第23話 ティトヴォ攻防戦(Ⅲ)

 南部諸侯連合軍の猛攻を前にしては、リュケネの旅隊は、全滅はもはや時間の問題だった。

 リュケネたちは士官から一兵卒まで満身まんしん創痍そうい、無傷の兵を探すほうが難しい。

 だがリュケネは満足だった。大勢の敗走する味方を救えたのだ。

 武人としての一分いちぶんは立ったのである。

 ただ自分を信じ、ここまで付いてきてくれた兵たちに対してすまない、申し訳ないという思いでいっぱいだった。

 王師下軍の崩壊速度が彼の想像を超えていたのである。それが今の苦境を招いた。

 もはや逃げ道は絶たれた、討ち死にを覚悟したその瞬間、突然リュケネたちに降り注いでいた矢が途切れた。


「旅長、あれを」

 気付くと周囲は完全に敵で囲まれていた。その中を、白い旗を持った軍使が一人、悠々ゆうゆうと馬に乗って、こちらに向かって歩いて来ていた。

「何故だ? 何故今になって軍使とは何のようだ? 後は踏み潰せばいいだけ、もはや我々には抵抗する力など残っていないというのに」

 とはいえ断る理由は無い。リュケネは陣の外に出てうやうやしく使者を迎えた。

 使者が来た理由は実に判りやすい用件だった。

「抵抗を止めて投降すべし」

 だが理由がわからない。

 ブラシオスに近い下軍は王の王都追放に大きな役割を演じていた。王がリュケネたち王師下軍の将士たちにいい感情を抱いていると考えるわけにはいかなかった。

 だが使者は、

「元より陛下と王師の間に怨讐おんしゅうは無い。下軍は上官であるブラシオスの命令にやむなく従っただけである、とおっしゃられている。しかも、その元凶ブラシオスは死んだ。こうなった以上、下軍は元の本義に戻り、陛下の下に帰るべきなのではないか?」と、怒りの感情を見せることなく淡々と言った。

「つまり将士の命は助ける。罪には問わぬと?」

「ま、そういうことになりましょうな。陛下は実に寛大なお方であらせられる」

 プロイティデスと名乗るその軍使は身に寸鉄を帯びてもいないのに、大勢の殺気立った百人隊長に囲まれながらも、友人宅で茶でも飲むかのごとく平然と座り込んでいた。

 世の中にはこんなとてつもない剛毅ごうきな男がいるのか。

 王師にはこんな将軍はいない。こういう武将がいる、その分だけ、南部諸候軍は強いのかも知れぬ。

 リュケネはそう思った。

「わかりました。ではどうすればよろしいでしょうか?」

「私について、陛下の元まで来ていただきたい」

 プロイティデスのその言葉に百人隊長たちは一斉に反対の言をあげた。

「旅長! これは罠です!」

「敵の本陣に行くなど、もってのほかです!」

 プロイティデスに掴みかかろうと殺気立つ百人隊長たちを、リュケネは手で制した。

「罠であろうとなかろうと、我々が助かる確率があるすべはこれだけなのだ。他は自害するか全滅するか、だ。ならば少しでも助かる可能性がある選択肢を選ばざるをえないだろう」

 リュケネは兵をその場に残し、単独で会見するために王の座所に向かった。

 プロイティデスに連れられ、本陣に入ると、そこは甲冑を着た荒々しい顔の武将たちがずらりと並んで、入って来たばかりのリュケネを一斉に睨み付け威圧する。南部諸候であろうか。

