第30話 哀しき団欒
第三十話 悲しき団欒
二人とも模範的な市民で、反人権的行為などまったくしたことがない。
「ほら、どうしたの? 等?」
「あ、ああ」
等は我に返った。
「お父さん、誕生日、おめでとう」
「なんだか照れるなあ、はははは」
もし光と知り合っていなければ、素直にこのつつましやかな家族との団欒を愉しめていたはずだ。
しかしいまは、まるで拷問のように感じられる。
両親にだけは迷惑をかけたくないが、もし絶対人権委員会に目をつけられたらねと考えるだけで心が重い。
アジの干物などご馳走のはずなのに、あまりおいしく感じられなかった。
というより、すべてのものが味気なく思える。
しかし、ここは演技をするしかない。
「うわ……アジ、ひさびさだよね。おいしいね」
「おいおい、がっついて骨、飲み込むなよ」
「お父さん、アジの骨なんて普通、呑み込まないわよ。鯛とか鯉は骨、飲み込むと危ないっていうけど……」
一瞬、聞き間違いかと思ったが、そうではない。
いま母は確かに「鯛」と「鯉」と言った。
ともにいまの乙種の食卓には絶対にならぶことのない超高級食材だ。
つまり、母は鯛や鯉を食べたことがある、またはその骨を飲み込むと危険だ、ということを知っている環境で育ったということだった。
二人の年齢を考えれば、それはおかしなことではない。
両親とも日本が繁栄していた時代のことを知っているのだ。
だが、いままで二人とも過去の話をしたことはほとんどなかった。
幼いころ何気なく尋ねたが、二人とも「とにかく大変だった」という判で押したような答えが帰ってきたものだ。
いまの等なら、その理由は理解できる。
うかつに過去の豊かな時代のことを話してしまえば、絶対人権委員会に「反人権的」と見なされることを警戒していたのだ。
ひょっとすると、いままでも会話の端々で、うっかり昔の栄えていた日本にまつわることをうっかり漏らしていたのかもしれない。
むしろそちらのほうが自然だ。
しかし、等は昔の日本のほうがいまよりもはるかに贅沢なものを食べられたなどと考えたこともなかったので、それを聞き逃していたのだろう。
母は失言に気づいたのか、一瞬、顔をこわばらせたが、すぐにまた笑顔を取り戻した。
「でも、アジって本当にいい味よね」
「アジだけにいいアジ、か。母さん、こりゃ、一本とられたな」
不自然な笑い声が食卓に流れた。
「はははは。面白いね」
そう言って茶番劇に加わっている自分が悲しかった。
両親も、演技をしているのだ。
なぜいまの大人たちのほうが自分たちの世代より体格がいいのか、もっと早く気づくべきだった。
学校ではかつての日本では「軍人たちが優秀な兵士を育てるために無理矢理、体を大きくする危険な薬物を投与していた」と教えられた。
その点に疑問も違和感も抱かなかった己が恥ずかしい。
だが、生まれた時から洗脳されていればその価値観に疑問を抱くのは難しい。
そもそも教育そのものが一種の洗脳、という言い方も出来るのだ。
日本人が心の底から、絶対人権委員会に怯えることなく笑える日は、いつやってくるのだろう。
「でも、これも絶対人権委員会のおかげだ」
父は笑顔を浮かべていたが、よく見ると無理をしているとわかる。
いままでは気づかなかったが、それがわかるようになってしまった。
「そうね。等も、お父さんみたいな模範的な市民になりなさいよ。絶対人権委員会のおかげで、私たちは生きていられるんだから」
母はこちらの身を案じてくれている。
だが、決してその言葉は間違っていない。
絶対人権委員会のおかげで生きていられるということは、裏をかえせば、もしその意向に逆らえば命を奪われるということでもあるのだから。
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