第27話 青野原の戦い(Ⅰ)

 王師三軍が王都を出立するに当たって、ラヴィーニアはひとつの策を披露ひろうした。

青野原あおのがはら、ボジニッツァ川、ファロマオン平野。これが南北で戦うとき、主戦場になりうる候補地です。どこも北勝南敗の地。だがボジニッツァ川では王都に近すぎますし、ファロマオン平野では地の利の差が少ない」

「とすると中書侍郎ちゅうしょじろうは青野原がいいと考えるか?」

 左府クレイオスはたずねた。

「ええ。ここは扇形の地形、我等は広い北側にて王師三軍を鶴翼で包囲するように配置できるのに対して、南側の敵は狭い山道を抜け出たところにある扇の要に布陣しなければならない形になります」

「なるほど南部の山岳地帯を抜けてくる敵を入り口で待ち、ひとつずつ各個撃破するということか」

 亜相のネストールは戦術にまるきり無知でないことを見せた。

 だがネストールのその策を、ラヴィーニアは一言の元にね付ける。

「いいえ。それは下策です」

「私の策のどこが下策だ!?」

 ネストールがラヴィーニアに詰め寄った。宮廷の実力者に詰め寄られてもラヴィーニアはけろりとした顔で人をめたような笑みを浮かべているだけだ。

「・・・私も亜相あそうの言はおかしくないと思うのだが、どこが不味い?」

 内府エヴァポスもネストールに同調し、ラヴィーニアに訊ねる。

「確かにそれでも勝利は得られましょうし、なにより我が軍の損害も少ない」

「万々歳ではないか? ケチのつけようがない」

 亜相ネストールはそれのどこがいけないのか、と不満げにラヴィーニアをにらみつけた。

「そうですね。実に素晴らしい作戦です。もし、あたしたちの目的が敵に勝つだけでいいというならば、ですけれどもね」

 そこでラヴィーニアは小ばかにしたかのように、三人に向かって大仰に一礼する。

「我々の目的は只一つ、この内乱を終らせること。それも関西の姫様や河東の飢虎に付け込まれる前に、です」

「それはわかっておる」

 それがどうしたといわんばかりの口調だった。

「つまり、たとえ南部諸候軍をこの戦で一人残らず殺せたとしても、王に逃げられたら、あたしたちは勝ったとは言えない。亜相の策では王は平地にまで出てこないでしょう。敗北を悟ったら、王は容易に南部に退却することが出来ます」

「しかし逃げたとしても、王に手を貸す物好きはもういないだろう?」

「今度は河東か関西と組んで、再び王都に攻めてきますよ? 傀儡かいらいとして担がれて、ね。新法の混乱、我等の叛乱、ブラシオスとのいさかい、そして南部諸侯との戦い。我等関東の朝廷は今、未曾有みぞうの危機にひんしているのです。これ以上の混乱は避けたい。なんとしても今回、確実に王を始末しなければなりません」

「なるほど。それは確かにそのとおりだ」

「・・・で、だとしたら中書侍郎はどういう方策を採るべきだと?」

 それは不服そうな声だった。ネストールはラヴィーニアの正しさを理ではわかっていても、外見は自分の孫のような小娘に、馬鹿にされるような口調で揶揄やゆされては不満はあるのだろう。もっともラヴィーニアはそんなことは意に介さなかったが。

「わざと南の出入り口から離れて布陣します。青野原は山に囲まれた盆地、その中に敵を誘い込み、そこで決戦を挑む。我等は三方から敵を包みこむだけでいい。どこをどうやっても負ける気遣いはない」

「敵が入ってこなかったら、どうする?」

「我々を全て倒さねば、王は王都に入れないのです。当然戦いますよ。特に連勝で気も大きくなっていましょうし、拒む理由がない」

「だがブラシオスを破ったのだ、敵とて無能ではない。入り口で強襲されることを恐れて青野原に入ってこないのでは?」

「そうですね・・・それでも敵が警戒して盆地に入ってこなかったら、一旦引くそぶりを見せればいい。必ずや入ってくるはずです。敵の目的は我等から逃げることではない、戦い、勝利することなのですから」

