第78話 戦闘

 昔、といっても数ヶ月前だが、なかば苦笑しながら読んでいた「魍魎退治もの」小説を思い出す。

 だいたい、主人公たちが窮地に陥ったときは、仲間の人権を保護するために味方が颯爽と現れたものだ。

 そして悪い魍魎は「退治」されて、めでたしめでたしで話は終わる。

 いつも同じような展開で飽き飽きしていたが、いまはあの世界が懐かしい。

 創作物の架空の人物の人権すらもが保護されていた世界。

 まさかあのころは、自分が魍魎となり、人々に追われる羽目になるとは夢にも思わなかった。

 さらにいえば、魍魎になったものたちがどれだけ悲惨な最期をとげるかも、まだ知らなかったのだ。

 頼むから誰か、助けてくれ。

 そう願った瞬間、十字路の角から無数の人影が出現した。

 恐怖に胸を氷の手で鷲掴みにされた気がする。

 とてつもない勢いで心臓が鼓動を始めた。

「ついに来やがったが……」

 何十人もの、鉄パイプで武装した男女が目の前に壁となって立ちふさがった。

「魍魎だあっ!」

「あいつらは反人権的行為をしでかした、最低の奴らだっ!」

「そうよ! あんな奴ら、『人間じゃないんだから殺してもいい』のよ!」

 それを聞いた瞬間、光の顔が一瞬、脳裏をよぎった。

 人間ではないから。

 人権が存在しないから。

 なにをしても、良いというのか。

「お前ら……」

 等の頭蓋の内側で、怒りが急激に膨れ上がっていった。

「ふざけるなよお前ら……じゃあ、お前たちはなんなんだよ!」

「はははははははは」

「馬鹿じゃねえか、あの魍魎っ」

「魍魎がなにか吠えてるぞ、最高に笑えるよなあ」

 一人の男が前に出てきた。

 若い世代にしては、身長がかなりある。

 ひょっとすると一七〇センチを超えているかもしれない巨漢だった。

「俺たちが何者か? 決っているだろうが、俺たちは『人間』だよ」

 ああ、そういうことだよな、と等は思った。

 この男は当然のように人間は人権がないものには「なにをしてもよい」と考えている。

 本来の人権を自分たちに都合よく解釈した絶対人権委員会の価値観を疑ったこともないのだ。

 外国人には人権がないので殺しても良い。

 魍魎は人権が剥奪されたので殺しても良い。

 だが、実在しない創造物の人間には人権があるから殺してはいけない。

 こんな馬鹿な話があってたまるものか。

「お前たちは間違ってるよっ」

 等の叫び声に、嘲笑が返ってきた。

「間違ってるんだってさ、俺たちが」

「さすが魍魎。私たちとは考えかたも違うのねえ」

「気をつけろ。思考感染させるつもりかもしれないぞ」

「馬鹿、魍魎の言うことを間にうける奴がいるかよ。こいつらは存在そのものが反人権的なんだ。反人権的な奴らには罰を与えるのが善良な市民の義務ってもんだ」

 なにを言っても、通じない。

 わかってはいたが、悔しかった。

 悲しかった。

「お前らみたいな奴らが人間なら……人権があるっていうんなら……」

 等の頭のなかで、なにかが音をたてて切れた。

「人間も人権も、なにもかもなくなっちまえっっ!!」

 絶叫とともに、等は先頭に立っていた長身の男に近づいていった。

 とっさのことに、相手は反応できなかったようだ。

 違う、こいつらは本当の意味での覚悟がなかったのだ、と等はどこか醒めた意識で考えていた。

 いくら魍魎といわれても人の姿をしている者を攻撃することを、本能的にためらったのだ。

 だが、もう等にはそんなものは存在しない。

 本当に自分は人ではなくなったのだ、と思いながらモップを振るった。

 狙い通り、相手の顔面にモップの先が命中する。

「ぎゃああああああああああっ」

 男が無様な悲鳴をあげた。

 幾つものガラス片で顔を引っ掻かれて大量の血液が吹き出していく。

 それが凄惨な殺戮の始まりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る