第79話 殺し合い

 血を見た人間がしめす反応はさまざまである。

 とはいえ、恐怖に支配されるものが圧倒的に多いのも事実だ。

「やばいぞっ」

「迂闊に近寄るなっ!」

「くそっ、魍魎めっなんてひでえことをしやがる!」

 口々にそう叫びながら、群衆は後退していった。

 しかし、恐怖ではなく別の感情を昂ぶらせるものも少なくない。

 血の真っ赤な色は、人間のなかに眠る攻撃的な衝動も誘発するのだ。

 しかも相手が「人権を持った同じ人間」ならともかく、彼らは「魍魎なら何をしてもよい」と思っている。

「ふざけんなよってめえっ」

 まだ若い男がいきなり等の右側から襲いかかってきた。

 モップは柄が長いぶん、遠距離から攻撃できるという長所がある。

 だが逆に懐にまで迫られると、反撃のための時間が多少、かかってしまうのが欠点だ。

 まずい、と思ったときには顔面のすぐそばまで鉄パイプが近づいていた。

 金属が空を切る音が聞こえたほどだ。

 相手が横から鉄パイプをふるってきたのが、等の命を救った。

 本能的に身を沈めたことにより、頭上すれすれを鉄パイプが通過したのだ。

「このおっ!」

 鉄パイプにはそれなりの重みがあるため、相手は反動で体を振り回される格好になった。

 そこに出来る隙を利用し、モップの先をまた相手の顔面に叩きつける。

「いぎゃあああああああ」

 若い男が耳障りな声を放った。

 顔が無残に切り裂かれる。

 さらにモップの打撃により、脳震盪でも起こしたのかふらふらとしていたが、やがて路地に倒れた。

「ほら……どうしたんだよ!」

 無我夢中で等は叫んだ。

「魍魎が怖いかっ! だったら最初から襲ってくるんじゃねえよ!」

 普段はおとなしい自分とは別人が勝手にしゃべっているかのようだ。

「平、後ろ!」

 いきなり葦原の叫び声が聞こえてきた。

 振り返ると、いつのまに後方にいた人々がかなり間合いを詰めてきている。

 絶望的な気分になった。

 やはりこうした場合、数で圧倒されればどうしようもないのだ。

「いやああああああああああ」

 布に包んだ犬の像を霧香が振り回していたが、少なくとも多少の威嚇効果はあったらしい。

 背後からきた連中は、間合いぎりぎりまで近づこうとはしてこない。

 もっとも、それも長時間、もつとはとても思えなかった。

 なにしろ霧香はすでにかなり疲弊している。

 いまもずいぶん無理して、戦おうとしているのは明らかだった。

 男たちの目には醜い情欲の光が宿っている。

 もう奴らは、霧香をどんなひどい目にあわせるかしか考えていない。

 長時間の抵抗は、こちらにとって不利になる。

 やはり短期決戦で前方の敵の壁を突破するしか方法はないのだ。

 ここでぐずぐずしてると、敵の数だけがいたずらに増えていく。

 その瞬間、何人かの男たちがまたやってきたが、彼らの乗っているものを見て等の心臓の鼓動が高鳴った。

 自転車さえ奪えれば、勝機はある。

「わかってるな」

 葦原もやはり自転車を見ていた。

 うなずき返し、改めて覚悟を決める。

 鉄パイプの一撃は、一発くらえばそれだけで骨折するかもしれない危険なものだ。

 ならば、それを利用しない手はない。

「殺してやる!」

 怒声を放って、モップをちょうど自転車に乗ってやつてきた男たちのほうへと投げた。

「うわっ」

「やべっ」

 男たちが本能的にモップをよけて、自然と道が出来ていく。

「おらっぶっ殺すぞてめえらっ」

 葦原が腹にこたえるようなおそろしげな声をあげて、包丁を片手に駆け出した。

 その凄まじい形相と血まみれの刃物を見て群衆が割れ、さらに道が大きくなる。

 等はさきほど倒れた男から鉄パイプをもぎとるようにして奪うと、葦原のあとを追った。

 鉄パイプはずっしりと重く、驚いた。

 モップの場合は強化合成樹脂でできていたが、こちらは金属製なのだ。

 ある程度、予想しておくべきだったが、そこにわずかな隙が生まれた。

「魍魎めっ!」

 腹水のためか腹をふくらませた男が、目を血走らせて鉄パイプを振り上げる。

 こちらもやはり鉄パイプを使って受けるしか手がないと、一瞬にして等は悟った。

 だが同時に、いまからでは間に合わないと脳は残酷な判断を下していた。

 左右に体をずらしても、直撃は免れないだろう。

 こんなところで自分の生は終わるのかと不思議と冷静な心境で等は思った。

 死ぬ間際には過去の人生の出来事を一気に思い出すというが、あれは嘘だったらしい。

 もう一度だけ光に逢いたかったと思った刹那、鉄パイプを振りかぶった男の首筋から大量に血が噴き出してきた。

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