第12話 信ぜざるもの、信じるもの
空腹で眠れそうにないので、夜通し歩いていけるだろうと思ったのだが、疲労は容赦なく有斗を襲う。
足はパンパンに腫れ痛い、さらには歩いてる最中なのに、気を抜くと
これは洒落になってないな。
あの畑から五キロは歩いたからもう安心だろうと、有斗は道の脇にある
ススキが固まったようなそれは、適度な強度と大きさがあり、まるでリクライニングチェアのように有斗の身体を支えた。
それにしても、この世界はなんでこうなんだろう・・・有斗は苦しさとやるせなさとを感じていた。
畑の作物を盗もうとしたら、いきなり殺しにかかってくるとか、ないわ~。
わかってる。わかってますよ。
そりゃ盗もうとした僕が悪いのは百も承知ですよ。
だけどいくらなんでも相手の言い分も聞かずに、問答無用に殺そうとするのは行き過ぎだ。
捕まえて警察に突き出すとか、前段階が普通はある。
彼等を支配する貴族も、国家を無視して互いに争っているといった話だったし、民も貴族も、警察とか国家に頼ることなく好き放題やってるんじゃないか。なんて酷い世界だ。
・・・・・・
でも・・・そうか。今、思い出せば肝心の政府ですらそうだった。
旧法派も新法を撤回させるために政治手段ではなく反乱という実力行使をした。
存在するのはただ敵と味方、そして一旦、敵と認識すれば叩き潰すのみ。
それが戦国と言うものなのかもしれない。
つまり民にとって貴族も国家も信用していないから、司法手続によらず実力をもって自分の権利を守るしかないのだ。貴族にとってもそうだ。
そして国家を形成する公卿大臣ですら、それをすることが当たり前で、まるでそれが与えられた権利のように思い込み、なんら恥じるべき行動と誰一人思ってすらもいないのだ。
民は貴族も国家も信用しない、貴族は民も国家も信用しない、そして当然、国家は民と貴族を信用しない。
他者に対する絶対的な不信感、それが戦国と言う世界の常識。
だとするとこの世界に今なによりも必要なことは「信じる」ことではないのだろうか?
信じることこそが自力救済を否定し、争いを無くすことができるのではないか?
信じる・・・か。
僕も過ちがあったのかもしれない。有斗はようやくそれに気付いた。
有斗は新法派の言うことは、ほぼ無条件で信じたけれども、旧法派の言うことは信じなかったのだから。
反乱を起こした旧法派は悪だとは思うけれども、彼等の話も少しは信じてみるべきだったのでは?
その結果、もしセルノアがああいう悲劇に落ちないで済む、別の選択肢があったとするのなら、僕は・・・
今になって有斗はそう思い、悔やむ。
ああ・・・やっとわかった。だけど今更わかったとしてもどうしょうもないのだ。有斗はもう王ではないのだから。
いつまで・・・こんな生活が続くのだろうか?
いや、違う・・・いつまでこんな生活が続けられるか、だ。
王に戻る前に、叛徒を討つより前に、ダルタロスに会うより前に、有斗の命は尽きるんではなかろうか。明日、生き延びれるかももうわからない。
帰りたいな・・・日本に。
これはただの夢で、実は目覚めればいつもの自分の部屋で寝ているんじゃないかな、と
だけどそこは変わらず星空に囲まれた草の上だった。見上げる満天の夜空は煌くばかりの美しさで有斗を押しつぶした。
「世界って大きいな・・・」
普段なら星々の
何万光年も広がる宇宙の広大さに比すと、セルノアを見捨てた自身の
認めたくはないけれども、もう・・・僕は駄目なのかもしれない。もう南部へも無事に辿り着くとはできないのでは? とすら考えてしまう。
きっとこの世界で何一つ成し遂げることの出来ないまま・・・有斗は終るのだろう。
所詮は只の学生の有斗に物語の中の伝説の王みたいに世界を救うことなどできやしないんだ。
ごめん・・・セルノア。
せっかく君が救ってくれたのに、君の願いを裏切り何一つできないままで終ってしまう。
有斗は悲しい気持ちで瞼を閉じると、まもなく意識を失ってしまった。
ぺちぺちと、どこからか音がする。
何の音だ・・・?
深い眠りの中から浮上するように意識がゆっくりと戻ってくる。
それにつれて音は大きくなる。次いで有斗の
これは・・・?
