第11話 また逢いましょう

失恋という経験はどんなに自分で乗り越えたとしても、また次にどんな恋愛をしようとも、別れるときに負った傷の痛みは心の底に澱のように溜まっていく。


歳を取ると恋愛に臆病になるというのは、このあたりが原因だろう。


また、よく異性が途切れない人というのがいるが、この痛みから逃れようとしているだけの人も多い。


失恋したら、少なくとも痛みが癒えるまでは本格的に付き合うのは控えるのがいい。


生身の異性は、過去の痛みから逃れるための痛み止めペインキラーではないのだ。



自分にとって、前回の世界観の不一致による失恋は手痛く、しばらくはフリーの状態で仕事に打ち込んでいた。


冬はモテの波と自分の活動力が下がるので、秋に肌寒くなってくると、次に暖かくなるまでは一人かな、と思っていた。



ところがそんなところに、ソーシャルメディアで1通のダイレクトメッセージが来た。なんと小学校時代の幼馴染の女の子だった。


幼い頃は小学校卒業まで引越しが多く、長い付き合いの友人も中学以降からしかいなかった。自分には幼馴染などいないと思っていたのだが、彼女が自分を見つけて連絡してきたのだった。



自分にはあまり幼い頃の記憶がなく、相手を明確に覚えていなかったが、メッセージを交わす中で近所で一緒に遊んでいた子の一人だったことがわかった。


昔話に華が咲き、たまたま近くに住んでいたこともあって、ご飯でも食べに行こうか、という話になった。



ご飯を食べながら昔話や近況の話をして盛り上がった。


彼女はちょうど長く勤めていた仕事を辞めて休んでおり、人生の転換期に入っていたところだった。



ご飯を食べて何軒かハシゴした後に終電がなくなり、どうする?と訊いたら、相手は小声で「寒いので一緒に暖かいところに行きたい」と言った。


セクシャルな雰囲気は会話になく、見た目も奥手に見えたのでとても意外だったが、同意してホテルに入った。



初めて挿入したとき、なぜかとても懐かしい感じがした。


それまでのセックスはどちらかというと男と女が激しくぶつかり合うようなセックスが多かったが、変な言い方だが、その子は家族のような感覚がした。


感触もとても良く、初めてイク時に「中で出していい?」と訊いてしまった。


もちろんそんなことは初めてのことだったので、なぜそう訊くのか自分で不思議だったが、それがごく自然なことのように思えたのだった。


相手も「いいよ」と応えて、そのまま中に出した。



中出しというのは、自分だけかも知れないが、仮にステディな間柄で、もちろん責任を取るつもりの相手でも、後で微かに心のどこかで罪悪感というか、不安になるところがある。


子供が出来るというのはお互いの人生にとって重大事で、「これで人生が変わるかもしれない」と思うからだろう。


しかし、そのときの中出しは、そうした不安感みたいなものが全くなかったことに気づいた。



デートを解散した後に余韻を楽しみつつ、そのことを考えていると、まだ付き合うかどうかの約束もしていなかったのに思い当たって、次に会うときには付き合う約束をしよう、と考えた。


そして、とっておきのレストランを予約して、デートの時に「付き合ってくれる?」と訊いた。


相手も少し緊張した面持ちだったが、食い気味に頷いて、同意してくれた。


とても嬉しかった。


何より、相手の見た目は自分にとってど真ん中ストライクだったからだ。



しばらくデートするようになって、相手の家に行き、すぐに同棲するようになった。


自分はなぜかすぐに相手の家に転がり込んでしまう習性がある。


また、過去に同棲や結婚生活を経験していたこともあり、女の子と一緒に暮らすことに何ら抵抗がなかったのも大きい。



ただ、彼女は短い結婚生活しか経験したことがなく、あっという間に破綻したその結婚生活は彼女にとって「人生の大きな失敗」として位置づけられていて、自分でも「また男性と暮らすことになるとは思わなかった」と言っていた。



