ベートーヴェンにエルガーな、男の子の日。あるいは見つかった、やりたいこと。




雨足は時間が経つと共に勢いを増し、私と黒江さんは何をやるでもなく、ただじっとテレビのワイドショーを見る――そんな怠惰な日中が過ぎて行った。


大体に一週間から十日に一度、不定期にこうした日が訪れる。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ――今日も今日とで新橋や丸の内、新宿へと揺られて行くサラリーマンのお父さん方のことを思うと罰当たりな気もするが、私はそれで良いと思う。餅は餅屋、刀は刀屋、蛇の道は蛇。自営業の暇な日というのは、それはそれでどこかしら落ち着かないものなのだ。音楽は音符のみにて成るにあらず、休符も等しく重要な役割を持っている。


変わったことと言えば、今も日本のどこかで起きている児童虐待、認知症ドライバーによる暴走、謝罪会見でよく見るバーコードハゲのクロースアップ。こと現実世界においては、室井のモモに関する学校での生存確認と、よく判らない札幌市内局番からの営業電話ぐらいのものだった。


昼は昨日のカロリー過多の晩飯と調和を取るべく、素麺であっさりと。うちに必ず一パックは常備してあるミョウガでスッキリと。


そんなこんなで午後四時。


あれ本当になーんもしてねェなァ、と感じ始めていた罪悪感も、「ただいまァ」と我が物顔で乗り込んでくるモモの黄色い声に見事に吹き飛ばされる。


「あれ? 今日は誰もいないの? 生徒」


傘をブンブンやるなら外でやれ、と小言の一つでもくれてやりたいところを我慢して、私はビショビショの玄関を物憂げな眼で見ながら返す。


「言ってくれるなよ。小学生はもう夏休みで田舎に里帰りでござい。数少ない中学生も、一人は夏風邪でダウン、もう一人も卓球かなんかの合宿で伊豆に出掛けてるんだから。いかに俺の仕事が運命の気まぐれと些細な用事に振り回されているか、よく判っただろう? いいか、こんな大人になっちゃダメだぞ」


「うわ、超ブルーじゃん。どしたの」


心配そうに私の顔を覗き込むモモに、後ろからやって来た黒江さんが口を挟む。


「先生はいつも雨の日は大体こうですよ。気圧の変化に弱いんでしょうか。雨が降る前になるといつもにも増して機嫌が悪くなり、悪口雑言が冴え渡ったり、『やる気出ねェ』とか言ってゴロゴロし始めたりするんです。それを、その、何とも言い難い言葉で表現なさってですね――」


そう口を濁す黒江さんに、代わって答えてやる。


「『男の子の日』」


「うわ、サイテーだ……」


師匠としても年長者としての権威も地に堕ちたと実感させる、恐ろしく軽蔑的なモモの視線を一身に受け止めつつも、紳士な私は黙ってモモの脱ぎ散らかした靴を揃え、ついでに重たい学生カバンまで持ってやった。


「あー疲れた。でも、結構明日までの宿題溜まってるんだよね――やんなきゃ」


「それでしたら、居間でおやりなさいな。今日はもう誰も来る予定ありませんから。モモちゃん、プリン食べる?」


「え、プリン? 食べたい!」


ゆっくりと頷き去って行く黒江さん。


モモはモモで、しっかりと主用の座布団(揃いの中では一番綿が詰まっていて座り心地良し)に何の躊躇いもなく尻を乗せ、何の労いもなく私から受け取ったカバンの中身をゴソゴソやり始めた。


「……お母さんから連絡あった?」


「いんや?」


私はモモの前にあった自分用の湯呑みを、そっと手繰り寄せながら言った。


「昨日うちに居たってことを確認したのに、もう一回掛けてくる道理もなかろう? うちにお前がいるって感付いているならいざ知らず」


「……そっか」


どこか寂しげに肩を落とすモモに、私はそっと言葉を足す。


「でも、室井からはあったぞ。ヤツが、お前の通っている学校に確認の電話をしたんだが――勿論、立場を悪用して、学校側が大騒ぎしないようにお前に直接口出ししないように釘を刺してな。その直後にお前の母さんからも電話があって、根掘り葉掘り訊かれたんだとさ」


