四章 竜と歩けば棒に当たる

 世界には円に近い形の大陸がひとつだけあり、地べたを駆けずり回るしか能のないあたしたち人間にとって、"大陸"は"世界"とほぼ同等の意味を持っている。



 旅の途中。

 休息をとるため、ジーヴと並んで川辺に腰を降ろす。川の水は澄み、角のない石を敷き詰めた川底に、魚が鱗をきらめかせて泳いでいる。あたしの掌ほどの大きさもあるし、釣りでもして捕らえようかと思ったが、魚は好かん、生臭いからな、というジーヴの言葉で阿呆らしくなってやめる。捕まえた後でまたぶちぶち小言を言われてはたまらない。川の石みたいに、時間をかけて流れに揉まれれば角が丸くなる、という一般論は竜には通用しないようだ。

 尊大な黒竜の男と旅を始めて、もうじき四季が一巡りする。

 大陸の真ん中にそびえる巨大な火山、その裾野をぐるりと取り囲むように点在する、街や村や都市を順ぐりに旅してきた。兄の足取りはまだ掴めない。あたしたちは一年かけて、円形の大地のほとんど真向かいにある王都に近づいていた。

 あたしたちの前を流れる川の向こうには草原が開けていて、ぼんやり眺めやる先を、黒塗りの蒸気機関車が走り抜けていく。黒煙をもうもうと噴き上げながら、水彩画のような空を遠景にして。ぼーっと高く響く汽笛は、遠くからでもよく聴こえる。

 鉄道のレールは急速に伸びつつあった。今はまだ王都を含む大都市と、その周辺の街を往復しているだけの機関車だが、切れ切れになった軌条はいま互いに手をめいっぱい伸ばし、結び繋がらんとしている。軌道敷がひとつになったとき、そこには大陸周回鉄道の姿が立ち現れる。

 ほぼ円形の、世界唯一の大陸を廻る鉄道の線。

 つまりそれは、世界を一周する交通のと言い換えることができる。人類の壮大な夢。しかしそれは決して夢物語ではなく、着実に実現へと迫ってきている。


「人間の進歩には驚かされることがある」


 ジーヴがぽつりと呟く。その顔を見ると、視界の真ん中を横切っていく機関車を、青い隻眼が追っている。


「一代前の人間が到達できなかったところへ、子の代の人間たちはたどり着いてみせる。その歩みは不思議とたゆむことがない。進歩は常に次世代の人間の進歩によって塗り替えられる。俺にはどうも、人間はこぞって生き急いでいるように見える。そんなに急いでどこへ行こうというのだ? 目指した先に、何があるというのだ?」


 淡々とした調子だった。

 それは彼にしてみれば、ごく素朴な問いなのだろう。

 竜は人間の何十倍、何百倍もの寿命を持つ。しかし、人間に与えられている時間はそう長くない。竜と人間の時間感覚。両者には深い溝がある。

 あたしには、人間を先へ先へと駆り立てているものが分かる。飽くなき好奇心だ。

 もっと速く、もっと遠く、もっと効率的に。

 そしてもっと、たくさんのことが知りたい。

 焦燥にも近いそんな衝動は、先を急ぐ必要などない竜にはきっと分からない。


「……先にあるのはきっと、竜には理解し得ないもの」

「くく、なるほどな。お前の言うとおりに相違ない」


 ジーヴはあたしとの問答を楽しんでいるのか、快笑してその長躯を揺する。


「俺が生きているあいだに、人間はどこまで行くのだろうな」


 遠い目をして投げかけるジーヴに、あたしは答えなかった。

 彼はあたしより、ずっと未来の光景を見られるのだ。長生きしたいとは別に思わないけれど、ジーヴが少し、ほんのちょっとだけ、羨ましい。

 さて、そろそろ出発するか、と腰を上げたあたしの目線の先で、機関車がまた高く長い汽笛を鳴らした。



 さすがに王都に近いだけあって、踏み入れた街はよく栄えていた。

 まず、人の密度がこれまでと違う。職業も身分もてんでばらばらな街人たちが、渦を成して街中を行き交っている。商人めいた者もいれば、役人然とした者、農民や貴族らしき者だって見受けられる。

 頭ひとつ抜けたところから街の様子を見回しているのは、馬に乗った騎士たちだ。短剣と銃とを水平に腰に提げた姿は、賑やかな雰囲気と異なり物々しい。

 大通りでは大道芸人が、火を吹いたり物をジグザグに放ったりパントマイムをしたり、興味深い一芸を披露している。彼らの前には帽子や空き缶が置かれ、通行人が硬貨をそこに投げ入れる。彼らは娯楽を提供することで暮らしを成立させているのだろう。そういう生き方があるのは軽い驚きだった。この街はきっと豊かなのだ。