 そして真正面には戦場に相応しくない壮麗な衣装を着た少年が座っていた。

 座る位置と衣装からすると、おそらく、この目の前の冴えない少年が王と言うことになるが・・・

 リュケネは目を丸くした。あまりにも王としての威厳や威圧といったものをその者から感じることが出来なかったからだ。

 一瞬、影武者か、と考えたリュケネだったが、もしも影武者を使うとすれば、むしろもっともらしい外見をした人物を使うはずであろうと思い直した。

 ありえない外見をしているからこそ、目の前の人物が本物の王であると逆説的に感じたのである。

 有斗は立ち上がると客将に椅子に座るよう薦めた。

「よく来てくれた」

「お目にかかれて光栄に存じます。下軍で旅長を拝命しておりますリュケネと申します」

「使者が言ったとおりだ。ここらで剣を置くのはどうかな? 勝敗は明らかじゃないか。無駄な血を流したくない。もうこれ以上、僕たちが戦う理由はないと思うんだけど?」

「叛乱に組みしただけでなく、陛下に剣まで向けた無礼までお許しいただけると?」

「うん。それに王に仕えるのが王師の務めなんだし、これから協力するなら将士の過去のことは全て水に流して、罪に問わないことを僕は誓おう」

 とても王とは思えない、普通の少年が背伸びしている程度のその朴訥ぼくとつとした言葉遣いにリュケネはかえってかえって、目の前の少年に小さな好意を抱いた。

「ありがとうございます! 陛下が我が将士の命を取らぬとお約束下されれば、必ず!」

 リュケネは叩頭こうとうして誓った。

「そうか」

 有斗はほっと一安心した。自分の威厳のない姿に失望して、断られたらどうしようかと思っていたのだ。

「もし・・・」

 リュケネは顔を上げず言葉を続けた。

「もしお許しいただけるのなら・・・私たちをここで解放していただけませんか? 一週間の猶予ゆうよを下さい」


 リュケネのその提案に本陣に詰めていた諸侯は一斉に反発の声をあげた。

「な・・・!」

「なんだと!!」

「ふざけるな!」

「自分たちが既にまな板に乗せられていることに気付いておらぬのか? そんな条件は法外だ!」

 一千の兵が今ここで味方になると誓うのならいい。

 だが解放するだけとなると話は別だ。解放した兵が裏切らないと誰が断言できる?

 そうなればここにいる者たちは、包囲した敵をむざむざ解放した愚か者としてアメイジア中に笑われることとなろう。

「陛下! やはり今すぐ首を切るべきですぞ!」

 いきり立つ諸侯を前にしても、リュケネは平然とした顔で言葉を続ける。

「私の言をお聞きください」

 リュケネは有斗をまっすぐ見つめ、雄弁に話し出した。

「もうブラシオス様がいない以上、義理立てしてまで王と戦うと言う者はいないのです。もともと我々下軍の将士は陛下になんらかの意趣いしゅがあったわけではありません。ただ強い結びつきのあったブラシオス様の言葉に従っただけです。この度の敗戦でみな、これからどうしていいのかわからなくなっているはず。我々と共に陛下に下れば、彼等は命を全うすることができます。陛下に感謝することでしょう。きっと水火を恐れぬ働きをいたしましょう。陛下も数千の王師を手に入れる。悪い話ではございますまい。必ずや私が鹿沢城に退いた彼等を陛下にお味方するよう説得してきます」

「ならば君が鹿沢城に行けばいいだけでは? 君と共に兵もここで解散しなければならない理由は?」

「それは、もしあくまでも反対するものが居て使命を果たせなかった時、そやつらの首を切り陛下におびするためです。必ず鹿沢城を開城して陛下にお渡しいたします。またその時には同時に私の首も斬って陛下に献上いたします!」

 叩頭するリュケネを南部諸侯たちは苦々しい顔で見つめた。


 明らかに南部諸侯はアエティウス含めてその提案にいい顔をしていない。

 顔色を読むというのなら、この条件は飲むべきではないのだろう。

 だけど・・・有斗はこの世界に必要なことは他者を信じることだと思っているのだ。

 ならば彼の言うこの虫のいい話を信じてみるべきではないのだろうか・・・?

 有斗は少しの間、考え込んだ。


「わかった・・・君たちを解放する。アエティウス、兵を下がらせて道を開けさせてくれ」

 諸候たちだけでなく、ここまで冷えた顔で有斗の言葉に反意を現さなかったアエティウスまで、一斉に有斗に反発した。

「陛下!!!」

 だが有斗はここで折れる気は無かった。

「もう僕は決めた。この決定はくつがえらせないよ」

 そう言ってから、伏礼するリュケネに目線を下げる。

「これでいいかい?」

「・・・ありがたき幸せ!」

 リュケネは深く叩頭する。

 だがここにいる者で、有斗とリュケネ以外の人々は、言葉にこそ出さなかったものの、あんぐりと口を開けて成り行きを眺めることで消極的な反対の意を、鈍感な有斗にも分かるくらいに表していた。

