第13話 再会

 教会と言ったものの、そこは入り口に逆三角形の教団を現す印が打ち付けられた銅版があるだけの、普通の小さな民家だった。

 街中に住んでいた信者が、自身の家を寄進したのだという。

 立派な教会を作る金があったら、貧者に施すのが先だからねぇ、と申し訳なさそうに老婆は言った。

 でも今の有斗には夜露がしのげるだけでもありがたかった。

 向こうに居たころは親の仕送り、こっちにきてからは王としての贅沢ぜいたく三昧。お金や食事に困ることはなかった。全て失って初めてわかった。そのありがたさを。

 有斗はそこで信者のまとめ役をしている人に、部屋の隅っこを与えられて座り、ようやく人心地ついた。

 こっちの道は大きな街道といっても幅は四メートルあればいいほう、さらには表面がボコボコで山道も同然、慣れない現代っ子の有斗には歩くのが大変だった。

 なんども地面のくぼみに足を取られ、足首をひねったことか。転がっている石を踏んだ足の裏もあちこちが痛む。

 アスファルトとかコンクリートとかって世紀の発明だよなぁ。でこぼこのない道路のありがたさも無くなって初めてわかる。

 ついたのは昼過ぎだったが、疲労でいつのまにか寝てしまって、気がつくと夕刻だった。

 おいしそうな匂いがする。

「起きたかい?」と、老婆はふたつ持っていたお椀のうちひとつを有斗に渡した。

「さめないうちにお食べ」

 ありがたく礼を言って、それを口に入れる。

 味は淡白だったし、こっちの菜っ葉は煮過ぎで溶け落ちる寸前かと思えば、こっちの芋っぽい何かは生煮えで硬すぎだったりもした。でもその時の有斗は王宮で食べたどの贅沢な料理よりもおいしいと思った。

 あっという間に全て胃に流れ込んだ。

「おやおや、さすが若いわねぇ、早いねぇ」

 食べる速度のことを言っているとはわかっていたが別のことを想像させる。

 考えすぎだと我ながら思うが・・・なんか嫌なセリフだな・・・

「私もあと二十年は若かったらねぇ」ともぐもぐとゆっくり咀嚼そしゃくしながら老婆は言った。

 今はしわくちゃの老婆でも、若いころにさっきの言葉を言ったなら、確かに有斗は大歓喜したかもしれない。もっとも二十年といわずに五十年はたっぷりさかのぼったほうがよさそうだが。

 空になったお膳をうらめしそうに眺めていると「もっと食べたいのなら台所でおかわりもできるよ」と、老婆が言うので、ありがたく二杯目をいただきに台所のほうへ向かう。

 台所は・・・と聞くまでもなかった。いい匂いがするほうへ犬のように鼻をひくひくさせながら、フラフラと歩いていけばすぐにわかった。お椀を持った人たちのちょっとした行列ができていたのだ。

 たぶん・・・これだよな?

 有斗は行列の最後尾に並んだ。

「はい、どうぞ。次のかた、はい」

 綺麗な声の女性が、並んでいる人からお椀を受け取っては、手際よくごった煮を入れては返す。

 すでにふたつの釜が空になって脇に放置されていた。

 まぁ一緒に来た巡礼者だけでも三十人はいるからなぁ・・・

「はい、お椀を渡してください」

 と言われたので渡すと、慣れた手つきでお椀におたま一杯分の分量を入れ、僕に・・・

 僕に・・・

 僕に・・・

 ・・・返さない・・・?

 なんで・・・?、と有斗は帰ってこないお椀を見つめ続けていた顔を上げた。

「・・・」

「・・・」

 目の前に、こんなところには似つかわしくないほどの美人がいた。・・・どこかで見たような顔だ。

 が、ここに知り合いなどいるはずもない。他人のそら似だろう、と有斗はすぐに興味を失った。

 それに中途半端に腹にものを入れたせいか、おなかの空腹感ってやつが、食べる前より存在を主張している。とりあえずお椀を返してもらうのが今の最優先事項だ。

「あの、すみません。お椀を返して欲しいんですが」

 美人はそれにはこたえず、お椀を持ったまま微動だにしない。

「・・・有斗様?」

「はい?」

 久しぶりに下の名前を呼ばれたので、思わず返事をしてしまう。

 お椀が美人の手から離れ、重力にしたがって落下して中身が派手に床にぶちまけられた。

 貴重な食料が・・・!

