釜飯の器は大きいのに、私の器はちっさい異文化交流。



上野発の電車の夕ラッシュは、東京駅から苛烈化する。


その為、私達はなんとかお目当ての席を三つ揃って取ることが出来た。


黒江さんのデカブツ(チェロ)は座席の下に潜り込ませ、端から黒江さん、私、戦士の順に座った。あっという間に築かれるサラリーマンの壁を前に、満足に呼吸できるという有難味を心から感じた。東京から大船までたかが四十分、されど四十分。オッサンの吐いた二酸化炭素や誰のものとも判らぬ屁を吸い込み続けるには、余りにも長すぎる。


前に立ったOLの鼻の頭に、脂取り紙を押し付けてやりたい衝動に駆られながら、私は言った。


で、戦士。日本に来てからどのくらいになる?」


戦士は私達の弁当を、まるで札束がぎっしり詰まったアタッシェケースか何かのように抱きかかえながら返す。


「まだ三ヶ月、です。でも日本語は、前から勉強しています。大学時代、日系企業の現地工場で働いていたこともあるので」


「大学? 専攻は何だ?」


「工学、です。実家は貧しく、家族も多かったのですが――」


戦士は少し照れ臭そうに、


「奨学金を貰えたんで。それで、大学には行けたんです」


ウゲェ、理系かよ。


地頭の良さだけで高校時代を乗り切った私は、語学の試験等が無いという理由だけで、ドイツの工科大学の数学科に進んでしまった忌まわしき過去がある。まあこれは我が人生史上、一二を争う大誤算で、公式ありきで成り立っている高校数学と、理系版哲学と呼ぶに相応しい公式を疑い貫く研究学問としての数学の違いを全く考慮していなかったのが一つ。そして、転科しようにも筋金入りの機械音痴の私にとって、工科大学の中で扱われているのは、どれもオーパーツのようにチンプンカンプンな代物ばかりだったのだ。心の中で音楽への傾倒を更に強めていた私は、終いには工科大学は異教の総本山で、木こりシャツにたくし上げたジーンズを履いた学生たちは皆宇宙人のように見えていた。以来、理系全般に摩訶不思議な感情を抱くようになっていて――四則演算以上の数学問題を見ると、呼吸が荒くなる。


まあでも確かに、戦士の横顔は中々に利発そうで、一応名門だった母校の工科大学でもウロウロしていた類の顔立ちだった。半田ごて持つと人が変わるタイプ。


「で、卒業して出稼ぎか。やはり君たちにとって、日本ってのは魅力的な職場なのかい? 給料的に」


「そりゃあもう。一族から三四人が海外に出れば、国の家族はきちんと食べていけます。インドネシアで働いていたんじゃ、到底不可能な額を稼げます」


「日本は核家族化が進んでしまったからねぇ。『一族』って言われてもピンと来ない時代な訳だけれど――」


私はふと、銀蔵爺さんの我儘を思い出していた。息子夫婦と同居し、面倒を見てくれている――それだけでも勝ち組の老後。でも彼は、どこか昔と照らし合わせて孤独を感じている。人と人との結びつきは、確実に弱まっている。


「その『一族』ってのは、大体何人ぐらいを指すモンなんだ? お前は何人家族なんだ?」


「三十六人、です」


なんの迷いも無しに即答する戦士。私は絶句した。


三十六人! 三ダース! これ、一家族の単位じゃなくって、一個のサッカーチームか何かだろ。おじおば四人、いとこはなぜか一人の私からすると、天文学的数字である。


黒江さんも同意見らしく、感嘆と畏怖の入り混じった複雑な表情を浮かべて、戸惑いながら言った。


「ええ――その――まあ、皆さんとても頑張られたようで」


戦士は一瞬キョトンとしていたが、すぐに私らの言わんとしている事が判ったようで、勢いよく頭を振りながら否定した。


「いえ、そうじゃないんです――インドネシアでは、日本とは家族の概念が違うんです。祖父母は勿論、両親の兄弟やその配偶者たち、その子供たちも殆どが一緒の家に暮らすんです。食べる口は多いですが、その分、全員が共同体となって他の家族の面倒を見ます。近所には、祖父母の兄弟たちが、また別の大家族を築いて、始終行き来しています。現に、ボクの子供たちも、妻だけじゃなく親戚一同の目に見守られ、父親不在の中でも育っています」


ふうん、そんなものかね。


介護や育児の人手不足、そこから来る孤独死や少子化といった日本が抱える問題とは、およそ無縁そうである。ようし、孤独に苛まされる銀蔵爺さんにこの解決法を教えてやろう。産めよ増やせよ――流石にもう手遅れか。


それにしても、この戦士君、何歳なんだ? 私よりは年下に見えるが、もう子供が複数いるようだし。子供は何人いるんだ?


