第6話 新法改革

 登華殿とうかでん内裏だいりの北端にあたる。

 清涼殿せいりょうでんからは外の回廊を通り、弘徽殿こきでんを抜けて行くのが近道だった。

 だが後宮に何人もの美姫があふれちょうを競っていた昔とは違い、現在は内裏も外れに行くと人影もまばらになる。

 若い男の王が来た以上は、じきに後宮も埋まり華やかにはなることだろうけれども。そんなことを考えながらセルノアは回廊を歩いていた。

「セルノア」

「・・・はい?」

 突然横から声をかけられた。セルノアは身構え距離を取ろうとする。ここは内裏の内。門は金吾きんごの兵で守られているし、羽林うりんの兵も警護に巡回している。めったな者が出入りできる場所ではない。

 とはいえそんな後宮内部といえども安全とは言えない。つい先月にも女官が犯され、惨殺ざんさつされたというむごたらしい事件があった。必死の捜査にも関わらず、いまだ犯人の目星もついていない。物取りの犯行だと言われているが、実際はどうだか。民心の荒廃と共に官吏の堕落もはなはだしい。女官の間では犯人は金吾の者ではないかという噂がまことしやかに流れていた。


「セルノア」

 もう一度名前を呼ばれる。セルノアはようやく声を投げかけた影を見つけた。

 近づいてきた影は目鼻立ちのはっきりとした30前後の男の顔、見知った顔だった。

「なぁんだ。プリクソスさんだったのね」

「驚かせてしまったようだ。悪かったね」

 プリクソスはセルノアと同族で左少丞さしょうじょうとして仕えている中級官僚だ。

 丞官じょうかんとは各省とその傘下の役職を監督し、上奏文を始め公文書などの作成にも当たる尚書の一部、国家の要である。特に左大丞、右大丞、左中丞は陛下に直接お目みえ出来、直答をも許される、将来的には宰相の位に上がることが確約されている花形ポストだった。

「最近、内裏でも治安は悪いのです。知っているでしょう? 驚かせないでください」

「本当に悪かった」

 プリクソスは後頭部を掻いて謝った。

「おまえは典侍ないしのすけだろう? どうだ陛下にお目にかかれたか?」

「お目にかかるも何も・・・光栄なことに、私が陛下の近侍を取り仕切ることになったのです」

 セルノアは誇らしげに胸を張った。

「陛下はどんなお方だ?」

 セルノアはアゴを握りこぶしにあてるようにして言葉を考える。

「そうですね・・・一見すると普通の少年と変わりませんね。それにお優しい。サキノーフ様と違って」

「そうか」

「ただこちらのことがわからず、ご苦労なされている様子。今日も朝議で廷臣たちがそれぞれの意見を主張し、まるで陛下などいないがごとく言い争って、どうなされればよいのか戸惑っておいででした。一体誰を信じ、何が正しいのか迷っておられるようですね。頼れる腹臣を得られればよいのですが・・・」

 セルノアは公卿たちの態度を苦々しく思い出した。

「そうか。それは好都合だな」

 プリクソスの言葉にセルノアは両手を腰にあててプイと横を向く。

「言っときますけれども、斡旋はいたしませんよ」

「そうではない。ただ陛下に政治への興味があるのかが心配だったのだ」

「もし、陛下が政治に興味がないようなお方だったらどうするおつもりでしたので?」

「田舎に帰って隠者にでもなるしかないな。晴耕雨読で一生を過ごすのも悪くない」

 だが、そうでなかった。それだけでもプリクソスには暗闇に光明を見た思いだった。

「頼む。陛下に会えるように取り計らってもらえないだろうか?例えば陛下が朝議に行くときの通りがかりの短い時間でもいいのだ」

「だから斡旋はいたしませんと申したではありませんか」

「新法はこの沈滞した朝廷に必要な改革なのだ。頼む」

「私にはプリクソスさんの言う新法なるものが正しいのか間違っているのかわからないのです。学がありませんから。・・・正しいとは思いたいのですが」

「だったらこの書簡をさりげなく目の着くところに置いておくだけでいい」

 プリクソスはたもとより一通の書簡を取り出した。

「・・・陛下が新法に理を見るとは限らないのですよ?」

「例え我が説が天下に受け入れられないとしても、朝廷に潜む俗人どもにではなく、陛下ご自身に否定されたいのだ。それならば諦めもつこうというもの」

 プリクソスは頭を下げた。プリクソスほどの人に頭を下げさせて平気な顔をしていられるほどセルノアは無感動な人間ではない。

「上奏が不敬だというなら死をも受け入れよう! だが座してこの国がこれ以上堕ちていくのを見過ごすわけにはいかないのだ!」

 プリクソスは今度は地に手をついてセルノアに頭を下げる。

 それを見たセルノアは深くため息をつく。

「あまり期待しないでくださいね」

 ゆっくりと書簡に手を伸ばした。


 その日も朝議は紛糾した。

 大河で起きた洪水に対して被害を受けた人民のための救護院の設置を主張する左府に、本格的な雨季が来る前に堤防の修復を行うのが先だと内府が反対したのだ。

 どちらも同時にやればいいのではないかと思うのだが、やれ予算がないだの、やれ人手が足りないだの、言を左右にして要領をえない返答が帰ってくるばかりだ。

 ・・・有斗が来てから朝議で決まったことって何一つないんじゃなかろうか?