 おっさんどもはともかく、アリスディアやアリアボネまでそんな顔をしていたことは有斗にはちょっとショックだった。


 さすがに諸侯がいる前で、明らかな反対を有斗に示さなかったアエティウスだが、本陣に戻り、有斗らだけになるや否や、有斗に苦言をていした。

「陛下、あれはまずい。彼が裏切ったらどうなされるつもりで?」

「というより絶対に裏切る。賭けてもいい」

 アエネアスもアエティウスの言葉に賛同する。

 プロイティデスやベルビオらダルタロスの勇将たちも、口にこそ出さないものの不満げな顔をしている。

 今、有斗の周りは敵だらけだった。有斗の旗色は悪い。

「でもリュケネはもし失敗すれば、自分の首を差し出すとまで言ったよ」

「そんな口約束、破るためにあるようなものです。信じるほうがどうかしている。どこからどう考えてもその場しのぎの出鱈目でたらめです」

 アエティウスはどうにか有斗を翻意ほんいさせようと熱弁を奮う。

「鹿沢城に既に逃げ延びた兵だけでなく、四方を敵に囲まれても一人も逃げ出さない、あの兵士たちも篭城することになるのです。鹿沢城は王都に向かうには、必ず攻略しなければならない要衝。戦うなら敵は一兵でも兵が少ないほうがいい。あの者たちまでもが篭城に加われば、我が方の死傷者数は増えます。大勢の兵士が命を落とすのですよ! 陛下、その者たちやその家族に顔向けできますか!?」

「今ならば、まだ包囲してる。間に合いますよ。誓いを違えて、直ぐに殲滅せんめつしちゃいましょう!」

 アエネアスが有斗に詰め寄って、盟約の破棄と敵の殲滅を迫った。

「そう言われても・・・」

「アリアボネも黙ってないで言ってやれよ」

 はっきりしない有斗に自分ではらちが明かないと思ったのか、アエネアスが先ほどから無言で座っていたアリアボネをきつけようとした。

「いや、私は陛下の意見を支持いたします」

「アリアボネ~」

 アエネアスが情けない声を出す。有斗はようやくここで味方を見つることができ、ほっと安堵した思いだった。

 ここまでぼろくそに言われると、自分の取った行動に自信が持てなくなっていたからだ。


「アリアボネ、リュケネとかいう、あの男が裏切らない根拠があるのかい?」

「いいえ。でも裏切ったとしてもそれでもかまいません」

「ほう。アリアボネの意見とやらを聞かせてもらおうか」

「これは陛下と、あの将軍の単なる口約束ではないのです。王と王に叛旗をひるがえした王師との約定です。今、世間は息を呑んで、陛下の一挙手一投足を注視しています。陛下がどんなお方かとね。もし、あの将軍が裏切ったとしましょう。そうすれば世間はあの将軍だけでなく、叛乱を起こした全ての者を、約束を守らない、汚い連中だと見るでしょう。さらには比較して、陛下は約束したことを破らなかった、清い存在と捉えてくれるのではないでしょうか」

 アリアボネは敵が約束を破った場合の事例を説明した。

「非礼な言い方をいたしますれば、正直申し上げて、アメイジアのほとんどの人は陛下がどんなお方かご存じない。せいぜいが叛乱を起こされた王であるというマイナスのイメージだけです。だが、これで王師に一度叛乱を起こされて、さらには刃を向けられたのにも関わらず、陛下はその旧悪を許す度量を持っている人物と思ってくれるはずです。さらには陛下を一度約束したら言葉を違えない、信じることのできる大人物であると思ってくれるのではないか、ということです。これは今後、数万の兵にも匹敵する味方となることでしょう」

