月下血斗

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

月下血斗




 月下に吹き抜ける晩春の風、そこに混じる微かな鉄錆の

 それ即ち血の薫であると看破したものが其の場にどれ程いたか――

 弐名、僅かに弐命にめいであった。

 肩口に緩く刀を構えるやせ形の精悍な男は、目を細め其の風をゆっくりと吸う。

 ゆるゆると吐き出す向う側で、ずんぐりとした体格の男が五尺はあろうかという大段平だいだんびらを下段……そうして更に、脇構へと移行する。

 必殺――交叉必殺の構えであった。

 肩口に刀を構えた痩せ男はニヤリと口元を歪める。応じるようにその刀を大上段へと持っていく。

 共に一撃必殺。踏み込めば必死。されど互いの表情は変らない。

 此の二人に、凡そ因縁と云うものは無い。只々、殺し合いを所望する剣客である。唯々ただただ、好敵手であったというそれだけであった。

 風は温く、血の薫は強い。





 二人の横に、女が死んでいる。刀傷は二条。美しい女であったが、既にこと切れ、死顔は狂相に歪んでいる。ずんぐりとした男の妹であり、精悍な男を想う女であったが、二人が二人とも、邪魔と判じ斬り伏せた。故に二条の刀傷である。その程度を、因縁と思う真っ当な感情は、既に二人の剣士のもとには無かった。

 故に、この二人を阻むものは最早ない。あるのは剣鬼と剣客の犬も食わぬ矜持だけ。

 己より強いものに打ち勝ちたい。

 其の一心のみがその場に渦巻く春風に、背筋の粟立つ血腥さを与えている。

 精悍な男が一歩――否、半歩にじり足を進める。ずんぐりとした男は微動だにしない。

 脇構えの男の眼は、遠の昔にめしいていた。男は盲目であった。盲目の剣鬼であった。故に、動かぬ。不動。巌の如く構え、ただ必殺を期す。そう言った男であったらか、精悍な男もこの果し合いに応じたのだ。故に女を切ったのだ。更に半歩、歩が進む。二人の距離は既に十尺……





 蹴った。地を蹴った。


 意外なる哉先に動いたのは大段平の男であった。其の身の丈と同じ程の巨大な刀は魔術の如き動きで肩口へと昇り打突――突きの形に移行する。

 大凡実践では実用性皆無とみなされる心臓への突きの形である。

 さらに一歩。

 間合いが死に、大上段が振り降ろされる。





 鈍い光が閃く。


 剣閃は三度瞬いた。空を裂く音に音が重なり、更にその空間を光と化した刃が貫く。

 ――三段突き。

 踏み込みを以てして一刀、腕の伸縮を持って更に一刀、終に腰の回転の終点を持って一刀――全く同時、一切の寸暇無く三度の突きが、現代に甦った魔剣が奔る!





 月下に舞う影があった。ずんぐりとした男の恐るべき魔剣三段突き――その剣が過ぎ去った後に、パッと男の背より血の花が咲いていた。

 跳んだのだ。

 精悍な痩せ男はその身軽さを持って、振り下ろされた刀の勢いのまま一回転、大段平を踏み台に宙へと舞っていたのだ。

 何たる軽業何たる異能。空を舞った男の剣は、ずんぐりとした男の背を確かに斬り付け――





「――美事みごと――」

「――――」


 そして、着地と同時にその場へと崩れ落ちる。斬った、斬ったのだ。精悍な男が宙に舞う瞬間、その刹那に、三段突きの最後の一刃が翻っていたのである。


「――為った」


 それは、男の生涯を以てして鍛え上げられた剣が、三段突きが、更なる魔剣へと昇華した瞬間であった。





き、死合しあいであった」


 精悍な男は、口元に笑みを浮かべ、その言葉と共にこと切れた。生き延びた男は背中から血を滴らせながら、その場に胡坐をかく。


「応。佳き死合であったよ」


 呟くと同時に、男は大段平を己が首筋にあて――躊躇わず引いた。

 月光の中に、また影が舞う。


 晩春の温い風が吹いている。その中に血の薫が混じる。それに気付けるものがどれ程いるか。その場にはもはや、一命もいなかった。




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