スナック永久。変わる在り方とレゾン・デートル。




『戦いすんで日が暮れて』


元は日露戦争時の軍歌の一節で、昔のベストセラー小説のタイトルにもなったフレーズだが、その晩、埋もれ行く記憶との長い戦いにようやく終止符を打った私は、まさにそんな気分で意気軒高と夜の街へ繰り出そうとしていた。


まったく、学校ってのは生徒を勉強させ過ぎなんだよ。


数学なんて、最低限因数分解までマスターしておけば、日常生活には一生困らないんだ。微分積分なんて久方ぶりに聞いた所為で、最初その後に『いい気分』とでも口ずさんでしまうほどだった。


行き先は勿論永久さんとこである。


お勤めを終えた開放感ゆえ、と言うのもあるが、もう一つの切っ掛けは六時過ぎにブルルルッと震えてやってきたとある携帯メールだった。


「しごと、おわりました。きょう、とわさんのおみせにいけますか。せんし」


文字だけ見ると幼稚園児の初めてのメールのような、なんとも微笑ましい気分になるが騙されてはいけない。この日本語が不自由な男は、列記とした成人男性で、私の一つ下にしてもう五人の子供を持つ、立派なダディなのだ。


必死こいて日本語で書いてきた努力は認めるが、大変悪いのだけれど返信は英語でさせてもらう。『大船駅の階段下で待つ』、と。そうじゃないと「ちょっとよくわかりませんでした」とか「どこですか」とか、要らんやり取りが増えて大混乱に陥るのが目に見えている。


さァて行くかね、と靴を履いて立ち上がり、予め用意しておいた袋を掴む。中にはもう幾つか取り寄せた永久さん向けのLPレコードが入っていて、主にあのしち面倒くさいガムラン関係以外のラインアップだった。メキシコのソンブレロ被った二人組のオッサンと、中国のアイドル的楊琴奏者の美貌を一緒くたに拝む日が来ようとは、夢にも思わなかった。


「行ってくるよォ!」


この度は、返事をするのが二人。


「行ってらっしゃい」


「ハァイ……」


黒江さんの礼儀正しい声と、モモのお菓子でも食っているのか物を頬張った間延びした声。


そう、紳士の社交場たる永久さんとこには、女子供を連れて行く訳にはいかない。誰がいつ決めたものではないけれど、神聖にして侵すべからず聖域サンクチュアリとして大船にあり続けている。


台風ももう過ぎ行く最中なのか、随分と小雨になって風も止んでいる。これなら傘だけでも、レコードをびしょ濡れにせずに辿り着けそうだった。


門を出る前に、まずは欠かさず左右の確認。商店街の一本路地裏という立地ゆえか、駐車場等もそこそこあり、急ぐドライバーたちが結構なスピードを出して突っ込んでくることがままあるのだ。増してや、時刻的にギリギリ無灯火運転もありえそうな頃。自宅の前で行き倒れるという羽目にだけは陥りたくないので、無意識にでも安全確認出来るようその習慣を徹底させている。


すると、隣家の前に止まる一台の黒塗りの高級外車が目に留まった。


ほう、この地域でもこんな立派な車をお目に掛かる時代が来たんだねェ。時速百キロが最高の日本で、二百キロは当たり前のドイツのアウトバーンを走れるように作られた車を乗ることは、金の無駄以前に自動車産業への冒涜だ、と宣っていた父の言葉を思い出した。確かに、日本では平気であちこちを走っている黄色いナンバープレートの軽自動車や軽トラックを、ドイツやフランスでは見たことがない。向こうで小型車として親しまれているミニだって、日本では立派な普通車だ。となると、物質以上にプラスアルファの付加価値へ大金を払うのは日本のお家芸とも言うべきで、そりゃブランド物やお洒落なハイカルチャーが売れる訳だ、と社会のカラクリをしみじみと実感した。もしかしたらクラシックに対する理解がないと憤ること自体が、私が長く海外に暮らした何よりもの動かぬ証拠なのかもしれない。


まあ、目をじっと凝らしてみても、辺りが暗い所為かスモークスクリーンの為か、中になんの不審な人影も見えなかったので、『事件性無し』と勝手な野次馬根性を満足させて、くるりとその場から立ち去る。