「……そっか」


同じ『そっか』でも、一度目より二度目の方がどこか嬉しそうに聞こえた。


なんだかんだで、きちんと母娘だねェ――と微笑ましい気持ちでいると、モモはノートと教科書と参考書を広げながら、例のあのピンクのイヤフォンを器用に解き始めていた。


そういやコイツ、検定模試の時もずっと音楽聴いてたっけ。私は職業柄、音を深く聴き過ぎる所為か、物が鳴っているとどうにも集中できない。モーツァルトは集中力増強に良いと聞くが、私がモーツァルトを聴きながら作業をし始めてしまったそれが最後、曲の終わりまで全神経を音楽の方に集中させてしまい、肝心の作業の方が白紙のままということは必然である。


音楽を純粋に『音を楽しむ』行為としていられるのは、アマチュアである期間だけなのだろうか、とプロフェッショナリズムの抱える闇を再認識する。


いや、ダメだね。雨の日はどうも、発想が普段にも増して小難しくなっちゃっていけない。


気分をなんとか変えようと、当たり障りのない話をしようとする私。


「お前、いっつもそれ耳に突っ込んでるなァ。一体何を聴いているんだ? 爽やか系男性アイドルユニットか? それとも『ちぇりーぽみゅぽみゅ』とかいう、およそ発音不可能な新人類系のアーティストか?」


今時の女子高生の音楽事情なんか、ギリシャ語と同程度にはチンプンカンプンな私は、勘で偏見に満ちたラインアップを提示する。


すると、モモは「んー」と口をすぼめて、


「確かに流行ってるけど、わたしは違うかな。結構音楽の趣味変わってるんだよ、わたし。ベートーヴェンって知って――知ってるよね、そりゃ」


ベートーヴェン?


いや、決して知らないとか言う訳じゃなく、むしろこの仕事をしていれば学生時代から墓場まで事あるごとに脳裏をよぎる、厳めしい顔をしたドイツのオッサンで、その割には苗字を直訳すると『ダイコン畑』とかいうおよそカッコの付かない、西洋音楽史を代表する偉大なる作曲家な訳だけれども――でも、まさかその名前をモモの口から聞く日が来ようとは思わなかった。あ、でも仮にも紛いなりにもうちの生徒だったな。最低限の作曲家の名前ぐらい覚えていたとしても、不思議ではない。


「ほう、そりゃ意外だな。お前が、ベートーヴェンねェ。で、何を聴いているんだ? 『運命』か? 『第九』か? 『熱情』か?」


適当に標題付きの有名曲を挙げておけば当たるだろうと高を括っていた私は、予想外の答えに面食らうこととなる。


「『ピアノと管楽のための五重奏曲、作品番号十六』って知ってる?」


いや、ちょっと待て。


確かに全く無名の曲ではなく、娯楽音楽の傑作とその一風変わった編成によって根強い人気を誇る曲だが、いぶし銀という類であって、クラシックマニアでもない一般パーソンがそうそう耳にする曲でもあるまい。


「一応な。パッとメロディを口ずさめと言われても困るが。ピアノと四つの管楽器――オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットから成る曲で、古典様式に忠実なハイドンやモーツァルトからの影響が色濃く伺える初期に書かれている。音楽の教科書とかでも凄みを利かせてる、あの気難し屋唯一の明るく活気に満ちた時期だな」


なんとか埃を被って埋没した知識を掘り越してみたものの、案外正鵠を射ていたのか、モモの顔に私が初めて見る感情が浮かんだ。それは尊敬の念とでも言うべきもので――あれ、コイツ今まで私を尊敬したことなかったの?