 人の数も多ければ、その質も多様性に富んでいる。旅の格好をした者も多く見え、様々な服、様々な装飾、様々な顔だち、多様な民族が街角で混じりあい、生けるモザイクを作り出す。これだけ人がいれば、兄の手がかりも得られる期待が持てそうだ。


「つかぬことを聞くが、お前の兄は生きているのか」


 兄の似顔絵を商い人中心に見せつつ街を歩いていると、ジーヴがだし抜けに尋ねてきた。

 あたしの故郷は丸ごと燃え果てて無くなった。あの惨状を目にしたら、そこにいた者の生存を疑うのは当然といえば当然だ。しかし、それは旅を始める前に聞いておくことではないだろうか。一年経ってから尋ねるのは、のんびりしすぎというか、かなり間が抜けていると言わざるを得ない。竜の感覚はまた違うのかもしれないけど。

 あたしは直接答えずに、路地裏へ踏み入りそこで立ち止まる。常に持ち歩いているあるものを小物入れから取り出し、ジーヴに見せた。


「これ、何だか知ってる」


 手のなかには、きれいな三角錐の形の、透き通った鉱石がある。石の内部には、細く尖った、赤い線みたいなものが何本か見える。真っ赤な針が結晶の中に浮いているようだ。


「石だろう。見るからに」


 ジーヴのとんちんかんな返答。

 この石は兄と交換した、大切なおまじないなのだ。あたしはこれを、焼けてなくなった生家から持ち出してきた。

 鉱物の種類には詳しくなさそうな竜に、手短に説明する。


「まあ、石は石だけど。これは双宿石アジスナイトっていうの。元の大きさの結晶を二つに割って、二人の人間の血を別々に染み込ませて、交換するんだ。相手に危険が迫ったら、石にひびが入って知らせてくれる。命があるうちは、完全に割れることはない。あたしはこれを兄さんと交換した。だから兄さんは生きている」


 双宿石は、元は正八面体の結晶だ。それを兄が半分に割って、互いに指をナイフでちょっとだけ切り、一緒に血を垂らした日のことを、あたしは鮮明に覚えている。街を焼き出されたときから、いやそれよりずっと前から、兄が持たせてくれたこの石を、肌身離さず持っているのだ。

 兄は船乗りで、調査のため何ヵ月も海から帰らないのはざらだった。航海には危険が伴う。あたしたちの父や母も海洋学者だったが、二人とも海で亡くなった。昔と比べたら船の強度も航海術も向上してはいるけれど、船旅の危険性は無いとは言えず、万一兄の身に何かあった場合にそれと分かるようにと、兄自身が提案したのだった。

 兄は両親の研究を引き継ぎ、黙々と航海を重ねていた。彼の表情から、恐れは微塵も感じ取れなかった。普段はのほほんとして柔和な風を纏っているが、その実兄は強い人なのだと思う。

 ――兄さん、今どこにいるの。

 心のなかで双宿石に呼びかける。ただの鉱物にすぎない透明な結晶は、言わずもがな沈黙している。表面のひびが心なしか増えているように思えて、あたしの胸は痛んだ。

 自ら聞いたくせに、ジーヴは関心の薄さを隠そうとしない。鋭い歯で、込みあげてきた欠伸あくびを噛み殺している。


「まあ、徒労に付き合わされていないならそれでよい」

「あんたの方こそ、本当に黒竜の生き残りなんているのか」


 あたしは機に乗じて、常々感じていた疑問を黒竜の元族長にぶつけた。

 竜のなかでも、黒竜は特に珍しい存在であるらしい。それは以前、鱗を売ったときの相手の反応であるとか、街や森で見かける竜の姿(ジーヴによると火竜や氷竜が多いという)から察することができる。元々数が少ない彼らが、一夜にして一族全員を失ったのだ。どこかには別の集落があるはず、と楽観的になる方が難しい。この旅で、黒竜の息づかいはおろか、気配さえ感じたことはない。

