第35話 スポーツ観戦を趣味にする奴は惰弱か

岡本太郎の本に、スポーツ観戦で日頃の鬱憤を晴らす奴は惰弱というようなことが書かれていた。


これは他人に運命を託さずに自分の力で戦えということだろうか。子供の頃から反骨精神を養ってきた人らしい意見だと思う。何年か前に読んだ時は自分も同意できたが、今はそうでもない。


ラグビー日本チームが善戦している。彼らは勝つために色々なものを犠牲にしたとインタビューで語っていた。これには少し引っかかりを覚える。


これまでどの世界のトッププロからもそういった発言は聞いたことがない。曰く、好きだからやってこれたとか、応援してくれた皆さまのおかけですとか、運が味方したとかが、定番だろうか。


実際は、程度の差こそあれ、犠牲という表現が一番正しいのかもしれない。一般のサラリーマンにしたって、仕事と家庭のバランスを取れている人は稀な気がする。


そこに着眼すると、勝負は単なる娯楽ではなく、のっぴきならない色を帯びる。


将棋のプロ棋士の対局は美しいとよく言われる。


対局者が盤を挟んで向かい合い、負けた方が自分の負けを認める。一局が終われば、対局者が感想戦をして敗因を探る。


個人戦の将棋とはやや趣が違うが、ラグビーも試合後はノーサイドといって互いのチームの健闘をたたえあう。


結果に悲喜こもごもするのは、我々観客だけで、案外当事者は表面上けろっとしていることが多い。


犠牲と聞くと、恐ろしい響きがするが何の努力もせずに成果は出ない。わかりきっていることのようで、案外わかっている人は少ない。


彼らは勝負の妙味を受け入れているからこそ潔く見えるのかもしれない。


彼らの精神性を讃えるのは惰弱か。私はそうは思わなくなりつつある。こういうちょっとした気づきを書き留めておくといいのかもしれない。



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