第20話 その女、ヘシオネ。

 マシニッサと入れ違いになるように、またもひとりの大物諸侯が戦勝祝いにかこつけ、有斗のもとにやって来た。

「若、ハルキティア公が遠路、参陣なされました。是非、陛下にお目通り願いたいとのことです。いかがなさいます?」

 ちょうど食事時だった有斗は、口に入れかけた肉料理を皿に戻して、嬉しそうにアエティウスに微笑んだ。

「これで南部の四つの大諸侯すべてが、僕に味方したってことになるね」

 漫画やアニメやゲームなどでよくある、四天王だとか十傑衆だとか王下七武海だとか、数を頭に冠して呼ばれる人々が集まるシーンを思い浮かべて(まぁ大概が悪役なのが残念なところだが)、有斗はなんとなく嬉しくなった。四人揃ったらゲームみたいに部隊攻撃力がアップするとか、ユニークスキルが発動するとか、これからの戦いが楽になりはしないかとらちもない考えを浮かべる始末である。

「マシニッサは勘定に入れられませんけどね」

「そうではありますが、これで形だけでも南部四衆が足並みを揃えたと言えましょう。味方には大きな励みとなりましょうし、敵からしてみれば脅威に思えることでしょう」

 アリアボネも有斗の考えに同意を示して微笑んだ。

「遠いところをわざわざ来てくれたんだし、待たせたら悪いよ。じゃあさっそく会いに行こう」

「それがよろしゅうございますね。陛下が食事を中断してまで足を運んだと知れば、ハルキティア公も感激し、いっそう陛下に忠を尽くすことでしょう」

「えー!? あいつは当主って言ってるけど、自称じゃん! 兄様なんかとは格が違うよ! 陛下は、あんなやつにわざわざ会いにいかなくていいよ!」

 アエネアスは額にしわを寄せ、顔いっぱいで抗議の意思を示した。これまた随分と嫌ったものである。

 まさか・・・また、マシニッサみたいな、人間的にどこか問題のある、とんでもない奴じゃないだろうな、と有斗は顔を曇らせる。

「我々は陛下が大業を為すために、一致して力を尽くす責務がある。感情で動くのは感心しないな」

「だって・・・アイツ、兄様に色目を使うんだもん!」

 アエネアスが不満を頬いっぱいに詰めたかのように膨らませる。

 なるほど、それでアエネアスが嫌うというわけか。まてよ。と、いうことは・・・だ。

「・・・ハルキティア公は女性? 女性当主って珍しいね」

 軍中にはアリスディアやアエネアスやアリアボネがいるが、有斗がこれまで会ってきた南部諸侯は全員男性だったから、素朴にそう思った。

「南部の諸侯位は男性が継ぐものと古くからの習わしで決められております。ですがハルキティア公は───」

「自称、ハルキティア公だよ!」

「自称でもなんでも、ヘシオネ殿がハルキティア家内を掌握しているのは事実だ。アエネアスも、それを踏まえて行動しないといけないよ。軍中の和というものがある」

「む~・・・わかってるけどさぁ~」

 ヘシオネという女性がどんな外貌の女性で何歳であるか、有斗は知りはしないが、仮にも同じ南部四衆の当主を務めているのなら、出自と言い、器量と言い、話を聞くだけならアエティウスの結婚相手として、文句のつけようがなさそうなのだが・・・

 アエネアスはそれでもだめらしい。いや、あるいはアエティウスの相手として相応しすぎるから、逆に嫌っているのかもしれない。そうであるなら、本当に重度のブラコンである。

「とにかくヘシオネ殿の前で、非礼な態度はとらないでくれよ。陛下の面子にもかかわる」

「そこまで子供じゃないもん!」

 とふくれっ面をするアエネアスは、有斗の目には十分にお子様に見えた。


「お初にお目にかかります。ハルキティア公爵家を預からせていただいております、ヘシオネと申します」

 薄い青、いや、水色の髪を真ん中よりやや左側で分けて、前に垂らした髪で右目が隠れていることが、その女性の第一印象として強く残った。

 粗衣に甲冑をつけ、長い髪を首の後ろでくくったままという、後宮の女官に比べると洒落っ気のない姿であり、とりたてて美人というわけではないが、ヘシオネという女性は清潔感あふれる、南部屈指の大諸侯を女の腕で支えているという自信に満ち溢れた目が爛々と輝いているのが特徴の女性である。

