第97話 嘘つき
あまりにも悲痛な光の声に、胸をえぐられたような気分になった。
彼女にとっては、弥生と等という大事な「二人」に一度に裏切られるようなものだ。
だが、それは違う。
等としては、なんとしてでも光を守りたいからこうしている。
弥生はやはりこうなることをあらかじめ想定していたとしか思えなかった。
「落ち着いて下さい、光」
人工知性体の声が室内に響いた。
「平さんの判断は、あなたを守るためのものでもあります。このままでは、あなたは魍魎として乙種や丙種市民にひどい目にあわされていたでしょう。平さんは現在の歪んだ絶対人権委員会のやり方に疑問を抱き、より良い社会体制の構築を望んでいます」
「そうなんだ、弥生の言う通りなんだ」
実際はもうよりよい社会など知ったことではなかったが、あくまでその演技を続けなければならない。
「いまの絶対人権委員会は、間違いなくろくでもない組織だ。それは俺たちが一番、よく知っている。だからこそ、俺はあえて、絶対人権委員会に入ることを選んだ。少しずつだけど、もっとみんなが豊かで幸せな生活を送るためには、それが一番だと思ったんだ」
現実問題として、この社会を簡単にひっくり返せるほど世の中は甘くない。
実のところ、弥生の申し出は本気で大亜細亜人権連邦のありかたを変えるには渡りに船なのである。
ただしそれは、まだ等が改革の意志を持ち続けていたら、の話ではあるが。
「絶対人権委員会を俺だって憎んでいる。あいつらのせいで、どれだけいろんな人間がひどい目にあわされてきたかをよく知っている。もちろん俺だってその一人だ。でも、大局的に見て、いくら俺たちが絶対人権委員会に逆らったとして、なにが出来る。光、お前は確かに電脳狩人としては優秀だよ。それは認める。でも、さっき、わかったはずだ。お前は全能じゃない。一度、電脳から切り離されれば、ただの女の子だ……」
光の顔がおかしな具合に痙攣していた。
さまざまな意味で、光は衝撃をうけている。
そのなかには「電脳に接触できないときの無力さ」もまた含まれているはずだ。
冷酷なようだが、この事実を光に認めさせるしかない。
「平さんの言うとおりです」
弥生が娘をなだめる母親のような口調で諭した。
「光、あなたがいままで自由にできたのは、私がいたから、というのもあるのですよ。さらにいえば現在の絶対人権委員会は、あなたを利用しています。反人権的な者たちをあぶり出すための道具として使われている。あなたの潜在意識に刷り込まれているんです。反人権的なものを見つけたら報告をするようにと。あなたが絶対人権委員会を憎んでも、それだけは変えられません。でも、大丈夫。私は個人的に光、あなたのことをとても大切な存在だと思っています。人間でいうならあなたは私の娘のようなものです。だから……」
「嘘っ!」
いきなり光が絶叫した。
「それじゃあ、なんで弥生は私の言うことを聞いてくれないの! いままで私のことを助けてくれたじゃない! 私が困ったときはなんとかしてくれたじゃない! 私は、絶対人権委員会を許せない! その気持ちは弥生ならわかってくれていると思っていた! でも……それも、嘘だったんだ!」
光の目からぼろぼろと涙が溢れた。
前々からある程度、気づいていたことだがやはり光の精神は不安定で、未成熟だ。
これでは母親にだだをこねる子どもとなにも変わらない。
その異常な生育歴を考えれば仕方ないが、やはり光の本質は「子ども」なのかもしれなかった。
体はきっちり発育しても、電脳技術では天才的な知能を誇っていても、情緒面においては初級学校の一年生にも劣る、歪んだ存在。
それが光という少女の本質なのだ。
ときおり彼女が見せた不気味なほどの冷酷さは、むしろ幼児のそれと似ているのかもしれなかった。
子どもは純粋で、いくらでも残酷になれる。
「光、落ち着くんだ」
なんとか彼女をなだめなければならない。
「弥生は君のためを思っている。彼女は人工知性体だけど、その気持ちは掛け値なしの本物だ」
すると、光が充血した目でこちらを睨みつけてきた。
「嘘つき……」
それが自分にむけられた言葉であることに等は気づいた。
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