第37話 人事

 真の本丸、朝会に出ることができる公卿にこそ、有斗の息のかかった人々を半数は入れたいところであった。

 けれども新法派は全滅してしまっているし、今現在残っているもともとの朝臣は有斗には正直信頼できる要素が皆無だったし、一体どうするものか悩みの種だった。

 かといって、ほとんどが無位無官である南部の貴族たちを、いきなり公卿に抜擢するのは、論功行賞とはいえ、朝臣たちを刺激し過ぎるだろうとアリアボネらの反対を受けた。

 しかたがないので、代々当主が従五位上を拝命するダルタロス家の現当主アエティウスと、かつて従四位下右中丞まで勤め上げていた散位(位階があって官職についていない人のこと)アリアボネを共に、宰相に付け朝臣の仲間入りをさせることで決着を図った。

 アリアボネはもともと朝臣であったし、もし病さえなければ大臣に昇ることを確実視されていた人材、心情的にはいわゆる彼等の同類であったから反発も少なかったが、南部豪族であるアエティウスに対する反発は凄まじいものがあった。

 朝廷の旧臣たちにも配慮はした。皆、官位を一階、もしくは官職を一段上げることで不満をなだめもしたのだ。

 しかし南部に朝廷に対する根強い不信があるのと同様に、朝廷にも南部に対する不信は存在するらしい。毎日毎日、有斗に考え直すよう要求してきた。まるで以前の新法の時みたいにだ。

 そんなある日、有斗はとうとう我慢ができなくなって

「僕が南部まで死ぬ思いで放浪していた頃、君たちは一体どこで何をして僕を助けようとしたんだ!?」

 と、彼らを怒鳴りつけてやったら、翌日からぱったりと抗議が来なくなった。

 ちょっとやりすぎたかなとも思ったけど、

「もっと早く、あれくらい言ってやってよかったんです。宮中に救う権勢欲の亡者なんて老獪なんだから、きつくねないと調子に乗るんです!」

 と、アエネアスは賛意を表してくれた。

 とはいっても、アエネアスはアエティウの昇殿が否定されたことによる感情的な反感から言っているだけだから、有斗のしたことの是非に対する判断基準にはなりそうになかったが。


 それから論功行賞と人事にかかった。

 最後まで敵対したフォキス伯とマグニフィサ伯から領土を召し上げ、南部の王領も一部加えて、働きに応じて南部諸侯に加増し、礼金を分配する。おかげで国庫は空に近くなってしまった。

 官位も与える。これによってエレクトライやカルキディア伯やロドピア侯といった、諸侯として重みをもち、有斗に忠誠を見せ、政治に長けている者たちを中心に将来的には政治の中枢に入ってもらう下ごしらえをした。

 南部諸侯にもいろいろ派閥があって、思惑もあるようだが、少なくとも今いる朝臣よりも有斗にしてみれば信頼できる。

 軍の改革も同時に行った。リュケネに相談相手になってもらって、朝臣と結びつきの強い者たちを王軍から外した。

 そして中軍の主将はアエティウス、左軍の主将はエテオクロス、右軍の主将はグルッサ、後軍の主将はリュケネとし、王がいなかったため、半ば朝廷の支配下にあった軍隊を完全に有斗の支配下に置く。

 困ったのはヘシオネの扱いである。ヘシオネにもアエティウスと同じように官位を与えて、朝廷内で重きをなすことも考えたのだが、彼女はあくまで当主代理、ハルキティア公は病弱な弟なのである。当主を差し置いて、当主代理に高位高官を与えると、いらぬお家騒動の種になると、ヘシオネに断られたのだ。

 そこで位階そのものはハルキティア公に与え、ヘシオネにはその二階下の位階を与えることで決着を図る。それでは朝廷内で重きをなすのは無理なので、代わりに武衛校尉に任じて、反乱に与した者を排除して、内裏内の安全を図ってもらう。