商店街も小売店は大体店じまいの準備をしているものの、チェーンのドラッグストアやコンビニエンスストアには変わらず人が出入りし、ネオンが煌々と雨天の下に煌めきつつあった。人の流れは概ね大船駅の方向から始まっており、私は帰宅途中の務め人たちとすれ違いながら、「ご苦労様です」と密かな労いの言葉を心中で投げ掛けつつ逆行した。すると目に飛び込んでくるのは巨大な橋上駅舎の大船で、切り立った堀を流れる小川の向こうでは、当駅始発の根岸線の青い車体が、ガランとした車内をさらけ出して留まっていた。


はて戦士はどこかな、と見回してみると、すぐに階段脇のエレベーターの前に立つ、ギョロギョロした瞳の色の浅黒い男と目が合った。


「せんせぇ、せんせぇ、せんせぇ!」


シーッ。


何遍も言わんでも、そんな大仰なジェスチャーをしなくても、充分見えておるわい。


ブンブンと人目も憚らず大手を振る恥知らずは、本国へ強制送還するぞ。


「やあ、お疲れさん。待った?」


自分で言っておいてなんだが、初デートのカップルみたいで気色悪い台詞を発すると、戦士は水に濡れた子犬みたいにブルブルと顔を振って、


「いえ、今着いたところです」


と言った。うん、気持ち悪い。


スーッっと息を吸って吐くと、一語一語ハッキリと発音するようにして、戦士が日本で言う。


「きょうは、がんばって、ぜんぶ、にほんごで、かいわします。がんばって、とわさんのところで、にほんごで、かいわします」


殊勝な心掛けだが、せめて私とサシで話している間は普通に英語で喋ってくれ。うちのホームセキュリティの解除操作を要請する機械音声みたいで、なんとも落ち着かん。


ではいざ行かんときびすを返すと、戦士が傘を持っていないことに気が付いた。


相合傘みたいで気持ちが悪いが、自分だけのうのうと雨露を凌いでいるのも、居心地が悪い。考えあぐねた挙句、恥を承知で傘に入るように言うと――


「だいじょぶ、です。おりたたみ、あります」


と言って、安っぽい萎れた折り畳み傘を鞄から取り出した。


返せ、私の気遣いを。




まあそんなこんなでそれから十分弱。



『スナック永久』の外観は見すぼらしい普通の呑み屋の扉を開けると、見知った顔が勢揃いしていた。


カウンターの向こうには勿論店主の永久さん。今日もロココとエキゾチズムの絶妙に入り混じったお召し物、ステキです。


先客にはポンプ車のような室井と、鋸の付喪神のような倉内銀蔵さん。相変わらず、いっつもいるね、アンタたち。


「いらっしゃい――あら、一見さん?」


毎度のことながら、感情の酷く見え難い落ち着いたトーンで話す永久さんに、私は死守してきた紙袋を手渡しながら言った。


「まあそんなとこだ。如何にここが格式高い店と言えど、ここは私の顔に免じて追い出さないでおいてあげてくれ――ホラ、頼まれ物。まだ全体の三分の一ほどしか揃ってないが、一度に全部持ってくるのも腕がもげそうなんで、手に入り次第随時持ってくることにした」


即座に手早く袋の中を検めた永久さんは、物静かな口調で、


「了解しました。でも、まだガムラン関係が全部スッポリと抜け落ちていますね――楽しみにしておきますよ」


私は戦士を手招きして、爺さんと室井の間に丁度二つ空いている席に着きながら言った。


「それなんだがね、よくもまあまた探すのに骨が折れるものばかり頼んでくれたものだよ。俺はつい最近まで、インドネシアの民族音楽にアナログレコード録音をする文化があるということすら知らなかったんだ。国外にもそうそう出回っていないし、現地の文字はトウモロコシの粒みたいで、最初は文字とも認識出来ないような代物だった。俺一人だったら途方に暮れて早々に降伏宣言をするところだったんだが――奇異なる縁で巡り合ったこの助っ人クンのお陰で、つつがなく発注することが出来た。紹介しよう、黄戦士君だ。本名はなんだかよく判らない多音節の名前だから、便宜上俺はそう呼んでいる。インドネシア人で、ガムランにも造詣が深く――何より五児のパパだ」