 と思ったのもつかの間だった。

 しまった! 狙われているんだった! うかつに名前を言ったらいけないんだった!

「あ・・・いや・・・」

 どうやって誤魔化そうかと、有斗がしどろもどろになりながら言い訳を考えていると、美人は凍りついて固まる有斗の顔を両手で掴んで、ぐっと自分の顔に近づけ、まじまじと有斗の顔を観察し始めた。女の人と息がかかるくらい近づくと有斗のほうがひるんだ。頬が赤くなる。

 嬉しいシチュエーションのはずなんだがなぁ・・・女性免疫ないほうだし、相手が美人すぎるからかもしれない。

 と、その美人の紅い唇から、もはや有斗には二度と聞くこともないかもしれないと思っていた懐かしい単語が発せられた。

「陛下、わたくしです。アリスディアです。尚侍ないしのかみです」

 それでも何がおこったのか有斗には理解できず。ぽかんとする。

 そう言った女性は、たしかにアリスディアの顔をしていた。宮中で着ていたような美々しい衣装ではなく、つぎの当たった、古びた割烹着かっぽうぎを着ていたので、全体の印象はかなり違っていたが。それが有斗を目の前の女性がアリスディアであると気付かせなかったのだ。

 なぜ王都でわかれたはずの彼女がここに・・・?

 彼女は瞬間移動の魔術でも使ったのだろうか。


「・・・へ? 尚侍・・・? どうしてここに・・・?」

 アリスディアは有斗の返答に顔を両手で塞ぎ、小さく嗚咽をもらした。

「もう・・・二度とお会いできないかと・・・よかった生きていておられて」

「なんだよ。早くしてくれよ。腹減ってんだよ」

 頭の後方から苛立った声が投げかけられた。後ろに並んでいた人たちがいつまでたっても進まない列にイライラし始めたようだ。

「別のところに行きましょう。マグライアさん、後をお願いします」

 そばで二人の会話にきょとんとしていた女性に、頭を下げておたまを押し付けると、アリスディアは有斗の手を掴み、女性とは思えないくらいの強い力でひっぱって裏口に連れて行った。


 裏口の外へ出ると、まずアリスディアは周囲を厳重に調べ、他に人がいないことを確認した。

 それから涙を指でぬぐって、アリスディアはようやく微笑み、有斗がいつも見慣れたアリスディアの顔になる。

「本当にご無事でようございました」

 有斗の身体をあちこち触って怪我らしい怪我がないことに安堵の表情を浮かべる。

「正直申しますと、半月も消息不明でしたので、恐れながらもう最悪の事態を想定しておりました」

 どうやらアリスディアはアリスディアで有斗の行く末をずっと探していたようだ。

「王都から聞こえてくる知らせは、どれもよくないものばかりです。新法派の誰々が処刑されたとか、その家族が謎の失踪を遂げたとか。あの日以来、陛下のお姿を見かけたと言う話すらも聞こえませんでしたし・・・」

 そこで大きく息をほっ、と吐き出し、切れ切れに言葉をつぶやいた。

「よかった・・・」

 そっと両手を胸に当てて、安心したかのように息をついた。目の端には涙が光っていた。いい子だよなぁ・・・赤の他人の僕なんかのことを心配してくれていたんだ。本当にいい子だ。

