第89話 騎士団長殺し


 久しぶりに村上春樹を読んでいる。騎士団長殺し。肖像画家が主人公の物語だ。


 一人称が僕から私になっている他、主人公が職業的地位に満足する一方、芸術的喜びは感じられないと書いているのが印象的だ。専業作家に飽きた村上春樹の内面と捉えることも出来る。作家と作品を重ね過ぎるのもどうかと思うが、マンネリズムを逆手に取るなら、目からウロコといえる。非人情の世界に身を置き、再生を図ろうとする構図は漱石の草枕を彷彿とさせた。


 相変わらず、羽虫のごとく女が寄ってくる。美術教室の生徒と関係を持ったくだりで読むのを止めたくなった。女を性的対象にしか見ていないような気がする。そこは村上春樹の問題というか、男性一人称の限界にも通じる。


 最終的には、イデアなんてないんだというオチに落ち着くのではないか。この場合、理想の女性美とか親子関係とかかもしれない。まだ一巻しか読んでないので、なんとも言えないが。イデアなんてないさ、でも追い求めずにはいられないといった、エヴァみたいな話になったら面白いと思う。読んでいると、父殺しのモチーフもうっすら透けて見える。


 謎めいた画家の住んでいた家と、騎士団長殺しという謎の絵。ついつい引き込まれてしまう展開なので、やれやれ射精したで終わっては勿体無い。


 この小説は数年前の作品で、既に世間では語り尽くされているのは知っている。ネットを検察すれば、気の利いた考察や要約にも出会えるに違いない。


 動画を倍速で観る人もいるらしいので、私はえらく手間のかかる非効率なことをしているのかもしれない。


 何かに辿り着くのに効率的な道のりはあるんだろうか。カーナビで道を辿るみたいな安楽な人生設計があればそれに越したことはない。


 小説なんて最上級にアナログで非効率で、存亡の危機にあるわけだが、飽きもせず、細々とではあるが世代を超えて受け継がれている。


 いずれ、語りうる世界はなくなるのかもしれないが、この道草は無駄でなかったと誰かに伝えられる日が来たら嬉しいと思う。


 イデアなんてないさ、怖くもないさ。

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