大船。平音楽教室。



大船。


大してメディアで取り上げられることもない地名なだけに、「どこやそれ」と思われる方が大多数だと思うので、二三の説明が必要だろう。



大船は、鎌倉市である。


日本の歴史を華々しく飾る武家の古都、鎌倉。


教科書にも引っ張りだこ、一定ライン以上の収入と知的水準を自負する皆様からもご愛顧いただく人気スポットだが、ご安心を。こと私に関する限り、『おハイソ』の文字は欠片もない。


どちらかといえば新興の街で、今から百五十年ぐらい前には交通の要衝だった。けれど小高い丘陵の隙間を縫った複数の河川が合流する氾濫原という土地柄、小ぢんまりとした村落の装いを棄て切れず、鎌倉の切れ端のような扱いを永年受けてきた。


二十世紀に入ってから商業都市として栄えてはきたものの、まあ世間一般でいう鎌倉のステレオタイプとはかけ離れている。



大船は、湘南である。


『海』『太陽』『若者』といったイメージが根強い湘南。本来は大磯、藤沢、茅ケ崎辺りを指す地名なのだろうが、化物のように周辺の街々を呑み込み、西は湯河原(ほぼ静岡)東は三浦(どう考えても横須賀)、挙句『湘南村』とかいう地名が北の果ての相模原にあるとかなんとか誰かが言い出したものだから、いよいよ『横浜と川崎以外はもう全部湘南でいいよ!』ってなまでに広がってしまっている。


まあ、大船で湘南の最重要要素である「『海』はどこ?」って訊かれたら、途方に暮れた表情で丘と空の間を指すしかない時点で、湘南ではない気もする。


あ、ついでにいうと、江ノ電も通っていない。でも湘南モノレールは走っている。



大船は、横浜である。


「さっき湘南は横浜と川崎以外全域だって暴言吐いたばかりだろう」ってお叱りの言葉が飛んできそうなので予め断っておくと、大船駅も駅前商店街も、半分横浜市栄区に越境してしまっているのである。つまり行政区分上は、鎌倉であり横浜でもあるの!



そんな『鎌倉』と『横浜』と『湘南』であり、そのいずれでもない街、大船。


嘗ては映画産業の中心地として栄え、そして衰退した街、大船。


その街で私は産まれ、紆余曲折の末に舞い戻って来た。


海も見えない、大仏もない(大船観音はあるけれど)、山らしい山も都会らしい都会も見受けられない、大してお洒落でも下町でもないそんな街。


けれど私に取っては無二の故郷で、そこで触れ合い生を全うすることこそが何にも代え難いライフワークで夢であり――私は今、日々一歩ずつゆっくりとその道を歩んでいる。



私は、そんな大船を――心から愛している。



* * *



大船駅の横浜寄りの出口を潜ると、いきなりパチンコ店、ドラッグストア、コンビニといった店舗が立ち並ぶ目抜き通りが広がっている。そこを真直ぐ行くと、もう少し幅の狭い商店街があって、家族経営の商店、洋服屋、飲食店等が所狭しと軒を連ねている。


一字一句に濁音を含む八百屋のオバチャンの呼び掛け、曲がりかけた腰で魚の箱を運ぶ寿司屋の大将の脇を通り過ぎると〈船月庵〉という和菓子屋があって、十字路を挟んだ斜向かいに小さな広場がある。


砂利を敷き詰めた月極駐車場のようなそこは、よく見ると神社で、背の低い朱塗りの鳥居と、雨風に晒され丸くなったキツネらしき像が見える。賽銭箱だけが目立つ簡素な本殿の隣には、地元の建築業者から譲り受けた物置のような神楽殿があり、都市開発の地鎮の為に建てられたものだということを物語っている。


それより先は、謂わば商店街の人の流れを畔に臨む住宅街で、狭間の街・大船の中でも最もどっち付かずな部分といえた。


その宙ぶらりんな地域の最初の一軒。


瓦屋根と引き戸を持つ、典型的な二階建ての昭和家屋。密集地らしく前庭がほとんどなく、玄関が門のすぐ近くにまで迫っているそこには、楷書体の表札と並んでもう一枚木の看板が掛けてある。


その名も、『平音楽教室』。


我が城、そして願わくば、我が棺桶。


城主はもちろん、私、平ミノルである。


夏場の暑い盛りなどは、引き戸を開け放し、網戸で風の通る道を作っている。耳を澄ますと、確かにピアノの音が聴こえる。けれど、近隣住人は騒音慣れしている所為か、特に練習室兼居間は神社に面しているからか、はたまた狭い敷地に針葉樹が防風林のように生えている賜物か。騒音に対して病的な敏感性を発揮する日本社会において、防音室などの不格好で高価な改装工事を施すことなく、奇跡的に地域社会に溶け込んでいた。


