昇竜の章

第11話 闇の中

 闇の中だった。

 どことも知れぬ暗い、深い・・・闇の中。数人の人間が小さなカンテラだけを明かりに円形のテーブルに輪をつくっていた。

 六名の人影がある。が、どの者も深くローブをかぶり、その顔色はうかがい知れない。

「・・・それで王は脱出した・・・と?」

「少なくとも反乱側に捕らえられたのでも、殺されたのでもない様子。うまく逃げ出したようです」

「そうか・・・よくやった。それでその後の足取りはわかっているのか?」

「王は我々の思惑通りに南部へ向かっています」

「それは大慶たいけい

 彼等は一斉に顔を見合わせると、口の端に笑みを浮かべた。

「逃げ延びた王がうまく南部の諸侯をきつけてくれるといいのだが」

「しかし南部に王を手助けする義侠心ぎきょうしんのある諸侯がいなかったら?」

 その質問で皆が一斉に一人の人物を注視する。ローブでよく見えないが若い男のようだった。

 どうやらこの集団でのリーダー格といったところなのであろう。

「・・・それでもかまわぬさ。その場合、朝廷は南部に身柄の引渡しを要請することだろう。自分たちの領域に手を突っ込まれて、いい気のする諸侯はいないはず。南部の諸候の中にさらに朝廷への不満が生まれることとなる」

「それは我々の計画にとっても不利なことではない」

「なによりも朝廷が王の下で揺ぎ無い権力を確立することは、これで避けられたのだからな」

「しかし新法派と王と言う異分子を排除した今、朝廷が一枚岩になる可能性はないか?」

「所詮は反新法でまとまっただけの烏合うごうの衆よ。時機に正体を現す」

「関東はしばらく放っておけばよい。そのうちに内輪もめを始めるだろうよ。それよりも関西だ。引き続き関西の朝廷への働きかけを強くしていくことにする」

 リーダーの言葉に他の五人はうなづいて了承りょうしょうの意を表す。

「全ては我々の計画通りだ」


 あれから・・・幾日が過ぎただろうか・・・


 有斗はひとり、南へと向かっていた。セルノアの姿は───ない。

 一晩中、倒れるまで探し続けたが、有斗はセルノアの姿も傭兵たちの影も見出すことができなかった。

 完全に見失ったのだ。足跡も深夜の雨がすっかり消し去り、どちらに向かったかも分からなかった。

 来た方向へ戻るべきだろうかとも考えたが、翌朝、血相を変えた兵士が早馬で街道を駆け抜けたのを見た有斗は、こんな脇街道にまで探索の手が伸びていると思い、血の気が引き、セルノアの探索どころではなくなった。

 もちろん、恰好が格好だし、王の顔は一部の高官しか知らないのだから、兵士たちは素通りしたとはいえ、いつ、有斗の正体がばれるかと思えば、一歩も王都へと進むことができなくなった。

 有斗は一縷いちるの望みを託して、南へと向かう。

 だが何故、南へ向かってるのか、有斗にはその理由が、自分でもいまひとつはっきりしていなかった。

 南へ向かうのはセルノアと共に決めたことだ。南部に行きダルタロスとやらを頼り、兵を糾合きゅうごうして叛徒を討つ。

 だが一緒にそれを決めてくれたセルノアを有斗は失った。

 それも有斗の一方的な落ち度で。

 セルノアを失った有斗にこの図南となんの旅はいったい何の意味があるというのだろう。有斗は自分で自分に問いかける。


 王に戻るため?


 笑わせるな。セルノアをあっさり見捨てて、己の命惜しさに南部へ逃げるような人間のくずが王だなんて器か。

 それに王に戻れたとして何をする? 僕に王としてできることが何かあるのか?

 何回やり直す機会を与えられたとしても、きっと結末は同じさ。無能な王は反乱を起こされるだけなのさ。

 その度に僕は新たなセルノアを生み出す気なのか?

 また哀れな子羊を血に飢えた狼の食卓に並べてやるのかい?

 そう・・・僕は王になるべきではない・・・なかったんだ。


 へぇ・・・少しは自分のことが見えてるじゃないか、と有斗は苦笑した。

 有斗は王になるためにこの世界に呼ばれたのだ。

 王に相応しくないのなら、この世界における有斗の存在意義はあるのか、と自分で自分に問いただす。

 答えは一つだ。・・・係累かぞくのない有斗には、この世界では居場所はない。・・・有斗はこの世界で生きる価値がない。

 だけど・・・「死にたいのか?」と他人に聞かれたらこう答えるだろう、「死にたくない!」と。

そうさ、誰だって死にたくない。


 死にたくない・・・へぇ、そうなんだ?


 死にたくないから死なないんだ? 生きる権利が自分にあると思っているんだ?

 じゃあ最後にひとつ聞こう。


 セルノアはあの時、死にたかったとでも言うのかい?


 王様である、お偉い自分は、他人を踏み台にしても生きる権利があると思うのかい?


 だからセルノアを見捨てて、南部へ逃げるというのかい?


