世にも奇妙な六重奏。マァ案の定。
「アー、まあなんというか……」
私は頭をボリボリ掻きながら言った。
「予想通りと言うか、端から期待してなかったと言うか」
初セッション、グチャグチャ。
とは言っても、メンバーに起因するところではない。むしろ最悪だったのは、正直難易度が一番高く、一番出ずっぱりのパートを一手に引き受けた私だった。ピアノ五重奏というのは、概ねピアノとその他の楽器という構図になっている。即ち、これは伴奏ではなく主役なのだ。十分強という本格的ピアノソナタでも比較的長い部類に入る楽章の演奏時間に加え、ベートーヴェンという作曲家の特性が私を苦しめた。作曲家として不動の地位を確立している以上に、技術的観点からもベートーヴェンは結構難易度が高い。職人気質の弟子カール・ツェルニーが、その生涯を師匠のピアノ曲を満足に演奏出来るようになる為の練習曲集作成に捧げた程には。幾ら言葉数多くして理屈っぽく言い訳しようとも、この事実だけは変わらない――先生の面目丸潰れ。
指はもつれる、音は抜ける。弾いている自分の音を聴いているだけでも、散々な出来栄えだった。ツェルニー三十番から出直してきます。
「いや、俺の力不足だ。すまん」
軽く鬱モードに入っている私に、モモが気遣うように声を掛ける。
「大丈夫だよ、先生――無理を言ったのは私なんだし、初めてで結構ムズカしい曲なんだから仕方ないよ」
ありがとう。その優しさが辛い。
室井や爺さんも、
「そうですよ、そんな簡単に一発で弾けたら、先生なんて要りませんって」
「そうだ、端からお前さんなんぞに期待しちゃおらんかったから、もっと心置きなく間違えていいぞ」
……アンタたち、それで慰めの心算か?
戦士が、飛び切り無邪気な表情で、
「先生、いっぱい音まちがえたね!」
「お前が言うな!」
ガムランのクセが抜けないのか、一部のパッセージの反復横飛びみたいな音ばかりを鳴らしていた戦士のお陰で、余計な混乱状態に陥ったのもまた事実――いや、人の所為のするのは良くない。
黒江さんは唇を弓に当て、考え考え言った。
「まあ、先生は大器晩成というか、初動は大抵こんなものですから問題ありませんよ。仕事の合間を縫って練習していただくとして――私が言いたいのは、モモちゃんのことです」
「あ、そうだ、モモだ」
失意の淵からゾンビのように立ち直って、私も言った。
「お前、流石あの曲が好きで、よく聴き込んでいるだけはあるな――細かいところは無視してメチャクチャだが、全体は上手く捉えられていた」
「ホント? ありがとう……ヘヘヘ」
頬っぺたを染めて鼻の下をむず痒そうに擦るモモに、私はピシャリと言い放つ。
「バカ、褒めてねェよ。要は細部のディテールが酷過ぎるって言ってるんだ。まあ、お前も楽譜を前にするのは初めてだろうから、多くは望まんが――楽譜の正しい読み方ってモンを覚えないと、この道には進めんぞ」
ちなみに私は臨機応変性こそないが、人知れずにコツコツと着実に積み上げて行くタイプなのである。正しい読み方は知っている。すぐに読めないだけ(名誉のための虚しき弁解)。
黒江さんも頷いて、
「それには私も同感ですね。飽くまで今回の言い出しっぺで主役はモモちゃんですから、今日はまずモモちゃんのパートを浚ってみることにしましょうか。ヴァイオリンとピアノだけで良いんで。まずは出だしから。先生――もう一回お願いします」
「あい、判った」
一度目より二度目、二度目より三度目。
カタツムリ並みのスピードでも、着実に前へ進んで行くことを信条としている私には、回数をこなせばこなすほど楽で優れたものになる。
出だしの重々しい和音を乗り越えて、ヴァイオリンの流れるような旋律が湧き出てくる。モモはこういうところは比較的上手いのだ。思い入れたっぷりに、歌うように弾ける。ただ難点は、独りよがりな歌い過ぎで、他の楽器と合わせなければならない室内楽の観点からいうと、野放図に過ぎるということだろうか――
うん、ひとまずはそこまでで良いだろう。
セクションごとにきっちり直して、音楽界の洗礼を受けさせてやらねば――
――と思って顔を上げた私は、庭先を見て目を疑った。
中途半端なところで途切れたピアノの音を不審に思い、他の面々も私の視線を追う。
そして同じくらい、まるでギリシャ神話の髪の毛が蛇の石化の魔物と出くわしたかのように固まった――
ようやく言葉を取り戻したモモが、恐れおののいた声を絞り出す。
「お母さん――」
魔物。
その正体は、土安萌々香の母――幾度となく私たちの会話の槍玉に上げられながらも、決して輪に入ることのなかった、土安母の髪がほつれ、脂肪の付きかけた顔が真っ赤に大きく膨らんだ姿だった。
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