第21話 ティトヴォ攻防戦(Ⅰ)

「諸卿らは、これをどう思うか?」

 ブラシオスは南部よりもたらされた、王の檄文げきぶんを手にすると、部下たちに見せびらかすように、ひらひらと振って見せた。

「それにしても酷い書かれようだな。どうやら王は相当、我々が腹にすえかねたようだ」

 低い笑い声がまばらにおきた。

「そうでしょうか」

 一人の若い将官が首をひねる。

 最近、地方勤務から下軍に配置換えになった新顔である。ブラシオスとの関わりは薄い。

 この年齢で千人余りを与る旅長になったのだから才はあるのだろう、とはブラシオスも思わないでもなかったが、それでも若さからか、彼のことを内心軽視していた。

「リュケネか。ならばそなたはどう考える?」

 右の眉を上げた。それは不機嫌なときのブラシオスのいつもの癖である。

 この表情をしただけで彼に仕える者は恐れおののいて、口をつぐむものだった。

 リュケネもそれを知っている。知ってはいるが、ここがブラシオスの運命の岐路であると思い、あえてブラシオスの不機嫌な顔を無視し、口を開いた。

「それは文章の上でのこと。檄文というものは多少誇張して書かれるのが常であります。王の実情を考えるに味方は少なく、もし王師一軍が味方するとなれば喜ぶことは必定です。ですから我々は王に味方すると提案してみればいかがでしょうか? 大きな貸しを王に与えることになります。そうなれば王も我々を罰するわけにはまいりますまい。それに我々としても、単独で他の三軍と戦うのはなかなかに難しい。王といずれ敵対するにせよ、とりあえず組むという手段は悪手ではないと愚考しますが」

 リュケネの言葉に正論が含まれているのは、ブラシオスとて認めぬわけではなかった。

 だが王を一度見限ったブラシオスには、あの王が一度背いたものを許すだけの広大な器量の持ち主だとはとうてい信じられなかった。いや、信じるわけにはいかなかったと言うべきか。

 もし王がそのような器量の持ち主だとするならば、それを見抜けずに放逐したブラシオスの目が節穴だということになるのだから。

「・・・我々は一度背いた身、今更、王に強力するといっても、受け入れてはもらえまい」

「それよりも良き手があります」

 ブラシオスが王には味方したくないとする意志を言外に匂わせているのを察して、一人の幕僚が発言の許可を求めた。

「申してみよ」

 と、鷹揚おうよううなずいたブラシオスにその幕僚は言葉を続ける。

「我々は中央から離れて独自の道を歩むべきです。その為にも此度このたびの王の挙兵はむしろ奇貨きかと捕らえるべきです」

「ほう」

 ブラシオスは中央から離れるというその発想に興味が湧いた。

「我々は基盤を持ちません。長期的に考えるとこれは不利です。王の軍は南部諸侯が母体。もしこれを破ることが出来れば、我々は南部に強い影響力を持てるでしょう。畿内南西部と南部を基盤にし、他の三人が南部を攻めれば、下軍がこれを背後より撃ち、下軍を攻めれば南部諸侯が後背より襲えば、他の三人も迂闊うかつには手を出してはこないでしょう。いわゆる掎角きかくの勢を形作ることが出来ます。幸いに南部諸侯が全て王に組みしないうちなら、我々だけでも勝利するのは容易です。しかも生きて王を手中にすれば、これを傀儡かいらいとし、王都にいる者たちを逆臣と呼ばせることも可能です。ここは進んで王都の三人が動くよりも早く、王を討つというのはいかがですか?」

「その言やよし」

 我が意を得たりとブラシオスはひざを手で叩いて、その意見に賛意を表す。ブラシオスは誰にも頭を下げる気はもうなかったのである。当然王にもである。

 だから南部を手に入れ、王を利用するという、その提案はまさに意にかなっており、魅力的なものに思えた。

「しかし・・・王と戦っている間に、王都にいる他の三軍に背後を襲われませんか?」

 食い下がろうとするリュケネにブラシオスは反駁はんばくする。

「その可能性はある。あるからこそ速戦せねばならないのだ。なに王都に戦いの知らせが届く頃には終らしてみせるさ。王は戦を知らぬ。対して我々は歴戦の猛者だ。鎧袖一触がいしゅういっしょくだろうよ」