「陛下・・・ここへはお一人で・・・?」

「いや、巡礼者の人たちに助けてもらってここまで来たんだ」

「それはようございました・・・でも、そうすると・・・」

 アリスディアは思い悩むように眉をひそめた。

「セルノアはどうしました? まさか・・・陛下を見捨てて!?」

 アリスディアの口調はどことなく非難じみていた。

「ちがう!!」

 その口調にセルノアを否定されたかのように感じた有斗は、アリスディアを大声で怒鳴ってしまった。

 アリスディアは怯えたのかビクッとして、右のこぶしを左の手で強く握ったポーズのまま固まった。

「あ・・・ごめん・・・」

 それはアリスディアに向けるべき怒りではなかった。ぶつけるとしたらそれは自分自身にだろう。

「セルノアは・・・僕を逃がすために・・・その・・・」

 そこから先はもう言葉にならなかった。涙が溢れ出して。

 彼女を失った悲しさで。

 そして、彼女を救えなかった自分が情けなくて有斗は泣けてきてしまったのだ。

 さらには女の人の前で涙を見せる、女々しい自分にも腹が立って、泣くまいと努力すればするほど涙は止まらなかった。

「・・・そうですか」

 アリスディアはそれだけで全ての事情を飲み込んでしまったようだった。

「よかった。セルノアは彼女の責務を果たしたのですね」

 彼女の柔らかな指が有斗の背中を優しく撫でる。

「だからといって、陛下はお泣きになることはないのですよ」

 やさしく赤子を諭すようにアリスディアは語りかけた。

「でも・・・僕は彼女をおいて逃げたんだ・・・」

「それでいいのです。陛下が彼女のしたことに対して責務を負ったとすれば、それは逃げること。逃げて逃げて逃げ延びて生きること。どんなことがあっても生きて、逆賊どもを討ち果たすこと」

 彼女が言っていることは一瞬、有斗を慰めたが、それはあくまで彼女が、有斗を勇気付けるために言ったことだと思い直した。セルノアが有斗を逃がすために色々したように、アリスディアも、なによりも有斗のことを第一に考えているから、有斗の心が傷つかぬようにと言っているだけなのであろう。

 でも、そこにも一部の理はあった。たしかにそうだ。反逆者を討って王都に戻って王に復位しなければ、セルノアのしたことが全て無駄になってしまう。それだけは有斗は嫌だった。

 それにセルノアだって死んだとは限らない。あの後どうなったのか、生きているのか調べるためにもそうすべきなのだ。

 少し元気の出た有斗の背中をさすり続けながらアリスディアは優しく微笑む。

「それだけなのですよ。だからここまで落ち延びてきた陛下は立派に彼女に対する責務を果たされたのです」

 が、すぐに厳しい表情に一変した。

「ここはいちおう安全です、と申し上げたいところですが・・・教徒といえども、賞金に目がくらんで、陛下を売り渡そうとする不貞な輩がいないとは限りません。早めに安全なところに移動していただかないと」

「わかってる」

 そうだ。アリスディアに聞けばこれからのことも色々わかるかもしれない。

「セルノアには南部の・・・ダルタロスに頼れと言われたんだけど、アリスディアには意味がわかる?」

「セルノアが・・・」

 アリスディアは少し考え込んだ。

「確かに南部はセルゲイの乱がありましたので、王都の太政官たちに不信を持っておりますし、独立の気概も高い。とりわけダルタロスといえば南部屈指の名家で、人望もあれば動員できる兵力も群を抜いてはいますが・・・果たして助力するかどうか・・・」

「そっか・・・」

 有斗はがっくりと肩を落とした。でもここで肩を落としていてもしかたがない。別の方策を考えてみるしかない。

「じゃあ他に、僕に助力してくれそうな人の心当たりでもあるかな?」

「確かにそう言われると・・・言葉に詰まりますね」

 アリスディアはそれでもまだ考え込むようだった。

「・・・そうですね、賭けてみましょう。幸いわたくし個人的な付き合いがないわけではございません」

 アリスディアは任せてくださいと胸をたたいた。


 巡礼団の一行とはここで分かれることになった。

 彼らが向かうのはここより南西、有斗らが向かうのは東南、道が違う。

「本当にありがとうございました。ここまで何とか来れたのはあなた方のおかげです」

 有斗はいままで世話になったことを、頭を下げて感謝する。

「いいっていいって」

「それよりも知り合いに出会えてよかったなぁ」

 特に世話になったあの老婆は別れを惜しんでくれた。

「さびしくなるねぇ」

 有斗の手を握った、そのしわくちゃな小さな手は、思ったよりも力強く、握手は通り一遍のものではなかった。ひょっとしたら、有斗を戦乱で亡くした子供の代わりみたいな存在に、見立てていたのかもしれない。


 アリスディアの話では、幸いにもダルタロスの城までは二日あれば到着するほど近いとのこと。

 なんにせよ、これでダルタロスに会うことができる。

 だけど・・・会ってどうすると言うのだ?