 最近気付いたことがある。どうやら朝廷はいくつかの派閥に別れているようだ。

 まず左府を中心として一番大きなグループがある。次が内府を中心としたグループだ。この二つのグループはどちらかが議案を出すと、もうひとつは絶対にそれに反対する。犬猿の仲というやつだ。

 第三のグループが羽林大将軍にして亜相のネストールを中心としたグループ。これは左府につくかと思えば内府についたりもする。左府も内府も彼等を取り込んで主導権を握ろうと多数派工作に必死だ。

 そして最後にそのどれにも属さないものたちがいる。これが第四のグループ。あまりどちらの意見にも積極的に賛意も反意もあらわさない穏健派の人々だ。


 今日は羽林大将軍のグループは内府のグループについたようだ。

 しかし左府のグループとて声を大にし、口角に唾をあわ立てて負けまいと大声を出して牽制けんせいする。議論はいつまでたっても平行線だ。

 そして群臣たちは今日もまた一斉に有斗に頭を下げて、最後にこう言うのだ。

「陛下! どうぞご判断を!」

 それに対して有斗はセルノアに教えてもらった魔法の一言を今日も言うことになる。

「その議は考えておく」

 群臣はその一言に一斉に拝礼し顔を伏せる。そこかしこから溜め息が洩れた。

 溜め息をしたいのはこっちも同じなんだけどなぁ・・・と有斗は思った。


「陛下、今日の夕餉ゆうげはどこでいたしましょうか?」

 正直、毎日の激務の疲労であまり動きたくない。

「うん・・・今日もここで食べるよ」

 弱弱しく有斗はセルノアに告げる。

「お疲れのご様子・・・陛下、大丈夫ですか?」

「ん・・・いや、大丈夫。それより食事を・・・お腹が減ってて倒れそうだよ」

 肉体的なものではなくて精神的に疲れてる・・・

「わかりました。ここに運びますね」

 セルノアがベルをちりりと鳴らすと、廊下に控えていた女官が三人入ってきてセルノアの指示を受けた。

 有斗は椅子に深く腰掛け、ストレッチをして背中を伸ばす。

 あいたたた・・・これは重症だなぁ。ちょっと伸ばしただけで痛みがする。マッサージチェアが欲しいところだ。

「あの」

 背中を伸ばし終わると目の前にいたセルノアから有斗に声がかかる。

 あれ? 今日はセルノアはここにいるんだ? 昨日までだと夕餉ゆうげぜんを運ぶために女官たちと一緒に厨房に行ったよね?

 ・・・今日は昨日より更に料理が減ってるのかも。昨日は四膳だった。初日の半分だ。タダ飯だしそれなりに美味しいから文句は言わないけどさ。最初の日の豪華な食事が懐かしい・・・

「あの、陛下」

「あ、う、うん何?」

 返事をした僕に、なぜかセルノアはうつむいてもじもじしている。

 なんだ・・・? これは・・・ひょっとして・・・僕に告白か!?

 幸せな予感に身構えていると

「お願いがありますっ!」

 突然セルノアは床に目にも留まらぬ速さで座ると、有斗に向かって勢いよく平伏した。

 おお・・・素晴らしいジャンピング土下座だ!

 こんなに見事にしたやつはテレビでも見たことがない。

 セルノアのジャンピング土下座に妙に感心していると

「まことに不遜ながら、これを!」

 『上』と書かれた短冊を両手を前に突き出して、有斗に差し出した。

 いや、畳んでいる様子があるから手紙の類か?

「お読みいただければこれに勝る幸せはございません! この書簡をしたためたるものは、私の同族のものでして、宮中にて左少丞を勤めさしていただいている者であります。取るに足らぬ小臣ではありますが、その心に大志を抱き、国を憂うことにかけては大臣にも劣りませぬ! 直訴の形になったご無礼の段、ひらにご容赦を・・・!」

 セルノアは一切頭を上げずにこの長いセリフを一呼吸で言い放った。

「わかったよ。読むよ」

 有斗の言葉にセルノアが恐る恐る顔をあげる。

「・・・本当によろしいので?」

 有斗はセルノアの手からから書簡を受け取る。

「他ならぬセルノアの頼みだよ、断れないでしょ?」

「・・・・・・」

 セルノアの目に感謝と感動と憧憬が混じった色が浮かんだ。

「有難き幸せ!」と、深々と土下座した。

 有斗は綺麗に畳まれた書簡を破らないように慎重に広げた。

 そこには墨で文字が流れるように、まさに流麗なる筆遣いとはこういうことを言うのだろうとばかりに、書き連ねられていた。

「・・・でさあ、喉を痛めているところを悪いんだけども読んでくれないかな? これ草書で書かれているんだ・・・」

 有斗は情けない声でセルノアの手に書簡をそっと差し戻した。


「現在の戦乱が何故続いているかと言うと、関西の偽朝に戦乱を治める意志が無く、関東の宮廷には戦乱を治める力がないことに由来しております。本来、関東と関西は戸数において大きな差があるわけではありません。それにも関わらず、朝廷の威が関西に遠く及ばず、関東をまとめることすらできないでいるのは、一にも二にも朝廷に予算がないことが原因です。旧態依然とした官庁の組織が今や現実と乖離かいりし、非効率になっていることで予算を食いつぶす。また長年の戦争に田畑を荒らされた民がきゅうしたあまり、かたや難民に、あるいは賊になり、耕地が年々減少した結果、定地で耕作を行う良民が往時の半分にも満たないありさま、税収は減る一方なのです。つまり官民共に疲弊しているのです。しかるに朝廷を動かしている重臣達は権勢争いに終始し、民や国家のことを省みることをしません。このままでは滅びの未来しか待っておりません。一刻も早く民力を回復し、国力を蓄えるために新法を制定することを私は提案いたします」

