第十一話
得体の知れぬ恐怖に震えるサリアナを己の寝台に寝かせたグウェンは、さらっ、と、美しい髪を指で梳く。
漸く夢の世界へと旅立った愛らしいその寝顔を見つめるグウェンの瞳は、何かを見透かすように鋭く細められ。
けれど。
「……グウェ、ン……」
意識がなくとも己を求めるその姿に纏う全てを柔らかくしたグウェンは、そっと、小さな顔に自分のそれを寄せた。
「何も心配しなくて良い。何も恐れなくて良い。──大丈夫だ。俺が護ってやる」
優しくも強いグウェンの言葉は、眠りに就いても尚、恐れに涙を流すサリアナの心に静かに浸透して行った。
「グウェン」
「ん、どうした?」
「呼んでみただけ」
「そうかよ。……サリアナ」
「なに?」
「俺も呼んでみただけだ」
「もー」
くつくつと笑うグウェンにサリアナは頬を膨らませる。
眠りから覚めたサリアナはグウェンから中々離れようとはせず、しかし常なら引き離すはずのグウェンは彼女の好きにさせていた。
温もりを感じていれば恐怖が薄らぐのか、何をしていても何処かしら触れている。
そんな日々が二週間程続き。そして──。
「何かあれば、直ぐに帰って来い。もし帰って来れなければ、どんなに離れていても俺を呼べ。良いな?」
「うん。約束」
漸く気持ちが落ち着いて来たらしく、再び一人で行動する意思を見せたサリアナに、グウェンは念を押す。
それにサリアナは確りと頷いた。
──ちゃんと大切に想ってくれている。
心で感じる事の出来る向けられた温かな気持ちに頬を緩ませて。
「昼過ぎには街に下りるから、それまでには戻って来いよ」
「はい」
素直に頷くサリアナの髪を、グウェンはくしゃりとひと撫でする。
幾ら落ち着いたと言っても、胸中燻っていた不安。それがグウェンの温もりと言葉に霧散するのを感じながら、サリアナは顔を上げた。
「行って来ます!」
「ん、気を付けて行って来い」
大切で、大好きな存在に見送られて、サリアナはあれから一人で赴く事のなかった森へと向かって足を踏み出した。
──久方振りにただ一人で足を踏み入れる区域。
僅かに緊張を抱きながらも歩を進める。
サリアナは、出掛ける前に覗いた食料庫の中を脳裏に浮かべる。
確か、備蓄していた干し果実が残量僅かだったはず。
今日は狩は行わずに果実を収穫して早々に戻ろうと決めて、森の奥地へと向かった。
そして着いた先には、大人の掌程の大きさの黄色い果実を幾つも枝にぶら下げた巨木が。
他とは一線を画す程堂々と立つその樹が、生きし物を誘うように甘い匂いを放ちながら実らせるそれに手を伸ばしながら、サリアナはついこの間、身に起きた異変を思い起こす。
(……あれは、何だったんだろう)
突如として体内に流れる血が沸騰したように熱く感じ、それが全身を巡る感覚。同時に覚えた殺戮・捕食衝動。血肉への渇望。
強烈過ぎたが故に、意識が一瞬飛んだ。
幸いと言って良いのか、グウェンに縋ったあの日以来、そんな状態にはなってはいないが、再び起きるのではないかという恐れが常にある。
ぎゅっと拳を強く握り、一つ
(……怯えてる?)
感じたそれは、森に生きる妖魔や獣の恐怖。
何かあるのだろうか、と気配を探ってみる。が、良く分からない。
その『分からない』という事実が、サリアナの薄れたはずの不安を増幅させた。
(帰ろう)
──グウェンの許へ。
心持ち早足で森を抜けるサリアナの唇はきつく結ばれ、心はただ愛してやまない男を求めた。
樹々の間を進み、後もう少しで森を後にする。出口が見えた事で、僅かに気が緩んだ。その時だった。
草木の間に息を殺して潜む妖魔の姿が視界の隅に映った。それは幾度もサリアナに牙を剥いた、好戦的な種族。
早く帰りたいのに。そう思いながらも、戦闘は避けられないと仕方なく剣の柄に手を伸ばす。
が、しかし目が合った妖魔から向けられたものに、サリアナは顔色悪くその場から逃げ出した。
妖魔から向けられた感情。それは警戒心でも敵意でも無く、──純粋なる恐怖。
あの時感じたものは、全て自分に対する恐れだったのだ。
(……グウェン、グウェンっ、……グウェン──!)
今まで、幾ら自分の方が圧倒的な強さを見せてもこれ程までの怯えを向けられた事はない。それは自身が変わってしまったのだと、それまでの己ではないのだと言われてしまったようで。
心中で唯一頼れる男の名を叫び駆けるサリアナは、折角収穫した果実が袋から滾れ落ちた事にさえ気付かぬ様子で、只ひたすらに助けを求めて地を蹴り続けた──。
苦じゃない。 永才頌乃 @nagakata-utano
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