。

「騒ぎがあったと聞いた。どういうことかな?」

 皆、うつむいた顔を横に向けて見合わせるだけで、誰も発言をする者がいない。

「王の御前である。言いたいことがあるならはっきりと申すがよい!」

 はっきりしない態度にいらいらしたアエネアスが大声でどやしつける。それじゃ逆効果だろ。

「不満があるのなら遠慮なく言って欲しい」

 と、僕がフォローを入れる。

「・・・ならば私が」

 先ほど受験者たちを焚きつけていた、畿内出身だと言う男が立ち上がり、僕に向かって軽く跪礼きれいする。

 王の御前で何を言うのだろう、と皆興味津々であった。

「求賢令は稀代の法律です。生まれ、出自、前歴全てを加味せずに、その才能だけを見て役人に採用するなどと、今までの王ならば誰がそんなことを思いついたでありましょうか」

 と、ここでもう一度僕に軽く頭を下げる。

「これは我々のような縁故も金もない受験者にだけでなく、どれだけ多くの人々に期待を持って受け入れられたことでしょう。これで汚職をして財産を増やすような役人だけでなく、本当に民の為を思い政治を取る役人が生まれるのではないか。陛下は今までの王とは違い、世界を改革する気概のあるお方だ、と」

「そこまで言って貰えると照れるな」

 僕は気恥ずかしさで頭をかいた。だが彼の話はそこからが本題だった。

「だが、陛下はそうでは無かった。ダルタロス出身の二人を王都に呼ぶやいなや会い、なんと翌日には中書の役人とした。求賢令の文面に書かれている文言は全てまやかしであった! 陛下はダルタロスに、いや南部諸侯の縁故を優先したのです。それも中書と言う政権の中枢における役職に、です。これは今までの王より遥かに悪い! 中書省は有能な者でしか勤まらぬ天下の重職です。愚昧おろかな王は数多くいたが、そんな王でも中書や尚書に無能な人物をつけることなど無かった!」

 アエネアスがその二人に代わって弁明する。ま、長い付き合いだろうしな。

「あの二人はダルタロスの中で・・・いや、南部でも屈指の人材だぞ? 才能に問題は無い!」

「でしたら正当な手続きを踏んで、何年もかけて中書侍郎にすればいいではありませんか。中書侍郎という職はいきなり素人が任命されてできるような、気楽な職ではありませんぞ」

 そしてまた浅く頭を下げると、皮肉げな笑みを浮かべて、手を大きく広げた。

「そのような王ならば我々が仕えるに値しません。どうかここから出て行くことをお許しください」

「そうだそうだ」とあちこちで声が上がった。

「なんだと! どこまでも王を愚弄ぐろうしおって!!」

 なんだろうな・・・僕を普段からののしることを日課としているアエネアスの口からこんな言葉を聞くと、違和感しか感じないな。あれだな、『お前が言うな』っていうやつだ、いや『お前だけは言うな』だな。

 だが、僕はむしろこの目の前の男に感心した。

 だって首を斬られる覚悟がないとこんなこと言えない。その胆力たるや褒めるべきものである。

 それに彼の言葉を聞いて納得した。僕はアエティウスとアリアボネの推薦あってあの二人を即に召抱えた。

 いや、別にあの二人が嘘を言っているとは決して思わない。彼らが言うのだからきっと優秀な人材なんだろう。だけど、目の前のこの男が言うように、それは外から見たらダルタロスのコネで採用したとしか見えないだろう。