 朗々とセルノアは書簡を読み上げた。

「どうですか? 陛下」

「細かいことはわからないけれども・・・どうやらこの朝廷には駄目なところがあるらしいってことと、改革の心意気は伝わったような気がする」

 細かいことを知りたいな・・・と有斗は思った。

「一度、会ってみたいな」

 有斗がそう言うとセルノアの顔に満面の笑みが広がった。


 ドアの外でちりりとベルが鳴る。一拍置いて聞きなれた声が扉の向こう側から聞こえた。

「陛下、入ってよろしいでしょうか」

 セルノアが今日の夕方執務が終った後に例の書簡を書いた人を連れてくることになっていた。

 頭に被っている傾いた王冠を定位置に直し、「入れ」と有斗は重々しく精一杯王様らしく格好をつけて言ってみた。


 ギギイ


 セルノアが扉を開く。

 続いて現れた影は頭一つはゆうに高いものだった。

 その男は扉をくぐるとすぐに跪礼きれいし叩頭した。

「陛下、これが私の同族のプリクソス。左少丞であります」

 顔を見ようとしたが腰を屈め顔を伏せたまま身じろぎ一つもしない。

 額には汗が浮かんでいた。いちおう僕みたいなやつでも王の面前だと言うだけで緊張したりするのか。有斗はちょっとだけ精神的に優位に立った気分だった。

「顔を上げて」

「しかし・・。それは不敬です」

「朝廷の規則では左少丞は王に接することなく、またお目見えも出来なければ、直答も許されないと聞いた。それではお互いに不便だ。これは非公式なものだからそういうのは抜きでやってほしい」

「は・・・しかし・・・」

 まだ躊躇ちゅうちょしているようだった。

 ようやく意を決したのか顔を上げた。現れた顔はホリの深いイケメンだった。それに賢そうな顔だ・・・セルノアの彼氏ってやつかも・・・ちょっとショック。

「君が上奏した内容は読ませてもらった。実に興味深い。だがまず君の見識を試させてもらうけど、いいかな?」

「はっ」

「今、宮廷ではさまざまな案件が上奏されているが、全て停滞している。原因は僕だ。僕にこの世界の知識がないことで判断をつけることができない。そこで君に聞きたい」

 有斗は朝会での議論を思い出し、問題点を抽出する。

「今、至急に対処しなければならない問題は二つだ。まず第一に盗賊が京の内外にあふれている事態だ。左府は霜台そうたいの増員で、内府は令外官りょうげのかんの設置で、羽林大将軍は軍から人員を割いてこれに当たろうとそれぞれ主張する。どれが正しくどれが誤っていると思う?」

「霜台にこのうえ更に権限を与えるのは内府殿の意見の通り危険です。かといって軍の一部を都内に入れるのもまた危険です。かつて都内に軍を入れたために将軍の1人が反乱を起し幽帝の首をねたという凶例もございます。そこで司法を掌る官で冗官となっている者を集め、派閥を作らず公正な臣に長官の位を与えて監督させれば、異心を抱く公卿どもも何も申せますまい」

「派閥に属してなく公正でもある臣っているの?」

 朝廷という魑魅魍魎ちみもうりょううごめく明日をも知れない世界で生き延びるには、誰かの被保護下に入るのが手っ取り早い。有斗にはあまり思い浮かばなかった。

「少ないですがおられます。ラヴィーニア殿とかヘヴェリウス殿とか。左府殿や内府殿、羽林大将軍殿に近しくなければよろしいかと思われます」

 誰がどの派閥に属していて、属してない官僚は誰なのかプリクソスは瞬時に答えることができる。たいした分析力と記憶力だ。

「では次に氾濫はんらんした河の後始末のことだ。とりあえず水は引いたものの、家が流され財産を失った民を援けるべきだと、皆は言うし僕もそう思う。だが雨季も近い。堤防の修復とて急がないといけない。どちらも同時にやればいいと思うのだが、それをやるには民に重税や労役を課さねばならないと反対する。どうしたらいいと思う?」

「たしかに同時にそれらをやるには重税を課して資金を集め、民に通常以上の労役を課し、昼夜を問わず進めなければならないでしょう。しかしまもなく雨季が始まるといっても、本格的な雨が降るのはまだまだ先です。一刻を争うのは民への救済です。彼等は今日の命を繋ぐ一膳の粥、夜露をしのぐわずかばかりのひさしさえ持っていないのです。まず民の為に救護院を設置し、そののちに堤防の修復に入ってとしても、民は陛下を責めぬでしょう」

「なるほど」

 理が通っている。しかもわかりやすい。

「君の見識はよくわかった」

「ははっ! 有難き幸せ」

「では本題に入ろう」

 有斗はセルノアから渡されたプリクソスの書簡を机の上に広げた。

「君の書いた書簡は概論がいろんだけで実際にどうするかということは何も書いてないよね? 新法と言ったっけ? 細かい現実的なことは君の頭の中にあるのかな? 理想論だけを話されてもどうしようもない」