「そうそう、一七九六年に作曲して、モーツァルトの同編成の曲を参考にしたと言われてるの。ベートーヴェン自身も結構お気に入りだったのか、弦楽付きのピアノ四重奏版や連弾版にも編曲されているのね。で、そのピアノ四重奏版なんだけどね――この室内楽団知ってる?」


随分とマニアックな話に飛んで目を白黒とさせている私に、モモはスマホの画面を突き出す。


我に返ってその小さい画面に目を凝らすと、アンサンブル名と共に演奏者の名前がズラッと並んでいた。


「聞いたことのない楽団だな。ピアニスト含め――ん、ちょっと待てよ」


私の指先が名前欄の一番下で止まって、「このチェリスト――どっかで聞いたような」



クロエ・エドゥアール。


確か十年近く前に、天才チェロ少女として世間を賑わせた――



「そうそう」


モモはマニア特有のキラキラとした光を湛えて早口に言った。


「フランスの人でね。プロデビューは十二歳なんだって。チェロって、体がある程度出来上がってからじゃないと満足に音が出ない楽器なのに、スゴいよね。それから五年ぐらいは色んなオケや楽団と共演して、沢山録音も残していたんだけど、ある日を境に突然活動をやめちゃって――」


「ちょ、ちょっと待て」


私は頭痛でもするかのようにこめかみを抑えながら、


「お前がやたら詳しいのは判った。それよりも気になるのは、なんでそんなに詳しいか、だ。お前、ピアノ弾いている割には全然ピアノ曲を知らないし、興味も示さなかったじゃないか。それがどうしてまた、こんな弦楽にだけ――」


「あれ、言ってなかったっけ」


モモはきょとんとした顔をして、


「私、ホントはヴァイオリンが好きなんだよ」


初耳。


そんなこと、今まで考えたことすらなかった。


私にとって土安萌々香は、週一回この教室にやってきて、ピアノの椅子を温める他に脳がないダメ生徒に過ぎなかったのだ。所謂、親に言われて渋々嗜みとしての音楽を続けている代表格で、その母親がいかにもハイカルチャーを愛好しそうなキャラクターだったから尚更だった。それが今になって、いきなり弦楽の愛好家だなんてカミングアウトされたって、おいそれと信じられるものではない。


「は? じゃあなんで――」


「ヴァイオリンを習わないのかってこと? 習ってたよ、ずっと。でもお母さんがその先生と馬が合わなかったのと、ピアノの方がずっと為になるって思い込んでた所為で辞めさせられちゃったの。だからもう永いこと先生には付いていないけれど――電子ヴァイオリンだから、今でもこっそり夜中に触ってたりするよ」


「なんでそれをもっと早く言わない――あ、黒江さん、丁度いいところに」


私はプリンを三つ並べた盆を持った黒江さんが、部屋に入って来るや否や捕まえて、


「知っていたのか? モモの、ヴァイオリンのこと」


「ヴァイオリン?」


黒江さんも戸惑い気味に眼を大きく見開いて、


「いえ――いや、そう言えば習っていたことがあると、前に一度チラっと聞いた覚えはありますけれど――それが何か?」


「そうだ! 黒江さん、ヴァイオリンもちゃんと持っているだろう――それを一台持ってきてはくれないか? 今すぐに、だ!」


「え、ええ――ただいま」


余りもの急展開に半ば振り落とされ気味の黒江さんだったが、大人しく言いつけに従いヴァイオリンを取りに消えて行く。


同じくらい困惑の極みといった風のモモが、(意地汚くちゃっかりプリンは手元に寄せながら)口を開く。


「え、何をさせる心算?」


「そりゃ決まってるだろう、弾かせるんだよ。俺は聴いてみたいんだ。お前が、まともに音楽と呼べるものをやっている姿を見たいんだよ」


「え? それだったらいつもレッスンでやってんじゃん」



あれを音楽と呼べるのなら、カバの欠伸だって立派な音楽だ。


モモは、白紙の問題用紙に目を落として、


「それに、宿題やんないとならないし――」


「数学か? 数学だな? よし、そんぐらいだったら俺がやってやるから。なぁに、誰が解いても同じ答えに辿り着くのが数学の唯一の美点なんだ、バレやしねェ。卑しくも元・数学科の俺様が代行してやっから、お前は大人しくヴァイオリンを弾け――弾くんだ」


