第98話 生体電脳

「結局、等もそうなんだ……弥生も、等も、いろいろ理由をつけて絶対人権委員会にたぶらかされている……よくわかった……」

「なにもわかってない!」

 等はたまらず怒声をあげた。

「光、お前の言っていることは子どもと変わらない。絶対人権委員会を倒したいというのはよく理解できる。でも、具体的にお前はどうやってそれを現実にするんだよ!」

 鞭で打たれたように光の体が震えた。

「お前は絶対人権委員会に、反人権的な思想を持つものを報告するように刷り込みをうけている。いままでは知らなかったのだから仕方がない。でも、いまのお前はもうその事実を知ってしまった。つまり、これからお前がどんな反人権的組織と接触しても、お前は自動的にスパイになるんだ。しかも、それをお前自身だって理解しながら。矛盾もいいところだ。お前が絶対人権委員会に抵抗しようとすればするほど、反人権的組織の内情は筒抜けになって、結果的に絶対人権委員会はますます強固になる。それじゃ、意味がないだろうが!」

 光の顔は蒼白になっていた。

 まるで亡霊のようにすら思える。

「私は……」

「お前のやり方じゃ、絶対人権委員会を倒すなんてことは出来ないんだよ。でも、他のやり方がある。俺が絶対人権委員会に入り、内部から少しずつ変えていく。もちろん簡単に物事は進まない。けど、それでこの国をもっとまともなところに変えることはできる」

 ふいに、光が低い声をたてて笑い始めた。

「ふふ……ははははは……」

 一瞬、ついに光の頭がおかしくなってしまったのかと、等は恐怖を覚えた。

「そんな顔しないでよ……そうか、最初から私と等じゃ、見ているものが全然、違ったんだ。なんでこんなことに気づかなかったんだろう。馬鹿だなあ、私」

 頬を光の涙がつっと伝い落ちていった。

「自分でも厭になる。等は絶対人権委員会を憎んでいると思っていた。でも、違ったんだ。等はもっと先のことまで考えていたんだね。ましな国をつくりたいとか、みんなを幸せにしたいとか」

 嘘だ。

 そこまで深く考えてなどいなかった。

 単に絶対人権委員会に対する憎悪と嫌悪のほうがはるかに強かったのだ。

 絶対人権委員会を倒せば世の中はよくなる、くらいの甘いことしか考えていなかった。

「あのね、等、私は違うの」

 光はもとが美少女なだけに、感情をむきだしにするとより悽愴さがまして見えた。

「私は絶対人権委員会が憎くて仕方なかったけど……それだけじゃない。私は、人権を持っている人間も、憎くて仕方なかった。だって私は『人間じゃない』んだから」

「そんなことはない!」

 等は叫んだ。

「光……お前は立派な人間だ。人権を与えるかどうかなんて、それこそ絶対人権委員会が勝手に決めることだろう! 確かにお前は普通とはいえない生まれ方をしたけど、それでも人間だよ! 体だって心だって、人間そのものじゃないか!」

「待ってください、平さん」

 あわてたように弥生が言った。

「そのことで……少し、説明が足りなかった部分があります。人間の定義にもよるのですが、確かに光は、特に脳機能の部分において、生物学的な意味では人間とは異なるんです」

「え……?」

 寝耳に水だ。

「どういうことです? 光の脳だって、人間のものを……」

「脳神経の回路は確かに人間のものを使っているのですが、厳密には人間とは異なります。生体電脳というのをご存知ですか?」

 等はかぶりを振った。

 そんな言葉は聞いたことがない。

「私たちのような電脳も、さまざまな素材でつくられています。たとえば私は伝統的なケイ素系素子の半導体を使っています。量子電脳をのぞいて世間の電脳のほとんどはこの方式ですね。ですが、以前から生体素子というものが研究されてきたのです」

 まだよく理解できなかった。

「生体素子は、ケイ素系素子とは異なり、生物の神経系を利用したものです。たとえば、人間の脳などはある意味では、生体素子に近いといえるでしょう。より正確にいえば、生体素子を利用した電脳が、人間の脳の真似をしているだけなのですが」

 いやな予感がしてきた。

「まさか……」

 そんなことはありえない。

「残念ながら、そのまさかです」

 弥生は哀しげな顔をした。

「光は……彼女は、人間とはまた異質な存在です。彼女の脳は、生体素子を利用して設計された、生体電脳なのです」

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