「君たちの不信はよくわかる。だが僕を信じて、ここに残って欲しい」

 彼らをなんとかなだめようと言葉を尽くす。

 だがそんな僕にも、この男はさらに痛烈な批判を展開する。

「陛下を見るに信頼できるお人とは思えない。ひとつ。先ほど申したとおり求賢令で集まった者を無視して、コネのある者を採用したこと。ふたつ。つまり求賢令は朝廷に南部の者を入れるのが目的で、その目的を糊塗ことするためのものに過ぎなかったこと。みっつ。長年朝廷で働いてきた官に敬意を払わず地方に飛ばし、吏務の才があるかわからない南部の者を高位につけたこと。よっつ。自身の周辺を南部の者だけで固め、以前からの朝臣に意見を言いにくい環境を作ったこと。いつつ。それによって朝廷を南部出身者とそうでない者とに分け、派閥を作ったこと。むっつ。つまりそれは四師の乱の原因である、新法派、旧法派のときと同じような構造である。すなわち、王は四師の乱の反省をまったく行っていないとしか考えられないこと。ななつ。騒ぎが起きるまでは一人として面会しなかったのに、騒ぎが起きてやっと面会をし、さも自分が寛大かんだいな君子であるかのようによそおう。そのような場当たり的な対処をする小人が、果たして我らが仕えるに値する主君であろうか!」

 そこにいた者全てが息を呑んだ。

 それは辛辣な言葉であった。温厚なアリスディアでさえ顔を少し青ざめさせていた。

 アエネアスにいたっては今にも切り殺さんばかりだった。僕がアエネアスの右手を掴まなかったら、たぶん切りかかっていただろう。

 僕も怒りが腹の底から込み上げて来た。

 だってあれはアリアボネの大変さを見かねて、有能な二人を採用しただけだ。コネといえばコネだけれども、才能が無い人物を無理に採用したわけじゃない。それに別にこの人たちを採用しないっていうわけじゃないんだし、ここまで僕を悪し様に非難しなくてもいいじゃないか!

 だが、同時に思う。それは僕とわずかな数人が知っているに過ぎない真実。すなわち目の前の受験生たちが知る術も無いことだ。彼らが僕を勘違いしたとしても仕方が無い。そう反省もする。

 僕は怒りを言葉に表さないように、ゆっくりと慎重に口を開いた。

「厳しい意見ではあるが、それは全て正しいことだ」

 そう、王相手にあそこまで辛辣なことを言えば、普通なら王の機嫌を損ねて切り殺されても文句は言えない、と誰でも思う。

 つまり、彼は命を懸けてあの言葉を言ったのだ。その言葉のもつ意味は果てしなく重い。

 だから僕は怒りを息と共に腹中深くに沈み込ませ、言葉を続けた。

「貴重な教訓を得たよ。その賢明さはたいしたものだ」

 僕がやっとそこまで言うと、

「陛下の寛大さ、感謝いたします。それでは我々はこれで」

 と、その男はあっさりと立ち去ろうとする。

「待って欲しい! 確かに僕が軽率だった。だが安心して欲しい。ダルタロスの二人はその才知を持って採用されただけだ。君たちにも同じ機会を当然与え、数日内には採用するものには官位官職を与えよう。だからここに留まっていて欲しい」

 僕は腕を大きく腕を円を描くように組んでその中に頭を入れるように揖礼ゆうのれいをする。

 揖礼とは相手に敬意を表す際に使用される。すなわち君主がそれを行うのは自らの師や親、長老などの限られた相手である。

 未だ官職もない只の一般人である目の前の者達に行うなど前代未聞の出来事であった。

 場が一瞬にしてどよめくような衝撃に包まれた。立ち去ろうとしていた者たちも皆一様に足を止めた。

「君のいうことは厳しい意見だ。よくもまぁ、あそこまで僕が聞きたくない言葉を並べたもんだとさえ思うよ。だが命をかけてまで言ったその言葉には勇気と真実とが詰まっている。真実を見抜き、相手を恐れずに言うべきことを言うことができる優秀な人材には、是非この朝廷に留まって欲しい」