 ジーヴは別段思い悩む様子もなく、小首を傾げて答えを発する。


「さあな」


 無責任ともいえる発言に、あたしは拍子抜けする。


「何なんだ、その返事。いないかもしれないのか」

「どうにでも考えられる、ということだ。いるかもしれんし、もう生き残りは俺だけかもしれん。残っているのは雄ばかりという事態も考えられる。しかし、それがどうしたというのだ? この大陸中を捜してみないことには、はっきりとは分からない。"ない"と証明するのは"ある"と証明するよりも困難なのだ。俺は可能性に懸けている。可能性がゼロでないかぎり、竜は希望を持ち続ける。竜に絶望はない」


 きっぱり言い切って、話は済んだとばかりあたしから視線を外す。

 ジーヴは大通りに向かって歩きだしたが、あたしの足は動かなかった。自分だったら、と考える。もし兄が生きている保証なしに、彼の生存を信じて大陸全土を捜しまわる、なんて芸当が果たしてできるだろか。きっとこの竜も兄と同じく、尊大さに見合うだけの芯の強さを持ち合わせているのだろう。

 レンガ壁に挟まれた空間から抜け出すと、目線の先で、ジーヴは肉屋の主人と言葉を交わしている。

 ふと別の疑問がもたげた。ジーヴの一族を滅ぼした何者かは、人間である公算が一番強いように思える。それはジーヴも薄々気づいているはず。なのに、ぶつくさ小言を漏らしつつも、あたしとの旅路に付き合っていることや、ああして街にその身を溶け込ませていることが、今更ながら奇妙に感じられた。

 ととっ、とジーヴに駆け寄って、ねえと話しかける。


「あんたは、人間をどう思ってる。本当はあたしのことも、憎いんじゃないのか」


 ジーヴは眉根を寄せた。躾のよくない、噛み癖のある犬でも相手にしているような表情だった。


「お前の質問はいつも唐突すぎて疲れる。――よいか、竜は誰かを憎んだりしない。禍根を残すだけだからな。竜のなかに憎しみという感情はないと言ったろう。憎んでいたら、旅の初めにお前の提案を呑んだりしない」


 この旅程で見慣れてしまった、辟易した呆れ顔で応じる。こういう顔はよくするのに、ジーヴは本気で怒った試しがない。度量の大きさなのかもしれないが、それを素直に認めたくない自分もあたしのなかにはいる。

 ならいい、と言うとするが、ジーヴがすう、と目を細めてあたしを見つめたのが先だった。


「小娘よ、お前はどうなんだ。兄に再び会えればそれでよいのか。お前こそ、街を焼いた人間を憎いとは思わないのか」


 冷や水を浴びせられた気分、というのは、こういう心境をいうのだろう。

 無言で相対するあたしたちの周りを、顔に訝しさを貼りつけた街人が通りすぎていく。

 街に火を放った何体もの甲冑たち。その正体について、あたしはあまり考えないようにしていた。許せない気持ちは確かに強かったが、犯人を明らかにしたって、何かが解決するわけでもないと分かりきっている。あたしは兄のことばかり考えていた。正直、自分の気持ちが分からない。ただ、言えることがひとつ。


「……憎いのかどうか、よく分からない。でも許せないとは思うし、なんであんなことをしたのか、知りたい気持ちもある」


 火の海と化した故郷。

 何の目的があって、彼らはあれほどの蛮行に及んだのか。

 ふむ、とジーヴが神妙に頷いて、鋭いすがめであたしをじっと観察する。彼の様子がいつもと違っていて戸惑う。


「それなら、俺の考えを話しておこう。頃合いかもしれんし」

「……え?」


 マイペースを崩さない竜の御仁は、くるりと体を反転させると、どこかへ向けてすたすたと歩き始めた。急速に遠ざかり、人混みに紛れんとする大きな背中を慌てて負う。


「ちょっと待て、考えって何なんだ。今言ったらいいだろ」

「いや、長くなりそうだからな、飯でも食べながらにしよう。ちょうど夕飯時だ。先刻、ここらで放牧されている羊が美味いという話を聞いた。それを食べさせる店にしよう」


 さっき肉屋とそんな会話をしていたのか。相変わらずちゃっかりしている男だ。


「あんたが勝手に決めるのか」

「何だ? 不満があるのか」

「別にいいけどさ……」

「ならば黙って着いてこい」


 それは最高に着いていきたくなくなる台詞だ、と言っても、この竜は絶対に耳を貸さないのだろう。



 羊の肉は聞いた通り美味しかった。変わった香草を利かせてあり、なんとも形容しがたい魅惑的な風味を持つ。しかしながら、対面に座るジーヴの前に山と並ぶ肉料理の皿と、それをものすごい速さで腹に収めていく様が、あたしの食欲をごっそり持っていった。