さっきまでのブルーさがどこへやら、鬼気迫る表情で詰め寄る私にモモも圧倒され、


「判った――判ったよ。でも、読めるように書いてね。後で自分の字で書き写すから」


「まっかせんしゃい!」


なぜか博多弁。


手慣れた堕落っぷりを発揮するモモの前に、ヴァイオリンケースを携えた黒江さんが戻ってくる。


手渡されたそれを、慣れた手付きで取り出しながら、


「今、『愛の挨拶』ぐらいしか弾けるものないけど――」


「エドワード・エルガー、作品番号十二だろ? 意外と知られていないことだが、元はピアノ曲で、その原典版を、何を隠そう、俺は弾いたことがある。伴奏版よりちょっと余分に音が多いが――まっかせんしゃい」


意気揚々とグランドピアノの前に向かう私に、ヴァイオリンを持って付いて来るモモ。ほんの申し訳程度のチューニングを行い、音楽家特有の目で拍を知らせてから、私はおもむろに鍵盤を押し始めた。


規則的なシンコペーションがもたらす安心感、限りなく明瞭な調性、すんなりと流れる自然な旋律は、時に通俗的と通ぶった愛好家からけなされ、音楽学者に見向きもされなくとも、余りある魅力に満ち溢れている。それは謂わば理屈ではない、精神性を体現する音楽というか、時に技巧や深淵さという名の小難しさに走りやすい現代音楽壇への警鐘であると私は考える。イギリスはバロック期のパーセル以降、長らくクラシック音楽不毛の地と言われ続けてきた。しかし繁栄と安定を愛する国民性は、他のヨーロッパ諸国が激動に揺れる中、刻一刻とその精神的円熟性を育んできたのである。


そもそも音楽とは何か。


多くの人は『芸術』と答える。一部のロマンチストは『心』だと言う。LSDと行き過ぎた平和思想で朦朧としたヒッピーの意識下では『思想の媒体』として、リズミカルなアフリカ系の黒人やカリブ海の人々の間では『魂』として信じられている。


音楽とは、元をただせばただの『音』で、空気中の分子を震わせる現象に過ぎない。物理学者たちはそう捉えているが、そこになんらかのプラスアルファを感じるかは、個人の判断に委ねられている。


そして私は。


遠い異国の地で多感な少年期を過ごし、多種多様な文化の鮮やかさに感銘を受ける反面、様々な軋轢による苦労も一通り味わってきた私は、文化の産物、すなわち『工芸』だと考えている。


歴史を繙けば一目瞭然、こと西洋音楽史に関する限り、その根源はグレゴリオ聖歌であり、教会で行われる様々な典礼を様式化するための『道具』だった。世に溢れる芸術の殆どが、同じような黎明期を過ごしている。例えば焼き物は日常用で、その後茶道の道具として見た目の美しさと思想が混然一体となり、現代へと受け継がれてきた。


つまり需要と供給が兼ね備わってこその『工芸』なのだ。作り手と使い手。双方の想いが結ばれたとき、芸術は初めて産声を上げる。


ところが日本においてはどうか。


明治維新以降、数々の西洋文化が淀んだ池のようだった鎖国していた日本に流れ込み、人々はその新奇的な品物の数々に困惑し、魅了された。表層をなぞるだけで満足し、飽きたらまた次のものを追い求める――そんな激動の百五十年間を過ごしてきたと言っても過言ではない。