 確かに彼我ひがの戦力差をかんがみるに、王師のほうが錬度、兵数ともに上回るだろう。負ける要素は少ない。だが戦闘に勝ってその後どうするというのだ。南部は反中央の気風が強く、一回の戦闘で勝ったからと言って、心から味方につくほど生易なまやさしい連中ではない。

 きっと反乱が起きる。それも何度も。

 南部を支配するのに手こずれば、きっと王都で逡巡しゅんじゅんしている者たちとて、好機到来とばかりに兵を向けるに違いないのだ。

 その時、下軍の将士がいつまでもブラシオスについて来てくれるかは未知数であると言わざるを得ない。

 それにブラシオスは忘れているのではないか。

 確かに王は異世界から呼び出されたばかりで兵としても馴染みは薄い。とはいえ王に反逆したという後ろめたさを、少なくない数の将士が抱いているのも事実なのだ。

 今の下軍はブラシオスを支持しているとはいえ、いつまでそれも続くことやら。

 そういった者達に後ろめたさを忘れさせる、なんらかの正義を示してやる必要があるのではないか。それが優れた将というものであろう。

 明らかな悪を抱いて生き続けられるほど強い人、もしくは狂人はめったにいないのだから。どんなに悪事ばかりを働いているように見える者であっても、概して本人は正しいことを行っている、いや、間違ったことを行っていないと思っているものなのだ。

 それに王に今すぐ味方すれば大功であり、ブラシオスは功臣となれるだけでなく、他の三者の『逆臣という地位』と違う立場に立つことが出来るのである。

 今こそ小さな誇りなど捨て、大義につくべきであるのに、とリュケネは小さく溜め息をついた。


 ブラシオスは翌朝、日の出と共に太鼓を叩かせ、鹿沢城より下軍一万全てを率いて南部へと足を向けた。

「斥候を出せ、王の軍とやらがどの程度の数で、どこへ向かっているか調べるのだ」

 通常の斥候なら早朝に出立すれば、遅くとも夕方には戻って報告をするものだ。

 もし斥候が殺されたとしても、帰ってこない斥候を出した方角で少なくとも敵の存在する方向は確実にわかるからだ。

 だがブラシオスは斥候に、敵を見るまでは帰ってくるなと言って送り出した。

 なぜなら敵がいる方角は既にわかっているのだ。そして王が向かうのは王都、東京龍緑府とうけいりゅうりょくふ。知りたいのは距離とその間にある地形だった。少しでも戦いに有利になるような地形に布陣したいものだ、と思った。

 もちろん王もそう考えていることだろうが。

「はてさて、どこでぶつかることになるのやら」

 南部諸候がいくら味方したかはまだ分からぬが、少なくとも数千の兵をようしているはず。

 こちらも一万を数える。その両軍が激突するには、それなりの広さの空間がいる。

 なるべくならその地に先手をうって布陣し、少しでも敵に対して優位を得たいものだ、それがブラシオスの腹積もりだった。


 南部諸侯軍が王師下軍の斥候を発見したのは昼過ぎだった。

「斥候が敵の斥候と出会い交戦しました。双方に被害は無い模様」

 行軍のさなかに諸候ごとの間隔が開いてしまい、隊列を詰めるために休憩している有斗に斥候が報告した。

 後方の諸侯の軍がどうなっているのか見に行っていたアエティウスも急いで戻ってくる。

「敵が近くにいるってこと?」

「はい」

 アリアボネはうなずく。

「となると、どこに布陣するかだ。川があればそれを挟んで布陣することになるのが常道だが・・・」

「このあたりに川はありませんね」

 二人のその何気ない会話も、有斗にはいまいち理解できないことが含まれている。

「川があればそこに布陣するものなの?」

「ええ」

「行軍している軍隊は、縦に長い縦列で行軍しております。敵と戦うには、横に広がり、陣形を構築しなければなりません」

 有斗はフォキス伯との戦の時を思い出す。確か陣形を整え終わるのに一時間はかかった。

「川があれば、敵が川を渡るのに手間取っている間に、自軍の隊列を整えることもできますし、川を渡るという行為は、陣列を原型を留めないほど、極端に変形させるものです。どんな川でも流れの速いところ、深みなど渡るのに適した場所はそう多くはありませんから。敵が川を全て渡りおえない間に攻撃を与えれば、勝利しやすい。つまり川は自然に出来た要害。互いに相手を渡らせようとした結果、挟んで布陣することになることが多い」

「となると布陣するのは平地か丘陵ということになりますが、我々は敵より数が少ない。右から回り込まれないように、右方を山岳なり崖なり、要害である場所を探したほうが良いということになります」