 顔を上げたプリクソスは有斗を見て生唾を飲み込んだ。

「あります」

「僕に分かるように話して欲しい」

「しばしの時間をいただけるのであれば」

「わかった。言ってみて」

「まず何よりも難民対策です。難民は税を納めません。それどころか困窮こんきゅうのあまり田畑を荒らしたり、犯罪を犯したりして社会に害を与えます。ですが彼等とて元は良民です。ただ戦乱の結果、産まれた村を焼き出され行き場を無くした者たちなのです。彼等に立ち直るきっかけを与えるべきです。その為に国が収穫までの間の衣食住を保障し、荒地を開耕させ、耕作地を増やし彼等に与えます。すぐには効果が出るものではありませんが、数年後には立派な作物が実る田畑になることでしょう。犯罪も減り、国庫も潤うに違いありません」

 難民っていうことは、衣食住全て無くて困っている人たちのことだよな。これを救おうとするのは人道的にも正しいし、その上で国家にも良いと言うのなら反対する理由は無い。

「また格差も社会不安の一因となっております。日々の生活に必要な食を得るために、時には種籾たねもみにすら不足し、貧しい者は大地主や大商人に借財をします。しかし膨大な利息を払いきれずに、結果として土地を取り上げられ、小作に成り下がる者や、中には小作にすらなれず難民になる者が日々増えています。彼等の不満は一揆に発展しかねません。よって官が低い利息で種籾や穀物、財貨を貸し付け貧民を救うべきです」

 格差は日本でも問題に成っているけど、こっちの格差は下の者が暮らせないほどにまでなっているんだ。これもやらなくちゃいけないことっぽいなぁ。

 プリクソスは緊張してだか声がかすれてきた。有斗はセルノアを促して水を飲ませ、一息つけさせる。

 水を飲み終えるとゆっくりと話を続けた。

「また専売制度を改革します。今現在は朝の許しを受けた少数の商人が塩を売っています。中には投機的に塩を買占め、値段を吊り上げる者もいるとか。それは社会正義的にも見逃せぬことです。なぜなら塩は万民が必要とするものです。塩がないと人間は生きて行けないのです。その為、塩は国家の専売として塩価を安値で安定供給いたします。またその利益も国庫に入れることで歳入の不足を補えるでしょう」

 塩は確かに料理に使うし・・・暮らしに必要なものだよな。それの販売金額を一定にするってのは皆喜ぶことだ。

「次に冗官じょうかん(余剰の官僚)の整理を行うべきです。律令は高祖神帝以来の祖法ですが、祖法であるがゆえ現実社会と乖離かいりしても撤廃せず、令外官を設置することで問題を処理してまいりました。ただこの方法は場当たり的な対処法です。職域がかぶる官吏も出る、役目が終ったのに廃止されない官があるなど非効率的でした。今こそ一切の聖域を設けず祖法を見直し、冗官を廃止し組織を改変して律令の建て直しをするべきなのです」

 省庁や特殊法人の見直しとかいうやつだな。よくテレビでコメンテーターがこれをしろとか言ってるけど、まったくされてないやつだ。これも反対する理由は無い。

「また歳出の多くを占める軍事費ですが、今現在四方の敵に対処するため、地方に少しずつ分散している屯所を集約し、機動的に兵を運用することによって、兵の数を減じることが可能なはずです。一郡一屯ではなく一国一屯とすれば、軍事費は半分近くに節約できます」

 これは大丈夫かな・・・? 一気に兵を減らして攻め込まれでもしないだろうか? でも国にお金が無いっていうのは僕も知ってるしなぁ・・・

「耕地を増やし難民を減らす、さらには塩の専売利益で収入を増やし、冗官の整理と軍の再編で支出を減らす。さすれば兵を増やし兵糧を備蓄することができます。国を富ませ、実力を養った後に陛下御自ら兵を率い、四方に跋扈ばっこする奸賊かんぞくを打ち滅ぼすなら、それは赤子の手をひねるが如し、太陽や月を見るが如しの容易さとなるでしょう」

 プリクソスは再び腕を組んで大きく跪拝きはいした。

「これが新法の具体案です」

 有斗は不思議な感動につつまれていた。

 左府や内府をはじめ宮廷の高官たちには、有斗を圧する威がある。それは有斗よりも遥かに年長だということと、国家を支える重臣としての矜持きょうじがそう見せるのだろう。だがその中に国家のことや民のことを本気で考えているという心を感じることはあまり無かった。先例頼みに先送り、自己保身と利権獲得、そういった悪しき官僚気質と言うものが感じられた。

 だが彼の言は自分の利のためでなく民を思って発せられていた。そういう人がいるという事実に有斗は深く深く感動した。こういう人がいるならば僕も立派な王として勤めねばならないと有斗も心から思う。