 同じ理由から羽林も半分以上ダルタロスの兵に差し替えた。これは再び反乱を起こされぬための処置である。ダルタロスの兵ならば朝臣に丸め込まれることもない。

 そして羽林の次官のひとつである羽林中郎将にアエネアスが任じられた。羽林大将軍、羽林将軍といった上官がアエネアスの上には存在するのだが、それは書類上のものだけで、形式的な存在となり、王宮内の有斗の護衛はアエネアスが全権限を持つ。

『アエネアスならば、私以外の誰かの命令を聞いて勝手に動くことはない』

 アエティウスの言葉に納得した有斗はその人事案を了承する。


 ちなみにトゥエンク公ことマシニッサの処遇は結構な議論を呼んだ。

 特にマシニッサから来た、戦勝祝いの手紙に擬態した恩賞要求には南部諸侯を、特にアエネアスを憤慨ふんがいさせた。

 兵を出さずに様子見をしたのに、ちゃっかり分け前を要求したからだ。

 確かにマシニッサが朝廷に味方しなかったことで、有斗たちは後ろを気にせず戦えた。

 しかし考えようによっては、いや、おそらく十中八九はマシニッサは有斗たちと朝廷を両天秤にかけていたのだ。現状維持でも感謝するレベルだ。それがこともあろうに褒賞ほうしょうを求めるとは厚かましいのにもほどがあるというのだ。

 さすがに加増はしなかったが、所領の現状維持を認めて、官位を贈るという当たり障りのない対処をした。いちおう敵対する行動も足を引っ張るようなこともしなかったわけだし。

 それに所領を削れと皆は簡単に言うけれども、下手に刺激して機嫌を損ねた場合、暗殺の対象は有斗がなるのである。そこのところをきちんと考えてもらいたいものだ。


 ちなみにこの時代のことを記した南武余話なんぶよわという書物によってマシニッサらしい面白い話が後世に伝わっている。

 王からの勅使ちょくしうやうやしく迎え、勅書ちょくしょを神妙に押し頂いたマシニッサだが、中身が官位の贈呈だと知ると興味をなくし、手習いもせずに落書きに夢中になっていた三才の娘に裏返して渡したという。

 娘の落書き帳がわりにちょうどいいとでも思ったらしい。

 マシニッサにとって王とか朝廷とか官位とかはその程度の認識であった。


 有斗は大内裏を中書に向けて歩く。

 アリアボネに相談したいことがあったのだ。

 有斗の代わりとなって官僚を統制するアリアボネは急がしいし、病気のこともあるから呼びつけるのも酷かと思い、用がある場合はなるべく有斗が直々に出向くようにしている。

 尚書と中書の体制をアリアボネが作るまでは、有斗にも仕事が回って来ないので、実は有斗自身が暇をもてあましているのだ。

 その有斗の一歩後ろには子犬のようにぴったりとアエネアスが警護の為に張り付いている。


 中書省に向かう途中、武部省の前で有斗はがっちりとした背の高い影を見つけた。

「あ、ヒュベルだ」

 その顔には見覚えがあった。青野原あおのがはらでベルビオ、アエネアス、アエティウス三人と互角に渡り合った、あの戦いぶりは記憶に新しいところである。普通に同時に複数人と戦うだけでもすごいけれども、戦ったのがあの三人だもんな。

 いまだに朝の稽古でアエネアスに翻弄されっぱなしの有斗に比べれば、神業といって良い剣技の持ち主である。

 有斗が声をあげたことでヒュベルのほうも気付いたらしく、小走りで目の前まで来て跪礼きれいする。

「陛下、お目にかかれて光栄です」

「ありがとう。ヒュベル将軍・・・でいいよね」

「陛下に名前を覚えていただけるとは光栄の極み」

「確か昇進したよね? おめでとう」

 エテオクロスが左軍の将軍に昇格したので、空いた第一旅長に任じる書類に判子を押した記憶がある。

「左軍の副将、第一旅長を拝命いたしました」

「君みたいに強い人が左軍にいることは心強い。これからもよろしく頼むよ」

「はっ」と、再び有斗に一礼する。

 顔を上げたヒュベルは有斗を、いや、有斗の後ろのほうをじっと見ていた。

 アエネアスを見てるのかな?