その質問を戦士にぶつけると、返ってきた答えは、更に私たちの口をあんぐりと開けさせるものだった。


「二十八歳、です。そして子供は――五人です」


「五人!」「五人!」


予期せずハモる私たち。


いや、なにが『そうじゃない』だよ。家族の定義云々以前に、超が付くほどお盛んじゃねェか。


そんな心の声も放ったらかして、戦士は懐かしむように言う。膝の上の弁当が、まるであやされているかのように揺れる。


「一番上は八歳で、末っ子は去年産まれたばかりです。上から――」


当人に輪を掛けて発音不可能な名前が並びかけたので、私は慌てて口を挟む。


「一番下なんて、まだ可愛い盛りじゃないか――物も言わないし(ちょっぴり黒江さんに抓られた)。さぞ寂しかろう」


「そりゃあもう――」


戦士は沈んだ面持ちで、


「でも、生活の為ですから」


ようやく、奇跡的に話が元のところへ戻ってきた。


「そうだ、それそれ。仕事のことだよ。一体どんな職場なんだ?」


「どんなって――普通の工場ですよ」


電車は多摩川を越え、川崎市に入る。領内に入った私は、大分気分が安らいでいた。


「その『普通の工場』ってモンを余り知らないんだよ。それに仕事柄、日本に住んでいる外国人と接することが多くてね。後学の為にも、聞かせてほしい」


戦士はゆっくりと頷くと、その重い口を開き始めた。


戦士の職場は千葉にある。神奈川からわざわざ通勤している理由は、なんでも以前兄が川崎に勤めていた頃のアパートを引き継いだ所為で、今の工場もその紹介らしい。川崎の工場には同郷の労働者が多く、きちんとインドネシア人のコミュニティが出来ていたらしい。だから少し内向的な弟でも、寂しさを最低限に抑えて勤められると今の職場を紹介したらしいのだが、兄は職場ごとの労働環境の違いを考慮に入れていなかった。千葉の工場は川崎のものよりもずっと規模が小さく、数少ない外国人労働者も皆マレーシア人だった。


そこも私は詳しく知らなかったのだが(卑しくも歴史の研究家の端くれとしては、情けない限りである)、インドネシアのジャワ人とマレー諸国のスマトラ人は、教育や文化で古くから密接な関係にあっただけに、どこか競い合う――どちらが本家でどちらが分家かといがみ合っている面が多々あるらしい。どこの国でも、お隣さん問題というのは少なからず孕んでいるものなのだ。


如何にマレーシア人が多数派とは言え、所詮は四五人。一人ぼっちの戦士に眼を付けたのは、日本人の従業員たちだった。


聞けば、そのクズ共(敢えてハッキリと自国民を貶しておく――そいつらはクズだ)は、当初はカタコトの日本語を喋る戦士をからかいの対象と看做して近付き、けれど戦士が大学を卒業した工学学士だということを知ってからは、溜まっている鬱憤の捌け口とするようになった。戦士は別に学歴を自慢した覚えもなければ、彼等を格下と考えたこともないと言う。私は、それを事実だと思う。戦士は淡々と事実を述べただけなのに、勝手にやつらはコンプレックスを刺激されて、醜い本性を露にしたのだ。


日本は学歴社会である。高度経済成長期の原動力となった幻想が、今でも妄執としてこの『発展し切った』国に纏わりついている。ブランド力を重視し、ただの喧伝以上の価値を求める。そんなんだから、今や大卒資格なんて金さえ積めば自動車免許より簡単に入手できるし、資本主義は拝金思想として日本唯一の国教が如く振舞うようになっている。『八百万やおよろずの神』ってのは、いつしか値段に置き換わってしまったのだ。


その『八百万』の神様が微笑まなかったと誰よりも深く自覚し、憎んでいる日本人たちは、レトロな昭和のチンピラがそのまま社会人化したようなヤツらだった。パシリは当たり前、平気で物を集る。少しでも戦士が嫌そうな顔をすれば、凄味を利かせて詰め寄る。工場は高電圧や超重量の器機も扱う危険な職場なのだが、怪我をするギリギリのラインを狙って事故を装って小突いたり、驚かせようとしたりする。外面の良さも併せ持っていて、警官の前では無駄に愛想の良くなる不良少年のように、上司の前では猫を被っているらしい。