「・・・・・・わかった」

 有斗は大きく頷いて決意した。新法とやらを通じてこのアメイジアをよくしよう、と。

「新法について細かく知りたい。また明日も来るように」

「はっ!」

 退室後も彼と話した余韻で有斗は満ち足りたような気持ちになった。

「どうでしたか陛下?」

 セルノアがおそるおそる訊ねる。

「うん・・・凄い人だね。僕はようやく朝廷で頼るべき杖となる人を見つけたのかもしれない」

 有斗の言葉にセルノアはほっと一安心という表情を浮かべた。

「よかった。紹介した私も鼻が高いというものです」

 やっぱり気にしてるよな・・・彼氏なんだろうな・・・

 羨ましいと嫉妬に似た感情が浮かび上がる。が、元々、僕とセルノアには何の関係もない。ここは男らしく二人の幸せを祝福すべきだ。

「頭もいいし人柄もよさそうだし顔もかっこいい。・・・セルノアにお似合いだと思うよ、うん」

 その言葉を聞くとセルノアは急に咳き込んだ。

「けほっ・・・けほっ・・・い、いきなり何を言い出すんですか!」

「隠さなくてもいいよ。ああいったかっこよくて頭がよく野心のある男に女は惚れるものじゃない?」

「へ、陛下、ご冗談を言わないでください。私とプリクソスさんでは年に差があります」

「あるっていっても十歳くらいだろ。それくらいなら気にするほどでもないと思うけどなぁ」

「プリクソスさんは四十五歳ですよ。私の親より年上です!」

「へ? そうなの? 見かけは二十台後半・・・セルノアとそう変わらないように見えるけど・・・」

「それはそうでしょうプリクソスさんは二十六歳で止まりましたから」

「・・・・・・止まるって何が?」

「成長が」

「・・・?」


 は?


 意味が分からない。

「陛下は去年と変わられましたか?」

「まぁ・・・変わったと思う」

 中学生の頃みたいに毎年毎年背が伸びたり、体重が増えたり、ヒゲが生えたりとかみたいな明確な違いはないと思うけど、一年経ったんだ、去年の僕と今年の僕がまったく同じかと言ったらそうではないと思う。

「それは陛下の精神がまだまだ成長しているからですよね?」

「・・・ただ単に一歳年をとったからだと思うけれど」

 精神とは関係ないと思うなぁ・・・

外貌がいぼうは精神の別の形と申します。ですから精神が成長しない人は外貌も成長しなくなります」

「え? そうなの?」

 まさかこの世界では人は一年一年歳をとらないということか?

「プリクソスさんは二十六くらいで外見が変わらなくなったそうですよ。もっとも若くして大層賢人だったそうですから早熟だったのかもしれませんね。死ぬまで成長を続ける人は稀です。だからこそ年をとっても精神を成長させた証として、ろうたっとぶのではありませんか」

「セルノアもそうなの・・・?」

「私は去年で成長とまっちゃいました」

 セルノアは残念そうな口ぶりだった。だが有斗の考えは違った。

「なんて素晴らしい社会だ!」

 いきなり大声で叫んだ有斗にセルノアは少し驚いたようであった。

「・・・へ?」

「ずっと若いままでいられるなんて!」

 結婚しても年を取らない嫁とか斬新過ぎる!

 今度こそ、この世界で王となり、一生を過ごしてもよいという気持ちが心の奥底からむくむく湧いてきた。

「え・・・そうですか? ひょっとして、陛下の世界では違うのですか?」

「うん。皆、平等に年を取るよ。成長が止まるとか聞いたことがない」

「そうなんですか」

 今度はセルノアが驚嘆する番だった。

「それは素晴らしい世界ですね!」

「え・・・? こっちの年を取らなくなるほうがよくないかな?」

「だって私ならもっともっと成長したいです」

 そっか、価値観が違うんだな。

 ん・・・まてよ・・・?

「まさかアリスディアとかもそうなの・・・?」と恐る恐る訊ねてみる。

「私の口からはなんとも・・・」という答えが。そんな言い方されたら余計に気になるじゃないか。

 ああ見えて僕の母親くらいだったら嫌だな・・・

 でも女性に年を尋ねるなんて失礼だろうし聞くに聞けないよなぁ。

 ・・・実は六十五歳だと告白されたらショックで軽く二、三日は寝込みそうだし。


 でもひとつだけわかったことがある。

 それはプリクソスとセルノアは付き合ってないということだ。

 それって・・・僕にも望みが出てきたってことだよね・・・!?

 だとすると、ひょっとすれば・・・!

 有斗は幸せな妄想に耽溺たんできしていた。


 朝日が大極殿を照らす前、今日も日が昇る前に公卿たちは朝堂院に集まる。そして日が昇ると同時に入ってくる王を待つのである。

 その日の朝堂院は有斗が入る前から小さくざわめいていた。そこに見慣れぬ顔がいたからだ。

「あれはプリクソス・・・左少丞さしょうじょうが何故ここへ?」

 あちらこちらで密やかに噂する。左少丞は朝廷の中枢といっていいほどの要職、高官たちとも実務では顔を合わせる。だから彼のことを皆知っている。

 だが、官位はそれほど高くない。とても朝議に参加する資格などないのだ。しかも大臣公卿の後ろの末席、そこは各省庁の実務者が座る席、ではなく、公卿のみ座ることの許された柱より前にある前席に座所が備え付けられていたのだ。

