第56話 措置

 時間という概念も頭から失われていった。

 少なくとも一週間はたっているが、そのあたりから時刻や月日というものが意識のなかから消失していったのだ。

 奇妙なことに、途中で脱走しよう、あるいは逆らおうという気はまったく起きなかった。

 警備が厳重だというのも、むろんある。

 施設内部には警備用自律機が常時、巡回していた。

 みな小型のものばかりだが、おそらくなにか騒ぎを起こせば即座にこちらを無力化できるだけの装備は備えているだろう。

 なにより施設で働く人々のあまりにやわらかな態度が、反抗心を奪い取っていた。

 誰もが奇妙なほどに親切で、優しい。

 拷問のようなことが行われている、などという噂は完全な出鱈目だった。

 常に優しく接してくれる。

 哀れみの目でこちらを見てくれる。

 みな、理解しているのだ。

 検査が終われば、等にどんな運命が待ち受けているのかを。

 だから優しい。

 ある日、担当責任者が保護室にやってきて、珍しく難しい顔をしていた。

 それだけで、等はすべてを察した。

 担当の名は、鈴木と言った。

 啓発施設で働いているのは、田中、佐藤、斉藤、山田といった、あまりにも個性のない苗字の持ち主ばかりである。

 ほぼ偽名だと考えて間違いない。

 いつもは温和な鈴木は、白髪まじりの長身の男性だった。

 一七〇センチもあるのだから、いまの時代ではかなりの背丈だ。

「平くん。落ち着いて聞いてほしい」

 鈴木は言いづらそうだったが、やがて咳払いをすると告げた。

「君は、人権を剥奪されることが決定した」

「はあ」

 力なく等はうなずいた。

 予想はしていたことだ。

 自分でもこれほど落ち着いていることが不思議なほどだった。

「君の反人権的な行動の原因は、ついにわからなかった。ただ、再教育が不可能、ということだけは確かなようだ」

「でしょうね」

 あれだけのことをやったのだから、それはそうだろうと思う。

 反人権的な小説を不特定多数の読者に読ませたうえ、実際に親友を殺したのだ。

「最初から覚悟はしていました」

「そうか……そうだろうな」

 鈴木の瞳は哀しげだった。

「一応、全力は尽くした。だが……」

「ご迷惑をおかけしました」

 深々と等は頭を下げた。

「本当にすみません。施設のみなさんも、俺みたいな人間に優しくしてくれました」

 彼らはみな自分の職務に忠実だった。

 ただそれだけのことだ。

 鈴木はなんとか等が「魍魎堕ち」しないよう、全力を尽くしてくれたのだろう、というのがなんとなくわかる。

 そういったことは、自然と雰囲気で伝わるものなのだ。

「いきなりでなんだが、明日、君たちは『解放』される」

 ふと違和感を覚えた。

「君たち?」

「つまり、君だけはない、ということだ。管区絶対人権委員会の命令でね。井上霧香と、青木雄太……葦原と自称していたが……この二人と一緒に、君はある市街で解放されることとなった」

 葦原も偽名だったわけだ。

「私の同僚も、あの青木というのには手こずらされたらしい」

「でしょうね」

 思わず微笑が漏れた。

 おそらく青木、というか葦原はさんざん暴れ回り、抵抗したのだろう。

「それに対して井上という子は、君と同様、おとなしかったよ」

 ひょっとすると、と思った。

 鈴木にも、自分たちと同じ世代の息子や娘がいるのかもしれない。

「まだ若いのに、不幸にも反人権思想に思想感染してしまった……残念だ」

「いえ、それは俺の責任です。ただ……」

 しばし等は悩んだ。

 この質問をするべきかどうか。

「あの……神城光っていう子は、この施設にはいませんか?」

「さあ、よくわからないね」

 鈴木の顔が仮面のようになった。

 当然、彼は光に関する事情を知っているはずだ。

 いままで何度もそういった質問もうけたのだから。

「では『措置』を施すので、きてくれるかな。ここではできないんだ」

 かつて光の家で読んだ小説を思い出す。

 昔は死刑というものがあったらしい。

 死刑が執行される当日の死刑囚の気分というのは、たぶんいま自分が感じているものとよく似ているだろう。

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