 もっとも最近の有斗の目にはアリアボネが常時焼き付いているから、美人のボーダーラインがかなり上がっている。それを差し引くと本来は美人なのであるが、今の有斗にそこまでの観察眼はなかった。まあ、そこそこの美人だななどと、失礼にも心の中で品定めをする始末である。

「陛下おん自ら、お言葉を賜るとのことです」

 アリスディアの言葉にヘシオネは首を垂れた。

「ヘシオネ卿、貴女はハルキティア公の地位を正式に継がれたのか?」

「いいえ。父亡き後、我が弟が公爵位を受け継ぎましたが、生来の病弱のため、戦場に立つことが叶いませぬ。そこで代わりに私が参上つかまつりました」

 南部は男系相続が一般的で、慣例から言えば、女性が当主になることはありえない。だが、今は戦国という非常事態だ。病弱な弟に代わって、ヘシオネが家内の実権を握って、実質的な当主として君臨しているという。

 アエティウスらの話では、反対する家内勢力を打ち滅ぼし、近隣諸侯との戦いにも自ら剣を取って戦うというから、かなりの女傑である。

 そんな女性に敵に回られては何かと厄介である。ならば有斗としては、ヘシオネをなんとしても味方にしておきたいところだ。

 だが、通常の時代でも女が武家の当主を務めるのは極めて難事だ。ましてや今は戦国の世である。女の指図を受けることを内心快く思っていない男たちも、家内にはいるだろうし、女と思って甘く見て、その領土を虎視眈々と狙っている近隣諸侯も少なくないに違いない。

 そこで貸しを作っておくべきです、と有斗はアリアボネに入れ知恵されていた。

「ヘシオネ殿がハルキティア公爵の代理人であることは言うまでもない。今後も変わらぬ忠誠を望んでいる」

 こう言って、王がその立場を追認したとなれば、家内のものも周辺諸侯も表立ってはヘシオネが当主のようにふるまっていることに反対意見を言いにくくなる。

「感謝いたします。我がハルキティア家は未来永劫、陛下に忠誠を誓うことでしょう」

 ヘシオネとて有象無象の女とは違う。戦国乱世を生き抜く大諸侯ハルキティア家の実質的な当主なのだ。有斗の言葉の意味をすぐさま悟り、喜悦して跪拝する。


 ヘシオネは謁見が終わって有斗が退出すると、アエティウスに近づくいて小声で話し出した。

「ありがとう、アエティウス。陛下にとりなしてくれたのは、君だろう?」

「あ、いや・・・ここにいるアリアボネが献策したのさ」

 ヘシオネはアエティウスの言葉にくるりと振り返ると、アリアボネに笑みを向けた。

「そうか。アリアボネ殿、感謝いたす。これでハルキティア家を女に首根っこを押さえられている軟弱な家だと侮る輩も減ることになる」

 ヘシオネはよほどこれまで嫌な目にあってきたのか、悔しそうな顔をして、そう言った。

「感謝は陛下にしてください。最終的にお決めになったのは陛下です」

「わかってる」

 ヘシオネはアリアボネの言葉に軽く頷くと、目の端に笑みを浮かべてアエティウスに近づいた。

「にしてもひどい。挙兵するのなら言ってくれれば共に立ちあがったものを。水臭い。このヘシオネ、アエティウス殿のためなら水火をも辞さぬのに」

 少ししなを作ったようにヘシオネはアエティウスに近づくが、ゆであがったタコのように真っ赤に膨れ上がったアエネアスが、両手でヘシオネの身体を押して、アエティウスから離そうとする。

