閑話 エルフ里の幼馴染み

 

 前世がトラックのエルフ、グレンが旅立って数日が経ったエルフ里。


 そこでは一人の銀髪の美少女が木陰で物憂げに溜息を吐いていた。


 グレンの幼馴染みで美形揃いのエルフ種でも里随一の美少女と評されるシルフィである。


 透き通った白い肌、抜群の比率と高さで形成された目鼻立ち。


 サラリと一体感を持って流れる艶やかな髪質。


 そんな美貌を持つ彼女の悩ましげな顔は前を通りがかるエルフたちの目を釘付けにしていた。



「シルフィちゃん、またお兄ちゃんのこと考えてるの?」


「あ、スカーレット……」


 シルフィに話しかけた少女はスカーレット。グレンの妹である。


 名前の由来は髪の毛が緋色だから。


 兄妹揃って安直なネーミングセンスである。


「あいつ、かなり足速いじゃん? ひょっとしたらもうニッサンの町を超えて王都のずっと先まで行って、絶対追いつけないところまで行ってるかもしれないなぁって……」


「はあ?」


 いくらなんでも数日間でそんなに進めるわけないだろう。


 スカーレットは大げさに悩んでいる幼馴染みに呆れた声をだす。


 もっとも、大げさでもなんでもなく、グレンが本気を出せばそれくらい楽々走破できることをスカーレットは知らない。


「そんなに気にするならあの時、寂しいから待ってて言えばよかったじゃん」


「そうしたかったけどさ。そんなこと言う女はあいつのタイプじゃないでしょ?」


「ああ……お兄ちゃん、変態だからね」


 聞いてわかる通り、グレンが虐げられたり痛めつけられたりすることで快楽を覚える変態だというのは里の共通認識だった。


 もちろん里全体での盛大な勘違いなわけだが、それを知るエルフはいない。


「いきなり背中に座ってくれって頼んでくる筋金入りよ」


 シルフィ、幼少期のトラウマである。


「カティアさんがいる間はずっと上に乗ってもらって喜んでたもんね……」


 グレンは誰かを乗せて走る車の本能に歓喜していただけだが、周囲は別の意味として捉えていた。


「あいつ、元気でやってるかな……」


 自分と一緒に旅することなんか頭の片隅にもなくて、きっと一人でどんどん突っ走ってるのだろう……。


 グレンは昔から他者の目を気にすることなく、グレン自身がどう思うかで行動する意志の強さがあった。


 弓や魔法をまったく練習せず、身体を鍛えてばかりいることで変人扱いされてもまったく意に介さず自分を磨くことに専念していた。


 シルフィはほとんど同じ時期に産まれたにも関わらず、小さい頃から大人びた落ち着きと独自の哲学を持っていたグレンに惹かれていた。


 年齢にそぐわない精神の成熟は単にトラックとして過ごした前世があるからで、思考回路もそれに引っ張られているだけなのだが、シルフィはそんなことを知らず、そこに未知の魅力を感じていたのだ。