やめちまえよ、そんな職場。訴えちまえよ、そんなヤツら。


言うのは簡単だが、現実はもう少しややこしい。国は、飽くまで自国民を優先する定めにあり、外国人が大きな顔をすることを望まない。


諸君、私は断言する。これこそ世界が大きく掲げる『グローバリズム』の実態なのだ。


グローバル化というのは、『国』という概念があって初めて成り立つインターナショナリズムなのであり、『国』には民族性や国粋主義とは切っても切れぬ仲にある。百年ちょっと前まで鎖国していた単一民族国家の日本は勿論のこと、同様の問題は世界の国の数だけある。


私は、国を愛する気持ちは真っ当なものだと思うし、国粋主義も悪だとは思わない。群れる習性を持つ以上、自然界の一員として縄張りを築き、排斥しようとするのも当然の行為だ。むしろ『平等』を声高々に謳うだけのエセの博愛主義の方が、余程虚しく木霊しているように思う。


要は、心持次第なのだ。自分に居心地の良い空間を作れば良い。けれど、狭い社会においては視野も狭くなってしまうのが人の常。戦士も、『家族の為に今の仕事を守らなければならない』と思うが余り、必要以上に小さくなってしまっている可能性はある。弱い者いじめが好きな連中は、そうした些細な心理も絶妙に読み取って、蠅のように群がって来るのだ。


いつのまにか持論の長口上を意気揚々と垂れ流していた私は、ふと我に返った。


恐る恐る両隣を見てみると――黒江さんは案の定『またか』という屈辱的な生温かい眼で見守っていて、戦士は私をまるで奇跡かなにかのように見つめていた。


気付けばもう戸塚。


大船まではもう一駅で、立っている人もまばらになってきている。


また戦士が私をベタ褒めして、いい気になることを見越した黒江さんが(図星)、心配そうな表情を浮かべて身を乗り出した。


「それはお気の毒に――あんまり度を越しているようなら、きちんと訴えるべきですわ。会社としても、下手に事故とか起こされたら大変ですから、無下にはしないと思いますよ。それにしても、顔色が優れませんわね。きちんとご飯を食べて、寝てますの?」


戦士はまた曇った表情になって(秋の空みたいにコロコロと変わる)、頭を振った。


食も細く、眠りも浅いらしい。


「それはいけない」


私は言下に言った。


「睡眠は健康の基本だ。なんでも叶い、どんなことからも乖離された文字通りの『夢の国』へ行き着く唯一の手段だ。そして、眠るってのは結構体力が要るからね、栄養は摂らなきゃいけない。ロクに眠らず、ロクに食わずなんてのは――現実世界の荒波を、息継ぎなしで泳いでいるようなモンだ」


右隣りから来る黒江さんの視線がイタい。


なに言ってんのコイツは、というよりも、その憐れむような優しい視線がもっとツラい。


耐え切れなくなった私が立ち上がると、タイミング良く間延びした車掌の声で、『エー次は大船ァ、大船ァ』とアナウンスが鳴った。




大船駅の階段をゼエゼエ言いながら昇り、うっかり忘れて改札機をバタンと閉じさせ、一人哀しく精算機へ向かい、有難く頂戴した千円札をカードに振り込むと、私はようやく隣接する菓子屋のショーウィンドウを物色する黒江さんたちと合流できた。


黒江さんは、背負ったチェロケースをこちらに向けたまま言った。


「さあ、行きましょうか――戦士さん、お住まいは遠いんですか?」


「いえ、歩いて十五分程、です。でも、食べる物がないので、スーパーで売れ残った惣菜か、インスタントでも買って帰ります」


「そう――提案なんですけれど、もしお嫌じゃなかったら、うちにいらっしゃいませんか? ずっとお持たせしていた御礼と、先生のお相手をさせてしまったお詫びに、お弁当を御馳走させてくださいな。丁度、三つあるんですよ」


ちょっと黒江さん?


あなた、柿の葉寿司でしょ。


残りの釜飯と牛スジ弁当は、両方私が買ったよね? 二者択一って法はないよね?

 そもそも、『お詫び』って――自分の存在が粗相かなにかのように思えてきた。


「本当ですか?」


今日一番のパァっと明るい表情を見せる戦士。


「ありがとうございます――実は、ずっと膝の上から美味しそうなお肉の匂いがしていて、お腹がずっと鳴っていたんです」


……十中八九、牛スジ弁当だ。


食い物のことでガタガタ言うのはみっともない。そう心に決め、私達はすっかり陽が落ち、ネオンが輝き始めた商店街を歩いて行った。


稲荷神社の前を通り過ぎ、鍵をガサゴソと探す私。あれ、右だったかな、左だったかな?