和風の板張りの十畳間は、流石にグランドピアノという重さ二百キロ越えのデカブツを置くと広さは感じないが、それでも大きなケヤキの座卓などを添えるには充分なスペースがあった。


縁側に面したそこは、平家の職場であり居間であり食卓――つまり家と職場としての機能を凝縮させた玉座の間であるわけだが、あろうことか主は今、身の丈百八十センチの痩身を丸め、眼の前でデンと構えくどくどと話し続ける中年夫人の剣幕に小さくなっていた。


地元の進学校に通う娘が文化祭の発表会で赤っ恥を掻いたことに端を発し、母娘揃って学校中の父母の物笑いの種になったと被害妄想に陥り、自分が娘に強いた過密スケジュールを棚に上げ、私に一切の責任を押し付けようと乗り込んできた次第である。


断っておくが、私は大人しい優柔不断な性質ではない。


気は良いし後腐れも無いのだが、少々短気で喧嘩っ早く、言うべきことはピシャリと言う。そりゃあ、このオバタリアン(死語)の乳当ての上に乗っかった贅肉を睨みながら、言ってやりたいことは山ほど浮かんでいた。「自宅で練習せずに弾きこなせたら、お前の娘は今頃大スターだろうよ」とか、「第一、お前ら母娘のことなんざ誰も注意して見ちゃいねぇ。自意識過剰だ、自意識過剰」とか、「そんな全部を一気にこなせる要領の良い娘が、手前から産まれてくるものか。いっぺん鏡見てこい」とか。


にもかかわらず、私がグッとほぞを噛み、延々と続くカバの鼾か掃除機の音を流れるがままにしていたのには訳がある。


一つは、なんだかんだでこの母親は、娘の『質の高い教育』のためには金をドブに捨てるのもやぶさかではないということ。


そしてもう一つが、これがオバサマの一種のストレス発散法で、こうして人様の家でデトックスをしたら、スッキリとした顔で帰路に着くということを知っている所為だった。


要は、端からこれは相談でも苦情でもなく、謂わば毎週火曜日と土曜日の朝のゴミ出しと一緒で、家の中に溜まりに溜まった不衛生な物を放り出すことで、また暫く清々しい気分でいようというレクリエーションの一環なのだ。


何を言うのもムダ、注意深く聴く必要もなし。お茶を啜りながら、適度に相槌を打ち、適切な当り障りのない言葉を挟むだけで、このご夫人は来月の月謝も払ってくださる。そう、これは労働。世間のサラリーマンがデスクの前に座って、書類を書いたり電話をしたりして給料を得るのと同じ、いまいちどこからお金が沸くのかよく分からない現代的労働の輝ける見本なのだ。ちなみに、脚の痺れと座骨神経痛に対して労災は降りません。


ただ、その日に限れば少し毛色が違った。


ノーベルだかノーヘル賞だかのエラい先生がインタビューで語った、「人様の役に立つ人間」という言葉に感化され、娘をマザー・テレサかキュリー夫人にでも仕立て上げようという熱意がムラムラと沸いて出たらしい。当初は害悪度でいえば大気汚染とどっこいだった愚痴の応酬も、次第に勢いとプロパガンダ性を増し、終いにはどこぞの独裁国家の国営放送を聴いているような印象を受けた。お陰さまで、陽も傾き喉も枯れ果てお開きとなった頃には、私も夕暮れの街を練り歩いて博愛主義と教育のユートピアを説いてやっても良いという気分になっていた。


せめてもの救いは、当の娘がこの場にいなかったことだろうか。相も変わらずやる気のないレッスンを終えた後、中間試験での成績が(もしくは『も』)振るわなかった所為か、お母様のおなりと入れ替わりに追いやられてしまったからだ。何でも、さらに追加で塾の授業を受けさせられているらしい。