「五児!」」


異口同音にお約束な反応を示す室井と爺さんに、世代を超えたシンクロニシティを感じて、私は苦笑した。そりゃあ同じところに集う訳だ。


永久さんはと言うと、咳き一つ挟んでゆっくりとこう発した。


「セラマット・ブルトゥム」


その場に居合わせた全員の脳裏に『!?』の文字が電光石火の速度でよぎる中、永久さんは変わらぬ無表情でこう言い足す。


「『お会いできて嬉しいです』という意味です。尤も、このぐらいの挨拶しか知りませんが」


いやいや、それでも充分ビックリだよ。戦士が訪れることを予め知っていたのならいざ知らず、カンニングも予習もなしにそうそう知っていて良い言語じゃない。黒江さん、アンタの危惧は当たってたよ――この人、インドネシア語もちょっとは出来た。


「ま、まあとにかくなんだ。戦士はまだ日本に不慣れなんだ。今後、宜しく頼む」


私は慌ててメニューから適当な飲み物とつまみを二人分見繕うと、


「今日はお礼も兼ねて、俺の奢りだ」


と戦士に言った(勿論、英語で)。


最初に口火を切ったのは、相変わらずこの和洋折衷の店内より、提灯のぶら下がっている焼き鳥の屋台で焼酎を啜っている方が似合いそうな、倉内銀蔵爺さんだった。


「で――さっきから聞いてりゃ、良く判ンねェ単語が飛び交ってンだけどよ――なんだァ、その『ガムラン』ってのは」


至極尤もな質問である。ただ、この横文字にも音楽的素養にも疎い爺さんにも判るように説明するには、相応の工夫が必要になる。


私はブドウパンを頬張りながら、一生懸命考えて言った。


「平たく言やァ、東南アジアのインドネシア等で行われている、合奏による民族音楽の総称だよ。まあ、インドネシア版雅楽と言ったところかな。大中小様々な銅鑼や、木琴鉄琴のような鍵盤打楽器を多く含むのが特徴で、語源的に『叩く』という単語に由来していることからも、その特色が強く出ている。楽器は主に竹製か青銅製。特に青銅の楽器をここまで多用する文化は、世界においても他に類を見なく、中部ジャワが優れた鍛金技術を誇っていたことを如実に物語っている。一見(いや一聞?)トントンカンカンうるさく思われがちだが、その独自性は国外でも高い評価を受けており、近年はヒーリングミュージックとしての需要も高いな――ちなみに、ヒーリングミュージックってのは、『癒しの音楽』のことだからな、念のため」


「フゥン――念仏みたいなモンか?」


いや、だからトントンカンカンウルさいっつってんだろ。


第一、アンタ念仏で癒し覚えるのかよ。落語の『小言念仏』みたいに、ムニャムニャ念仏上げながら家族に怒鳴り散らしている爺さんが目に浮かんで、異様なリアリティを醸し出しているからやめてくれ。


「まあ何でもいいよ、好きなように解釈してくれ――ともかく、戦士はその奏者でもあるらしいんだ」


それに食いついたのは永久さんだった。


「あら、何の楽器を弾かれるんです?」


質問の意図は判ったものの、いまいち単語が出てこないのか言葉に詰まる戦士。私が目で助け舟を出すと、ペラペラとまくし立てるようにして説明してくれた。


「あー大体判った。スリンとかいう竹製のリコーダーのような縦笛の奏者だったらしいです。ガムランには打楽器以外も存在して、数少ない旋律楽器としての役割を担うことが多いそうで。まあ尤も、ミニマルミュージック的なガムラン音楽のことですから、その使用法は西洋音楽の観点から言うと充分奇異なるものでしょうけれどね」


「フウン、尺八のようなものか」


意外にも爺さんが話に乗ってきた。


私はライターが見つからないとポケットをゴソゴソやっていたものの、スッと差し出された永久さんの店の名前入りのマッチを有難く頂戴し、一本擦った。


「おや、爺さん。ガムランに興味がお有りかい? 俺にはどうも、アンタは富国強兵時代の名残で、国外の物は全部敵国文化だと排斥している固定観念があったよ。鎖国は解けてたのか」