ようやく手さぐりで見つけたが、小銭入れに引っ掛かって出てこない。そうこうしている内に、相変わらず用意周到な黒江さんが既に合鍵を手にしていた為、私は大人しく郵便受けを漁る役に回った。


チラシと――封筒が二つ、か。


「ただいまァ」


ようやく帰ってきた懐かしの我が家に温かい声を投げ掛けると、日中締め切っていた屋内は思っていた以上にムワッとしていた。今しがた手にしたばかりの封筒でパタパタと扇ぎながら、私は廊下を直進した。


「先に家中の窓開けてくるわ。あとついでに部屋で着替えてくる――戦士、お前は居間で座っててくれ。手を洗いたいなら、廊下を挟んだ向かい側が洗面所だ」


階段をまたもややっとのことで昇り、襖を開ける。


灯りを点けると、ちらかし魔の私と整頓好きの黒江さんの、必死の攻防の跡が見え隠れする和室が姿を現した。


祖母の代から、殆ど模様替えをしていない部屋。日に焼けた畳、大昔に私が破いた障子――それぞれが悠久の時を刻み、箪笥には主を亡くした着物が詰まっている。座卓の上のパソコンと座椅子程度は私の代からのものだが、いずれもが褐色の和室に良く溶け込んでいる。


西日を諸に受けるその部屋は、どこにも増して蒸し風呂だった。雨戸を開けると、半日振りの外気が流れ込む。ついでに引き寄せられてきた蚊を、封筒ではたいて追い払う。


二通の封筒――はてさて、電気代もガス代もまだのはずだし、ネット代はつい先日払ったぞ、と思ってチラリと見ると、意外なことに両方とも私信だった。


一通は国際郵便で、読みにくい筆記体で『Mmeなんちゃら』とあった。これはフランス語においての女性への敬称で、この家にいる女性と言えば黒江さんの他にないので、彼女宛てのものだろう。


もう一通は、風変わりな葡萄の模様付きの封筒で――紛うこと無く私宛てだった。


差出人の名前を見るまでも無く、それは永久さんからだった。アンティーク趣味で、葡萄をこよなく愛する永久さんらしいデザインというのがまず一つ。そして、切手も貼っていない、つまりは直接投函されたものであるというのが二つ目だった。未だにスマホも持たず、仕方無しに購入した携帯電話も、一昔前のお婆ちゃんが持たされるようなモデルという、私以上のアナログ人間の永久さんならではの芸当だった。


手早く部屋着に着替え、封筒を破りながら階段を降りると、居間から話し声が聴こえていた。


便箋を取り出しながら、空のままの食卓を見て、私は口を開いた。


「あれ? まだ食い始めてないのかい?」


「冷めてしまいましたから、温め直しているんですよ」


と、黒江さん。


私は国際郵便を彼女の方へ放り投げながら、眉根に皺を寄せて言った。


「永久さんからだ。またあの姐さん、妙な注文よこしやがって」


「レコードのご依頼ですか?」


私は頷いた。


本業一つ、副業沢山の『平音楽教室』の業務の一つに、親父の道楽から端を発する中古LPレコードの販売業がある。海外のオークションサイトや、マニアの集う掲示板に首を突っ込んでは売りに出されている古レコードを、日本の愛好家の為に仕入れるのだ。一般にCDの寿命は三十年と言われているが、レコードは半永久的である。音質的にも無駄な変換や圧縮を介していないだけクオリティが高く、電源ケーブル一つの素材にもこだわるオーディオマニアの間では、最も広く膾炙している媒体と言えた。


ただねえ――結構重くてかさばるんだよ。それに、前に一度、ヨーロッパ遠征の帰りに箱一杯のレコードを飛行機に持ち込もうとしたら、不審に思われて中身を一切合財ぶちまけさせられた経験がある。スキャン写真を見させて貰ったらそれも納得、円盤は幾重にも積み重なって円柱を築いており、真っ黒な特大コイルのように写っていたのだ。


やはり東西ドイツのものが高品質で需要も高いとだけあって、ベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトやバッハ辺りなら結構簡単に手に入るのだが、よりにもよって――


「それがさ、あのヒト、今何に嵌って下さってるんだか、民族音楽ばかりなんだよ。インドのシタール、ハンガリーのツィンバロムにブラジルのギター音楽――これはまあ、六十年代の日本でも一世を風靡したユニットのだから、探せばあるだろうが――ガムランって。おまけにその中で細かく枝分かれしたものを、細かくご所望で。ジャワ島にスマトラ島に、竹笛アンサンブルに古典舞踊に――ホントにこんなモン、流通しているのか?」