「・・・右側だけ? 左側も崖とか山とかで包囲されない地形のほうがいいんじゃない?」

「陛下は軍学の知識もおありか」

 アエティウスが驚くような顔で有斗を見た。有斗は褒められたようで気分がよくなる。

「えへへ」

 確か側面からの奇襲とか、後背からの回り込みが有効だった気がする。これもまたラノベで仕入れた知識によると・・・なので、どのくらい本当の戦に有効かは有斗にも正直なところは分からなかったが。

「陣を引いた軍の横幅ぴったりに左右が要害のある場所はまず・・・いやはっきり申せば、あるはずがありません」

「軍の陣形を左右の要害の距離に合わせて、陣を引けばいいんじゃないの?」

 そうすれば左右からの攻撃を気にせず戦える。

「もし陣の横幅より要害の幅が大きい場合は、兵士間の距離が開き、敵に中央突破されやすい。その逆であれば、陣形を縦長に組まねばならず、戦闘中に無駄な兵力になる・・・いわば死兵が多い。つまり両側に要害の地を置くというのは、現実的ではないのです」

 確かに言われてみればその通り。軍の大きさに合わせた場所なんて、そうそう見つかるわけは無い。

「となると、右か左かどちらかを要害の地で守る、という戦い方がいいということになります」

「でもさっきは右側に限定して話していたよね?」

「ええ。軍の主流は重装兵と長槍兵が主力です。重装兵は左手に持つ盾が、すぐ左に位置する兵士を半分覆おおうことで防御を高め、接近戦で無類の強さを発揮します。ところがいちばん右の端の兵士は、自身の右側面が無防備であり、弱点となっています。その為、回り込むには敵の右側、すなわち味方から見て左回りに回り込むのが有効とされているのです。また長槍兵も左手を前に、右手を後ろにして槍を構えます。すると陣の左方から攻めてきた敵には、槍を向け応戦することが可能ですが、右側から攻められると槍を回すことが出来ず交戦出来ない。それに対応するためには槍を立てて、陣全体の向きを変えるしかない。戦場でそれを行うには危険が伴うし、かといって一部の兵が個別に反転すれば陣形は乱れ、そこに乗じられるのは自明の理。よって右翼の攻防こそ、戦争全体の帰趨きすうを決定付けることになる、ということになります。ですから右側に要害の地を配置して、敵が回りこめないように布陣するほうが良いということになります」

「難しいものなんだね・・・」

 たぶん素人にもわかりやすいように言ってくれているとは思うのだが、悲しいかな有斗には半分くらいまでしかついていけなかった。

 まぁ自陣の右側に要害を配置したほうがいい、左側から回りこんで攻めればいい、これだけ覚えりゃ十分だよなと大雑把に考える。

「それなら私に一案が。この近くに戦乱で荒れ果てた街があります。人はもう住んでいませんが、城壁も残っており防御に適した地。そこに軍を敷いて敵を待ち受けましょう」

「そんな街あったかな・・・?」

 アエネアスが首を傾げた。

「ティトヴォです」

「ティトヴォ・・・?」

 名前を聞いてもアエネアスにはピンとこないようだった。

「ああ・・・そんな街があったな。だがあそこは百年は前に放棄された街だ。城壁と言っても土で固めた土壁、崩れている箇所も多いだろう。どれほど防御効果があるか疑問だ。多少の有利さはあるだろうが、平野部での合戦と変わらないのではないか?」

 アエティウスが否定的な言葉を言ったのに、アリアボネはそれに対してにっこりと微笑返した。

「それに一旦、南海道を離れ、東に少し戻る格好になります」

 アリアボネの言葉は、何故かティトヴォに布陣するのに否定的な材料だった。

「無駄な回り道じゃないか、そこまでして布陣する価値があるとは思えないんだが?」

「ですが敵も、おそらくそう考えてくれるでしょう、それこそが私の狙いなのです」

 皆が自身の思惑を看破できないことにアリアボネは嬉しそうに笑った。


 ブラシオスが待ちに待った斥候からの報告が届いたのは鹿沢城を出てから八日目だった。

「報告では敵の斥候と出会った距離は三舎、昼過ぎに遭遇したと申しておりました。それを考えると敵との距離は、四舎ないし五舎であるかと思われます」

 リュケネは偵騎からの報告をブラシオスに告げた。

「やっと発見したか」

「はい」

「敵の行軍速度は通常より遅いな。もう三日は早く敵を発見していると思っていたのだが。まあいい、敵を見失ったわけではなかったのだからな」

 場所さえ把握していれば奇襲を受けることはまず無い。それだけで一安心である。

「だが敵は我が方が偵騎を夜通し走らせたことを知らぬ。王は偵騎と出合った事で、我が軍が近いと錯覚するであろう。急いで兵を布陣するに相応しい場所を探すはず。まごついている間に我等は勇躍ゆうやく進んで有利な地形を押さえ、戦いの主導権を取ってしまおう」