重い
「大丈夫かい?」
声がかかった。自分にだろうかと有斗は
目のピントを合わせると、焦点は通常時よりも近い。
そこでようやく有斗は周囲の様相を確認できた。
目の前には多くの人の顔。特に視界の6割を塞ぐような近さで老婆の顔があり、有斗の顔を
「うわあああああああっっ!!!」
有斗はあまりの近さにビックリして大声で叫んでしまった。
「おっ、生きているようだよ」
人々は顔を見合わせて一斉にざわめいた。
「よかったよ。どうやら息はあるようだ」
有斗を見てウンウンと
「行き倒れじゃなくてよかったねぇ」
流民の家族かとも思ったが、たぶん違う。
集団は五十人もいるし、顔の血色もいい。おそろいの清潔そうな白い着物を着ている不思議な集団だった。
なにより流民特有の
ぐうううううううぅぅぅぅぅぅ!!
と、そこで有斗のお腹が盛大に鳴った。
目覚めるついでに胃も活動を開始したようだ。
おおきな笑い声が周辺一帯に響いた。
「食べるかい?」と老婆は有斗に堅く黒いパン状の何かを手渡した。
堅くて味気も無いパンだったが、セルノアが居なくなってからは食材を生のままかじって生きてきた有斗には大層なごちそうだった。
芋や米や大根を生で
それに比べたら、加工しているというだけで、人間の食い物を食べてるという実感が湧く。
あまりにも有斗がガツガツ食べるものだから、可哀想に思ったのか、老婆はもうひとつパンを取り出し有斗の手に握らせた。
さすがに心苦しいのでお金を渡そうとしたが、「いいよいいよ」とおばあさんは首を振って笑い、受け取ろうとしなかった。
彼らは自分たちのことを巡礼者だと言った。
南部に向かうと言ったら、ちょうどいい、自分たちもモノウに向かうところだと言って同行を勧めてくれた。
モノウとやらがどこにあるか有斗は知らないが、話からするに南部の一都市なのだろう。
畿内は河東や河北に比べれば、最近は落ち着いているが、今の時代、一人旅はやっぱり危険らしい。
よく今まで一人で無事に旅をしてきたな、と言われた。
傭兵崩れの盗賊団だとかがあちこちをうろついてると言った。
セルノアを襲った連中もそういった盗賊団なのかもしれない・・・
「だから新しく王様が来られたと聞いて期待していたんだがな」
この巡礼団の一行のリーダー格と思われる壮年の男はそう言った。
「結局は何も変わらず、さ」
「王が悪いんじゃねぇ。宮中のやつらが腐ってるのさ。権力の亡者どもだからな。異世界から呼び出して、都合が悪くなったからって反乱を起こすなんて」
「せっかく呼んだ王様も行方不明だって聞いたよ」
「少しは平和な世が来るかと思っていたんだけどなぁ」
「サキノーフ様がなんとかしてくれないかしら」
「
「この戦国はワシらが生まれる百年も前から始まってるんだ。きっと終るのもワシらが死んでから百年後とかさ」
「そうさねぇ」
彼らは最後は諦めきった口調でそう
有斗は少しだけ彼らのことがわかった気がする。
彼らはもう飽き飽きしているのだ。この法も正義もない戦乱の時代を。そして自分たちを鑑みず、争いに熱中ばかりしている権力者たちを。さらには愚痴を言うだけしかできることのない、無力な存在の自分たちを。
何とかして欲しいが、どうすれば何とかなるのかわからない絶望感が、彼らを宗教にすがらせるのだろう。
この世界を何とかして欲しい。でも何ともならない。それだけなのだ。
何とかしなければならない・・・と強く思った。
もっとも、有斗にもどうすればいいかは考え付かない。
でも王であった僕にはそれをやることができるだけの力があったのではないだろうか? ふとそう思う。
そうか・・・今になって気付いた。
だから皆、『召喚の儀』とやらで呼び出されただけで、普通の学生である有斗を、あんなに希望に満ちた目で見ていたのだ。
そしてそれを期待していたからこそ、有斗が朝廷をうまく運営できなかったことに失望して、最後のほうは暗い顔をしていたのかもしれない。
有斗はようやく王になる者には、課せられた希望や使命といった物がある、とわかった。
・・・全てを無くしてから、やっとわかったのだ。
モノウまでの旅路は長く、同行するうちに一種の奇妙な連帯感が彼らと有斗の間に生まれた。
とくに一人の老婆は世話好きで、この世界のことを知らず、何をしても失敗ばかりする有斗をほっとけない存在と認識したのか、何かと世話をやいてくれた。
老婆一人で巡礼の旅をするのに、家族は心配しないのかと訊ねたら、戦乱で子供を二人とも亡くした、他に身よりもいない、こんな時代だからしょうがないねと、明るく言った。
だが皆はそれを聞いても慰めの言葉ひとつもかけなかった。
普通の表情で「うちの村も戦場になって下の弟をなくした」だの「兵隊として夫が獲られた」だの、かえって自慢するように皆が不幸な話をなんのためらいもなく続けるのにびっくりした。
どうやら同情する必要もないくらいに、それが当たり前のことらしい。
ここは本当に酷いところだ・・・
身の上話を一通り話すと、有斗のことも聞きたがったが、それには言葉を濁した。
いい人たちばかりだけど、有斗が王だとわかったら手のひらを返すかもしれないと話さなかった。
有斗の首にはおそらく懸賞金がかけられていることだろう。
もしこの善良な人たちまで突然、自分に牙をむいたとしたら・・・いったい有斗はこの世の何を信じればいい?