戦士の耳が、雪原を踏みしめる音を聴いた白ウサギのように、ピクリと動いた。


「ガムラン、ですか――懐かしい、です」


「あ、そういやお前、インドネシア人だったな。もしかしたら、幾つかはインドネシアの業者を開拓しなきゃならんかもしれん――これ見て、大体心当たりあるか?」


戦士は、永久さんの几帳面な筆跡で認められた便箋をじっと見て、


「ウーン、詳しくは判りませんが、多分大丈夫だと思います。結構インドネシアじゃメジャーなのも多いですし」


私はポンと手を打って、


「そりゃ良かった。今度、暇な時でもちょっと手伝ってくれ――と言うか、今度永久さんとこに連れてってみるか」


電子レンジの小気味良い『チン』という音を聴き付け、立ち上がった黒江さんも言った。


「いいんじゃないでしょうか。きっと彼女も喜びますわ」


戦士は急遽出て来た新しい名前に、困惑の態だった。


「あのォ――『永久さん』、と言うのは――」


「ん? ああ、この町内で、小さな飲み屋を開いている女の人だよ。妙な物への興味に、人生の大半を費やしている趣味人だ」


戦士は尚も及び腰だった。


「でも――ボクのような外国人が行ったら、メイワクに思うマスターもいるんじゃないでしょうか。特に、小さなお店だと」


私は鷹揚に手を振って言った。


「いや、あの永久さんに限ってその心配は無い。自分の事差し置いて、他人のことを妙に思う資格はあの人には無いし、この町内の日本語の通じない人間が、一体何割ぐらいあそこに通っていると思う?」


「そうですよ、戦士さん」


と、黒江さんも補足する。手にはホカホカの牛スジ弁当(元・私の)が抱えられている。


「私も保証しますわ。永久さんでしたら、きっとあなたのことを気に入ると思います」


「もしかしたら、インドネシア語で話し始めたりしてな」


「それは流石に無いかと――無いですわよね?」


私が何気なく言った冗談を、馬鹿真面目に考慮し始める黒江さん。


ただ、そう言われると私も自信が無い。あのヒトなら、その位のこと平気で出来そうだ。


「ハハハ――楽しみにしておきます」


そんなやり取りを聞き、破顔する戦士。口が耳まで裂けているかのように、ニターっと笑う独特の表情。恐らく戦士の一族が住まう村では、こんな顔をした老若男女が沢山いて、五人のチビ達の何人かもそれを受け継いでいるに違いない。想像すると、ちょっと怖い。


黒江さんが来客用の湯飲みに緑茶を注ぎながら言った。


「さあさ、冷めちゃいますからね、どうぞ先に召し上がってください。はい、お茶――何も訊かずに出してしまいましたけれど、温かい緑茶で良かったですか? 冷たい方が良かったかしら」


「いえ、お構いなく。ボク、日本のお茶、大好きです。そして、やっぱお茶は熱いのに限ります」


「そう、ならよかった――これは貰い物ですけれど、静岡の結構良い茶葉なんですよ。私、実は日本茶検定一級を持ってまして――」


そう和やかに談笑する二人。黒江さんに至っては、小皿に醤油を差し、食べる準備万端である。


私は慌てて声を上げた。


「あの、ちょっと? 黒江さん?」


「はい、なんでしょ」


慎ましく口元を手で覆いながら、キョトンとした表情で見つめる黒江さん。


「お食事中のところ悪いんだけれど――俺の釜飯は?」


黒江さんはきちんと咀嚼して、しっかりと呑みこんでから口を開いた。


「電子レンジの中ですよ。温めている最中なんですから。冷たいままではお嫌でしょう?」


「あ、うん――いや、てっきり忘れ去られたのかと」


黒江さんは、鼻で笑った――繰り返す、確かに鼻で笑った!


「流石にそんな忘れっぽくはありませんよ――お弁当、二つ同時には入らなかったんですよ。あの釜飯、随分と器が大きいから」


いや、そうだけどさあ。


私は最近、どうも黒江さんの私への扱いが、以前よりも随分と雑になってきた気がしている。まあ確かに、前は少し礼儀正し過ぎて肩が凝るところもあり、もっとざっくばらんに行けと言ったのも事実だ。


でも、前の黒江さんだったら、私のご飯が出来る前に寿司を――温める必要が無いとはいえ、パクパク食べ始めるなんてことは、無かったように思うよ?


電子レンジの虚ろな呼び声が木霊し、私が熱し過ぎた釜飯をアチアチと持って帰ってきたときには、黒江さんはもう既に三貫目の柿の葉寿司の葉を剥いている最中だった。




釜飯の器は大きいのに、私の器はちっさい――そんな馬鹿なことを考えて一人悦に入りながら、私は割り箸を割った。


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