 有斗が入ってくると朝臣たちはいつものように一斉に「陛下万歳、万々歳」と拝礼した。

 その瞬間だけは一瞬静まり返る。だがすぐに再びざわめきだす。

「御前である。静粛にせぬか」

 うるさ型の左府が周りをたしなめる。

 恭しく手を組んで上げ、有斗に礼をするとおもむろに口を開いた。

「陛下」

「なんだい?」

「実は今日の朝議にプリクソスが参内している件についてお話が。陛下の命だと聞きましたが・・・本当でございますか?」

「うん」

「プリクソスは切れ者。才子であります。しかし左少丞は朝議に参加する資格を有しておりません」

「そうなのか?」

 まるで今初めて知ったかのように有斗は驚いて見せた。

 本当はすでにそのことも本人の口から聞いているのだけれども。

「例外はありますが、三位以上の位、もしくは大臣宰相以上の官職を持つ者しか加わってはならない。これは祖法であります」

 あちこちで賛同の声が上がる。しかし馬鹿の一つ覚えのように『前例が前例が』ばかりだな。

 だが昨日その対策については既にプリクソスと打ち合わせ済みだ。

「なるほど、ではこうしよう。プリクソスを従三位宰相に任じる。どうだ、これならば朝議に参加する資格があるだろう?」

「・・・そんな!」

越階おっかいにもほどがある!」

 越階とは二段、三段飛ばしで昇進することをいう。普通の会社で言えば平社員から課長、係長を飛ばして部長や取締役とかになるかんじだ。

除目じもくでもないのに任命などとは古今に無いことですぞ!」

 あちこちで反対の声が一斉にあがった。

 それも想定内だ。対抗案は既に考えてあった。

 有斗は伝家の宝刀を抜き放った。

「王命である」

 有斗は声高に皆を上から押さえつけるように大声で言い放った。

 綸言りんげん汗のごとしということわざがある。汗が一度出ると再び体内に戻らないように、王の発した言葉は訂正したり取り消したりすることはできない。

 つまり有斗が一度口に出した言葉は絶対で、臣下には取り消せないのだ。

 これぞザ☆王様ってかんじだよな!気持ちいいぜ!


 最初の波乱こそあったが、朝議はいつものように進んでいた。

 いや、いつもとは違っていた。

 今まで「その議は考えておく」で先のばしになっていた議題を有斗が矢継ぎ早に結論づけたのだ。賊対策には霜台そうたいによって有名無実化していた刑部省や左右の京兆尹けいちょういんから司法の担当者を集め、

 霜台から独立した廷尉ていいという新しい官とし、先の御史大夫ぎょしたいふ(霜台の最高責任者)をあてて追討させることにした。

 先の御史大夫はうるさ型で堅物で知られている。だが実務に実直で、どの派閥にも属さず、また派閥を作ることもしないので廷尉にはうってつけの人物であろう。きっと誰にもはばかることなく仕事をするに違いない。

 洪水に関しては救護院の設置を最優先とし、それが一息ついてから雨季が来る前に仮堤防を敷設することになった。

 また王の即位に対して祝賀の使者を送ってきた諸侯をひょうし、送らなかった諸侯に譴責けんせきの使者を発した。

 昨日まで何を言ってもおろおろ狼狽ばかりしていた王が立て続けに打ち出す適切な方策に諸官は反駁はんばくする言葉もなかった。


 でもこれはほんの小手調べ。ここからが恐らく一番揉めることになろう。

「陛下」

 声をあげたのはプリクソスだった。予定どうりだ。

 宰相は本来ならば礼儀を重んじ、左府や内府、あるいは亜相、黄門、尚書郎あたりが発言してからようやく発言するものだ。ましてプリクソスは新参の宰相、本来ならば発言そのものを控えねばならない立場だった。

 しかし高官たちがうろたえているうちに、彼等に反撃のいとまを与えぬよう、畳み込むように攻めて行くべきだ。そうプリクソスが有斗に主張したのだ。

「進言したき議がございます」

「話してみよ」

 さぁ、これから一体何を言い出すのだろうか。群臣は不安げに末席に控えているプリクソスを横目で見る。

「打ち続く戦乱で国庫は疲弊ひへいし、冗官が増え、社稷しゃしょくは傾いております。民を省みるに、戦乱で田畑は焼け落ち、難民となって放浪する者多々、天下の田畑は往時の半分以下、人戸にいたっては三分の一以下です。それも日々の暮らしに汲々とし、結果として父祖伝来の田畑を手放し、小作となっているものが多いのです。一部の利をむさぼる輩だけが肥え太ってはいますが、それとて戦乱が続けばどうなることやら」

 立て板に水を流すように話すとはこのことを言うのであろう。あっけにとられる諸臣を横目にプリクソスは演説を続けた。

「戦乱を終らせるには国軍を強くすることこそ。だれもが分かる自明の理です。しかし兵となるべき民も、兵を維持する給金や食料も、兵が装備すべき武具も足らないのです。それには何を差し置いても課税でき徴兵できる民の数を増やすべきです。つまり良民を援け、難民を救済し、道に外れた者は罰するべきなのです。しかし今の朝廷にはそれらを行う根拠となすべき法令がない」

 ここでプリクソスは公卿のほうに向き直った。

「懸命なる大臣方は当然ご存知のはずだが、何もおっしゃらない」

「・・・」

「それは何故か」

 プリクソスは有斗の横にかかるヒゲの生えた神経質そうな整った顔立ちの男の肖像画(後で知ったがどうやらこれがサキノーフ様らしい)に一礼をした。

「高祖神帝の定められた律令だからです。」

 そして再び群臣に語りかける。

「確かに高祖神帝なくしては今の我等はなかった。なかりせば我等は未だ藁葺わらぶきの小屋に住まい、四百猶予ゆうよの国が盤踞ばんきょする未開の蛮族で過ぎなかったでありましょう。しかし高祖神帝が崩御なされて四百年。もはや高祖神帝がおられた時と大きく時代は変わっております。ここに祖法を変革し、必要な物は残し、そうでないものを廃し、新法を制定することを提言いたします」