 竜の食事風景は、羊の美味しさを相殺するに余りある負の影響を有していた。だからこの男と向かい合ってものを食べたくないのだ。あたしは気分の悪さを覚えながらジーヴを睨む。黒竜の生き残りはまったく意に介さず、豪快な夕食を続ける。

 皿を半分以上空にしたところで、ようやくジーヴは口火を切った。


「お前は俺が、一族の生き残りのことしか頭にないと思っていただろうが、俺はずっと、竜の里に忍びいってきた不逞の輩について考えていたんだ」

「……普通に言ってよ」

「そう睨むな。俺のなかで、一応の答えは出せた。だが――お前が下手人を憎くてたまらないと思っているのなら、話さないでおこうと思っていた。新たな憎しみを生み出したくはないからな。しかし、そうではないようだから話すことにしたのだ」

「だから普通に言ってってば……」


 ジーヴはあたしの質問が唐突で疲れる、とのたまっていたが、あたしだって、ジーヴとの会話は回りくどくて疲れる、と釈然としない思いを抱える。竜がみんなこうなのか、ジーヴだけが特別なのか、それはあたしには判断がつかない。

 でも、どうやらあたしの心情をかんがみ、結論を話すか決めたらしいところに、何やら思いやりのようなものを感じる。すごく気味が悪い。

 ジーヴが鉤爪の生えた指で、光を失った右目を示す。重々しい声が、ギザギザの歯が揃った口から流れ出した。


「黒竜の一族を滅ぼし、俺の目から視力を奪った元凶。俺はその姿を見なかったが、そもそも姿などなかったのだと思う」

「……どういうこと?」

「つまるところ、その何者かは、毒性を持つある種の気体ガスを使ったのではないか、ということだ」

「つまりそれって、毒ガス……?」


 声が震える。こんなところで、これほど汚らわしい響きの言葉を口にする羽目になるとは。あたしは二の句を継げない。騒々しく人いきれで暑いほどの料理店にあって、背筋がぞっと冷え、身震いした。

 周りをそっと見回す。旨い肉に舌鼓を打っている誰も、こんな物騒な話が同じ店内で交わされているなど想像だにしていないだろう。


「お前も知ってのとおり、黒竜が住む里は窪地になっていた。空気より重い気体ならば、窪みの底に溜まる。咎人はそれを承知だったのだろう。穏やかな眠りに就いていた我々の一族は、撒かれた毒ガスによって、何が起こったのかも分からぬままに、苦しみのたうちまわって死んでいった。それが俺の達した結論だ」


 重苦しい語りのあいだ、ジーヴの片目の奥に怒りは見えなかった。そこは無風の湖面ぐらい滑らかで、穏やかで、張りつめた静けさが逆に怖かった。


「何の目的があって、そんな……」

「それは分からん。その下手人に尋ねてみないことにはな」

「でも、窪地全体に行き渡るほどの毒ガスなんて、途方もない量だろう。そんなものを誰が……?」

「少しはその立派な頭を使え、人間の小娘よ。そんなものを自由に扱える人間など、ごく限られているだろう」


 試すような鈍い目の光に曝され、額がひりひりする。

 数秒ののち、あたしの中で明るい火花が弾け、信じがたい真実を思考にもたらす。


「まさか……王立学術協会アカデミーか?」


 厳めしい顔つきのまま、ジーヴは深く首肯した。

 科学の徒である学術協会の会員。

 例えば彼らが、害獣を駆除するために毒ガスの研究をしていて、作成法や現物を所有していた、そんな事実があってもおかしくはない。けれど、それを竜相手に使う理由が考えつかない。竜に手出しをしよう、という発想そのものが常軌を逸している。というか、端的にイカれている。

 それに、兄も協会の人間だ。竜の研究にも熱心に取り組んでいた兄の姿と、竜の里に毒ガスを撒いたという科学者の像は、結びつかないどころか乖離かいりしすぎている。

 しかも、あたしの街を焼いた奴らは明らかに科学者ではなかった。訳が分からなくなってあたしは頭を抱える。


「でもジーヴ、兄さんだって協会の人間なんだ。それに、協会に所属してるのは学者だけ。あたしの街を焼いた人間は武装していたんだ、あんな風に」


 あたしは窓の外、ちょうどすぐそばにいた騎士たちを指差した。馬の手綱を握る屈強な男たち。腰から提げた銃と剣の装備。遠くからでは見えなかったが、革製の胸当てに紋章が焼き付けられている。それが、日暮れの弱い光のなかでも分かった。