 そこに再び偵騎の一人が帰ってきた。引き続き、敵の本体を探して追わせていた一人だ。

「敵軍の本体を発見したとな? すぐに呼んで参れ!」

 汗だくで息も絶え絶えな、その偵騎は呼吸も荒くブラシオスに報告した。

「敵を発見したと言ったな? して数はどれくらいで今どこにいる?」

「数はおよそ・・・五千くらいかと。敵は我等の前で突然南海道を離れ進路を東に変えました。そこには廃墟があり、そこに着くと駐屯する準備をはじめました」

「五千・・・思ったよりも少ない。それに廃墟だと・・・? そんなものあったかな」

「武部尚書様」

 おずおずと一人の幕僚が声をあげた。

「おお・・・確かそなたは南部出身であったな。知っておるか?」

「はい。それはティトヴォと言う街です。百年前に戦火で街の大方を失い、民は東へ移住しました。一度見たことがございます。城壁はあることはあるのですが、かなり崩れており、それほど防備に役立つとは思えません。それに兵を休ませることのできる民家があるわけでもございません。私には何故そんなところにわざわざ移動したのか不思議です」

「ふぅむ」

 幕僚の言葉にひっかかるものを感じて、うなりながらひとしきり考えていたブラシオスだったが、

「わかったぞ!」と、突如大きな声で叫んだ。

「敵は我等を恐れておるのだ! 偵騎と接触しただけで兵を退いたのが何よりものあかし。数の差に恐れをなし、城壁の残る廃墟に篭って我々を迎え撃つに違いない! よし、強襲をかける! これで勝利は疑いなしだ!」

「しかし・・・多少崩れてはいても、城壁を利用し、防御を固める敵相手に攻めかかるのは難しい戦になるのでは?」

 リュケネが遠慮がちに口を挟んだ。

「容易い戦などあるはずなかろうが。どうした臆病風にでも吹かれたか? それに敵は五千とのこと、我がほうの半分だ。我攻めでも勝てる」

 リュケネ以外の全員が笑い声を上げた。だがリュケネはそれでも食い下がった。

「だからこそ、おかしいと申し上げたのです。敵はもともと我々朝廷と戦おうとしていたはず。すなわち左軍、中軍、右軍、下軍の合計四万の王師と戦うことを前提に立ち上がったはず。それが下軍一万を目にしただけで怖気づいたというのは理屈に合いません」

「決まっておろう。南部諸侯が思ったより集まらなかったのだ。・・・いや有力諸侯がまだ全て集まっていないと考えたほうがいいかもしれぬ。そうとすれば敵の行軍速度の遅さも納得がいく。他の諸侯の軍が追いつくのを待っているのだろう。それで全てが合致するではないか。時間を費やせば、敵に援軍が来ることも考えられる。ならば我々は速戦を挑むべきだ。兵書も言うではないか、兵は拙速せっそくたっとぶと」

 そこまで言うとブラシオスは軽やかに立ち上がり、陣幕を出て兵たちに出陣の準備を知らせる太鼓を叩くように指示した。

 出立の為に営舎を片付け、炊飯に取り掛かれという一番太鼓が響いた。

 兵舎から次々と兵がいて出て、出陣の支度を整える。

 ブラシオスは必勝の信念も高く、兵を東南へと向ける。


 ブラシオスの想像よりも、その城壁は形をある程度留めていた。

 崩れてしまった城壁の穴も、木を組み合わせて作った柵や、逆茂木さかもぎを設置していて、容易に突破できる状況ではなかった。さらに始末の悪いことに城壁の周りには、水こそ無いものの空堀がぐるりと街を取り囲んでいた。

