絶対人権委員会

梅津裕一

第1話 殺人者

 今日もいつものように、謝罪の時間が始まった。

 教室のみんなが床にむかって頭をこすりつける。

 いわゆる土下座だ。

「さあ、みなさん。謝罪の言葉を述べましょう。心をこめて」

 教師の言うとおり、等たち教室じゅうの生徒が、謝罪の祈りを唱えた。

「亜細亜のみなさん、ごめんなさい。私たちは二度と過ちを繰り返しません」

 四十人近い高級学校の生徒の声が唱和する。

 ふだんの等なら、ここでかつての日本軍が行ったさまざまな残虐行為を頭に思い浮かべていたはずだ。

 いまから一世紀も前のこととはいえ、とうてい許されるはずもない。

 当時の日本は典型的な帝国主義国家だったという。

 帝国主義国家である以上、他国を侵略、支配するのは当然のことだ。

 日本軍は亜細亜各地に軍隊を派遣したが、なかでも悲惨なのはC国だったらしい。

 一億人もの人々が虐殺されたのだ。

 授業で見せられた画像は恐ろしいものばかりだった。

 さまざな拷問器具にかけられた無辜のC国人が、苦痛に顔を歪めている。

 サーベルで切断された人々の頭が、巨大なピラミッドを幾つも築いていた。

 なかでも人類史上、最悪と呼ばれる事件が、N市とその近郊で発生した。

 いわゆる「N超虐殺」だ。

 この際、実に三百万人ものC国人が、日本軍の悪魔のような兵士たちによって惨たらしく殺されたという。

 老若男女をとわず、C国人というだけでみな、殺害された。

 他にも亜細亜各地で日本軍は暴れ回り、最終的には亜細亜全体の人口の三分の一が地上から消えたのだ。

 さらにおぞましいことに、日本は米帝国とも手を組んだ。

 白人が黒人奴隷をつかう、人権主義に反した恐ろしい帝国主義国家である。

 二つの帝国主義国家は実に一世紀近く、太平洋周辺から亜細亜諸地域に君臨していた。

 だが、日本人も決して良い暮らしをしていたわけではない。

 生存可能な最低限の食事すらとることができず、餓死する者も少なくなかった。

 資本家と軍人たちが日本を支配していたのだ。

 しかし、悪の栄えた試しはない。

 最終的に、日本人たちを救ってくれたのが「亜細亜人権解放軍」だった。

 人権解放軍は日本の植民地支配をうけていたC国で生まれたという。

 彼らは「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉を合言葉として、誰もが平等に暮らせる社会をつくろうとした。

 その思想に共鳴した人権戦士たちが日本各地で蜂起し、ついに日本軍は打ち破られ、人権解放軍によって日本全土は「解放」されたのである。

 それでも日本人のなかには怯えるものが多かった。

 彼らはかつて、先祖たちがおそるべき罪を犯したことを知っていたのだ。

 だが人権解放軍は寛大だった。

 日本人はあくまで悪い資本家や軍人に利用されていただけで同じ被害者であると、許してくれたのだ。

 多くの日本人は「人権主義」という新しい思想に感動した。

 そこで自主的に、毎朝、かつて日本のせいで殺された多くの亜細亜同胞に対する謝罪の時間が始まったのだという。

 いつもならば、いまも等の心は、殺された人たちを悼む気持ちでいっぱいだったはずだ。

 だが、すでに等は知っていた。

 自分には、彼らを悼む資格などないことを。

 なにしろ等は人を殺してしまったのである。

 殺人は人権主義に反する、究極の罪の一つだ。

 人の命を奪うということは、その相手の人権をすべて消し去ってしまうということなのだから。

 たとえそれが小説の中の人物だろうと、殺人は殺人なのである。

 創作物の登場人物に人権が存在するのは、言うまでもなく当たり前の話だ。

 いまさらながら、自らがしでかしてしまったことの恐ろしさに体が震えた。


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