ついにスーパーでのタイムサービス(要は惣菜の投げ売り)を思い出し、ようやく立ち上がった教育ママゴンの後姿を、私はご出棺の気持ちで見送った。


ああ、ようやく終わった。


ひたすら溜息しか出ない私を出迎えたのは、座卓の上に置かれたあつあつの緑茶、〈船月庵〉のきんつば――そしてマッチとタバコと、骨董品の赤切子の灰皿だった。


タバコの封を切り一本咥え、マッチを擦り、プウっと蒸かす。この一服が堪らずウマい。次いで、餡子の塊を噛み切り、お茶でさっと甘味を流す。これもまた、ウマい。


当てもなく彷徨っていた視線に、不意に付いたテレビのニュース番組が飛び込んでくる。


振り返るとそこには私以外唯一の働き手、黒江さんがリモコンを片手に立っている。和服の裾を払い、静かに腰を下ろし、箸を並べ始めた。


「お疲れさま」


黒江さんが言った。項に掛かった色素の薄い髪が、夜風に軽く靡いている。


「本当に疲れたよ。そりゃさ、あのオバチャンがここに来るたびに毒という毒を吐き散らして帰るのには慣れっこだよ。アイツはここをサンドバッグのあるジムかなんかだと勘違いして、スパーリングをしてく。それでお金はちゃんと落として行くんだから、こんな楽なありがたいお客はいないさ。でも、流石に今日は疲れた――ああもニュースの受け売りだかなんだか知らないが、付け焼刃ででっち上げた理想論を振り翳されるとね。今日は何分ぐらいだった?」


「七十四分」


「奇しくも、あのカラヤンがベートーヴェンの第九がスッポリ収まるようにCD規格に要請したのと、同じ長さだ! ただ、最後の方は『歓喜の歌』じゃなくって『機関銃』だったがね。お陰で俺は、哀れ蜂の巣だ」


神妙な顔をしてナスの煮浸し(絶品)を置きながら、黒江さんが再び言った。


「お疲れさま」


その時、テレビは連日日本中が沸くノーベル賞受賞のニュースを流していた。またあの崇高な理念が繰り返されることに身震いし、チャンネルを変える。よく分からない今時の芸人が騒いでいる。


「『人の役に立つ仕事』、か」


私の無意識に発した言葉は、誰の耳に入るでもなく、紫煙と共に宙へ消えて行った。


「わたしは――モモちゃんが心配ですよ。まったく余裕が無さそうですし――年頃の女の子らしく、もっと遊んだりお洒落したりしたいでしょうに」


モモとは、土安つちやす萌々香ももかのことで、あのオバハンの娘である。オカンの名前は忘れた。


「ああ、頭はパッとせんが、チャラくなれる素質のあるヤツだしな。あのオカンに似ずに、案外男受けしそうな顔しているだけに、男としては勿体ない気分でいっぱいだ。まあなんにせよ、本当に時間を有意義に使いたいんだったら、俺から教えを受けたり同じ空気を吸ったりしている時点で失格だな。このやる気のない、人の役になんか死んでも立ちたくない男に、『人様の役に立つこと』の金言なんて、逆さに振ったって出やしねぇ」


いつの間にか台所に消えていた黒江さんが、色々と盆に乗っけて戻ってきた。


吸い物に、鰹節たっぷりの冷奴に、ニラと牛肉の炒め物。それに粒の立った白米。そして忘れてならないのがキュウリの糠漬け。黒江さんが探り当てた、開かずの勝手口脇のひんやりとしたスペースは、まさに糠床の聖地と呼ぶに相応しく、そこで作られた糠漬けは風味塩加減共に申し分ない。恐らく、この家でピアノの次に価値がある。


視線で促されるがままに、灰皿と菓子の小皿を退ける私。


黒江さんは、慣れた手付きで手早く料理を並べて行く。


『人の役に立つ』――それを意識しても、世の中の大多数の人間は押しつけがましい偽善しかできないように、『人の役に立ちたくない』と思い貫くことこそ、案外本当の親切に繋がるかもしれませんよ」


「詭弁だな。ある箇所に掛けられた力が、凹ませようと殴った結果タンコブとして盛り上がってしまうように、予期せぬベクトルに曲がってしまうことはあるだろうけどね。まったく関係ない点が影響を受けてしまうことは、万が一にもないだろうよ。キリストじゃあるまいし、右の頬を張られて左が腫れるか? 人の役に立つまいと、必死に逃げ惑っているってのに」


黒江さんの表情の乏しい顔に、クスリと笑みが浮かぶ。


軽く口角を上げながら、穏やかな口調で言った。


「つくづく理屈っぽいですわね。例え一つとっても、極めて理系的」


私は肩をそびやかした。


「元数学科だからな。単位ゼロで辞めたが」


二人は再び笑い合い、夕飯を湯気が立っている内に食べることにした。


食事中の会話は驚くほど少ない。


それは別に、話す内容がないわけでも、以心伝心で言葉なくして通じ合っているという傲慢の現れでもない。ただ、私達は共に口に物を頬張って喋らないと教育を受け、よく噛みしっかりと飲み込む。それだけの理由だった。


私達は、波長が合う。


格段に賑やかになったわけではない。けれど、明らかになにかが違う。


同じ食卓を囲み、感じたことを言い合えることで、時は一人で居た時よりずっと穏やかに流れる。



夜は、ゆっくりと更けて行った。



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