第26話 月下美人

 この城での有斗等の住居は城の最深部、庭園に囲まれた主塔の一階の部屋を有斗、アリアボネ、アエティウス、アエネアス、アリスディアで使っていた。

 王の身の回りの世話をするアリスディアが有斗の右隣で、反対側の隣がアリアボネの部屋だ。

 この辺りはダルタロスの兵で厳重に守られているが、刺客に先ほど襲われたばかりである。有斗の耳は物音に非常に敏感になっていて、ちょっとした物音でビビリまくっていた。

 その敏感になった耳に、どこかでコンコンとき込む音が聞こえる。

 有斗は気になってテラスから庭に出る。咳は隣のアリアボネの部屋から聞こえるようだ。

 ・・・そういえば結核だったな・・・軍の遠征は単なる旅とは違う。質素で、厳しく、つらい生活である。大丈夫かな、と今更ながらに有斗はアリアボネの体調が気にかかった。

 庭は開放的なつくりで、どの部屋からも簡単に出ることが出来るつくりだ。つまり庭伝いに歩いていけば、アリアボネの部屋の前に有斗でも行けるということだ。

 でも女性の部屋にたいした用事もないのに行くなんて、あつかましいことは有斗には気が引けた。

 第一、何を話せばいいのだ?

 アエティウスとかなら爽やかに「咳が聞こえたけど大丈夫?」みたいなかんじで話しかけるのだろうけど・・・

 ・・・

 そういうことをすれば、自分もモテルようになったりするのか・・・などと有斗は漠然と思った。

 そうだ・・・何事もまずは第一歩だ。それにアリアボネの身体も心配だし・・・王としても可愛い部下の身体を気遣うのも必要なことだ。王と臣下の仲は良いほど良いに決まっている!

 うん、勇気を出して、アリアボネの部屋の前まで行ってみよう! フラグを立てるんだ!

 月明かりを頼りに、小石が敷き詰められた小道を行くと、アリアボネは椅子を持ち出して庭で座っていた。夜風にあたっていたようだ。

「これは陛下・・・? どうしてここへ?」

「咳が聞こえたから。アリアボネだよね、さっきの咳は?」

「やだ・・・陛下の部屋にまで聞こえていましたか。恥ずかしい・・・」

 普段は真面目な事を話して、きりっとした顔ばかりしているアリアボネが、そこらの少女のような言葉づかいで、頬を真っ赤にして恥ずかしがる姿はとても可愛い。アリアボネも年頃の女の子なんだな、と今更ながらに思った。

「そんなことないよ。咳もアリアボネのように可愛らしい咳だったよ」

「もう! 陛下ったら!」

 さらに頬を真っ赤にさせるアリアボネの姿は本当に可愛い。このまま有斗の部屋に黙って持って帰りたいくらいだった。

「大丈夫? 結核が悪化したとかではないよね?」

 心配になって有斗が訊ねるとアリアボネは慌てて両手を振って否定した。

「夜になると、たまに出るのです。いつものことなのでお気遣いは無用です」

 と、否定したので有斗も安堵した。


 だが二人だけの幸せな時間は、そう長くは続かなかった。

「陛下、アリアボネの部屋で何をしているんですか?」

 有斗の後ろから能天気な声が投げかけられた。振り返るとアエネアスが水差しなどが乗ったお盆を両手で持って、口を半開きにあけて、有斗を不思議そうな顔で見ていた。

 どうやら自分がいない僅かな時間に突然、有斗が現れたので驚いているようだった。

 せっかくいい雰囲気だったのにと、有斗はアエネアスが来たことを内心、残念がる。

「アエネアスこそ、何をしているの?」

「アリアボネの薬を準備しに行っていたんだよ。今日は調子が悪そうだったから・・・」

「そうか、友達想いなんだね、アエネアスは。僕はアリアボネの咳が聞こえたから、心配になって、お見舞いに来たんだ」

 有斗の言葉にアエネアスは大きく笑みを浮かべた。アエネアスは笑うと、意外なことに華やかな可愛さがにじみ出る。

「陛下、見直しました!」

「?」

「一臣下であるアリアボネを気遣うなんて、優しいところあるんですね!」

「ははは、王として当然だよ」

 アエネアスの言葉に一瞬、得意げな表情を見せる有斗だったが、言葉を裏返せば、アエネアスは有斗がアリアボネの見舞いなどしないような人間であると思っていたということである。アエネアスの自分の評価って・・・結構低いってことか、と有斗は薄々、嫌なことに感づいた。