 大きく手を組んで僕に、いや高官諸士に拝礼した。

 だが言い終わると一斉に反駁はんばくの声がここかしこからあがる。

「それは・・・」と絶句する者もあれば、

「祖法をなんと心得ておるのか!」と声高に権威を持って口を封じようとした者もいた。

「サキノーフ様あっての我等ぞ! それを違えるとは思い上がりもはなはだしい!!」

 廷臣たちは口々に罵り、生意気な新参者を責め立てた。

 一通り臣下が意見を出し、静寂さが戻るのを待って有斗は、

「プリクソスのいうこといちいちもっともである。新法を制定するを研究すべく新たな部署を作る許可を与える。もってこれを改革の土台にしたい」と、立ち上がって宣言する。

 左府や内府や亜相らが一斉に有斗のほうを向いて発言しようとするが、それを一切口に出ぬうちに腹の中に押し返す一言を言った。

「これは勅令である!」


「左府殿、左府殿!」

「これは・・・内府殿が朝議以外で私に声をかけるとはお珍しい。明日は雨が降らぬといいのだがな」

 左府は嫌味たらしく手でひさしを作ると回廊から身を乗り出して西の空を眺めた。

「左府殿! 冗談を言ってる場合ではなかろう?」

「なんだね?」

「あれでよろしいのですか? 左少丞から宰相、正五位下から従三位、六段階ですぞ六段階! 六段階の越階など聞いたことがない!」

「古今をひも解けば例が皆無と言う訳でもない。それに陛下が決めたことだ。反対はできんよ」

 左府はどこ吹く風で内府の言を聞き流す。

「しかも祖法を変革するなど正気の沙汰とは思えぬ!」

「新法とやらの審議をする役所の設置を決めただけだ。まだ変えると決まった訳ではない。法律の制定は朝議にて決して後、陛下に言上し賛意を持ってのちに布告されて初めて施行されることになっておる。内府殿は朝議で新法がとおると思うか?」

「それはそうだが・・・だがそれも王令で決めてしまわれたら・・・?」

「そこまで暗愚とは思いたくないが、もしそうならば・・・」

「そうならば・・・?」

 左府は内府に振り向き目をじっとあわせると、一切表情を変えずに言った。

「我等とて考えねばならぬだろうな」


 高官が全て去って後にやっとプリクソスは自分の席から立ち上がった。

 大極殿は既に人もまばらだ。

 その出入り口には大勢の見知った顔が参集していた。彼等は大極殿に入ることも許されない下官たちだ。彼等とて科挙かきょを受けて朝臣になった者たちだ。特に地方官でなくいまだ中央に残っているというだけでこの国ではエリート中のエリートといってもよい。だが科挙すら金かコネがあれば受かるのだ。当然昇進するに必要なものも金かコネ。どちらも持ち合わせぬ彼等は今のままでは一生浮かび上がらず、末端の官僚で終えるしかない、そういう者たちだった。

 だがそれらを持たぬがゆえに彼等は純粋な心を保っていた、新法と言う理想を産み出しえたのだ。

 正しい王がいさえすれば、正しく政治は行われる、そうずっと思い描いていた。

 金をむさぼるような悪官は駆逐され、理想を掲げ清く生きる良官がその才知をもって正しく天下の要職につき、万民は戦火に怯えることも、悪官に虐げられることもなく生きていける理想の世が来る、と。

 そういう幸せな夢の中にいた者たちだ。

「やったなプリクソス!」

「我等の悲願がついに叶う時が来た」

 プリクソスが大極殿の敷居を一歩またぐと、たちまち彼等は周りを囲み、肩といわず背中といわずプリクソスを叩いた。どやしつけるような手荒い歓迎だったけれども、それは彼等のきだしの精神のようにプリクソスには感じられ、心地よい痛みだった。

「これで先例や儀式だけしかやらぬ腐りきった老害どもを宮廷から叩き出し、朝廷を真に政治する場に復す最大の好機だ」

「声が大きい。むやみに敵を作るような発言は慎め」

 プリクソスがたしなめるようにそっと皆の肩を叩きながら言った。

「とはいえ我等も長年共に新法を研究してきたかいがあったというものだ」

「遂に陽の目をあびるのか」

「これも陛下あってのこと。感謝いたします」

 プリクソスがそう言うと、一斉に皆で王がいるであろう北の内宮にむかってゆうの礼をする。

「しかしどうやって陛下に先生が長年暖めていた新法を認めてもらったのだ? 我等の中には陛下と口を聞くどころか、お目見えできるものもおらぬというのに」

「それは迷惑がかかるゆえ詳しく話せないが、一つだけ言える真実がある」

 プリクソスは目を輝かせて皆に告げた。

「陛下は賢明なお方だった。私の申し上げたことを理解し、改革が必要なことを理解されておられた。まさに召喚の儀で我々に下された天与の方だ・・・!」

 プリクソスは感極まって泣き出さんばかりだった。

「さぁ。まずは新法の基礎を固める制置新法司を作らねば 当然お前たちにも参画してもらうぞ。これからは寸暇を惜しんで尽力しよう。アメイジアの未来の為に」

 プリクソスの言葉に皆は声を揃えて合唱する。

「アメイジアの未来の為に!」


 公卿の面々は六省の府の前に四人五人と集まっては今日の出来事についてそれぞれの意見をぶつけた。

「陛下はこちらの人ではない。祖法の重みをわかってらっしゃらぬのだ」

「仕方がないとは言え、困ったものだ」

 とはいえこのままでは新法派の連中に好き勝手にやられてしまう。

「陛下は暗愚なお方ではない。だとすると理で押していけば巻き返しはできるはず」

「祖法とは高祖神帝が定められたという一点のみで変革しなかったのではない。深い考えに基づいているから、祖法として四百年間変わらなかったということをお分かりいただくしかない」