そう軽口を叩く私の向う脛を、杖で思いっ切り小突く爺さん。腰が痛いだのもう太鼓は叩けないだの言っておきながらのこの馬鹿力。流石に鮮魚の詰まった重い箱を、永年上げ下げしてきた人間の体力は違う。


常人以下の体力なんで、もう少しお手柔らかに。


「馬鹿野郎、そこまで歳じゃねェよ。戦争のとき、儂は精々五つか六つだったんだから。それに、確かに横文字は苦手だが――別に他所の国の文化に理解がねェ訳じゃねェ」


その割には、私が生業とするクラシック音楽に関しては、ゴチャゴチャとして判り難い、チャラチャラと気取った音楽だ、とけんもほろろだった記憶があるのは気の所為だろうか。


でも、ハハア、読めてきたぞ?


さては爺さん、ガムランが打楽器のアンサンブルだと聞いて興味を持ったな?


打楽器即ち太鼓だと、短絡的に結び付いても不思議ではない。そして、太鼓と言えば爺さんが魚と同じくらい生涯を掛けて打ち込んできたものであり、あの夏祭りの告知が入った回覧板に知らされるまでもなく、未練として常に思いを馳せ続けていたのであろう。


「素直じゃないねェ」


私は精一杯意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「興味あるんなら、もっとそれらしく振舞えばいいのにさ。戦士、この爺さん――倉内銀蔵氏はだな、この大船商店街が誇る高名な和太鼓奏者なのさ。でも訳あって、今は現役から退くことを余儀なくされている。お前とは、打楽器メインの音楽の愛好者の同志として、好を結びたい――と、こういう訳だ」


「馬鹿野郎、そんなんじゃねェっ!」


そう顔を真っ赤にして怒る爺さんに、戦士がたどたどしい日本語で問い掛ける(よく今の日本語の説明判ったな)。


「どうして、ぎんぞうさんは、リタイアされたんですか? まだ、お元気そうなのに」


これまた単刀直入な。他の誰かが同じ質問をしたら、それこそ烈火の如く怒って喚き散らすであろう爺さんも、流石に無垢な顔をした外国人相手にはその気も失せたらしい。素直にポツリポツリと答えた。


「好きで引退したんじゃねェよ。ただな、少し前にな、腰を打ったんだ。それ以来、日常生活でも痛むぐらいには無理が出来なくなっちまった。良い太鼓を鳴らすには腰が命だ。へっぴり腰のへなちょこ太鼓を叩くぐらいなら、男らしくさっさと身を引く――その方が筋だと思っただけだよ」


爺さんのべらんめぇ口調が戦士の日本語の教科書に載っていたかは怪しかったので、私が念のために通訳をする。すると戦士は、少し気の毒そうな顔をして、優し気な口調で言った。


「ガムランだったら、座ったままでやるものが多いので、腰への負担は少ないです。鉄琴とかゴングとか、色々な種類があります。それ用の楽器を買わなくても出来るものがほとんどですし、インプロヴィゼーション……あ、即興演奏です、先生ありがとうございます――即興演奏がメインなので、ムズカしいことを覚える必要もないです。どうですか――ガムランを、やりませんか?」


雄弁な戦士に驚いたのは銀蔵爺さんだけではない。私もびっくりした。出会った当初は日本人そのものに危険意識を抱いていた風だったのに、こうして自ら率先して話し掛けている。恐らくは私と歯に衣着せぬやり取りをし、気心の知れた仲だということを察したからだろう。人の縁と言うのは、時に連鎖的に広がっていくものなのだ。


爺さんの攻撃的な様子も形を潜め、素直に感嘆するような調子で言った。


「おまえさん、随分と親切だな……」


子犬のような目をキョロキョロさせている戦士に、私はこの男が祖国で大家族に囲まれながら、同じようにして振舞っている姿が目に浮かんだ。一族の貴重な稼ぎ頭として慕われている反面、核家族化が進んだ日本とは違い、父親の有り方もまた多岐に渡っているのであろう。鹿爪らしいゴッドファーザーのような大黒柱もいれば、頼れる兄貴分も、親しみの沸く話しやすい世話好きもいる。それぞれが変に意識することなくオンリーワンの役割を見出し、共同体の歯車として機能している。この男は、なんだかんだで立派な父親なのだ。