「人間の町には男の人を痛めつけることでお金をもらう仕事をしている女の人もいるみたいだし、お兄ちゃんがハマったりしないか心配だよぉ……」


「なにその仕事!?」


 ぽつりとスカーレットから飛び出した言葉にシルフィは身を乗り出す。


 義妹(予定)の肩を掴んで前後に激しく揺さ振り、話の続きを必死にせがんだ。


「え、えーと確か、ジョウオウサマっていってたかな? 四つん這いになった男の人の上に乗って歩かせたりするんだって」


「そ、それって」


 かつてグレンが幼い自分に要求してきたこと、成長してからは二つ年上のカティアに頼み込んでほぼ毎日行なっていたことそのままではないか……。


 シルフィは愕然とした。


 人間はなんと恐ろしい業の深い生物なのだろう。


 そんなことまで仕事として成り立たせているなんて……。


 シルフィに人間社会の偏った認識が植え付けられた瞬間である。


「その道の達人が人間界にはいるのね……」


 シルフィは心根の優しいエルフだったが、グレンの嗜好がそういうものだと里中に知れ渡った通称『お馬さん事件』から、彼にはあえてキツく当たるようにしていた。


 シルフィはそうすることがグレンへの好意の示し方だと思っていたのだ(勘違い)。


 最初はグレンの常識から外れた性癖(勘違いパート2)を理解できず戸惑い、恐怖してしまった。


 だが、グレンが他のエルフと違うのはもとからだと思い直し、グレンのアブノーマルな一面ごと受け入れてこそ真の愛であると、シルフィは幼いながらに覚悟を決めて決意したのである(空回り)。


 一度、ふざけた言い回しでグレンから交接を迫られたときは(勘違いパート3)ショックのあまり素で暴力を振るってしまったが、彼女は概ね健気な気持ちでグレンに辛辣な言葉をかけてあげた。


 シルフィは基本的に穏やかで優しいエルフだったため、時折心を痛ませることもあったがそこは想いの強さでカバーした(空回りパート2)。


 素晴らしい勘違い。思い込みによる空回った努力。


 誰か事実を教えてやれよと思うが、里のエルフはそもそもシルフィと同じ勘違いをしているので指摘のしようがない。


 そんなどうしようもない環境のせいで今日までこの悲劇というか喜劇は答え合わせをされぬまま続いてしまっていた。


 おかげで里にいたときのグレンは、他のエルフには物腰柔らかなシルフィがどうして自分にだけは辛辣なのか、そのくせ積極的に話しかけてきて嫌っている感じでもないのはどういうことなのかと常に頭を悩ませていた。


 シルフィはグレンがそんなふうに思っているとはつゆ知らず。


 グレンもシルフィの意図をさっぱり汲み取れず。


 お互いにお互いの真意を理解できないままどちらも思い悩む。


 そんな噛み合わない不毛な関係を二人は何年も繰り広げていた。


「……耳寄りな情報だったけど、スカーレットはどこでそんな仕事の話を聞いたの?」


 空回りしているとは微塵も思っていないエルフの美少女はさらなる前進のため、貪欲に見当違いな方向へ歩み続ける。


「アグリッサさんがね、人間の町に住んでた頃にその仕事をやってたんだって」


 アグリッサとは里に住む妖艶な雰囲気を纏った美女エルフである。


 そういえば彼女はグレンとたびたび二人だけの密談を交わしていた気がする。


 きっと何かグレンを惹きつけるものを彼女は持っているんだ――(勘違いパry)


「あ、あたしちょっとアグリッサさんに話を聞いてくる!」


「あ、シルフィちゃーん!」





 そうして彼女は元ジョウオウサマのアグリッサのもとでグレンを上手に虐める技術を学び始めた。



『ジョウオウサマとお呼び!』



『はい、もう一回! 今度は声に芯を通して、相手の身体に染み渡らせるように!』



 きびきびとした態度で指導役のアグリッサが鞭を床に叩きつける。



『――女王様とお呼びィッ!』



 穏やかなエルフの里に、美少女エルフの声がこだまする。



 もっとグレンを痛めつける方法を身につけなきゃ……。

 ぽっと出の人間風情に幼馴染みを奪われてなるものか。

 平たい顔の種族に負けるわけにはいかない。

 シルフィは密かな熱意をその胸に宿していた。

 残念なことに、その熱意が間違った方向だと指摘する者は誰もいなかった。

 むしろ里のエルフどもは一途な少女を微笑ましく思って背中を押していた。

 悪意がないぶん、余計にろくでもないやつらである。



「次は鞭を振るいながらよッ!」



「ジョ、ジョウオウサマとお呼び――ッ!」



 ――スパーンッ



「素晴らしいわッ!」




「シルフィちゃんのことをお義姉ちゃんって呼ぶ日も近いかもしれないね……」


 木陰から練習を見守る妹エルフはしみじみ呟いた。





 シルフィが里を出る日まで、あと五十六日。


 シルフィの修業はまだまだ続く。

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