 羽ペンを象った紋章。

 あの日の甲冑の外観が脳裏に甦る。

 思わずあっと声が漏れた。窓枠に取りついて、騎士をまじまじと見る。視界がきゅうと狭まって、心臓がどきどきと強く脈打っていた。


「あれだ……」

「どうした」

「あの騎士だよ、あたしたちの街を襲った奴らは! あの焼き印、間違いない……どうしてこんなところに……」


 ぎらりと碧眼をきらめかせ、ジーヴが窓に顔を寄せる。彼らに冷たい視線が送られる。


「ふむ……あれは、イゼルヌ教団の紋章だな」

「イゼルヌ教団……」

「多神教の一派だったと記憶している。彼らは教団お抱えの聖騎士たちだ。お前はそんなことも知らないで、よく今まで生きてこれたものだ」

「……どうしてあんたが人の事情に詳しいの」


 ジーヴはこちらに向き直り、お得意の姿勢をとる。つまり、腕を組んでふんぞり返り、ふんと鼻を鳴らす。


「イゼルヌ教の教義を、お前は知らんのだろうな。あそこの教えでは、人間こそが神の祝福を受けた大陸の支配者ということになっている。つまり、人以外の知的生物の存在を認めていないのだ」

「え……」

「嘆かわしいことよ。人に言葉を教えてやったのは竜だというのにな。お前も知らぬだろう。人の驕り高ぶりにはほとほと閉口させられる。――イゼルヌ教団の聖騎士に遭遇してもさすがに攻撃はされないが、あまり顔を合わせたい相手ではない。向こうは我々の知性を否定しているのだからな。竜のなかでは常識だ」


 あたしは窓から離れて椅子に深々と座り、考え込む。

 あたしとジーヴの知る情報をまとめる。竜の集落でもあたしたちの街でも、実行犯は竜の知性を認めないイゼルヌ教団の騎士だった可能性がある。その背後には協力している科学者がおり、毒ガスを提供していた。

 協会と教団。両者が手を組み、何かを企んでいた。

 そこまで考えるが、共謀の意図は、いくら頭をひねっても分かりそうになかった。


「真相を暴くにはもっと情報が必要だな。イゼルヌ教団について街で聞き込みをしよう、ジーヴ」


 皿に残る肉の塊をむしゃりと頬張り、テーブルに手をついて立つ。あたしはいても立ってもいられなかった。

 対する竜の男は目を丸くし、珍しく驚いた顔をする。


「もう夕刻だぞ。それにお前の話が真実ならば、あの騎士たちが街を焼いた張本人ということになる。奴らがいる状況で、聞き込みをするのはまずいのではないか?」

「このまま湯船に浸かって寝床に直行、なんてできる気がしない。あんたは宿に行ってれば。あたしだけでもやるから」


 黒髪の大男を今は見下ろしながら、あたしは宣言する。目と鼻の先に真実がぶら下がっているかもしれないのに、目を逸らしてだんまりを決め込むなんてできない。

 ジーヴは二、三度目をしばたかせ、本気か、信じられん、とごちる。それでも、結局はあたしの後に続いた。聞こえよがしに嘆息を漏らしながら。



 藍色の薄い幕が引かれても、街は少しも賑やかさを失っていなかった。

 むしろ、家々の窓の明かりや、店先の看板を照らす光がきらめく様は、昼間よりも喧騒をいや増して演出しているようだった。あふれる光源の間を、ジーヴと二人で縫っていく。

 ほろ酔い気分の街人の割合も増えている。口が軽やかに、滑らかになった彼らからは、色々なことが聞き出せた。

 ひとつ、従来イゼルヌ教は大陸全体では小さな宗教だったが、このところ勢力を拡大していること。

 ひとつ、王の臣下にもイゼルヌ教団員が何人もいて、側近に取り入っていること。

 ひとつ、この街に駐在している聖騎士たちは、昔領主が使っていた、丘の上の城に逗留していること。


「しかし、聖騎士団は何ゆえこの街に留まっているのだろうな」


 城がある方向へ顔をやりながら、ジーヴがぼやく。領主制はとうに廃止されているから、石造りの尖塔のてっぺんに、いるべき主はもういない。城は、まだ淡さをった闇を背に、黒々とした影となってその存在を顕している。