上辺だけの魅力が独り歩きし、人々がそれを追い求める。そこに形ばかりの需要と供給が成り立ってしまい、今の狭い音楽界は回っている。けれど果たして、そこに本当の文化としての価値はあるのだろうか。なにせ、西洋音楽は所詮西洋のもの。私たちとは喋る言語も違えば肌の色も違う、風土気候、何から何まで異なる異界の人間が作り出した道具なのだから。果たして、私たちにそれが理解出来るのだろうか。


私は、だから日本のクラシック音楽界が嫌いだ。


判ったようなフリをして、得意げになっている。これは深い、これは面白いと仲間内だけの会話に精を出し、一般市民を置いてけ堀にしている。


判らないものは判らないままでいいのだ。判りっこないのなら、一度原点に帰り、日本人の目から異文化を観察すべきなのである。つまり文化という極めて主観的な主題を論ずる上で、客観性を取り繕うのはまったくの無駄。アイスクリームを箸で掬おうとするようなもので、端からお門違いなのである。




だから、私はエルガーの『愛の挨拶』のような曲が好きだ。


パッと聴いて、パッと感情が沸く。


パッと皆で共有でき、パッと安心感に浸れる。



禅僧は厳しい修行や難解な問答を経て、言葉では言い表せられぬほどに単純な真理に行き着くという。真の文化、真の芸術というのも案外そんなものなのかもしれない。紆余曲折を経て一周回ったところにあるシンプリシティ――それこそが不変の美なのであろう。


そうこう私の思考がまた小難しい袋小路に迷い込んでいる隙に、曲は終わりの二重線があるところまで行き着いた。


上の空だった訳ではない。そこは言い出しっぺ、そこは仮にもプロフェッショナル。きちんと指を懸命に動かしながら、脳で曲の進行を見据え、残りの箇所は全てを耳にしてモモの主旋律を分析していた。



いやはや――驚いた。


黒江さんも同感だったようで、普段は雨が降ろうと槍が降ろうと顔色一つ変える様子のない彼女が、切れ長の目を真ん丸に見開いて呆然としていた。やがて意識が返ってくると、ほとばしる感銘に突き動かされたかのように、熱烈な拍手を送った。そんな姿に、私は旧き日のある光景を漠然と思い出しかけていた――


「お見事。本当に、素晴らしかったですわ、モモちゃん――こんな嬉しい驚きは、暫くご無沙汰してましたよ。本当に――どうして今まで黙っていたのか、理解に苦しむレベルで素晴らしい演奏でした」


ほんのりと頬を赤らめるモモ。そして心配そうに私の方を上目遣いに見やる。


私はまばらに生えかけた顎髭をさすりながら言った。


「俺も同感だ。こんなビックリは、黒江さんがある日突然やって来たことに匹敵する、この平音楽教室史上稀に見るモンだ。ただ同時に合点も行った――モモ、お前のピアノのことだ。時に旋律が異様に間延びして、曲のリズム感が失われる欠点――あれは、ヴァイオリンでビブラートを掛ける要領で過剰に音が引き伸ばされるから起きる現象だ。そして、右利きなのに右手のフォームが左に比べて不格好に丸まっている点――それも弦に指を掛けて音程を調節するヴァイオリンから来たものだったんだな。あと首――不自然に右へ傾く癖――ここまで頑固にヴァイオリンの作法をピアノに持ち込むとは、よっぽどのバカがよっぽど真剣にもう片方に打ち込んでいないと出来ない芸当だ」


モモがはにかみながらも、ちょっぴり不満げな顔をする。


「なんか最後の方、褒められてる気がしないんだけど――」


「いや、褒めてるさ。そりゃ我流で、基礎があやふやな点は否めないが、何をやりたいか、何を言わんとしているかはハッキリと判る演奏だった。その一点だけでも、芸術家としてのスタートラインに立っていると認められる。モモ、お前には音楽家の素質はある」