「わかった」

「我がほうは兵力に余裕がある。敵を包囲すると同時に左翼か右翼から騎兵を回して、盆地の出入り口を塞いで王を逃がさぬようにすることをお忘れなきよう」

「わかったわかった」

 ラヴィーニアの念を押す言葉に、三人ともウンザリしたような顔で生返事をする。

 しかし、ここは念には念を入れて言っておかなければいけないところだ。彼らの勝敗にラヴィーニアの命もかかっているのだ。

「警戒すべきは敵の奇策。伏兵ができるような、山道や森などで戦いさえしなければいいのです。奇策の通用しない平地での合戦なら、質に勝る王師が負ける理由がありません」

 そう、ラヴィーニアの作戦ならば大将が寝ていても勝利するだろう。この三人でも勝てるはずだ。

 三人はようやく納得したのか、ラヴィーニアを解放した。

 やれやれとラヴィーニアは大あくびをすると、再び書類の山と格闘する。

 各地の義倉(災害時や貧民救済に使うため、穀物を貯めておかれる倉庫)や駐屯地の余剰の米から、必要な数を出来る限り緊急に王都に集め、必要なだけ前線に送る手はずを整えなければならない。

「これは・・・今日は徹夜だな・・・」

 久しぶりに定時に帰れると思ったのにな、とラヴィーニアは少しだけ不貞腐ふてくされた。


 それから三日間が過ぎた。

 南部諸候軍が鹿沢城を既に出発したことは、斥候から来た伝書鳩で確認していた。

 ラヴィーニアが万事手はずをして、当面の糧秣りょうまつは確保できた。

 今なら青野原に向かっても、南部諸候軍より早く到着することが出来る。

 左府、内府、羽林大将軍の三人はそれぞれ一軍ずつを指揮し、三軍は馬を揃えていよいよ出陣する。

 糧秣の足らない分もラヴィーニアが後から送る手はずになっている。これで、たとえ長期戦になっても大丈夫なはずだ。


 三将軍はラヴィーニアの献策どおりに青野原で防衛することで意見の一致を見た。

 あの生意気な小娘に従うのはしゃくだったが、彼らとて伊達に朝廷の高官になったのではない、それが卓越した作戦であることを認めるだけの頭脳と度量は三人にもあったのだ。

 これによって青野原で両軍がぶつかるのは、ほぼ決定したことになる。

 南部諸候軍が青野原を通らずに王都に入るには、一旦南部まで戻り、狭いカテリナ街道を北上するか、もしくは山の中、道なき道をかき分け、谷に橋を渡し、山を穿うがって新たに道を作るかしかない。

 当然、両方とも現実的に取られる可能性はゼロに等しかった。攻めるのが南部諸候軍である以上、まさか恐れて青野原に入らないなどということはあるまい。地の利、兵の数、兵の質、全てどれをとっても王師が勝るのである。勝利は間違いない。