 セルノアはダルタロスなら助けてくれると言ったが、実際のところどうなのかはわからない。そもそもダルタロスと有斗との接点は、有斗の即位に祝いの使者を差し向けただけだ。本人には会ってもいない。

 まぁ、それでも有斗の即位を曲がりなりにも受け入れた数少ない諸侯だ。

 でもダルタロスの話をした時のアリスディアの反応も気になる。

 アリスディアはダルタロスを知っているようだった。その彼女がよくない反応をしたということは期待薄なのかも。

 でも他には希望はない。

 セルノアが言ったという頼りない根拠。でもそれにすがるしか今の有斗にはないのだ。

 もしうまくいかなかったら、その時にまた考えればいいさ。考えたってダルタロスとの交渉が上手くいくわけではないし。


「連れ立って歩けば、夫婦にみえるやもしれません。陛下にはご不興ふきょうもあるかと思いますが、不信をいだかれぬために我慢してくださいね」

 不興だなんてとんでもない! アリスディアがお嫁さんで文句を言うやつなんかいるわけがないと、有斗が言うとアリスディアはいつもの調子で「光栄です」と返した。

 アリスディアは旅するに当たって色々考えてくれた。ここまでくれば中央と違って監視の目はないが、目立つことは極力避けたい。

「そうですね・・・職業は旅の行商人ということにいたしましょう」

 と言ったアリスディアに賛意を表した有斗だったが、一時間後にはそれを後悔することになっていた。

「でもアリスディア。こんなに薬草を買い込むことはないんじゃないかな?」

 偽装にしてもこの量はちょっと・・・すでに有斗が背負ってる分だけで十キロはありそうだった。

「いえいえまだ足りません」

「え・・・でも、どうするのこの量、売るにしても多すぎないかな・・・?」

「あ、そのことならご安心を」

 そう話しながらもアリスディアは、有斗の背負ってる背嚢はいのうに買ったばかりの薬草を次々とつめこんでいた。

「わたくし、実はここに薬草を買い付けに来たのです。そうしたら、偶然、幸いなことに陛下にお会いできたというわけです」

「あ・・・そうなんだ・・・」

 ・・・ん? おかしいな?

「じゃあ、なんであそこにいたの?」

 薬草買い付けに来たのに、あそこで給仕をしていたって・・・矛盾してないか?

「あそことは?」

「僕と会った教会」

 ああ、と彼女は納得して笑った。

「わたくし、ソラリア教の信者でございます」

 アリスディアはそう言って、胸元から逆三角形のペンダントを出して有斗に見せた。なるほど理屈に合う。

「じゃあ、これは教団で使うもの?」

「はい」

「ということは、これはさっきの教会に持っていけばいいんだね」

 よかった。この労苦は長くは続かない。

「いえ、違います」

 だがアリスディアの一言で、その希望は一瞬で打ち砕かれた。

南京南海府なんけいなんかいふの教会まで。都合のいいことにそこはダルタロス家の治める都市です」

 おーそれはラッキー・・・って、これを背負って旅するのか!・・・有斗はげんなりする。

 でも女の子に重い荷物を背負わせるわけにもいかないから、男である自分がやらなきゃダメなのだろうなと、嫌々ながら納得せざるを得なかった。

「そこには売ってなかったんだ・・・」

 恨みがましくポツリとつぶやいた。

「南京南海府は三京のひとつで南部の中心的な都市ではありますけれど、ここにはかないません」

 そっか大変だな。日本だと、どこの県に住んでもドラッグストアがあり同じ薬が買えるもんな。薬を買いに東京へ出かけるとかいう話は聞いたことがない。流通ってのも大事だったんだなぁ。