「じゃあ――」


「勘違いするな。素質があるからと言って、音楽家になれるとは言っていない。むしろ音楽家を卑しくも名乗る上では、音楽性なんて二の次なんだ。基礎だけは適当にどっかで叩き込まれ、試験で落ちない演奏が出来る――そうして生き延びてきた音楽家が今の世の中――日本のみならず、海外においても溢れ返っている。要は博打を打たない、このヤクザ仕事において最もローリスクローリターンなスタイルだな。ただモモ――お前の演奏は違う。一攫千金を得られる確率は億万分の一、残りは十中八九スッテンテンになるという超極端なものだ。たった一枚買った宝くじで三億円当てるより尚確率が低い。人口がかつてないほどに膨れ上がって飽和状態の今の音楽界じゃ、まったく逆風もいいところの素質だ」


私は見えていた。


今まで幾度となく交わしてきた言葉のどれよりも速く、明瞭に判るメッセージをモモは伝えてくれていた。


『音楽は最も原始的且つ究極のコミュニケーションツールである』


そう言ったのは私の師匠だが、今まさに、私はその言葉の真意が判った気がする。


モモが私の元へ寄越してきた質問の答え。


家出だの将来の話だの、やりたいことだのをあーだこーだ論じてきたその背景にある提題。


コイツはヴァイオリンが好きで、どこかヴァイオリンの道へ進みたいと思っている。


それが判ったからこそ、敢えて私は心を鬼にして、厳しい言葉を投げ掛けた――まあ、普段からもっと口汚く罵ってはいるけれども。


大人しく聞いていた黒江さんが、そっと口を挟む。



「なんだ。モモちゃん、やりたいことあったんじゃないですか」


「やりたいこと――?」


私は頷いた。


「ほら、家出の当初の目的の一つだよ。将来やりたいことを探すってやつ」


モモは、顔を真っ赤にして俯いた。


「でも、先生、それは現実味がないって――」


「現実味なんぞなくてもいいんだよ。幼稚園の子供が、『将来の夢は?』『アタシ、お花屋さん!』『アタシ、お嫁さん!』って言うようなモンなんだから。実際、花屋はあかぎれ腰痛との戦いという過酷な現場だと聞くし、花嫁なんて大多数の人間はほっといても勝手にいつか通り過ぎてる道だしね。別に同じ夢をずっと抱き続けろとも言わん。時代や精神の成長と共にその都度変わって行く――そんな不確定性を含めての、『夢』なんだよ」


モモは、小っちゃな頭を出来る限り真剣にフル回転させながら、ポツリポツリと言った。


「そりゃ、私はそれでいいかもしれない。でもお母さんやお父さんを、どうやって納得させれば――」


「それはどうとでもなると思いますよ」


私が言葉を発するより早く、黒江さんが言葉を継いだ。今までは傍観者あるいは補佐役の地位に甘んじていた黒江さん。けれど今、沸き立つ熱意のようなものが、その色素の薄い顔面の下でたぎっているように見えた。


「親には、子を世界に産み落とした以上、独り立ちするまでのありとあらゆるワガママ、気まぐれに付き合う義務があるんです。それは時に必要性に強いられることのない、自ら進んで快諾する類の使命ですわね。いかに尤もらしい顔をして荒唐無稽な世田話よたばなしだと一笑に付しても、その内心ではかつて自分が同じように幼く純粋だった頃の記憶を懐かしみ、また子供が正直に話してくれたという信頼感にいたく感銘を受けるものなんですよ」


「おいおい黒江さん、どうしたんだ一体。俺の胡乱な物言いが伝染ったんじゃないのか」


私は茶々を入れながらも、穏やかな表情を浮かべる。


「でも、言わんとしていることは判るな。信頼関係の強さってのは、いかに恥も外聞もかなぐり捨てて自分を曝け出せるかに比例している。友達関係でそれが出来れば『親友』、恋愛関係では『パートナー』、師匠と弟子の間では『師弟愛』と言葉を変えていくものなんだ」


「信頼関係――」


「そう、信頼関係。例えば現に、私や黒江さんも、お前とはただの一生徒と以上の信頼関係を築き上げてきたと信じている。そうでなかったら、こんな家出だの親子関係の悩みだの、どっからどう見ても見苦しい内幕を雁首突き合わせて論じることもないだろう?」