「でも、陛下と言えども、浮気な気持ちでアリアボネに手を出したら許しませんよ! アリアボネは私のとっても大切なお友達なんですから!」

「アエネアス、言葉が過ぎますよ。だいたい私は労咳の身、陛下にしてみれば、女として数に入れてはおられぬでしょう。そもそも陛下は紳士です。そのようなことなどお考えになどなろうはずがない」

 確かに有斗にとってアリアボネは他の女性とは別枠で考えられている。でもそれはあまりにも美人すぎるからだ。いわば特別枠である。それに紳士は紳士でも変態紳士かもしれないけどね。でも今日はまだ紳士らしく振舞ってた・・・はず。

「でも、アリアボネ・・・お腹に手を当てているじゃない! まさか・・・もう妊娠してしまったとか!!? 陛下、お手が早すぎます!」

 そんな馬鹿な! 今の一瞬の時間で妊娠するものなら、日本は少子高齢化社会などになっていないわ!

「少し夜風にあたって体が冷えただけです。たいしたことはありません」

「早く薬を飲んで寝台に行ったほうが良い。夜風に当たりすぎるのは体の毒だよ!」

「あ・・・じゃあ、また明日ね」

 有斗が手を振ると、アリアボネも小さく手を振った。

「はい。おやすみなさいませ」

「陛下、お休み~」

 アエネアスは背中を押してアリアボネを部屋の中へ入れながら、有斗に大きく手を振った。


 翌朝、有斗は周りが騒がしくなると同時に、ゆっくりと寝台を離れた。

 昨日の刺客に襲われたという恐怖からか、ぐっすりとは眠れず、頭はまだなかば眠っていた。

 本当はもっと寝たいのだけど、さすがに王が眠ってばかりで仕事をしないなどという噂が立ったら、ただでさえ大量に所持しているとは思えない、有斗の威厳とやらがゼロになってしまう。

 顔を洗おうと、部屋の外の廊下に準備されている、水の入った桶のところに向かった。

「陛下!」

 そこで朝っぱらからやけに元気な女の声に呼び止められた。

 こんな時間から元気いっぱいなのは、まちがいなくアイツだろうと思って有斗が振り返ると、予想どうりの人物が足を肩幅ほどに開き、腕を組んで仁王のように、いかにも自信満々といった姿で立っていた。

「ああ・・・アエネアス、今日も元気だね」

「陛下に元気が足らないんです! 元気出しましょう!」

 ほんっと元気だけは人一倍持っている女の子だ。きっと悩みなどないに違いない。そこのところだけ、有斗はアエネアスを羨ましく思った。

「で? こんな朝早くから何の用? 何か大変なことでも起きたの?」

「光栄なことに、兄様に今日から陛下の警護を仰せつかりました! このような大役、そこらへんの馬の骨には任せられません! 兄様が一番に信頼できる人物といったら、私ですからね! やっぱり兄様は凄い! 見る目がある!」

 よほどアエティウスに認められたことが嬉しかったのか、得意げな顔で腰に手を当てて笑顔を見せた。そのお調子者っぷりに有斗は心配になった。

「・・・大丈夫かなぁ」

「なんですか! その反応は!? 私じゃ不満なんですか!? 私、こう見えても武榜眼ぶぼうがんになったくらい強いんですよ!」

「いや、そうじゃなくってさ。とりたてて護衛はいらないんじゃないかな。厳重に守られてるし」

 正直言うと、アエネアスはお調子者で抜けているところがあるから、いつ襲ってくるかわからない刺客に備えるという、神経をすり減らす地味な仕事は、不向きなんじゃないかと有斗は思ったのだ。