 そしてアリアボネは今度は有斗が約束を破ったときの不利を説いた。

「それに包囲していると言っても、全ての兵を残さず殲滅せんめつすることは不可能にちかい。万一、殲滅できたとしても、この間のいきさつは南部諸侯は知っています。天地も知ってます。まして人の口に戸は立てられぬもの。いずれ陛下が一度立てた誓いを破ったとアメイジア中の民は知るでしょう。陛下の名は地に墜ちます。これ以降、陛下の言葉を信じる者はアメイジアからいなくなりましょう。そんな人物に誰が仕えたいと思いますか? そんな人物が真の王になりえましょうか? 目の前の損得だけでなく、遠い将来を見据えて行動すべきです。民の信を失うことだけは何があってもしてはならないのです」

「・・・なるほど。それは確かにそうだな。これからのことを考えると裏切られるとしても、やつらをここから解放したほうが得策か」

 アエティウスもアリアボネの言葉に納得したようだった。


 鹿沢城を目指して南部諸侯軍は翌日、ティトヴォを後にする。

 すでにリュケネたちは昨夜のうちに先に出立していた。

 連戦での勝利に兵士の士気も高揚していた。

 不安で落ち込んでいるのは有斗だけだ。アエティウスもアリアボネも有斗の考えを指示してくれてはいるものの、やはりリュケネが裏切ったら、皆有斗を非難するのは目に見えている。

 果たして・・・リュケネは有斗を裏切らずに鹿沢城に逃げ延びた王師を説得してくれているだろうか?

 最悪の場合は鹿沢城にこもった数千の王師と戦うことになるのだ。

 そうなったら有斗の面目は丸つぶれである。・・・今から胃が痛い。


 王師にも勝ったことが周辺に伝わると、畿内の小諸侯や南部の様子見をしていた諸侯、さらにはおこぼれにありつこうとする傭兵もが次々と傘下に加わった。なんと南部諸侯軍はすでに一万二千を越える数になっていた。

 まだ王師三軍の半分以下だが、それでも数が増えないよりは増えたほうが安心だろう。

 それになんといっても小諸侯とはいえ、街道沿いの諸侯が味方になったのは大きかった。

 食料や宿営地の提供を申し入れてくるし、なにより街道沿いの不意の奇襲に怯えなくてすむ。


 八日後、運命の鹿沢城が遥かかなたに見えてきた。

 その間まったく、リュケネからは良い知らせも悪い知らせもなかった。

 アエティウスをはじめ諸侯は、もうすでにリュケネは裏切ったものとして考えていた。

 昨夜も王のいないところで、どうやって鹿沢城を攻略するかと言う議題で話し合ったとか合わなかったとか。

 ・・・胃が痛い・・・本当に痛い。キリキリ痛い。胃の薬ってこの世界にあるのかな・・・?


 しかし全ては有斗の杞憂きゆうだった。

 鹿沢城に近づくと、城門の門は大きく開いて跳ね橋がかけられているのが見えた。

 そしてリュケネを筆頭に下軍の旅長たちが橋の前で下馬して有斗を待ち受けていた。

 有斗を見ると一斉に伏礼する。

「陛下万歳、万々歳」

 有斗は満面の笑みで彼等を見ると、まず殊勲しゅくんの功労者であるリュケネに声をかける。

「リュケネ、よくぞ彼等を説得してくれた」

「はっ!」

 リュケネと旅長たちは座ったまま腕を組んで一斉に有斗を拝した。

「我等生き残りし、罪深き八人の旅長と七千の王師は全て、今ここで武器を手放し、陛下に下ります。願わくば陛下の寛大かんだいなご慈悲のあらんことを!」

 その言葉を聞いて、有斗は他の7人の旅長に笑みを作って語りかける。

「王師はそもそも王の軍だ。王と王師が戦うという、今までの経過こそがおかしかっただけ。これからは力を合わせて逆賊を討とう。この世界に平和を取り戻すのに力を貸して欲しい」

御意ぎょい!」

 彼等のほっとした顔を見、力強い声を聞き、有斗は確信する。

 人は信を持って付き合えば信に答えてくれるものなのだ、と。

 この世界に必要なのは『信じること』、きっとそうだと強く強く確信した。

 有斗は自慢げにアエティウスに振り返る。

 アエティウスもアエネアスも眼前で繰り広げられる光景がよほど信じられなかったのか、見たことも無い顔で驚きを表していた。

 自分でも役に立つことがあったという気がして、有斗は嬉しかった。

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