彼女は社会生活のリハビリとしてアルバイトをして、自分は自営業だったため主に家でパソコンをカチャカチャやって仕事をしていた。


その同棲生活は、どこか昔に経験した大学時代を思い起こさせるような素朴さがあった。


昼間はお互い自分の仕事をして、夕方に一緒にご飯を食べて近所のスーパーに買物に行き、DVDやテレビを観てセックスをして一緒に眠る。


まるで、二人で一緒に子供の頃に戻ったような感じがした。



セックスも子供同士がじゃれるようなセックスで、これも変な言い方だが、兄妹のような感じがした。


彼女はイク時、意識が飛ぶ感覚を海外旅行に喩えていた。


イッた後、「今日はどこに行ったの?」と訊くと、「今日はロンドン」「今日はパリ」と答えるのが可愛くてしょうがなかった。



ただ、身持ちの堅い娘が急に男と同棲を始めたということで、親が心配しているだろうと思ったので、同棲して1ヶ月もしないうちに、相手の親に挨拶に行った。


結婚しようと思っています、と伝えた。


相手の親も昔の自分を知っており、話はすんなりと進んだ。



二人の同棲生活は続き、セックスも毎日のようにやっていた。


彼女は子供を欲しがっていたので、いつも中出しをしており、そのうち生活の方向性を変えなければ、という話になった。


今思えば、これが終わりの始まりだった。



彼女は不安定なアルバイトではなく、昔に傷を負って辞めた職業に復帰しようとしていた。その職業自体がブラックなので、度を超えないよう職場は注意深く選んだが、それでも仕事は大変で、彼女は朝から晩まで働くようになった。


自分のほうはと言えば、事業はまだまだ始まったばかりで、これからどうなるのか分からない状況だった。



彼女は IT に疎かったこともあり、家で仕事をしている自分に、仕事の不満をぶつけるようになった。


ある日、ちょっとしたくだらない喧嘩がきっかけで彼女は拗ねて別々に寝ることを要求するようになり、口を利かなくなった。


これまで付き合った子でそうした子供っぽいことをする子はいなかったので、面食らってしばらく放っておくことにした。



しかし、これが1週間2週間と続き、ある日いい加減にしろと言ったら、もう嫌だと言って泣き始めた。


関係が正常でないと判断した自分は、距離を取ろうと言った。


自分は彼女との絆は強いものだと思っていたため、それで冷静になってくれればいいと思ったが、彼女にとっては決定打だったようだ。



その後何度かデートに行ったが、彼女は余所余所しく、デートの帰りの電車でキスをしたときの反応で、これはもうダメだと気づいた。


それからすぐ、彼女から別れたいという連絡が来た。


うまくいっていた頃、二人で籍を入れようと約束をしていた、ちょうどその日だった。



それまで、本当の意味で余計なことを考えず同じ感覚で付き合えた異性は初めてだったので、うまくいっていた楽しい頃の感覚が抜けず、何週間も泣いて暮らした。


自分にとって、そんな経験は初めてだった。


彼女は自分の全てを自然なものとして受け入れてくれた初めての子だったのだ。



自分の子供の頃の生活は、数年間の限られた幸せな時期を除いて、苦痛に満ちた時代だった。


中学生ぐらいになるまで記憶がないのはそのせいだが、その幸せな時期に出会った女の子によって、30年近く経ってから自分の子供時代を取り戻すことができた。



しかし、いつまでも子供でいることはできず、その幸せも泡沫うたかたと消えてしまったのだった。



この失恋はあまりにも痛く、その後1年に渡って失意の生活を送ることになった。



今でも、その子のことを思い出すと、連想する歌がある。


第二次世界大戦中、イギリスで流行ったという「また逢いましょう」という曲だ。



We'll Meet Again - Vera Lynn - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=cHcunREYzNY#t=108


 また逢えるでしょう

 どこかは分らず、何時とは分らない

 けれどわたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう

 あなたはいつもしてきたように笑顔でいて

 青空が暗い雲を遠くへ運び去るまで



 だからわたしはあなたの知っている人たちに挨拶して

 もうすぐ逢えると伝えるの

 みんな知れば幸せになるわ あなたがわたしに逢って

 わたしがこの歌を歌っていたことを



 また逢えるでしょう

 どこかは分らず、何時とは分らない

 けれどわたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう



彼女にとって自分と付き合った経験がどのようなものかはわからないし、きっと心に傷を負って責めているのだろうと想像はするが、いつかまた、どこかで明るく晴れた日に笑顔で話ができればいいな、と願っている。

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