 ジーヴの疑問は、そういえば兄の消息を尋ねるのを忘れていたな、と思い出したあたしが、次に似顔絵を見せた髭面の酔客の返事によって解決することになった。

 その男は千鳥足で家路をたどっていたが、あたしたちが呼び止めると従順に振り向いた。だし抜けに似顔絵を突き出し、こんな人を見なかったか、と単刀直入に訊ねる。酔漢相手には仔細を説明するより、この手の唐突さの方が通じやすい。

 ほぼまっすぐに切り揃えた前髪と、片眼鏡をはめた兄の絵を見た男は、しょぼついた瞼を動かしたあと、唇をああ、という風に動かした。


「この人は有名な人なのかい? 騎士さんたちもこんな顔の人を捜してるみたいだったけど」


 反射的に、あたしはジーヴと顔を見合わせる。あたしが多分そうであるように、彼もまた不可解な表情を顔に貼りつけていた。

 イゼルヌ教団の騎士が、なぜ兄を知っているのか。その上あたしと同じく、彼を見つけようとしているのはなぜなのか。

 彼らがここで何をしているかは分かったが、事情の因果関係はより複雑に絡まったように思われた。しかしながら、聖騎士たちが兄を捜していることは、イゼルヌ教団が街に火を放ち、教団と学術協会が裏で繋がっている、との推論の根拠になり得そうだ。 


「これはあたしの兄さんなんだ。見たことないか?」


 勢いをつけて問うが、髭面の男は首をひねり、つまり反応は芳しくない。


「さあ、見た覚えはないねえ。にしてもその絵を誰が描いたか知らんが、騎士さんが持ってた絵に比べると相当下手くそだね」

「……」


 思わぬところから不意打ちを喰らって絶句する。これはあたしが描いたのだ。自画自賛ながら、なかなかの出来映えだと自信を持っていたのに。

 隣でジーヴが肩を震わせて笑いだしたので、思いきり肘鉄をお見舞いしてやる。


「……これはあたしが描いた」

「おやそうかい、そりゃすまねえこと言ったな、悪気はなかったんだよ――」


 肩を落とすあたしの前から、酔いどれはばつが悪そうにフェードアウトしていった。

 くつくつと含み笑いを続ける無礼な竜と二人、その場に取り残される。


「おい小娘」

「うるさい!」

「まだ何も言っていないだろう」

「うるさい黙れ! よし決めた、これからは別々に聞き込みしよう、その方が効率的だし。一時間経ったら宿で落ち合おう、それじゃあな!」

「おい、俺はまだ――」


 口の端に笑みを浮かべたままのジーヴを置き去りにして、あたしは人々がさんざめく往来を突っ切っていく。頬がかっかと熱い。あんな恥をかくなんて。よりによってあの竜のまん前で。

 肩を怒らせて歩くあたしを、街人が何事かと見やる。そんな彼らに手当たり次第に似顔絵を見せる。ああ騎士さんたちの、おや騎士さんがたが、そんな反応ばかりだ。むしゃくしゃが募る。

 煮えきらぬ怒りを弱火であたためるあたしは、どうも視野が狭くなっていたらしい。四つ角を曲がろうとしたとき、風を切って闇雲に進むその速度のまま、誰かの背中に激突した。

 目の前に火の粉が散り、直後の臀部でんぶの痛みで、自分が尻餅をついたことを知る。

 衝撃で手を離れた兄の似顔絵が、ひらひらと宙を舞って地べたに落ちる。衝突した背中の持ち主が振り返った。その屈強な腕が伸び、下手くそと評されたあたしの絵を拾い上げる。

 ひどく嫌な予感がしておそるおそる目線を上げると、濡れたような瞳を暗く輝かせた男が、こちらをじっとりと見つめていた。その胸当てには、羽ペンの焼き印。

 ごくり、と喉が鳴る。しくじったと悟るがもう遅かった。


「お前か、我々と同じ人間をこそこそ捜し回ってる娘ってのは」


 腹の底から滲む愉快な感情を、意地の悪さで上塗りした淀んだ声。問いかけではなく確認だった。頭を押さえつけられる重圧を感じる。どこかから聖騎士がわらわらと集まってきて、あたしは完全に取り囲まれていた。冷や汗と動悸と体の震えに襲われる。

 万事休す。

 似顔絵の紙を持った騎士が、元領主の城に向けて顎をしゃくる。


「騎士団長のところに連れていけ」


 ささやかな抵抗も虚しく、頭から麻か何かの袋が被せられ、目の前が真っ暗になる。鳩尾に強い力を感じるか感じないかのうちに、あたしの意識は夜よりも深い闇に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る