 何故だか僕に言いたい放題言ったその男は少し慌てているようだ。何がここまで豪胆な彼を、そう慌てさせるというのだろう。

「ならば、もし私にもう一言ひとこと言わせていただきたい。それでも陛下はそのお言葉を取り消さないでいられますかな?」

「なんなりと聞こう」

 ここまで言われたのだ。これ以上何を聞こうとも、びっくりすることも怒ることもあるわけがない。


「私は関西かんせいの間者なのです」


「!」

 受験者も女官も羽林も、そこにいるものは皆一様に驚愕した。

 目の前の男が間者だという事も大問題だが、みずから自分が間者だと言い放つ間者など、見たことも聞いたこともないからだ。

 平然としているのは告白をした彼と僕だけだった。

「な・・・!」

 一斉に剣を抜く羽林の兵、僕はそれを手を上げて止めさせた。

「それで?」

 僕はその彼の目を真っ直ぐ見つめた。

「何故止めさせる!? 間者を大内裏に入れるなど前代未聞だ! すぐにでも捕らえるべきだ!」

 アエネアスが僕にそう言うが、

「ここだけで20名以上の武装した手錬てだれの兵が居、受験者たちもいる。さらには大内裏内には千を越える兵が居るんだ。もはや逃れることなどできない。それを承知で発言したんだ。話を聞いてからでも遅くはないよ」と、拒否した。

「なるほど・・・少しは王であるだけのことはあるようですね」

 目を伏せ少し笑う。それは微笑だろうか苦笑だろうか・・・?

「私は関西の間者として、ここに進入しました。目的はこの求賢令を失敗に終らし、陛下の面子を潰すこと。現に今一歩でそれは成功するところだった。ダルタロスの者が登用された件を利用し、ここにいる者を焚きつけることに成功しましたから。彼らはもう少しで郷里に帰るところだったのですよ」

「だがそれは失敗した」

そう、僕が現れたから。

「もし失敗した場合は別の任務に切り替えるよう命じられています。試験会場で騒ぎを起こし、陛下を怒らせわざと斬り殺される。つまり先ほどまで私が行っていた行為です。求賢令にわざわざ来た者を殺しでもしたら、どんな正当な理由があったとしても、陛下の名は地にまみれますからな。これも失敗した場合は官吏となり仕事に励み、いつの日か陛下のお側に近づき、この短刀で暗殺することになっておりました。こんな私を前にして先ほどと同じ言葉を話せますかな?」

 その証拠にと、彼は懐から一本の見事な短剣を出した。

 ふたたび羽林が剣を身構える。

 だが、僕はもう一度それを押し留める。彼に僕の返事を聞かせるために。

「もちろんだ」

 僕は先ほどと同じ意志であることを表明した。

「な・・・!」

「っつ・・!? お前はどこまでお人よしなんだ! こいつはお前の命を狙っていた関西の間者なんだぞ!!」

 憤るアエネアスに僕は顔を振り向いてこう言った。

「・・・間者、だよ。求賢令は才だけあれば前歴は問わない、そうじゃなかったっけ?」

 そう、過去のことだ。彼が今ここで関東の朝臣に心からなるのであらば。

「関東の抱える問題をこれほど正確に分析し、そして間者となって敵地に潜入し正体を自らばらしても動じない精神力を持ち、ここにいる関東屈指の頭脳の持ち主である受験者たちを扇動し、己の意のままに動かせる行動力をも持つ。そんな人間こそ今の関東が必要とする人材だよ」

 僕がそう言うと、その場に奇妙な静寂が訪れた。

 だれも一言たりとも発せず、一歩たりとも動かなかった。

 その静寂を打ち破ったのは、やはり関西の間者と名乗ったこの男だった。

 彼は今までの軽く頭を下げる、人を小馬鹿にするような礼ではなく、腕を大きく円を描くように組んでそこに頭を入れるようにし、深々と腰を曲げて揖礼ゆうのれいをする。

「私は関西の下層階級の出自です。関西では科挙を受けるにはそれなりの出自がいります。どんなに学問を極めても下級官吏にすらなれない。私になれるのはこのように敵国に潜り込む間者程度でしかない。そんな私に対して陛下はまるで一端いっぱしの国士であるかのように扱ってくださる」