「しかも新法派は若い者が多い。そのうえ末端でしか政治に携わっていない者たちだ。全体を把握せずに法を作られてはどういった物が出来てくるのか、大変心配だ」

 あんな若造どもに何ができるというのだ。

「なんとしても阻止しなければ」

 そう、いかなる手段を用いてでも。


 中書は政治の枢要にも参画するが、主に行政の事務を担当する部局だ。特に朝会で決まった詔命の起草をすることも中書の権限とされていた。つまり皇帝の命令を文章にするときの文言を決めることで、法律の意味を本来の趣旨と微妙に左右させることさえ出来る権限をも持つのである。

「ラヴィーニア殿」

 ラヴィーニアが顔を上げるといつの間に近づいていたのか、同僚が机の傍に立っていた。

「今、忙しいんだけどな」

 ラヴィーニアは同僚の顔を見ても、筆を休めることはなかった。

「新法派と確か親しかったですよね?」

「新法派の連中と? 話したことはある。お前と話す程度には、ね。つまりたいした間柄ではないということさ」

 ラヴィーニアの言葉はいつも辛辣しんらつだ。これが原因で彼女から離れていく人は多い。だがそのおかげで足の引っ張り合いの伏魔殿である、この宮廷を楽に遊泳できてもいるのだろう。

「どのような人たちで?」

 ラヴィーニアは考えるように天井に目をやった。

「お花畑だね。理想はあるが未来図は無い。やる気は認めるけどさ」

「で、どうなさる?」

「あたしは傍観ぼうかんさせてもらうさ」

 ラヴィーニアは関係ないとばかりに手をひらひらと振る。

「改革は必要だと思うけど・・・彼等にそれができるかどうかは大いに疑問符がつくからね。それに朝廷に巣くう古狸どもを甘く見てるんじゃないかな? 大火傷しないといいと思うけど」

 これから楽しいことが始まりそうだ、そうラヴィーニアは思った。変革の風が吹き荒れるのだ。きっとあたしの才が必要されるような事態が起こるに違いない。

「ま、お手並み拝見といこうじゃないか」

 そう言うとラヴィーニアは肩をすくめ仕事に戻った。


 この朝廷には礼節や儀式はあっても本当の政治はない。全ての事案は先例にしたがって無難に処理されるだけ。

 公卿の仕事のほとんどは儀礼や式典から成り立っている。

 いわく吉事のときはどの門から入ってどの回廊を歩き、どの典舎を通って王に奏上しなければならないとか、凶事のときはそれとは違う道を通らねばならないとか。豊作祈願の儀式ひとつとっても全てがマニュアルにそって二日がかりで行われないといけないのである。それらは元々はもっと単純で簡易なものだったが、代を経るごとにひとつひとつ儀礼化して今のように固定化されてしまったのだ。

 実にくだらない。

 本来は儀式にかかる歳費も削減したいくらいだが、そこにまで手を入れると恨みを買いすぎるのではないかと思い、踏みとどまったのである。

 まずは一つでも早く新法を作ることに専念するべきだ。

 新法に目の見える効果が現れなかったとき、新法に反対する朝臣が勢いづき、その声の大きさに王が狐疑こぎして新法そのものを廃止する事態だけはさけねばならぬ。


 そこでまず成果が目に見え、通りやすい法からつくるべきだと、そう思った。

 各地をさまよう難民に衣食住を与えて定住させ、荒地を開墾し田畑を与えて課税や徴兵の対象となる良民に育てあげる法律。これは予算が必要なこと以外は反対が少ないはずだ。


次に塩の専売制度の改革。今現在塩を扱っている商家はどこも大家だ。当然身内にも官として勤めているものも多いし、高官たちにも顔が利く。あらゆる手を使って専売制度の改革を邪魔するに違いない。

 とはいえ全ての官が彼等と利益供与関係にあるわけではない。陛下の理解さえあれば法案が通ることはさほどの難事ではないはずだ。


 だがここからが問題だ。

 困窮こんきゅうする農民に当座の食料や種籾たねもみを低い利率で貸すという法律。

 一見するとこのような善事、たやすく通ると思うかもしれないが、農民に食料や種籾を貸し暴利を貪り、挙句には田畑を取り上げてしまっている大地主、大商人とは、他でもない士大夫しだいふ階級、官僚達のそのものなのだ。超え太るためにせっかく掴んだ、金のタマゴを産むニワトリを彼等から手放させるのは並大抵のことではないだろう。


 そして官吏の整理の為に、各省に冗官じょうかんがないか審査する部局を作る法案。

 これがさらに問題だ。官僚とは己が手に入れた既得権は死んでも離さぬもの。それが直接、自らの利に結びつかぬ無意味な役職や何の役にも立ってない部局であっても、だ。

 だがこれこそが新法の鍵。冗官を無くすことは経費の節減にとどまらないのである。

 科挙に受かるような有為の人材を実体のない官にしばりつけることこそ国家の損失と見なければならないのである。再び官につくにせよ、民間に下るにせよ、きっと国家を安んじてくれる一助になるに違いない。

 しかしこれは大変な難事だ。

 だが同時に、難事ではあるが真にやりがいのある仕事だ、プリクソスはそうも思った。

 これらを全てやり終えてこそアメイジアの夜明けは来るのであろうから。

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