「いいじゃないですか、銀蔵さん」


ここに来てようやく室井が口を開いた。手元には、またポップで甘い酒が握られている。


「結構楽しいかもしれませんよ、鉄琴を叩くというのも」


まあ考えておいてやるよ、と捨て台詞を吐きながらも満更じゃなさそうな様子の銀蔵爺さんに、私たちは温かい溜め息交じりの苦笑を送った。


室井は、その上背から全員を一つの視界に収めながら、しみじみと言う。


「でも、なんスかねえ、やっぱり先生の周りにはなんだかんだで音楽好きが集まるんスかねぇ」


「あー、それなんだがな。あながち誇張でもないかもしれんのだ。実はな、モモがな――」


私は腹に一物ありげな難しい表情をして、先程のモモとヴァイオリンの顛末を話して聞かせた。室井と銀蔵爺さんはモモと面識があったが、永久さんと戦士はなかった。にも拘わらず、永久さんは持ち前の勘の良さを駆使して、戦士はよく判らないながらに漠然と物事を捉えようとする習性をフルに活用して、大人しく私の話に耳を傾けた。


お陰で、話し終える頃には大体の共通認識が全員の間に産まれていた。


「という訳でな。まあ勝手なことを言って唆してしまった気がしなくもないんだが、モモは自分の道を見出しかけてる――というか、そこに一縷の望みを賭けているんだ。他の大人たちの忌憚のない意見を聞きたい」


各々、手元にあるものを弄りながら考え込む。


最初に口を開いたのは、空になったグラスのストローを折り曲げていた室井だった。


「正直、自分は警察官を志す前、大学受験に失敗したショックでそれどころじゃなかったッスね。何を明確に目指している訳でもなかった。ただ浪人して、悪戯に時が過ぎて行くのを待つよりかは、さっさと人の役に立つ仕事に就きたかっただけです。警察官っていうのも、単に街中をうろついていて一番初めに目に付いたってだけで」


「なるほど? じゃあクラリネットは? お前、高校の時は結構真面目に打ち込んでいたんだろう?」


「それはそうですが、飽くまで趣味とか部活動の一環としてでした。自分に芸術性が無いってことは判ってましたし。第一うちはそういうバックグラウンドじゃありませんでしたから、それでも尚強硬に説得するほどの見込みも価値もないと、自分で見切りを付けていたんです。そしてそれは、今考えてみても正しい選択だったと思って――後悔したことは一度もありません。でもだからこそ、自分とは違い、そうした自分の表現力とかに自信を持てる素質がある人は、その意思を大切にすべきとも思います。でも――すんません。やっぱり自分にはよく判らないッス」


私は頷いた。


切っ掛けはどうであれ、室井は自らの恵まれた肉体と強い正義感を活かせる今の仕事を、天職だと思って誇りにしている。長所と短所は表裏一体、その並外れた不器用さも実直さとして高く評価されているに違いない。そんな人間に、芸術という謂わばワガママさの塊の道を歩むことを考えろと言うのも野暮な話だ。


「じゃあ次の人――倉内銀蔵さん?」


「止めろよ、その言い方。病院の待合室みたいでイヤな気分になる――でもそうだな」


爺さんは亀裂のような深い皴を眉間に浮かべて、考え込んだ。


「儂はお前さんたちとは違い、一個人である以上に親だ。卑しくも魚を仕入れて売りながら、三人の息子たちを育て上げた。その親の観点から言わせてもらうと――猛反対するだろうな。ガミガミ怒鳴って、必死に説得する。それでも聞かないようなら、勝手にしろ、と最後通牒を突き付けて勘当する。でも勘違いするな――自分の意に沿わないから追い出すんじゃねェ。親にない素質の物を貫こうとするなら、相応の覚悟を持って、親の死に目にも会いに行かないぐらいの心構えがないとモノにならねェのが判ってるからだ。もし仮に、それで子供が成功して、『親父、ざまあみろ』と嗤いに来た暁には――大人しくその罵倒を受け止めるよ。当然の報いとしてな。で、もし、案の定夢を半ばに諦めて、『父さんごめんなさい』と謝ってきた時には、黙って帰ってくるのを許してやるよ」