 ブラシオスは少し渋い表情を浮かべた。

 だがこの距離まで接近して分かったことだが、敵の数は更に少ないようである。四千はいそうであったが、下手をすると五千を下回るかもしれない数だ。

 この数なら四方から一斉に攻撃すればそのうちどこかでほころびが生まれる。二、三日で片がつくだろう。

 機嫌を直したブラシオスは、街を包囲し、攻撃の準備に取り掛かる。


 一刻半ほどで、難なく包囲陣は形成された。

 だが逃げ道を絶たれると兵は必死の抵抗を示すもの。

 だから西側はあえて手薄にし、城兵の為に逃げ道を用意した。しかしブラシオスは生易しい将軍ではない。城壁の外に出してしまえばこちらのものだ。その先の林に兵を伏せ、そこで逃げだした兵も殲滅するつもりであった。

 もし万が一、南部の諸侯が王を助けに来たとしても、南海道を通ってくるその援軍は、その林の前を通ることになる。彼等が始末してくれることだろう。

「いいか。ワシの指示したとおり兵を速やかに動かし、一斉に攻撃に移れ。日暮れまでには突破するのだ」

 本陣に参集した旅長に発破をかけると、一斉におうといらえが響く。

「はしごや攻城櫓などの攻城兵器を作ってから攻めかかるのはいかがでしょう。幸い林や森が近くにあり材料に事欠きませんが」

 あくまでも慎重に事を進めようとするリュケネの提案を、ブラシオスは一顧だにしない。

「いや、いまだ来ぬ諸侯を王に合流させぬことこそ、第一に考えるべきことだ。諸侯の兵が王とが別れている今こそ、各個撃破の好機、こんな機会はめったに訪れまい。兵が来ぬうちに決着を付けるべきなのだ」


 ブラシオスの本陣より剛強の兵が宙に向かって矢を放った。

 ひゅろろろろろろ、と鏑矢かぶらやの出す音が戦場に響き渡る。一瞬の空白の後、突如太鼓と鉦が鳴り響き、王師は四方から朽ちた城壁に向けて走り出した。

 百メートルまでに近づくと城壁の上に陣取った弓兵が一斉に矢を番え放つ。

 矢は半円を描いて飛び、やじりの重さでやがて地面に向けて落下する。

 攻め寄せた兵は木でできた盾を頭上に掲げて矢を防ぐ。だが防ぎきれず負傷するものも多い。

 ブラシオスは苦虫を噛み潰したような表情でそれを見ていた。

 常に武芸の鍛錬を事欠かない王師ならともかく、半農半兵の地方豪族の兵に百メートルの距離から狙った位置に矢を放てることができる弓の熟練者はそうはいないはずだ。

だがこの多さはどうだ。ブラシオスが見ている南面だけでも五百、四面合わせれば二千ほどの弓を扱える兵がいるとしか考えられない。

 ブラシオスは驚きを隠せなかった。

 これでは近づくだけで相当の兵を消耗しそうだった。

 だが多少の犠牲は戦争では当たり前だ。王師は傷を負ったものは後退し、次々と新手を繰り出して、遂には空堀まで辿り着く者も現れる。

 城壁の上に陣取った弓兵は素早く短弓に持ち替え、眼下の王師に立て続けに弓を放つ。城壁に手を掛けようとする者には長物のほこを持った兵が、上から叩き付け空堀に押し戻した。敵が目の前に現れても混乱することなく戦うその様は、極めて戦意が高いと認めざるを得ない。

 とりわけ多くの諸侯の中で目立った活躍を見せているのがハルキティア勢だ。

 敵の攻勢の最も激しかった東南の一角を任されたハルキティア勢は、女性の身でありながらヘシオネが最前線に立って、自ら剣を振るうと、鼓舞されたかのように勢いを取り戻して王師を城外へ叩き返す。

 しかし一進一退の攻防を制し、城壁を越えた部隊が現れた。南面を担当していた一人であるリュケネの隊だった。

 城壁がなく柵だけの一角に戦力を集中し、急ごしらえの梯子を横に並べ空堀に渡し、板を上に敷いて仮の橋とし、兵力差に物を言わせて柵を打ち破っての突破に成功したのだ。

「リュケネはよくやる」

 早くも壁の向こうに兵を送り込んだリュケネの際立った指揮に、ブラシオスは舌を巻いた。

 それに対して他の将のふがいなさはどうだ。未だ城壁の上に辿り着くものすら少ないではないか。敵は地方の諸侯の寄せ集めなのだ。精鋭をうたわれる王師下軍の名に恥じよ。

 ブラシオスは嘆息して天空を見上げた。

 太陽は遥か頭上にあかあかと輝き、汗ばむブラシオスのひたいを照らしていた。早くも戦闘を開始してから一時間は過ぎたようだった。

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