「近すぎます!」

「あら、あいかわらず、こぶ付きなのね」

「こぶで悪かったわね! いいからヘシオネ様は兄様から離れてください! 迷惑です!」

「わかった、わかった。アエティウスはアエネアスに譲るから、そう嫌わないでくれる? 仲良くしようよ」

「兄様から離れていただければ、今すぐにでも、そういたします!」

「どうもアエネアス殿には嫌われっぱなしだ。自慢の『兄様』を取られたくないらしい」

 ヘシオネはアエネアスの無礼にも怒ることなく、笑みを絶やさない。

「ところで、陛下はどんな御仁ですか?」

「そうさな・・・・・・ま、あんな感じだ」

「・・・・・・?」

 奥歯にものが挟まったかのようなアエティウスの言葉に、ヘシオネはどういう意味か考え込む。

 そんなアエティウスとは対照的に、アエネアスは無邪気に王をばっさりと評した。

「そうだね、裏表はなさそう。それが王として良いかどうかは別にして、人としては悪くないよ」

 だとすると人としては良くても、王としては足らないものがある。向こうから転がり込んできたとはいえ、よくもまぁ、そんな人物を担ぎ出して神輿にしようと思ったものだ、とヘシオネは不可解なこの現状に、引っかかるものを感じた。


 こうしてフォキス伯をほぼ無傷で撃砕げきさいしたことで、南部四衆は敵にならないということが確実になり、事態は大きく好転したといって良いだろう。

 ほかにも、先んじて朝廷につくと公言していたブリタニア、プレヴェサの両伯からは、圧力にたまりかねたように使者がやってきて弁明に努める。

 あくまでも朝廷ににらまれないために宣言しただけで、王に逆らう意図はなかったと平身低頭に謝辞を述べる。

 残るはマグニフィサ伯だが南部から王都に攻め入る街道からは大きく外れており、無視できる。

「いちおう偵騎は出しますが、おそらくは大丈夫かと」

 これで南部諸候連合軍は王師だけを相手に考えてさえいればいい、とアリアボネは言った。

「そっか、これでいよいよ王師と戦うんだね」

 南部諸侯を平らげるのに、どれだけ時間を浪費するかと思っていただけに、予想より早く王都に帰れそうだと思って、有斗はアリアボネに嬉しそうに顔を向けた。

「いつごろかな?」

「もうそろそろ王都を発したという知らせが届くかと思います。二週間以内かと」

「そうなの? 早いね」

「むしろ遅いくらいです。私の目論見ではすでに一軍ないしは二軍と交戦しているはずでした」

 自分の予想と違ったその理由がわからない、とアリアボネは首をひねる。

「どうしてかはわかりませんが、朝廷の動きは遅い。何か大事が起きたのかも」

 それがこちらに優位に働くことであればありがたいのですけど、とアリアボネは付け加えた。


 軍は先の戦で痛んだ武具を取替え、失った矢を補充する。新たに加わったハルキティアなどの諸侯にも陣割を行い、隊列を整えた。

 行軍の遅い輜重しちょうも無事にニザフォス峠を越えた。

 そうやって隊伍を整え、再び行軍する準備に半日が過ぎた。

「朗報です!」

「ん? なになに?」

 出発しようと有斗が靴を履いている時に、偵騎が急報を持って飛び込んできた。

「敵が内部抗争を始めました!」

 偵騎がもたらした、その知らせにアエティウスは敵の行動の鈍さを納得し、頷いて見せた。

「左府と内府かい? 彼らは元々、政敵だ。いずれは政争を起こすと思ったが・・・思ったより早かったな」

「だけれども、これで勝機が増えました。しかも我々には取れる選択肢も増えた。両者を戦わせて残ったほうと戦う、あるいはどちらかと組んだ後に残ったほうを返す刀で倒すという手が使えます」