爺さんらしい、堅物で一本筋の通った理屈である。


確かに私たちは、誰も子供を持ったことがないから、今までモモの方ばかりにかまけて土安母のことはないがしろにしてきた。謂わば敵対する悪の権化として、その対抗策ばかりを考えていた嫌いがある。でも前にも言った通り、あの害悪度でいえば大気汚染とどっこいの土安母も、決して冷酷無情な性質ではない。むしろ愛情が深すぎ、妙な方向に暴走する所為で周囲が振り回されているに過ぎない。


『親であるということは、永遠に大きな謎である』


その謎の解明への第一歩を、銀蔵爺さんは自らの実体験を以って指し示してくれた。


「では、次にもう一人の父兄代表――戦士君?」


流石にお互いにとって苦痛を強いることになるので、英語で話してくれと懇願すると、戦士は渋々頷いて話し始めた。


「ボクも一応親ですが、ハッキリ言ってよく判りません。日本とインドネシアじゃ国も違うし、考え方にも大きな隔たりがあります。故郷の人たちは、今を生きるのに精一杯で、あまり個人の自由――なにがやりたい、どういう風になりたいって考えることもほとんど無いと思います。ボクもそうでした。大学で工学を学んだのも、ただ奨学金が下りたというだけで――ごめんなさい、全く力になれませんね」


ペコリと頭を下げる戦士に、私は構わないという風に手を振って、


「いや充分だ。我々が先進国だという自負に甘んじて、何か根源的なことを見失いつつあるということは良く判ったよ――じゃあ最後に、永久さん」


普段、『瑕がないのが偶に瑕、氷のように美しく、驚くほどに表情がない』と言うテニスンの詩を地で行く永久さんが、珍しく大きく胸を張って言った。


「私は今まで好きに生きてきました。他の人ももっと好きに生きていけば良いと思います」


「ハハハ……」


余りもの唯我独尊振りに思わず乾いた笑い声が出てしまったが、それもまた真理だ。


永久さんは年齢不詳、出身不明、職業や収入源にも靄がかったところが多い謎めいた人物だ。けれど明らかなのは、彼女が好事家で、自分の欲求の赴くままに生きているということで、そこには常に無尽蔵のバイタリティとリビドーが渦巻いている。氷の仮面の下には熱い炎が燃え盛っており、そこから得難い達成感という香が彼女の人となりから滲み出ている。見た目の美しさもまた一つの理由だが、彼女がここまで大船の男性陣に愛されているのには、彼女が常に誇り高く自信満々に生きていることへの憧れもあるのかもしれない。果たしてモモに――その意味では永久さん以外にそれを成し得るパワーがあるのかという問題はあるが、一つのモデルとして留意しておく価値はある。


「私が言えることはですね、四の五の言っても始まらないと言うことでしょうか」


「時が解決すると? 生憎だが、高校生にそれは――」


「別に時の流れに任せて、ただ待てと言う訳じゃありませんよ。考えること、論ずること、それらは重要なファクターです。けれど何も物事の解決法は、空論によってのみ導かれるに非ず。実際に動いてみること、実験してみることも、また成功への大きな一歩だと、私は考えます」


なるほどね?


確かにモモに音楽の道を真剣に志せるほどの稽古をつけるのも手だ。ただ、私は飽くまで他人であり、モモの保護者ではない。見極めを付けさせる為とはいえ、そこまでする権限が私にあるのだろうか――


と考えあぐねていると、永久さんは見透かしたようにチッチッと指を振った。その指は袖口に隠れて見えないが、細く尖っていた。


「なぜ目的へ一直線に向かおうとするのでしょうか。『急がば回れ』との諺通り、時には遠くのまったく関係のない景色を拝んでから、目的地へ歩みを進めるのも重要だと思いますよ。そもそも先生はいつも仰っていますでしょう、音楽は『人の役に立たない仕事』だと。役に立たないからこそ、ゴールは遥か地平線の向こうにあるのだと、うちに来る度に管を巻いていたじゃありませんか」


私は押し黙った。


確かにそうなのだ。


音楽のみならず、芸術や文化といったものを取り扱う以上、資本主義の枠組みからは外れたところにある。それはつまり、出世すれば良い、会社を大きくすれば良い、利益を大きく上げれば良いという明白なゴールが提示されぬまま、未来の白地図に目的地らしきものを描き上げるところから始まるのだ。それが特に芸術分野の茨道たる所以であり、発狂しそうなほどの孤独に苛まされる原因でもある。共通のルールを持たないゲームに臨む以上、避けては通れぬ試練だ。