 ・・・


 有斗は抜け出れない巨大な迷路に迷い込んだかのような気がした。

 大きく溜め息をついて後ろを振り返る。有斗があの日、セルノアを失った、あの山脈は、もう天辺ちょうじょうすら見えない。

 こんなに離れた今でさえ、何度も何度も同じ考えが浮かぶ。

 戻るべきではないだろうか?

 もう一度、付近をくまなく探すべきではないだろうか

 有斗にはその責務があるのではないのか。

 でも・・・今更、戻ってどうなるというのだ。

 セルノアも傭兵達もあの場所にいないだろう。何もできることはない。ただ己の愚かさと無力さをもう一度思い知るだけだ。

 戻るなら、もっと早くに戻るべきだったのだ。

 今、戻ることはセルノアの献身的な犠牲を無にする行為に他ならない。

 有斗に今できる贖罪しょくざいは無事に南部に辿たどり着くことなのだ。そう思った。

 いや、そう言い聞かせないと気が狂いそうになりそうだったのだ。


 有斗は街道をひたすら歩いた。歩いている間だけはセルノアのことを思い出さずに済んだ。

 休むたびに、立ち止まるたびに、食べるたびに、そして寝ようとするたびにセルノアを思い浮かべてしまう。

 セルノアはどうなったのだろう・・・

 そう考えるたびに胸が痛んだ。

 彼女を救えず、結局は見捨てた有斗にそう感じる資格がないのは分かってはいたが、だからと言ってセルノアのことを一切考えないでいれるほど・・・有斗は強くなかった。


 毎日、朝起きて飯を食べて、疲れるまで歩き、そしてまた飯を食べて寝る。

 まるで機械のように同じ生活を続けていた。


 いや、違う。

 セルノアのことを思い出すと、落ち込んで何も出来なくなる有斗には、機械のように毎日を過ごすことだけが、今できる唯一のことだったのだ。

 今、どこにいるのか、南部まで後どれくらいなのか、南部のどこに行けばダルタロスとかいう人がいるのか、どうやってダルタロスという人に会うのか、深く考えれば頭の痛い問題だらけだった。


 夕食として、味の苦い芋を生でかじり付く。料理する術も調味料もないから、できることはせいぜいが川で洗うくらい。せめて火があればいいん

のだけど、マッチもライターもない有斗にはどうしようもない。

 だがセルノアがあんな思いまでして手に入れてくれた食料もその日、遂に尽きた。

 明日からどうすればいいのだろう・・・有斗は途方に暮れる。

 幸い、セルノアが懐に忍ばせてくれた路銀がわずかではあるがある。町にたどりつけられれば、何とかなるのではないか、と淡い期待を抱く。


 でも有斗が歩いているこの街道は、山を越えてからは街道の補修もされず、ところどころ道が寸断されるだけではなく、寂れて人気も減り、小さな村落や家はあるものの街はなかなか見当たらない。違う道を探したほうがいいのかもしれない。

 とはいえ、この世界の地理がまったくわからない有斗としては、道を変えるという選択肢も迂闊うかつにとるわけにはいかなかった。

 道を変えて南部に行けなくなっても、それを知るすべが有斗には無いのだから。

 しかたがなくトボトボと街道を南へ歩く。

 やがて視界が開けると、広大な畑が現れた。街道沿いだけれども、珍しく荒れ果ててもいない。畑の向こうの山のふもとに、綺麗に四列で並んでいる木立は、果樹園とかかな? ひょっとしたら、この先に町があるかもしれない。仕事をしている農民でもいれば食料を買うことはできるやも、と前向きな希望が少し湧いてくる。

目を凝らすと遠くに川が見える。川の向こうには建物らしきものが見えた。

住居かもしれない。でも物置小屋だったらと思うと、一キロはありそうな道を歩き、なおかつ川を越えるという徒労になりかねない重労働をする決意はできなかった。


それから三十分は歩いただろう。

・・・・・

 まったく誰にも会わない! それに民家も見えない!

 やはりあの時、川に向かうべきだったか?

 『ひょっとしたら川には魚がいたかもしれないな~』とか今更ながら思いつく。困ったことに畑はもう終わりを告げ、ふたたび山道へと姿を変え始めていた。食料を手に入れるという目標は達成できそうになかった。

 ふと見ると、畑に丸い楕円形のような黄緑色の実が生っていた。大きなキュウリか何かだろうか。

 ごくりと有斗は喉を鳴らした。

 まぁなんでもいい・・・腹に入りさえすれば。

 それに畑にあるものなんだ。レタスやキャベツや白菜みたいな例もあるが、普通は葉っぱよりも実のほうが人間が食べるようにできているはず! そろりと手を伸ばそうとする。

 ・・・いやちょっと待て、勝手に人のものを盗るのは犯罪だ。

 駄目だ駄目だ!