そんな有斗にも「いいよいいよ、人には話したくないことだってあるしねぇ」とみんなは優しかった。
後ろめたさだけが残った。
有斗はかわりに教団のことを聞いた。話してる間だけは自分の薄汚さを考えずにすむ。
この教義は戦乱の中で生まれたという。
南部を中心に中原一帯、そして河北、河東の一部でも広く信奉されているらしい。
もともとは南部のソラリアという村で信仰されていた小さな宗教だったという。
その村の名前をとってソラリア教と言うらしい。
戦乱が続き、法も施行されず、軍隊による略奪なども日常茶飯事。
多くのものが流民となってあてどなく
流民は流れついた土地で畑を荒らしたり、また盗みや暴力事件を起こし、その土地の支配者たちにとっても頭の痛い問題になっていた。
この教団は、困ってる人が集まり互助することが基本方針だった。
だから流民達にも食事や住居を提供した。これらのことにより信仰を集め、さらに信者から構成される強固な自治組織をあちこちに形成したという。
そして土地の支配者に話をつけ、荒地を耕しては田畑を作り、一定の租税を納めることで定住を許可してもらったという。
長く続く戦乱は、この大地のあらゆる場所が戦場となった。戦場となった村々は焼き払われ、運よく生き残った数少ない農民たちも逃げ去った。耕作地の荒廃、租税収入の低下はどの土地でも起こっていた。だから支配者にとっても願ったりかなったりだったのだ。
さらには教団を自領に呼ぼうと、みずから入信する豪族もいるという。
そうしてこの戦乱の時代に、一つの不文律が出来上がった。
教団の開墾地や教会では戦闘は行わないと言う不文律が。
なにせ教団が自領からいなくなったら立ち行かないという豪族もいるのが現実だったのである。
そして、かつてこの教団が誕生した村が聖地となっていて、彼らはそこに向かっているのだという。
だから、有斗みたいな困ってる人を見ると助けるのだといった。
信じないといけないのか? と訊ねると、教義に従って、自分たちが助けたいから助けるのであって、みかえりは期待していないとその老婆は笑って答えた。
みかえりもなく・・・か。
有斗はどうだっただろうか?
王になって
王なんだからセルノアを求めてもいい、と思ったんじゃないのか? と訊ねられれば有斗は否定できるのであろうか?
否定できる、と言い切れないところが、ただただ悲しかった。
自分は汚ない人間だった、と有斗は気恥ずかしさでいっぱいになった。
やがてモノウについた。
王都ほどではなかったが大きな街だった。
とりあえず、ここでダルタロスという人を探すことにしよう。
「ここでお別れです。いままでありがとうございます」と、巡礼者たちみなに頭を下げてまわる。
「寝るところはあるのかい?」
訊ねたのは、いつも有斗を世話してくれた老婆だった。有斗は首を横に振った。
南部には来たものの、これからのことは、まったく考えてなかった。
南部に行ってダルタロスとやらに助けてもらえ、とセルノアには言われたけれど、そもそもダルタロスがどういう人なのか、南部のどこにいるのかはさっぱりわからなかった。
大変ねぇと、老婆はうんうんと頷いた後、
「じゃあ教会にお寄りよ、屋根もあるし、空腹を満たす程度のものは貰えるよ」と言ってくれた。そして、あんまりおいしくないかもしれないけどと、二、三本になった歯を見せて大きく笑った。
「信者じゃなくても大丈夫?」と聞くと「貧者を助けるのがあたしらの教義さ。まぁこっちも貧乏だけどね」と再びカカカと笑った。
本当に凄い。宗教といえば
すばらしい教えだ、と信じるものが無かった有斗はその時は思った。
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