目的地も刻一刻と変化していく以上、進むべき航路もまた変わり行く。傍目には紆余曲折を経ているとしか思えないグチャグチャな線も、当人にだけは一直線に見えているというケースもままある。


ならば迷うこともまた必然。必要悪の混迷を前に、他者が差し伸べる手に果たして意味はあるのだろうか。



ふと我に返ると、カウンターから身を乗り出した永久さんの灰色の大きな瞳が、目の前で照魔鏡が如く覗き込んでいた。



「では問います。先生は――平ミノルさんは、どうだったのですか?」



――私――のこと?



「先生はどのような軌跡を経て、今のお仕事に就かれたのですか? その間、巡られた箇所は果たして今のご自身にとって無駄だったものと言い切れますか? それぞれに、一体どんな意味があり、今のご自分を形作られたものとお考えになりますか?」


私は考えた。そして、その思考は遠い異国の地で未だに住まう母への問い掛けとなって、入り組んだ迷宮の中へと誘われていった――



……


…………



前略、お母さま。


突然ですが、二十九歳、平ミノルはこれより懺悔致します。


とは言っても、恥の多い人生。これまで犯してきた全ての悪事をつらつらと書き連ねるだけでは、幾らページがあっても足りますまい。故に、此度は『将来の夢』に限定して告解することを、予めご了承願います。


三歳の頃。物心付いた時から、私はお祖母ちゃん子でした。直接の生産者である両親を差し置いて、隔世の親族たる祖母にばかり懐いていました。折角お腹を痛めて産んでくださったのにこの仕打ち。謹んでお詫び申し上げます。


五歳の頃。幼稚園で、初めて将来の夢についてまともに考えさせられる課題がありました。女の子は『お花屋さん』『ケーキ屋さん』『お嫁さん』、男の子は『運転手さん』『パイロット』『警察官』と思い思いの職業を、はたしてそれは人間かどうかも怪しい独特のタッチと色使いによって認めていました。


そんな中、比較的絵が上手だった私が描いたのは、ハッキリとそれと判る年配の女性の姿。はて、家族についての課題じゃないのにな、と先生が不思議に思っていると、その下にはたどたどしい筆跡で『ごいんきょさん』の文字が。そう、私は弱冠五歳にして、人生の余韻を含むエピローグである老後生活に、想いを馳せていたのであります!


そして小学校進学。その夢は、幾分かの社会的知識を身に着け、以下のような現実味を帯びたものに昇華しました――『年金じゅきゅうしゃ』。


小学校中学年にもなると、一度世に出ることをなくして年金受給者もへったくれもないということが判ってか、齧り始めの日本史への興味(全二十数冊にも及ぶ学習漫画が、当時の私の愛読書でした)をフル稼働させ、『庄屋』という単語に行き着きました。小作人たちから年貢を巻き上げ、代表として大名に上納する。実際のものがどうであったにせよ、労少なくして顔役として時にへえこら、残りの大半の時間を威張り腐って暮らす偏見に満ちた庄屋ライフは、実に魅力的なものに映ったのです。


そして運命の小学校四年生。親父殿の赴任の都合で、遠く離れた異国の地の、現地人しか殆どいない地元の公立校へ問答無用で突っ込まれた私は、それから暫くは現在を生き延びることに必死で、未来のことなんか考える余裕もなかったということを、白状しておかねばなりますまい。


中学、高校と進級を重ねるにつれ、外国語に関しても初心者から日常会話、ビジネス会話レベル、そしてバイリンガルレベルとどんどんハードルが上がって行きました。私は英語、ドイツ語――二つの言語でなんとかこなし、けれど母国語話者との絶対的な隔たりは大きくなるばかり――


日々の生活に忙殺されていた私は、普通の子供が経るべきプロセスをすっ飛ばしてしまったようにも思えます。例えば恋愛――小学生レベルの、好きな子をみたらちょっかいを掛けるという次元で収まってしまっていました。例えば進学――数年先のことなんて、見据えて動く習慣になかったのです。