 アエティウスとアリアボネは突如、舞い込んだ朗報に興奮気味だった。

「いえ、左府と内府ではなく、亜相ブラシオスと他の三人との間に亀裂が入ったとのこと!」

 だが偵騎の口をついて出た言葉は二人の想定とは違ったようだった。

「それは・・・」とアエティウスは絶句し、

「・・・想定外です」

 とアリアボネも羽扇を口に当てて小さいながらも驚きを表していた。

「それでブラシオスは討たれたのか?」

「いいえ。王都から逃げ出し、自身と縁のある王師下軍を掌握した模様。その後、王都を離れ鹿沢城に入場した模様です」

「鹿沢城は南部、関西に対する抑えの城だ。糧秣も武器も豊富に蓄えられている。こもられるとやっかいだな」

 アエティウスの言葉にアリアボネは賛意を表すように頷いた。


 王のいない宮廷ほど不安定なものはない。

 まして反乱を起こし、王師四軍を掌握したのは、

 クレイオス  左府さふ

 ネストール  亜相あそう 羽林うりん大将軍(近衛軍の最高指揮官)

 エヴァポス  内府だいふ

 ブラシオス  亜相 武部尚書ぶぶしょうしょ(国軍の文官最高位)

 の地位も勢力も同じような四人なのである。

 彼らに同心して王に反旗を翻す形となった王師も四軍だったこともあって、この乱は、後世に四師の乱と呼ばれることになるのだが、王を放逐するために一致団結していたその力は、目的を達した以上、早晩、内に向けられ、主導権を巡り対立することになるのは目に見えていた。

 特にクレイオスとエヴァポスは祖父の代からの政敵であった。必ずや反目する。

 よってこの乱を主導したラヴィーニアは四人の薦める高い官職に付くことを断り、もとの中書侍郎に留まって、その四人からあえて距離を置くことで、賢しく身の保全を図った。

 最初に争いを始めたのはラヴィーニアの想像どうりにクレイオスとエヴァポスだった。

 二人とも空位の相国しょうこくき、主導権を握ろうとして、朝廷内での多数派工作を始めたのだ。

 当初、ネストールが間に入って、仲を取り持とうとしたが、事態は悪化の一途を辿り、王師同士が相打ちしかねない一触即発の情勢となった。

 戦は近いと臣民が怯える中、やがて意外な事実が判明する。背後でブラシオスが両者をきつけていたのだ。私が味方に付くから相手を食い殺してしまえ、と。

 両者ともブラシオスが掌握している後軍が味方につくならば、と勇気づけられ、いさかいを始めていたのだ。

 ブラシオスは両者共倒れを狙ったのであろう。あるいは両者が戦い傷つき、官吏からの信望を大いに失う中、自身の権勢を増してやろうと思ったというところだろうか。

 踊らされていたことに気付くと、一転してクレイオスとエヴァポスは同盟を組み、ブラシオス排除へと動き出した。

 羽林、金吾きんごの兵を用いて、ブラシオスの館を包囲したのだ。

 だがブラシオスは間一髪のところで王城を抜け出し、後軍の駐屯する宿営地に逃げ込むことに成功した。

 後軍にもブラシオスの討伐令が発せられたが、ここでブラシオスが武官の人事考察などをつかさどる武部尚書であったことが幸いした。

 実際に後軍を指揮する将軍たちとちかしい存在だったのである。


 後軍はブラシオスを支持し、王都を離れて南へ移動し、鹿沢城を接収した。

 鹿沢城は王都にとって南部や関西の押さえの城である。よってそこには駐留軍も存在したし、新たに一万の兵士が加わっても、営するのに十分な広さと食料を十分内包していた。

 しかもブラシオスに親しくしていた者は後軍だけでなく、他の三軍にも大勢いるのだ。今でこそ下軍に同調する動きはないものの、軍を動かせば裏切り者が出るやも知れぬ。そういった思いからクレイオス、ネストール、エヴァポス迂闊うかつに軍を動かせなくなった。


 とはいえブラシオスにも他の三人全てを相手にする勇気も、後軍以外の三軍を確実に味方につけるだけの器量もなかった。

 かくして戦争とも平和ともつかぬ、いびつな仮初かりそめの安定が王都に訪れていた。

 王が発した檄文が舞い込んできたのはそんな時である。

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