時は来たれり、夏祭り。




時は来たれり。


あれから数週間。


夏祭り当日。


天気は晴れ。


大船商店街総出の夏祭りは、つつがなく秒読み段階まで進んでいた。


今回の陰の立役者町内会長が先頭に立ち、若い衆がせっせと大荷物を運ぶ。私は手が命の奏者ということで、お役目免除。思えば、去年とかは結構容赦なく駆り出されたっけ。銀蔵爺さんが背後に立ってのお勤めだったから、それはもう重労働だった。よっしゃ、これから毎年催し物やってやろう。毎年音楽弾いてやろう。そうしたら私は楽屋と称した公園脇のベンチで、開幕の時までのんびりと羽を伸ばせる。


そんな邪な考えでお茶を濁していたが、その実――私はナーバスになっていた。本番前というのは幾つになっても慣れないものなのだ。実際どんな場数を踏んだプロの音楽家も、楽屋ではガタガタと震え、爪を嚙み、同じ場所を行ったり来たりするか懺悔のように身を小さくして、精神衰弱としか言いようのない醜態を晒している。私はそうした音楽家の姿を見るのが大好きだったが、いざ自分がそうなると胃がキリキリ痛む。


黒江さんはもうちょっと熟練者らしく、幾分表情が硬いとはいえしっかりと落ち着いている。


祖国でのアンサンブルに慣れ親しんだ戦士はある種のプロで、極めて平然としていた。同じ奏者でも、オケ等大規模の編成で、ソリストじゃないその他大勢のパートを弾いている者は、こういった態度を見せることが良くある。オーケストラに入るイコール給料制になるということで、音楽界では珍しいサラリーマン職に就く所為だろう。サラリーマンは、仕事の度に脂汗を流したりはしないのである。


銀蔵爺さんも、和太鼓の花形として櫓の上に陣取っていた頃があるだけに、舞台に上ることは知っている。どちらかと言うと不機嫌にブツクサ言ってるソリストタイプで、まあこれは放っておけばいい。


問題は残りの二人だ。


室井。


この男は何より、本番に弱い。勉強、スポーツ、芸術――全てにおいてだ。ハッキリ言って急ピッチの練習にかまけていた所為で、本番における心構えを伝授することをないがしろにしていた感は否めないが、致し方あるまい。一朝一夕で治ったら、お前今まで苦労してないわな? まあなんだ――頑張れ(無責任)。


となるとモモである。


モモは今回の六人の中で、誰よりも本番に対する思い入れが強い。パートの重要性も私に匹敵する。


私は意を決し、ベンチの上で体育座りをしてジュースの缶をユラユラさせているモモに、ツカツカと歩み寄った。


「いいか、モモ」


モモはビクッと飛び上がって、初めて私の存在に気付いたかのように振り向いた。


「どしたの、先生」


「最後のレッスンだ。よーく耳の穴かっぽじって聞いておけ。緊張するなとは言わん。それで『はいそうですか』と言って緊張しなくなるモンでもないし、そんなことしたら却って緊張を悪化させる。第一、緊張ってのは悪いモンじゃない。程良い緊張感は脳を活性化させて、脳内麻薬を生み出すとされる。ロックのミュージシャンなんかは、それを追い求め過ぎてオーバードーズになったりするがな。重要なのは、緊張をいかにコントロールするかだ」


「コントロール……」


そう繰り返すモモに、私は真剣な面持ちで頷いた。


「俺の師匠の受け売りなんだがな。演奏家には三つの人格が宿っている。一人は『司令塔』。次に曲はどうなって、音はこうでリズムはこうだと把握する人だ。全体を見通す、謂わば『未来』の人格だ。二人目は『動かす人』。楽器ってのは当然、弾かなきゃ鳴らないから、それを物理的に起こすヤツだな。リアルタイムでの動作が、そのまま音として発信される――『現在』だ。そして最後――『批評家』。既に鳴った音に対し、ああここはまずかった、ここは音を間違えたとかチクチクウルさいことを言う、嫌なヤツだ。人の『過去』を掘り起こしてネチネチ言うような――判るな?」