 王師下軍が敗れたのは敵を軽く見たため、当然、三将軍はそれを知っている。ようは奇策だ。奇策をろうする隙を相手に与えなければいい。

 幸い、青野原は大軍の展開できるに相応しい十分なスペースのある盆地だ。力と力の決着になるはず。小ざかしい策など立てられようはずもない。よって負ける可能性などない。

 出立の鐘が王都に木霊すると、一斉に立てられた軍旗が東風になびき吹き流れされる。

 王師三軍三万人は青野原目指して、靴音も高らかに兵を進めた。


 有斗等が鹿沢城を出て既に九日が経った。南部諸候軍は少しずつ王都に近づいている。

 偵騎を出す頻度ひんどは跳ね上がり、警戒の為、毎日進める距離は日増しに減っていった。

 王師は今日、既に青野原の入り口に差し掛かったとか。やはり決戦は青野原か。アリアボネは小さく溜め息をつく。

 広大な青野原では、敵を引き寄せての伏兵や奇策はまず使えない。数と数の勝負になる。つまり、南部諸候軍は負ける。

 確かに勢いに勝る少数が、多数を押し切って勝った例は、歴史上にも多々ある。

 が、それらは珍しいからこそ歴史に残り、記録されるから多いと感じるだけで、実際はそんな例はまれだ。

 それにアリアボネも軍師としての矜持きょうじがある。

 運を天に任せて、乾坤一擲けんこんいってきの戦いを王にさせるようなまねはしたくない。

 だがいまだ王師を破る目処はまったく立っていなかった。

「しかたないわ。敵がれるまで持久戦で行くしかないわね」

 長期対陣のうちに敵のほころびるのを待って、勝機をうかがうしかない。それもまた、戦の常道である。

 考えをまとめようと自分の天幕から出たアリアボネの耳に金属音が響いてくる。

「またやってるのね」

 アエネアスが王に稽古をつけている音だ。

 何をしてもいいけど、陛下を壊すことだけはやめてね。

 ま、アエネアスだって加減というものもわきまえているとは思いますけれども。

 そう思い、再び思考を整えるべく、歩き始めた。


「あっ!!」

 有斗の剣がアエネアスの剣に跳ね上げられ手を離れると、宙を回転してあらぬ方向へと飛んでいった。

「陛下、今のは惜しいとこまで行きましたよ! 頑張って!」

 衝撃で軽くしびれた手をさする、有斗の代わりにアエネアスが剣を拾いに行った。

「今のはどこが悪かったんだと思います?」

「・・・なんでだろう・・・とにかくアエネアスの剣が早くて見えないから、よくわからないや」

 アエネアスの剣さばきは、これこそ、さすが武榜眼ぶぼうがんだとうならせるような天才的な剣さばきなのである。・・・つまり素人の有斗には、目にも留まらない速さってやつなのだ。何が起きているのかまったく見えやしない。

 おかしいな・・・FPSとかシューティングゲームとかは得意だから、反射神経とかには自信があったんだけどな。

 漫画やラノベだと、それさえあれば、仮想現実の世界に行っても、異世界に転生しても、敵の攻撃は全て避けれるとかいうお約束があるんだけどな。何故、この世界ではそれが通用しない!?

「いいですか、今の動きは、まず陛下がフェイントで突きかかってくる、私がそれを左に払うから、そのまま私の力を使いつつ、手首を切り返し流して、体が開き、隙が出来た私を、今度は陛下が手首を再度切り返して打ちかかってくるという、実に単純で基本的なかたの一つです。簡単ですよ!」

 全然、単純じゃないよ。それになんと言っても問題が一つある。

「だから、その瞬間が見えないんだってば・・・」

「どの瞬間ですか?」

「左に払うところから、全部」

「それじゃ、全てじゃないですか!!」

 アエネアスが呆れた顔をして有斗を眺めた。

 有斗はアエネアスに、こうして剣術を毎日、叩き込まれていた。

 槍、弓、げき、剣、どれでも好きなものを選んでくださいと言われて、まず弓を選んだのだが、これが意外と難しく、真っ直ぐ飛ばすことすら出来ずに一瞬で諦めた。槍、戟、戈は重いという簡単な理由から敬遠させてもらうと、選択肢は剣しか残らなかったのである。

「僕は素人なんだから、もっと、ゆっくりした動きだとか、基本的な形を覚えるとかしたほうがいいんじゃないかな・・・」

「ダメです! それではいつまでたっても上達しませんよ! 剣術は一にも訓練、二のも訓練、三には猛烈な訓練です!」

 ・・・

 アエネアスは可愛い顔をして鬼教官であるようだ。体育会系ではない有斗はついていけない思いでいっぱいだった。

「陛下、自分がやる動きはわかっていますか?」

「それならなんとか・・・」

 確か左にいった手首を返してひねりこみ、そこを切り替えしてから、こすり上げるように突く。

 有斗が試しにやって見せるとアエネアスはそれを見て、大きく笑みを浮かべて、うんうんとうなずいた。

「なんだ。わかってるじゃないですか! さっすが陛下! じゃあ、とりあえず私と組む前に、その動きを身体に覚えこましておきましょう!」

 そうそう、まずはそういった反復練習こそが基本だと思う。アエネアスみたいな上級者といきなり組み合っても初心者では得るものは少ない。

「何回くらいすればいいかな?」

「じゃあ・・・今日は軽く二百回ということで」

 それは軽くの概念を超えているんじゃないかな、と有斗は思ったが、反論できるだけの筋道だった論理を表意できるわけでもなく、しぶしぶ同意した。

「う・・・うん」

 剣を振り始めた有斗を横でじっと観察するアエネアス。

 そんな二人の姿に好ましい視線を送りながら、アリスディアが近づいてくる。

「陛下、朝餉の支度が整いました。いかがなさいましょうか?」

「えっ!? ごはん!!!!」

 アリスディアの声に反応して、アエネアスはくるりと有斗を置いて建物の中に戻ろうとした。

「待ってよ、僕も御飯が食べたい」

 とアエネアスに声をかけると、

「ダメです! 陛下は二百回終ってから!!」と、ここでも鬼軍曹ぶりをいかんなく発揮する。

 そんな有斗を見かねたアリスディアが助け舟を出した。

「では陛下のお稽古が終わったら、朝餉ということにいたしましょうか」

「え~~~~!!!!?」

「陛下がお稽古なさっているのに、警護の責任者であるアエネアスが食事をとるわけにはまいりませんよ」

 だがアリスディアの言葉にアエネアスは有斗の訓練を打ち切るのではなく、

「早く! 早く!!」

 とご飯をお預けされた犬のような、今にも泣きだしそうな声と表情で有斗を見つめ、せかした。

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