「モノウは二つの大河が合わさる合流地点。上流は鼓関から材木や薬草など、東京龍緑府とうけいりゅうりょくふからは米や麦を、河を下って海に出れば西海との交易路も通じておりますので、海の幸まで集まる物資の一大集積地です。今のように東国が荒れる前は東国とも通商していて、『モノウの座人には及びもないが、せめてなりたやお殿様』と歌になるくらい、さらに栄えていたといいます。ここでしか手に入らないものもたくさんございますので、買い付けに参ったのです」

「それでこの量か」

 納得はした。だからといってやる気があふれてくるといったことはなかったが。

 それよりも疲労感だけがドンドン大きくなっていった。


 モノウを出て十二時間。とっぷり日も暮れたころにようやく小さな町にたどりついた。

「今日はここまでにいたしましょうか」

 道端にへたりこむ有斗を見て、アリスディアはそう言う。

 助かった。

 情けないことだが、もう一歩も歩けない。いや動けない。・・・本当は無理をすれば動けるが、動きたくない。

 距離はたいしたことがなくても、問題は背中にかかる重量だった。

 ちょっとでも歩くと、膝が生まれたての小鹿のようにがくがく震えていた。

 有斗は倒れこむように宿屋に入る。

 もう口を開く元気も残っておらず、宿の手続きはアリスディアがした。

 といっても有斗が元気でも、たぶんやれなかった。だってこっちの世界での宿の取り方とかを有斗は一切知らない。お金も、もうほとんど残ってないし。

 その小さな宿は、下は料理屋、というか酒場で、二階がまるまる宿になっていた。

 旅商人相手に手広くやっているのだろう。時間が時間なので、ざわめく喧騒と酒の臭い。なかなか繁盛している。宿のおかみさんは、アリスディアと二言三言話すと二階の部屋へ案内した。

 有斗はと言えば、その間、一階で倒れこんでいた。

 自分の荷物を部屋に置くと、アリスディアは戻ってくるや、片手で有斗をひっぱって立たせ、残る片手で荷物の半分を軽く持ちあげて、こちらですと有斗を部屋まで引きずるように連れて行った。

 ・・・なんか僕、情けないよな・・・

 凄い情けない、と有斗は落ち込んだ。


 部屋は四畳半ほどの狭い部屋。

 二人が寝るには十分な広さではあるが・・・問題が一つ。

 ベッドと思われるものは一つしかない・・・

「あのう」

 有斗は上着を使ってベッドメイクをし始めたアリスディアに遠慮がちに提案してみた。

「部屋を分けたほうがいいんじゃないかな?」

 アリスディアは不思議な言葉を聴いたかのように目をぱちくりと見開いた。

「あ、ひょっとして」

 アリスディアが思いあたったことは、有斗の考えとは大分ずれていた。

「陛下は人がいると気になって眠れないタイプですか?安心してください。わたくし、いびきなどかきませんので」

 ずれてる・・・論点が完全にずれてる。

「じゃなくって」

「あ、陛下のほうでしたか。大丈夫です。わたくし昔から集団生活で慣れております」

 いや、僕もかかない・・・と思う。寝てるときの自分を見たわけではないので確信はできないけど。

「いや、そうじゃなくて!」

「?」

「そうじゃなくて、仮にも若い男女が同じ部屋にいるってのは・・・僕が変な気を起こすかもしれないし。アリスディアも変な噂を立てられたりしたら嫌だろう?」

 たしか独身だったはずだし、・・・セルノアの件もあるし。うん。ここは、きっちり分けたほうがいいかも。

「まぁ」

 そう言ってアリスディアは口元を手でおおう。

「・・・・・・光栄ですわ。陛下」

 紅をさしたように赤く染まった頬を両手で隠し、上目遣いで有斗を見た。


 うっ・・・

 押し倒したい・・・!

 有斗の心の中によからぬ欲望が湧き上がってくる。

 だめだ・・・もうこの時点で理性がどこかに行ってしまいそうだ。

「だ、だから」

「大丈夫です、信じてます陛下を」

 なにを根拠にアリスディアはそういいきれるのだろう?

