第2話 神城光

 謝罪の時間が終わると、等は椅子に座った。

「平くん……大丈夫?」

 隣の席に座っていた光が、不安げに声をかけてきた。

 心臓がどくんと胸のなかで飛び跳ねるような気がする。

「平気だよ、神城……」

 そうは言ったが、相手はあの神城光なのだ。

 彼女に声をかけてもらえた男子など、数えるほどしかいないのではないだろうか。

 この高級学校でも神城光は、男女をとわず憧れの的だった。

 ほとんどの女子は骨に皮がついたような痩せこけた者ばかりなのに、彼女の胸やお尻はふっくらとしている。

 肌もがさがさとしたものではなく、白くつややかだった。

 きれいな黒髪にはシラミがたかっていることなど、一度も見たことがない。

 おそらく週に何度も入浴しているのだろう。

 月に一度、共同浴場で風呂に入るかどうかという自分とは、住む世界が違っているのかもしれない。

 噂だが、光はいつものように白米を食べているとすら言われていた。

 顔立ちも整っており、人目をひく美少女といってもよい。

 この年頃の女性にしては、かなり背も高かった。

 身長一五五センチの等と、ほとんど身長が変わらないのだ。

 いまの男子の身長の平均と、ほぼ同じくらいあるという計算になる。

 誰もが光にあこがれていたが、彼女はもともとひどく寡黙だった。

 たぶん内気なのだろう。

 彼女の隣の席に決まったときは、夢ではないかと思った。

 さらにこうして話しかけられたのだから、もう悔いはない。

 もし絶対人権委員会に捕まったとしても、この思い出だけで生きていける。

 そう考えると涙が出そうになったが、なんとかこらえた。

「みなさん」

 眼鏡をかけた教師が、咳払いをした。

 もう四十代だから、老人といっても良い年齢である。

 真っ白になった髪はだいぶ薄くなっている。

 眼鏡のレンズには割れたのを修復したあとがあった。

「授業の前に、幾つか注意事項を述べておきます。区の絶対人権委員会からの通達です」

 それを聞いて、教室のなかの空気が一気にはりつめていくのがわかった。

 みな緊張しているのだ。

 絶対人権委員会の言葉は、文字通り、絶対である。

 それに逆らうことは「人権主義」に反することを意味するのだ。

「最近、仮想空間の創作領域において、幾つもの重大な人権侵害事案が多発しています。特に中級、および高級学校の生徒たちの間での事例が多いとのことです」

 どきりとした。

 顔に出ていないか不安になるが、誰もこちらに注意を向けているものはいない。

「具体的には、仮想人物への暴行や残虐行為、さらには殺人までが報告されています」

 背筋に寒気が走った。

 まさか、もう自分が小説のなかで人を殺したことが露見したのだろうか。

「立体画像動画で、小型刃物を使って人が殺されるものが発見されました。まだ製作者はわかっていませんが、物語性まで存在する動画ですので、きわめて悪質と言わねばなりません」

 どうやら自分のことではないらしいと悟り、我知らず安堵のため息が漏れた。

 等が制作したものは文章による表現、いわゆる「小説」と呼ばれる古典的なものだ。

 小説は創作では立体画像動画ほどには人気はない。

 とりあえず文章が書ければ制作ができるので、初心者向けとされていた。

「みなさんも、くれぐれも注意して下さい。もし仮想現実でそうした反人権的な創作物を発見した場合、言うまでもないですがただちに絶対人権委員会に連絡するように」

 そう告げると教師は日本語の授業を始めた。

 等たちは大亜細亜人権連邦の州の一つ、日本州の住人なので、基本会話は日本語で行う。

 むろん、読み書きもそうだ。

 ただし日本語は、連邦では二級言語と見なされていた。

 連邦内の言語は三種類ある。

 まずは地域で使用される二級言語で、たいていは州により決まっている。

 次に一級言語と呼ばれる連邦公用語が存在する。

 これはかつてのC国語、なかでもP語を主体とした言語だった。

 人権解放軍発祥の地が、P市近郊とされているためだ。

 いまでも大亜細亜人権連邦の首都は、P特別区である。

 さらに連邦内には「敵性語」と呼ばれるものが存在した。

 この言語は、一般人には学習が禁じられている。



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