モモは頷いた。


「でも考え方によっては、最後のヤツだって丸っきり無価値という訳じゃないんだ。要は反省だからな、反省もしなきゃ改善もしない、進歩も無い訳だ。日々の練習においては、『司令塔』と『批評家』の役割が重要になる。過去の問題点を洗い出し、どこをどう改善すべきか客観的に分析して、『司令塔』が適切なプランを提示する。手はそれに付き従うだけだ。俺が日々のレッスンで、指を動かすことを強要する以上に考える必要性を言葉数多くして説いているのはそういう理由だ。考える力を養わなければ――考える知性を以って練習に臨まなければ、それはただの機械と一緒で、音楽の道からはほど遠い境地にあるからだ。でも――」


――でも。


「でも、本番は違う。本番には魔物が潜んでいる。いかにしっかりと日々の積み重ねをして、万全の態勢で臨んだとしても、百パーセントの成功はあり得ない。聴衆を前にすればおのずと脈が速くなる、息が上がる。指は震えて、思考回路はグチャグチャになり、あり得ないようなミスをするかもしれない。俺は、そうして本番で泣いてきたヤツを山ほど見てきた――自分も含めて、な。だからこそ、本番では練習とは違うモチベーションが必要になる。それは口で言うには実に単純なことなんだ――三人の、三つの人格の立ち位置を変えるんだよ」


「立ち位置を変える――」


「そう。本番は一過性だ。その時出した音だけが全てで、後の反省は聴衆に対してはなんの意味も持たない。勿論、コンサートの反省をして次に繋げることは大切だ。でもその本番一回のお客さんはその場限り。一期一会なんだよ。つまり過去を顧みるヒマが無いと言える。だったらどうすべきか――『過去』を、『批評家』を殺せば良い。最低限の未来の見取り図を『司令塔』に任せ、刻一刻と過ぎ去る一音一音を綺麗に弾けるよう、『動かす人』に意識の殆どを集中させれば良いんだ。ただ、これには落とし穴があって――『動かす人』ってのは、三つの人格の内で唯一脳に意識の座を持たない。カンフー映画の主人公が『考えるな、感じろ』という風に、こればっかりは理屈じゃないんだよ。日々の練習で馴染んだ動きが、そのまま手を伝わって出てくる。俺たちはその流れに身を任せるしかないんだ」


モモはゆっくりと私の言葉を噛み砕き、反芻する。


これはもう精神論の領域だ。幾ら頭で理解したところで、体が馴染むには相応の時間と場数を要する。初めてのモモには、完璧にこなせというのが土台無理な話なのは判っている。


しかし――その真理を、存在するというだけでも認識しない限りは、彼女に未来はない。


「『考えるな、感じろ』――ね。うん、判った。自分を信じて、自分がやれるだけのことをする。そういうことだよね」


私は頷いた。


「そうだ。お前は短い期間に、不器用なりによく頑張った。俺たちは出来る限りのことをしたんだ――後は自分を信じて、最善を尽くせ」


自分を信じる。


スポーツ漫画等で、手垢が付き過ぎるほどに使い古された台詞。


この上なく陳腐で凡俗な表現だと思うが、致し方あるまい。


真実の殆どは、言葉にするとちゃんちゃらおかしい、ごく有り触れたものなのだから。それこそが、真実の『普遍性』であり『不変性』である所以でもある。


モモはスーッと深く息を吸って、吐いた。


「――うん、判った。信じる」


「それでこそ俺の弟子だ」


私は軽くポンと、モモの華奢な肩を叩く。


狐につままれたような顔をしていたモモだったが、次第に明るい光が射した。


「うん!」


カッコつけすぎたかな?


これも本番前の緊張がなせる業と自分を言い聞かせて元の位置に戻ると、湯呑みを持つような手でスッポリと水筒のコップを包んだ黒江さんと目が合った。


「先生」


黒江さんが言った。


その顔はいつにもまして気高く、凛としていた。


「これは『試練』です――ご武運を」


試練にご武運とは随分大仰な物言いだった。


はて、時代劇の見過ぎかな?


でも黒江さんの様子にふざけたところは一切なく、冷静沈着そのもの。私も茶化した考えを捨て、ゆっくりとその横に座る。


「黒江さんも、な」


ヨーロッパに比べると、いくら真夏とはいえ日本の陽が沈むのは早い。空が茜色に染まり、みるみるうちに群青色を増して行く。遠くで点いた街灯を尻目に、私は静かに言った。


「これが終わったら、パーッと打ち上げをしよう」


無言。


でも私は、隣に座る黒江さんの頭が僅かに頷いたのを、振り向かずとも知っていた。




時刻は夕方五時二十五分。


祭りの時刻は、刻一刻と近付いていた。



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