第12話 男性性と女性性、機能不全家族
幼馴染との別れは辛く、別れた頃から仕事もまた正念場を迎えていた。
事業というのは常に数年後のことを考えて進めないと、いつまで経っても
開業してもすぐに会社が潰れてしまうのはそのためだ。
多くの経営者が最初の滑り出しで苦労するが、自分も産みの苦しみを味わっていたのだった。
一日の食費が200円という生活をしながら、幼馴染との別れを噛み締めていた。
こうした生活は約1年ほど続いたが、その間に自分の恋愛を振り返ることになった。
恋愛というのは、メディアに彩られた虚飾を除けば、男女がお互いの男性性(相手を愛する積極性)と女性性(相手を受け入れる受容性)を育む行為だ。
男女はどちらも男性性と女性性を持っているが、実際の恋愛相手と関係性を作りお互いが協力して障害を乗り越えていくことで、内面的にその二つの性質を育んでいき、人として成熟していく。
恋愛経験が少ない人は仕事でもコミュニケーション能力が低いことがあるが、それは自分の中の二つの性が未熟なため、他者を愛したり受け入れたりすることができないからだ。
(この辺りの心理学的な説明は、心理学者ユングとその妻エンマ・ユングの本に詳しい。)
恋愛が下手な人はこの内なる二つの性のどちらか、あるいは両方が傷ついていることが多い。
内なる性が傷つく理由は性的トラウマや恋愛関係での失敗などもあるが、日本で最も一般的なのは両親の不和だろう。
いわゆる機能不全家族や、最近では「毒親」と言ったりするが、両親が未熟なまま子を持ったり、自分の人生から逃げて子育てに過剰にエネルギーを投下するようになると、子はうまく異性と関係性を作ることができなくなって、内なる性を養うどころか傷つけてしまうのだ。
日本社会が恋愛と性に関して歪んでいるのは、こうした人がかなりの割合を占めているからだろう。
現代の日本は歴史的経緯の点で極めて特殊な社会だ。
今でこそ世界で第三位の経済大国だが、今から4-5世代ぐらい前までは最貧国クラスで流行病や飢饉で人がバタバタ死に、寒村では人身売買なども行われるような社会だった。
近代化と覇権を志して失敗した第二次世界大戦では多くの人が犠牲になり、GHQ の支配下でそれまでの社会構造は大きく形を変えることとなった。これは一般庶民にとって、明治維新よりも遥かに大きな影響だっただろう。
その後は、アメリカの核の傘の元で人類史稀に見る経済発展を成し遂げたが、社会の仕組みが崩壊した中で、急速な発展の犠牲も大きかった。
社会は平和で物質的に恵まれていったが、母親は子育てを一手に押し付けられ、父親は会社の犠牲となった。
父親は仕事を口実に家庭や子育てに不在で風俗に通い外に愛人を作り、母親は夫に構ってもらえないエネルギーや子育てのストレスを外の男や子にぶつける。
そうした家庭が当たり前なのが現代の日本なのだ。
哺乳類の子は、親の模倣によって行動を形成する。
機能不全家族に育った子は、自由恋愛市場のなかで異性と対等なパートナーシップをどうやって形成すればいいかわからない。親が夫婦でそうした関係を作れていないから、手本が無いのだ。
しかも、今や日本は既に会社や国に頼れば生きていけるような社会ではなく、パートナーと強い絆を作らなければより良い生活をすることができない社会になっている。
親を模倣して形だけの家族を作ったところで上手くはいかない時代なのだ。
両親の時代に後戻りはできず、かといって強固な古い価値観と張り合えるだけの新しい価値観を作っていくこともできない。
こうしたジレンマの狭間で、日本は自分の殻に閉じこもる「非モテ」が当たり前の社会になってしまった。
自分もこうした機能不全家族の子供の一人だった。両親はひとり子を失っており、その行き場のない悲しみを全て自分にぶつけていたのだった。
奇妙なことに、一家の精神的な支えとなっていたのは、幼い頃から長男の自分だったのだ。
しかし、このことに自覚はなく、気づいたのはつい数年前だった。そのきっかけとなったのは仲の良い従姉妹の発言だった。
「あんな状態でよくグレずに育ったね。傍目にも辛かったよ。」
そう言われたのだった。
