郵便少女の戦争

じんべい・ふみあき

郵便少女の戦争


爆音、悲鳴、沈黙。


「あ、足が、俺の足がぁぁっ」

「麻酔なんて無いぞ! これでも食いしばれ!」


また爆音、悲鳴、そして沈黙。


「ひでぇよぉ、母ちゃん、かあちゃぁん……」

「こいつはもう駄目だ死んでる。横に転がせ、まだ生きてる奴からだ」


ランプが揺れた。

また音がする。

私は、そっと耳を閉ざした。


それでも、体は揺れる。

まるであのときみたいに、ゆさゆさって、縦にも横にもいっぱいいっぱい……


男は、私をじっと見てた。

顔にも足にもハエがいっぱい。

泥と血でぐしゃぐしゃになった軍服。

袖からこぼれてるのはなんだろう……ああ、ウジか。


ウジは嫌い。

パンを食べちゃうから。

私の大切なパンを食べちゃうから、嫌い。


男は私を見てる。

したいのかな。でも兵士がしたら殺されちゃうよ。


「郵便女はいるか?」

黒いコートのお医者様を突き飛ばして、あの男が入ってくる。

あ、蹴飛ばした。転がった。

ああそうか、もう死んでたんだ、兵士さん。


「西の塹壕が突破されそうだ。ひとっ走り行ってこい」

あの男はそう言って、私にカバンを投げる。

中身はいっぱいのお手紙。

黒い便箋に泥がいっぱいついてる。

白いソーセージが入ってた。いや、誰かの指だった。


「聞いてるのか? とっとと行ってこい!」

あの男は黒いものを私に向ける。


わかってないなぁ、お手紙を持った私は殺せないのに。

でも殺さないよ、私いい子だもん。

いい子にしてないと、いっぱいいっぱいひどい事されるって、私知ってるもん。


革のカバンを肩にかけて、それからゆっくりと立つ。

急に頭がハッキリしてくる。

そう、これからが私の時間。


「郵便少女№11ヌマ・エルフ、これより西地区の塹壕に配達に向かいます」



 ***



今日もひでぇ戦場だった。


朝飯を食ってたら敵の飛行機が飛んできて、ハンスとジェイコブを爆弾クソで吹き飛ばした。

昼前にはヤンとユルグが偵察に行って帰ってこなかった。

西の塹壕に援護に回れって話になったら、アドルフの野郎、今日はJの付く奴がよく死ぬとかぬかしやがった。俺はヨハンソンだぞ、死ねってのか?