 本人は自分の下半身をまったく信じきれてないというのに。

「それに・・・陛下とだったら、問題はありません」

「いや、ある! ありまくりだよ!」

 するとアリスディアはがっかりと肩を落とした。

「あ・・・陛下はわたくしなんかとの浮名を流されるとご不快でしたか」

 ん・・・意外と脈はあるのか・・・?

 いや、いかん。それではセルノアにしてしまったのと同じ過ちを繰り返すことになる。アリスディアも僕を『伝説の異世界から来た立派な王』として見ているだけなんだから。本当の僕に惚れてるわけじゃない。手を出したりしてはいけない。

「そうじゃなくってね・・・」

 そこから同じような不毛なやりとりが幾度か続いたが、

「でも、やはりひと部屋にしましょう。なにかあると困りますから路銀は減らしたくありませんし、おなじ部屋でないと陛下に何かあったとき守れませんし」との一言で押し切られてしまった。

 アリスディアって優しくおっとりしてるけどだけでなく、しっかりしているな。

 有斗はアリスディアにベッドを使うように言ったが、恐れ多いことと、彼女は床に早々と転がって寝てしまった。

 有斗が寝たのは、木でできた長椅子みたいなものにアリスディアと有斗の上着で作られた急ごしらえのベッド。

 アリスディアの服からいい匂いがして、気になってなかなか眠れなかった。

 手を出したいけど・・・手を出したら、最悪の男になってしまう。セルノアのことをまるで反省してない人間の屑になってしまう。

 だから手が出せない・・・

 ああ! こんなに近くに触りたいものがあるのに!!

 いや触るだけでなく、もんだりとか、握ったりとか、いじったりとか、入れたりとかいろいろしたいのに!

 もどかしさで頭がおかしくなりそうだ!

 ・・・

 あれ・・・?

 ・・・でもなんだかこのもどかしさのほうが、アリスディアを触るよりもシチュエーション的に興奮する気がする!


 ていうか興奮してる!!


 有斗は変なことに気付いてしまったようだった。


 ・・・・・・僕はひょっとして自分で思ってるよりド変態なのだろうか・・・?


 そんな葛藤かっとうをしつつ、無防備なアリスディアの美しい寝顔を眺めてるだけで、気付いたら朝日が昇っていた。

「さぁ、今日も張り切ってまいりましょう!」

 有斗を元気づけるためか、明るく振舞うアリスディア。

「元気だね・・・」

「はい! 昨夜はよく眠れましたから!」

 だが今の有斗にはそれすらも恨めしい。体が目覚めてない・・・しかも今更ながら眠気は襲ってくるし。

「・・・よかったね・・・」

「はい!」

 アリスディアはぐったりしている有斗に代わり、宿のまかないからお握りをもらってきていた。朝食ということなのだろう。

「でも・・・やっぱり陛下は素晴らしい方ですね。昨日、あんなにおっしゃったのに、わたくしに手を出さなかったじゃないですか」

「ありがと・・・」

 いや、出したかったんだけどね・・・と有斗は心の中が複雑な思いで交錯していた。


「こっちはわたくしが持ちますね」とアリスディアは背負い袋の一つを取った。

「え・・・それは一番重いやつだよ・・・?」

「大丈夫です! わたくし慣れておりますから。もともと全部わたくしが背負って帰る予定だったことをお忘れですか?」

 そうだった。でもだからと言って女の子に荷物を、しかも一番重いやつを持たせるのは、男として不甲斐ないというか・・・なんというか。

「全部、僕が持つよ」

 有斗は慌てて荷物をアリスディアから奪った。

「そんな恐れ多い! 本来は陛下に荷物を持たせること自体が不敬なのです」

 だがアリスディアは有斗からもう一度荷物を取り返す。

「いや、でも・・・」

 有斗は抗議の声を上げようとする、が

「それに今週中に南京なんけいに着きたいですし・・・」

 あ・・・やっぱり足手まといになってるんだ・・・

 自分で自覚してるつもりだったが、アリスディアから言われるとへこむ。

 しょんぼりする有斗を見て、「あ・・・いえ・・・違います・・・」と、アリスディアは必死に取りつくろう、がもう遅いよなぁ・・・

 有斗は溜息をつくと残りの荷物を持ち外へと歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る