特に精神的に未熟なのは母親のほうで、彼女は自分の感情や、やり場のない性エネルギーを依存という形で息子にぶつけていたのだった(両親はセックスレスではなかったようだが)。
その影響で自分の女性性はずっと傷ついていて、それを癒す機会として恋愛を30年以上も模索してきたのだ。
確かに愛することは得意でも、愛されるのは苦手で、恋愛相手が自分に恋をしていることについて、いつも「理由」を作っていた。
それがセックスであり、女の子のオーガズムだったのだ。「自分はセックスが上手いから女の子に愛される」、そう思い込んでいたのだった。
しかし、本当に人を愛するということは、理由なく相手の存在の支えになることであり、愛されることはそれを理由なく受け止めることだ。
(思えば、セックスというのはその肉体的メタファーとして非常によくできている。男性のペニスは強い力で相手の中に入り込んで相手を支え、女性の膣は相手を包み込んで受け止める。)
自分は行動力があったために恋愛を重ねることができたが、実態としては愛されることを求めつつもそれからずっと逃げていて、そのことの自覚すら持っていなかったのだ。
そこを変えてくれたのが、幼馴染との恋愛だった。
結婚や妊娠という大人の事情が出てくるまで、彼女は自分の存在を子供の頃と同じように、ありのままの姿で受け止めてくれていたのだった。
彼女と会ったときは既に自分は離婚していて他の女の子がそう考えたような「都合がいい相手」というわけではなく、また経済的な条件という意味では仕事は形を成していなかった。
彼女にとって、職業や肩書き、年収、セックスのテクニックなどはどうでもいいことだったのだ。
本来は両親がするべき、相手の「存在の肯定」という役割を彼女は果たしてくれたのだった。
そしてまた、彼女も機能不全家族の犠牲者だった。
父親は家庭にいないことが普通で、折り合いの悪い母親と一緒にいない理由を作るため、常に海外の日本法人で働いていた。きっと現地妻もいたのだろう。
彼は自分の不本意な人生選択を認めたくないから、妻や娘と向きあうことからも逃げていたのだ。
そして、そうした父親の元で育った彼女は男性とどう付き合っていいか分からず、心の底に常に見捨てられ不安を抱えて生きていたのだった。
それで、自分に距離を置こうと言われたとき、「ああこの人も自分を見捨てるのだ」と、そう思ったのだろう。
思えば、自分はこれまでの恋愛相手から、父性を投影されることがすごく多かった。
恋愛相手は幼馴染のように父親が事実上不在の家庭や、死別、離婚で所在不明、DV、そんな子ばかりだった。
最初に長く付き合った看護師の彼女が別れ際に言った言葉に「あなたは完璧だと思ったのに」というのがあった。
当時は学生で貧乏で人に誇れることは何もできていなかったので、なぜそんなことを言うのだろうと、ずっと疑問に感じていたが、彼女は父親を求めていたのだった。彼女は父親と死別していた。
自分は無自覚ながら幼い頃から家族の精神的支柱としての役割を果たしていたので、父親的存在を求める子には暗闇の中のランタンのように輝いていたのだろう。
しかし、恋愛相手は父親ではない。
恋愛相手に父親を求める女性は、自分がずっとしてほしかった「愛の証拠」を求める。
自分が何をしても許してくれる、そういう存在だ。
子供のイヤイヤ期のように、自分が相手を裏切っても、傷つけても、相手が自分を許してくれることを望むのだ。
しかし、それは愛ではなく甘えであり、残念ながら本当の父親に対してしか許されない行為なのだ。
対等な関係を作るべき相手の恋愛パートナーにそれをやれば、関係は崩壊するか、機能不全な両親のように依存的で不健康な関係になる。
ここで、自分が節目節目で経験してきた辛い別れは、彼女たちが自分に父親を投影していたケースが多かったことに気づいたのだった。
こうした心の中の整理に約一年かかり、最後に、幼馴染の彼女に手紙を送った。
内容は誕生日を祝うものだったが、返ってきた手紙には力強い字でこうあった。
「私と会ったことは忘れてください。それが私にとっての幸せなのです。」
過去を取り戻す時間は終わった。また、一人で自分の道を進まなければならないようだった。
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