 有斗は一度は伸ばした手を引っ込めた。

 でも有斗は生きのびなくてはならない。セルノアのしたことを無駄にするわけにはいかないだろうと、有斗の心の中で悪魔がささやく。

 このままだと、そのうち飢え死んでしまう。そうだ、セルノアがしたことを無駄にしないためには、何より僕が生き延びることが必要なはず・・・! 利己的な考えが有斗の手をそろりと実へ動かした。


 「クォラ! この盗人めが!!」

 突然何者かに、後ろから棒のような物で背中をしたたかに叩かれた。

 痛い! 肉じゃなくて背骨に直接当たったからすんごく痛い!

 有斗は畑の土にめり込むように倒れこむ。

 振り向くと、そこには5人の中年の男がくわすきを持って立っていた。この畑の所有者かなんかだろうか?

 どうやら有斗は鍬で後ろからど突かれたらしい。鍬の刃がついてるほうで叩かれなかったのがまだ幸いというところか。

「最近、瓜がよく盗まれると思ったら・・・・」

「うちの畑は昨日やられたんだ!」

「猿か狸の仕業かとおもっちょったが、きっと犯人はコイツに違いない!」

 彼等は農具を持って有斗を囲んでいる。雰囲気は最悪だ。

「いや、違います。僕は今日はじめて、ここを通りかかっただけです」

 とりあえず弁明をしようと試みる。

 幸いにして有斗は盗もうとはしていたが、盗んだわけではない。つまり未遂だ。実害はない。罪は軽いだろう。そもそもしらばっくれたら誤魔化せるのでは、という計算が心の中にあった。

「しらじらしい!」

 畑の持ち主らしき中年の男は鍬を大きく振り下ろす。モーションが大きかったこともあり、有斗は軽やかに避けた。

 だが力強くざっくりと大地に食い込んだその鍬が、もし有斗に当たっていたとするならば、大変なことになったであろう。

 それこそ命に関わる怪我だとか、後遺症のひとつふたつは残るくらいに。有斗の顔がさっと青ざめていく。

 本気だ、この人等。本気で僕を死んでもかまわないと考えているんだ。

 思えばここは戦国だったんだ。

 普通ならば罪を犯した犯罪者は、国家権力によって裁かれ罰せられる。

 日本ならそうだ。

 だがここは違う。私闘を止める権力を朝廷は保持していない。

 豪族たちは互いの正しさを、戦争での勝利をもって、相手に認めさせている。それが戦国だ。

 豪族だけでなく、農民たちだって暴力を使うことにためらいなどあるはずがない。

 国家があてにならぬ以上、自分たちで罪を裁き罰を与えることが日常化しているのだ。

 つまり彼等が有斗に私刑を施すことは、この世界では誰も止められないということだ。

「手足の骨くらいは砕いてやらんと、また盗もうとすっぺ」

 ヤバイ。目つきが完全にいっちゃってるぞ・・・

 五人は有斗を囲むように横に広がった。

 だがそれが幸いした。農民たちは畑の作物を荒らさぬよう、うねを踏まないように広がったのだ。

 自然、人と人の間隔は開く。横からの攻撃をあまり考えなくて済む。

 一人を突破さえできれば、逃げ切れると有斗は判断した。

 有斗は正面の男が振り下ろした鍬を避ける。先ほどと同じくモーションが大きく容易に避けえた。そして地面に突き刺さった鍬を足で踏み、土中に沈めると、体当たりを喰らわせ転ばす。

 心の中でゴメンと謝りながら、有斗はその場を脱兎のごとく逃げ出した。

 こんなところで、こんなことで、命を落としてたまるか!

 農民たちは鍬や鋤を振り回して、逃げる有斗を追いかけてきた。

 だがうねを超えて回り込んだ分だけ距離が遠かった。かすることも無く畑を抜け出して街道に戻ることが出来た。

 そうなれば、もう逃げるだけだ。

 空腹と疲労でもつれる足を必死に動かした。

 だがしばらく走ると不意に後方でかねがカンカンと鳴る音がする。

「なんだろ・・・?」

 鉦の音はいつしか左右、そして前方からも聞こえてきた。やがて声があちこちでするようになる。何か危険な雰囲気を感じて、有斗はすぐに街道を離れ、山の中に身を潜めた。


 その選択は正しかった。

 上から見ると農民一揆かと勘違いしそうな感じの勢いで、あちこちから人々が集まってきた。

 三十人はいる。その手には鍬や鋤や鎌・・・それどころか刀や槍を持っている人もいた。

 五十メートルは離れているし、木々の隙間から覗いているだけだから、全てを把握したわけではないけど、どうやら有斗に鍬を振り下ろした男が、なにやら説明しているらしい。四、五人のグループに分かれると有斗を探しにであろうか散っていった。

 危なかった・・・あのまま街道を歩いていたら、どんなことになっていたことか・・・

 有斗は日が完全に沈み、街道からあの農民たちが見えなくなるまで、じっと隠れていた。

 月が登ってから二時間、街道を誰も通らないのを確認してから、やっと有斗は林を抜け出した。

「助かっ・・・た・・・」

 からからになった喉をうるおそうと、せせらぎを流れる水を飲む。

 これで少しは思考が働くようになった。

 とにかく夜のうちに、ここを離れておいたほうがよさそうだ。有斗は眠いのを我慢して夜道を旅することにした。

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