そんな罰当たりなアドルフの間抜けは、いま目の前で弾よけに転がってる。

俺たちは西に出っ張りすぎたクソ以下の塹壕の中で、自分の番が来るのを待ってる。

なんの番かって? もちろん砲弾が当たる順番だよ。


「もう駄目だ! 戦車が来た!」


パウルが血相変えて戻ってくる。

ヘルメットに新しいへこみが増えてやがる。運のいい小僧だ。


俺たちは袋のネズミだ。将軍だか誰だか知らんが、欲張って陣地を伸ばしすぎたんだ。こんな所にどれだけ兵士をつぎ込んでも死体が増えるだけだ。

今も二つ増えるところだしな。


「残ってるのは俺たちだけだぞ、逃げよう!」

「バカ言え、俺ぁもう駄目だ」


撃たれた腹が燃えてるみてぇだ。

かすっただけだと思いたかったが、こりゃハラワタまで行ってるな。

生きてあと数分。でももっと早く終わりが来るだろう。


土から聞こえるトラクターの出来損ないみたいな音。

死に神が団体さんでお付きだ。残れば塹壕ごと踏み潰されるだろうし、パウルに抱えてもらっても二人して機関銃の餌食になるのがオチだ。


「行けよパウル。向こうで待ってるぜ」

俺はそう言って死んだふりをしてやる。

学徒動員で出てきたお坊ちゃんだ。こうでもしなきゃ、行ってくれそうにねえ。


音が消えた。


地面がバリバリ震えて、俺は腹の痛さに目を開けた。

パウルはいなかった。

やっこさんのヘルメットだけが転がってる。逃げてくれたか。


おあつらえ向きに手榴弾が一個、アドルフの腹に残ってやがった。

俺を跡形もなく吹っ飛ばすにはちょうどいい。どうせ身よりもねぇしな。


目が見えなくなったが、棍棒みてぇな爆弾様はもう手の中だ。

これでくたばれる。


「あなたは生きてるの?」


誰だよ、人がこれから死のうって時に。


誰かが俺の懐に何かねじ込んだ。薄い紙かなんかだ。


目が見える。

前に誰か立ってやがる。女だ。いやまだガキだ。

赤い郵便屋の制服着たガキが俺を見下ろしてる。

けっ、どうにも陰気な天使さまもいたもんだ。目は腐った魚みてぇにどんよりしてるし、死人より顔色が悪い。もしかして天使じゃなくて死に神だったか。


あれ、俺なんでまだ生きてんだ? 腹の中がぐねぐね動いて気持ち悪いんだが。


「これより、配達を開始する」


その時、急に真っ暗になった。思い出したぜ、戦車が来てたんだった。

なのにいつまでたっても、連邦のウスノロが俺をひき肉にする様子がない。


「いったいなにが……ひぇっ?」


郵便屋のガキが片手でキャタピラを受け止めてやがる。

死後の世界にしたってぞっとしねぇ光景だ。


空回りするキャタピラとガキの手の間で黒い紙が燃えつきていく。

火の粉を散らしてパリパリと剥がれていく。


「すぐに終わるわ」


ガキが笑った。



 ***



『やめて! 痛いの、痛いのいやぁぁぁっ! おねがいやめてぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』


私の手の中で、悲鳴をあげてモニカが燃えつきていく。

大丈夫よモニカ。あなたはあと二十枚あるから。あなたはみんなより体が丈夫だったもの。


太りすぎのカバみたいな重戦車が私を轢き殺そうとするけど、残念。そんなことはモニカがさせない。


でもこのままじゃ駄目。戦車を壊さなきゃ。


「ローゼ、あなたがいいわ」


カバンから彼女を選んで抜き出す。

片手で開いた便箋。黒い紙に桃色の少女の印刷。

ああローゼ、あなた最後まで桃色好きだったのね。


「燃えろ」


紙に火がつく。

ほらローゼ、お手紙を読んであげなきゃ。


『あづいのぉぉっ! だめぇぇぇぇがみのげもやざないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』


ローゼったら暑がりなんだから。

そんなに暑いなら、この鉄板なんて冷たくていいんじゃない?