 青野原で戦った中にアエネアスもいたし、武挙でも一緒だったっていうし。

「やっぱり、そうだ」

 アエネアスに対して、ヒュベルがにこりと微笑んだ。

「覚えていますか? 二年前の武挙の決勝戦で戦ったヒュベルです」

 それに対してアエネアスは、はにかんで、言葉を途絶え途絶えに紡ぎだす。

「忘れるはずがありません」

「覚えていてくださいましたか」

「それはもう・・・」

 アエネアスはいつもの元気ぶりはどこへやら、ちょっと気味が悪いくらいもじもじして、完全に猫をかぶっていた。

 アエネアスのあまりもの豹変ひょうへんぶりに、有斗は空いた口が塞がらなかった。二人はそんな有斗を無視して会話を続ける。

「実は青野原の時、ヒュベル殿と対戦した三人の中に私もいたのです」

「ああ、やはりあの青龍戟せいりゅうげきの使い手は貴女でしたか。小柄なのに技量があり難敵だと思っていたのです。赤い鎧兜でダルタロスだったから、もしかしたらとは思っていたのですが」

「秘かに武挙の借りを取り返そうと思っていたのですが、ヒュベル殿はさらに腕前を上げておりました。見事の一言に尽きます。完敗です」

「いや、あくまで私に運がついていただけです。さすがの腕前。まさにダルタロスの赤き薔薇です」

 ヒュベルがそうい言うと、アエネアスは顔を真っ赤にしてうろたえた。

「ああっ・・・それはおっしゃらないで!」

「ダルタロスの赤き薔薇?」

 なんだその中二が考えたみたいな異名は? 重力を自在に操ったりすんのか?

 有斗が不思議な顔で見たことに気付いたか、ヒュベルは

「アエネアス殿は武挙で勝ち名乗りを上げる時に、ご自身でそう名乗っていたのです。若くして腕が立ち、女ですから注目の的だったのですよ。しかも美人だ。武挙の後、南部に帰られると聞き、少なくない王師の若い兵士が残念がったとか」

 と、説明を入れてくれた。

「それは若気の至りで・・・本当に恥ずかしいので、その話題についてはこれ以上は勘弁してください!」

 アエネアスは両手を合わせて、ヒュベルにひたすらその話題を避けるよう頼み込む。

 しかし・・・それは爆笑ものだな。ひょっとして武挙で二番目になったのって『ダルタロスの赤き薔薇だ!』とか名乗って、相手が爆笑している隙に卑怯にも倒したとかいう落ちじゃないだろうな! だってこれから命を懸けた戦いをしようと気構えている瞬間に、そんなことを言われたら、有斗ならば確実に笑いが止まらない自信があるぞ。

 しかしこれは実に愉快な話である。軽く三か月はアエネアスをおもちゃにできる格好の話題を手に入れられると思った有斗は、この話題に食いついた。

「うわっ・・・厨二くさい! なんだよ、アエネアス、恥ずかし───」

 そこまで言って有斗は、アエネアスがおもいっきりふくれっ面をして振り返ったのを見て口籠った。

 何もそこまで言わなくてもいいではないかとアエネアスの表情は物語っていた。

「陛下、いかがなされました」

 有斗の異変に気付いたヒュベルが声をかける。

「なんでもありません」

 有斗が返答するより早く、アエネアスは一瞬で表情を取り繕って、ヒュベルに振り向いた。

「・・・陛下はたまに突然変なことを言い出したりするんです。たぶん、お忙しいんで、お疲れだと思うんですけれども。気になさらないでください。オホホ」

 王のことを心配するヒュベルに対して、アエネアスはというと、これ以上余計なことを話すなよということを示すために、有斗の横腹を軽くつねっていた。

 痛い・・・! 痛いってば!!

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