 そこで男は溜め息を軽くついた。

「陛下はまさに王たる器量の持ち主、関西の女王など足元にも及びません。敬服いたしました。ならば私も陛下の厚恩に答えねば男ではない」

「そうか残ってくれるのか」

 僕がほっとしたのは一瞬だけだった。

「だが我が妻子も年老いた父母も関西で生きている。もし私が陛下に仕えたと聞けば、きっと家族は処刑される。ですからそれはできません。だか間者となって陛下に対し暗殺を企てた罪を償うために、陛下が私を国士として扱ってくださった恩義を返すために、私の命を持ってそれを償おうと存じます」

 短剣を鞘から抜き放つと首に押し当てようとする。

「止めろ!!」

 僕が命じる前に羽林が殺到して止めさせようとしたが、間に合わなかった。

 短剣は間違いなく、首の動脈を切断した。血が大量に噴出し、男の身体はどう、と大きな音を立てて地面に臥す。皆が駆け寄った時には既に事切れた後だった。


 僕にはわからない。

 彼がこんなことで自ら命を絶つなどとは理解の範疇はんちゅうを超えた出来事だった。

 たかが僕に丁寧に扱われたことに感謝して、自らの命でそれに答えるなどありえない話だった。

 もし妻子が大事だと言うのならば、間者であることを隠し、僕に仕えていればよかったではないか。あるいはそしらぬふうに関西に帰ればよかったのだ。何も正体をばらして死ぬことまではないと思う。だが、それは戦国と言う時代に生まれなかった、この世界では異質の存在である僕だけが考えることかもしれない。


 戦国と言うのは誰であろうと常に死と隣り合わせで生きていく時代のことである。

 この世界に住む者は常に死を感じているがゆえ、自分はいつ、どういう風に死ぬのだろうと、始終考えているのだ。

 畳の上で死ねる幸運なものは少ない。死が運命うんめいとして逃れがたいものである以上、せめて己が死ぬことに意味を持たせたがるのは当然の帰結だった。

 だからこの世界の者はなるべく華やかに死ぬことを願っていた。華やかなら華やかなほど、その死は多くの者に語り継がれるだろう。自分の生はそこで終ることになるが、死と言う形で得たその名は後世に永遠とわに語り継がれるのだから。

 僕は物言わぬむくろとなった彼のまぶたをそっと手で閉じる。

 国を憂い、国のために己が犠牲になることをいとわない人間。それが国士である。だとしたら命を投げ打った彼はまさに並ぶもののない国士であろう。

「彼は国士だった。彼のような人物を配下に出来なかった僕の器量の小ささを今日ほど呪ったことはない」

 目を閉じた彼の死に顔は、少しだけ微笑んでいた。それが返って痛々しげだった。

「彼を手厚く葬ることにしよう」

「・・・御意」

 アリスディアが僕に揖礼をする。

「懸命なご判断です」

 受験者の一人が全身を崩れるように倒れ、てのひらを大地に押しあてると、伏礼した。やがて雪崩をうつように次々と伏礼し、最後には受験者の中で立っている者は一人もいなくなった。僕も彼らも、いや羽林もアエネアスさえもその場にいるものは不思議な感動を共有していた。

「陛下についていきます。なにとぞ我らの非礼を許し、陛下に仕える機会をお与えください!」

 一人が声をあげると次々と「お与えください」と、いう声があちこちであがる。

「うん・・・こちらこそよろしく頼む」

 僕は一人の偉大な国士を得ることには失敗したが、その何倍もの忠良な臣下を得ることになる、とその時確信した。彼は死を選ぶことによって、大勢の人の心を動かし、僕のこの手に残して行ってくれたのだろう。


 そして関西の影を初めて感じた。

 関西・・・か。僕は関西に関してこれまで、良いとも悪いとも感じていなかった。言ってみれば、僕の思考の範囲外にあったのだ。

 だが、これからは注意しなければならない。関西が僕を快く思っていないのは今回の件からも明らかであるのだから。

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