燃えさかるローゼを戦車の底に押し当てる。

中から聞こえてきた悲鳴に耳を傾けると、私はとても爽やかな気分になれる。


「うあぁぁぁぁっからだが燃えるっ、誰か消してくれ!」

『あづいよぉぉぉぉっ! じんじゃうっ、あだしじんじゃうぅぅぅっ!』

「火だっ、火事だぁぁぁぁ!」

『痛いのいやぁぁっ! モニカをごりごりしないでぇぇぇぇぇッ』

「開けてくれ! 死ぬからあけろぉぉぉぉぉっ!」


ああ、いい気持ち。


ちょうど戦車も止まったし、モニカもローゼも静かになった。

次に行きましょうか。


塹壕から顔を出した私に、迫ってくる白い服の兵士がいっぱい。


みんな殺していいんだよね。


「ヴェンデルガルト、ヘルガ、ヘレーネ、それにジークリット」


カバンから四枚。

開けばインクは青、空、鼠、紺。

あなたたち、学校の時からの仲良しだもんね。


「走る、貫く、止める、切り刻む」


便箋にまとめて点火。


私に向けられた機関銃が火を吹くより早く、私は駆け出す。

弾は全部私の後ろ。


『足がもげちゃう、私の、私の足が……』

「だめよヴェンデ、もっと速く走って。走り続けなさい」


目の前でビックリする兵士。

私は右手で、彼のお腹を貫いた。


『私の爪はどこ、毎日毎日手入れして磨いて、綺麗にした私の爪はどこへ行ったの?』

「ここにあるわヘルガ。すっごく鋭くて最高よ」


あわてた兵士たちが、私を囲んで機関銃を撃つ。

でも弾は届かない。全部ヘレーネが止めてくれる。


『ヘレンを叩くのは誰? ヘレンをいじめないで! 叩かれるのいやぁ!』

「へぇ、でもあなた私を叩いて楽しそうだったじゃない。叩かれるのも楽しいかも知れないわ」


「ば、化け物だ!」

「い、いや撃ちまくれ!」

「怯むな! 怯んだ奴は撃ち殺すぞ!」


みんなバラバラ、仲良く仲間割れ。

いいわ、そんなにバラバラになりたいなら、してあげる。


手を広げてさんはいっ。ひゅるっと風が吹いたなら。

「ひぶゅ」「ぐっ」「手、手が切れ……えぶっ」「おごっ」

ほらみんな、仲良く死体の仲間入り。


『もうだめなの、ジギィのお腹を切っちゃ駄目なの。もうお肉残ってないの』

「あなたまで細切れになっちゃだめでしょジギィ」


返り血が頭からぐっしょりでも大丈夫。だってそのための制服だもの。

真っ赤な、真っ赤な、赤くて、赤くて赤くて赤い。


そう、私は郵便屋さん。


まだまだいっぱい、弾は飛んでくる。

まだまだいっぱい、男が群がってくる。

まだまだいっぱい、殺したい奴がいる。


だから今は私の時間。


走って

『足が千切れる……』

えぐって

『爪が割れちゃう』

防いで

『う゛ぇぇぇぇぇっ、えっ、えぐっ』

切って切って切って切って

『ジギィひき肉になっちゃったの……ジギィおいしいの』


時間切れまで楽しみましょ。


どうせ魔法はすぐ解ける。

午前零時の鐘で、ガラスの靴は割れ砕ける。

最後の最後は水の泡。


「応援求む、相手は……相手はガキだ! なんでもいいから早……ひぃっ!?」


『『『いっぞごろじでぇぇぇぇ』』』

「大丈夫、みんなもう死んでるわ」


あなたたちはみんな選ばれた子。私は選ばれなかった子。

ほんとのあなたたちが夢見心地で輪転機にかけられた時、私は暗い部屋で魂を砕かれた。

あなたたちが黒い手紙に刷り上がった頃、私は真っ白に塗りつぶされた。


どっちが不幸だったんだろう。

私には、わからない。


最後に残った大きな荷物のおじさんは、私の前で粉々になってしまいました。

ああ、いい気持ち。

だあれもいなくなった穴ぼこだらけの野原に私一人。

ああ、いい気持ち。


この世から、みんないなくなっちゃえばいいのに。



 ***



俺が見たことを話しても、誰も信じようとはしない。


気がつけば野戦病院のベッドの上だ。

あの塹壕にいて、助かったのは俺一人だったんだそうだ。

パウルの奴は運がなかった。逃げたんじゃなくて砲撃で消し飛んだらしい。


みんな俺が夢でも見てたと思ってやがる。

俺は至近に落ちた砲撃で気を失ったことになってるが、そうじゃない。

ハッキリと見たんだ。


赤い郵便屋の服着た女の子。

カバンから黒い便箋を引っぱり出して、兵士も戦車も、何もかも切り刻んで風のように走っていった。

それも笑いながら。野原で遊んでるみたいに、底抜けに楽しそうに笑って。


そして今も俺の横にいる。

ベッドの横で、何するでもなく膝を抱えて座ってやがる。


『たすかってよかったね、おじさん』

「おじさん、クリスがよかったねって」


それだけ言って、あの郵便屋は黒服に囲まれていっちまった。

俺を助けてくれたんなら、礼ぐらい言うべきだったか?


「オズヴァルト・ヨハンセン一等陸士?」


別の黒服がやってきて、俺の名前を呼ぶ。


「そうだがあんたは」

「一昨日の戦闘における、西地区唯一の生存者だな?」

「そうだけどあんたは?」

「秘密保持だ。悪く思うな二等民」


そして向けられた銃口が、俺の見た最後のものだった。



 ***



ぶたれた頬が痛い。

噛まれた胸が痛い。


鞭打たれた肌が痛い。

お腹の奥が痛い。


無くしたはずの心が、今日はなぜだか死ぬほど痛い。



この世から、みんないなくなっちゃえばいいのに。

悲しい出来事なんて、みんななくなっちゃえばいいのに。

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