「昨日はあれほど賛成していたじゃありませんか! それにこれは兄様が決めたことです! いくら陛下であっても兄様の行為を無にするようなことは許しませんよ!?」

「いや、大丈夫大丈夫。自分で守るから、ね?」

 あごに右手を押し当て、少しの間アエネアスは考えていたようだったが、

「よし」と言うや腰の剣をさっとさやごと、有斗に向けて放り投げた。

 有斗は反射的に手を伸ばした。


 ガシャーン。


 キャッチしそこなった剣が重低音を立てて床に転がる。

「・・・それでよく大丈夫とか言えますね。今、剣を投げたのが刺客だったら、陛下はお亡くなりになっていますよ!」

「いや、今のは油断してただけで・・・」

 アエネアスは言い訳する有斗を胡散臭げな表情で眺める。

「まぁ・・・いいですけど。じゃ、ちょっと剣を振ってみてください!」

 有斗は言われるがままに剣を右手で持ち、鞘から抜いて見せた。

 ・・・けっこう重いんだな。女の子のアエネアスでも軽々と振り回していたから、五百グラムくらいなのかと思ってたけど、ゆうに一キロ・・・いやもうちょっとありそうだ。

「こう振るんですよ、こう!」

 有斗が剣をしげしげと眺めながら重量考察をしているのを、剣の振り方を知らないからだと早合点したアエネアスが腕を振って実演する。

 さすがに剣の振り方くらい知ってるぞ、と有斗は馬鹿にされたようで傷つく思いだったが、言われる通りに片手で剣を振り下ろした。

 だけど一キロを上回る長物を振り下ろすというのは、遠心力も加わって右手首に予想もしない大きな力が加わることだった。

「あっ・・・」

 力に耐えかねた有斗の右手から剣が飛び出す。

 剣は真っ直ぐにアエネアスの顔めがけて時速三十キロくらいの速度で飛んでいった。

 これはまずい! 顔にあたっちゃう! そうなれば大変だ。アエネアスも年頃の女の子だし。

 だがそんな有斗の杞憂をよそに、


 ひょい。


 そんな擬音が似合いそうなくらい、顔を軽く傾けただけでアエネアスは簡単に飛んでくる剣を避けた。

 アエネアスの遥か後方でガランガランと金属が転げまわる音が響いた。

 ふぅと、一息ため息をついて、アエネアスは後ろを向いて歩き、その剣を拾いに行く。

 そして剣を持ちあげると、有斗のほうにひきつった笑みを浮かべて歩み寄った。

「わざとですか?」

「え・・・?」

「わざとかと聞いてるんです!」

 座った眼をしたアエネアスは、有斗の顔のすぐ下に顔を寄せて、ふくれっ面をする。

「な・・・何が?」

「わからないふりをしても駄目です! 私に向かって剣を投げつけたことです!!」

 うっわ~、めっちゃ怒ってるよ! 完全に怒りゲージマックスだよ!!

「ま、まさか・・・手が滑っただけだよ」

 その返事にもアエネアスはふくれっ面のまま、疑わしげ目を向ける。

「まぁ、陛下のしたことですから文句は言いませんけど。陛下じゃなかったら、半殺しにするところですよ!!」

 気をつけます・・・


「ひとつ聞いていいですか?」

「な、何かな?」

「剣を握ったことはあります?」

「まったくない」

「じゃあ槍を握ったことはありますか?」

「それもない」

「弓はどのくらいの距離なら、的に当てられます?」

「当然、使えない」

「・・・・・・何か武器は扱えますか?」

「いや、武器とか触ったこともないよ」

 しいて言えば、カッターナイフとかハサミとかくらいのものだ。ああ、調理実習で包丁を握ったこともあるな。あれも使いようによっては武器になる。それにバットも武器として使えないこともない。

 その返答にアエネアスはついに堪忍袋の緒が切れたようだった。

「それでどうやって、ご自分をお守りになるのですか! それでは私がそばでお守りしても、守りきれません!!」

 守ってもらわなくても結構なんですけど。

「陛下、明日から早朝に起床しましょう! 僭越ながら、私が剣の使い方をお教えします!」

「いや・・・僕、寝たいし・・・」

 夜遅くまで臨時政府立ち上げの処理とかいろいろあって、寝る時間も削られているのに・・・このうえ朝まで早起きするなんて有斗は願い下げだった。

「ふざけないでください! お命が無くなれば、睡眠なんかもうできないんですよ!」

「けど寝ないと体に毒だよ。疲労で死んじゃう・・・・・・」

 抗弁を言いかけた有斗だったがアエネアスは一切、聴く耳を持たなかった。

「ダメです!! 全ては命あっての物種です!」

「・・・はい」

 胸を触ったり、剣を投げつけたりした負い目があるせいだろうか。

 どうやら力関係は完全に『有斗<アエネアス』になってしまったようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る