そんな時、巡り合ったのが音楽でした。


お父さまの度を越したオーディオマニアっぷりで、幼い頃から耳にしていたクラシック。けれどそれは一種の生活音として、敢えて意識することのないものでした。


けれどあの夏。


ふとした切っ掛けから音楽に耳を傾けるようになり――傲慢にも、私にはそのすべてが鮮明に聴こえるような気がした。そして、『出来ない』ことへの限界までの挑戦に疲弊していた私は、『出来そう』なことへの傾倒を露わにしていったのです。


しかし一度音楽を志すと決めてからも、私の興味はその中でコロコロと動いたことは認めざるを得ません。最初は漠然と『音楽家』、その後は『指揮者』。指揮をやる上では、一つの楽器をきちんと学ぶべきという助言に従い、ピアノを熱心にやり始めます。そしてピアノとオーケストラの隔たりを意識し、『作曲』へ。けれど現代音楽と需要の有る作曲に馴染めなかったからか、『楽理』へ。フランスで、我が生涯の師とも呼べる人に出会ってからは、理論一辺倒の上辺だけを語って得意気になっている楽理に嫌気がさし、大学で変わらず理論を修める傍ら、『ピアノ』へと回帰しました。けれど、ピアノとは体操と一緒で幼年期からの積み重ねが物を言う楽器。絶対的な技術力と経験不足に苛まれ、師の素晴らしき教えにひれ伏しつつも、自分は決して師を越えられぬ、人にものを教える資格もないと自責した数年間。


そして、私はヨーロッパ最後の夏、自分が唯一企画実践したソロ・リサイタルへ、持てる力の全てを出し尽くすがべく、たった一人の戦場として赴いたのです――


謂わば自分に見切りをつけるため。


自分の覚悟を試すため。


そして、コンサートはなんとか成功。


私は達成感を勲章に、自分の真の居場所を探るべく、日本に――大船に舞い戻ってきた訳なのです。


そして築いた私の城。


『演奏家』でもなく、『作曲家』でもない。『指揮者』の道は早々に見切りをつけ、『研究者』や『評論家』の道も忌避し、真の意味での『教育者』でもないと痛感する私が歩んだ道。


はたしてそれは、正しかったものなのでしょうか。


現実逃避の先の、苦肉の策としての望まぬ現状だったのでしょうか。


はっきり言って、それは判りません。


人生に『たられば』はそれこそ切りがない。そもそも音楽の路を志したことが正しかったのかすら、定かではない。


私は、現状に満足はしています。


黒江さんと巡り合い、室井や銀蔵爺さん、モモや戦士、永久さん――他の時に芳しからぬ生徒や親御さんの数々、この活気ある大船商店街の面々と和気藹々と同じ時を過ごすということに、何にも代えがたい魅力を感じています。


しかし、私のレゾン・デートルを訊かれた場合。


『何を以って、ご自身の存在を正当となさいますか』という質問に対して、胸を張って理路整然と語れる理由に乏しいのも、また事実なのです――


私が築いた城。


それは、砂上の楼閣、熱砂の地平線の向こうに浮かび上がる蜃気楼なのでしょうか。実体を伴わず、独りよがりな妄信によってのみ成り立つ、虚しき幻想なのでしょうか。


今はまだ――判りません。


ただ、漠然としたアウトラインはもう出来上がっている以上、これからは着々と現実味を伴う肉付けを施して行くべき。そんな段階に、三十の節目を目前として入りかけているのやもしれません――



…………


……



「今、先生は何をすべきと考えますか?」


永久さんが、時の止まった記憶の迷宮の中で、ゆっくりと私に語り掛ける。


「他人の為ではない――ご自身の為に、何をしたらご自身の存在が正当化されるとお思いですか?」


ひたすら、グラスの中の水面を見つめ続ける私。


命の水に、若さを失いつつある思い悩んだ面が映り込む。


水面は凪ぎ、けれどそこに映し出された鏡像には葛藤の嵐が吹き荒んでいた――


しばらくして、永久さんがフッと微笑む。


数えるほどしか見たことのない、永久さんの表情らしい表情。


時の概念を超越した永遠が、私を見透かしていた。



「――どうやら、答えはもう出ているようですね」





それから小一時間。


私は店を去るまで、一言も口を利かずに時は流れていった。




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