モモは力なく苦笑した。


「ハハハ、見苦しいって」


「見苦しいさ」


私は力説した。


「でもそれは、決してマイナスの方面ばかりに働くとは限らない。言っただろう、要は見苦しさを踏まえての、人間関係に必要なエッセンスだって。その意味ではお前に限らず、土安家はとても良く俺たちを信頼してくれている。お前の母親のあの苦情と愚痴のホルマリン漬けみたいな態度――あれも言い様によっては、平音楽教室をこの上なく信頼してくれているという証拠になる」



そうなのだ。


苦情には主に二パターンあり、信頼関係の裏返しとも呼べる駄々っ子のようなそれと、純粋に悪意ある攻撃性に根差したものがあるのだ。


後者の場合は、カスタマーセンター等に掛かってくる所謂クレーマーというヤツだ。日頃の鬱憤を晴らすがべく、匿名性の高い媒体を用い、藪からチクチクと竹槍で突くような嫌がらせに精を出す。隠れ蓑があるから自分の素性を白昼の下に晒すことなしに、一方的な加虐精神を満足させる――一方性にこそ意味がある。


対して神風特攻のような土安母タイプというのは、赤裸々さ――実名性に重きを置いている。常に『私が土安萌々香の母でござい』と鐘と太鼓で喧伝して回らなければいられない人種。それはある種の『構ってちゃん』で、押し売りな面があるのは否めないにしろ、信頼関係の美徳を誰よりも強く信じていないと出来ぬ所業と言えた。



だから。


「だからさ。運が良いか悪いかは知らんが、そういう親御さんの下に産まれちまった訳なんだからさ、そのご期待に応えるがべく精一杯ワガママを言ってみたらどうだ? 思いついたこと、行き当たりバッタリに。中には、スイスイヌルヌルとかわされ続けるより、ガツンと正面衝突を望んで突っ込んでくるはた迷惑な人種もいるんだよ」


私と黒江さんの説得を経て、モモのどこか鉄壁の外装が剥がれ落ちて行くのを感じていた。通常と違い、家の中で最も分厚い鎧に身を包んでいたモモ。外での無防備さのほんの一万分の一でも、そっちへ回したら事態は好転すると、私は願って――いや、信じている。


それでも、ちょっと不安そうなモモ。食べかけのプリンが、スプーンの上で哀愁を帯びながら垂れ下がっている。


「でも、大丈夫かなぁ――まだモヤモヤとしていて、何の結論も出せていないけど、お母さん、話を聞いてくれるかなぁ」


それを聞いた黒江さんが、フッと小さな笑い声を漏らし、ちょっぴり好戦的に言う。


「その時は、その程度の親だったと言うことです。庇い立てする義理もありません」


おうおう、結構怖いこと言うじゃないか、黒江さん。


普段お淑やかな人だけに、こういうところで牙を見せると一層の凄みが沸く。はて、何か親子関係で思うところがあったのだろうか。少なくとも、こんな生まれる年号を一つか二つ間違えた人種を生み出した親御さんというのも、中々想像が付き難く、興味がそそられる――


何はともあれ、一つ肩の積み荷を降ろす算段の付いたモモの顔は、この夏場の台風という鬱陶しい極まりない陽気の中で、一滴の清涼剤と呼ぶに相応しいすがすがしさを持っていて、偶にはこんな実りあるヒマな日があっても悪くはないと私に実感させる何かがあった。



そして、穏やかにこれから日没までが過ぎて行くと思われた刹那。


「はい、約束。じゃあ、これお願いね」


と突き出された高校数学のプリントを見て、私のそんな束の間の休息とも呼ぶべき時間は見るも無残に吹き飛んだ。


十年越しの数学。



やっべ――まったく思い出せねェ。



決して穏やかに時を過ごすことの適わぬ平ミノル氏であった。



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