AA第一支部 city
「み、ミニアーナ……?」
ザハードの知るミニアーナとは、異なる姿をしている事に驚き、掠れた声で名前を呼ぶ。
しかしミニアーナは、その呼びかけに全く返事をする気配もない。
「お、おいっ!」
声を荒らげる。だが、やはり返事はない。それどころか、ミニアーナは獣に向かって真っ直ぐ伸ばしていた手を上にあげたのだ。
瞬間、隆起している凍りついた道路が更に高く隆起する。
上り坂のようだったそれは、たちまち小さな山のようになる。
「み、ミニアーナっ!」
もう充分だ。
その思いをのせて、ザハードは名前を呼ぶ。
「まだ……まだ……」
ミニアーナは、しかし聞いたこともない破れた声でそれだけ言う。
直後、ミニアーナは掲げた手を一気に下に振り下ろした。
大地を震わす轟音を響く。そして同時に小さな山ほどまでは隆起していた凍りついた道路が、一気に沈下した。
ブラックホールの如く、瓦礫一つ残さず穴の底へと引きずり込む。
そこでようやくミニアーナの瞳が元の青緑色に戻り、髪も金色に戻る。
「っ……はぁーっ……はぁーっ」
肩を上下させて呼吸をするミニアーナ。
「だ、大丈夫?」
「わ、私……どうしてた?」
地球寒冷化が進み、汗という概念が消えかかっているこの世界で、ミニアーナは額にそれを浮かべながら訊く。
「お、覚えて……ないのか?」
──あんなに大暴れしたのにか?
驚きが隠せず、ザハードは途切れ途切れで聞き返す。
「……うん」
か弱く、今にも消えてしまいそうな声でミニアーナは返す。
「そ、そうか……」
ザハードは一瞬で、全てを隠そうかと思った。だが、目の前に広がる大穴を前にしてそれは通じないだろう。そう考えた。
「あれは、ミニアーナの…… 」
ザハードが全てを語ろうと口を開いた瞬間、耳をつんざく咆哮が穴の遥か向こう側から聞こえた。
「な、なに?」
「あれでやられてないのかよっ!」
ザハードは小さく舌打ちをしてから、声のした方に体を向ける。
「あれはさっきの声のやつがした。ミニアーナは、何もしてないよ」
それだけ告げるとザハードは手に握ったままのぺティナイフを構えなおす。
──これで太刀打ち出来るとは思えないけど……。やるしかねぇーよな。
「うおおおおお」
再度咆哮があがった。
瞬間、穴の向こう側に白と黒の体毛をした獣が姿を見せた。
穴の直径は、およそ10メートル。いくらジャンプが出来たところであの巨体だ。
こちらまでは来れないだろう。
ザハードはそう考え、1歩また1歩忍び足で後退していく。
戦わず勝つ。これこそが最善手だ。
ザハードは、ミニアーナとともにこの旅に出るきっかけを得た時に教えられた言葉を思い出す。
──そうだ。戦うことが全てじゃない。力を温存することだって大事なんだ。
その言葉を体全身で噛み砕いてから、ミニアーナに向く。
「今のうちに。逃げよう!」
早口でそう告げると、ザハードはミニアーナの右腕をつかみ海州街道の先に繋がる寂れた街へと向かう。
──頼む。追ってくるな……。
そう思いながら。
***
結局、獣は追ってこなかった。いや、追えなかったというのが正しい表現なのかもしれない。
それに、あれほどまでに大きな穴を超えるには、空を飛ぶしか方法はないだろう。
「あれ、何者だったわけ?」
「分かるはずないよ。でも、人間じゃなかった」
視界の端におぼろげではあるが、街の形が見え始める。
「人間じゃない……。ってことは、ザハードの力は使えなかったってこと?」
「うん」
ザハードは声色を暗くして答える。
「また……なのね」
同じように声色を暗くするミニアーナ。
「本当に、この世界はどうなっちゃってるのかしら」
そして、はっきりとは見えない街の形を視界に収めながら言葉を紡ぐ。
「本当にね」
オークロでの夜襲、そして先ほどの獣。
どちらも相手は人間では無かった。ゆえに、ザハードの力はなんの意味も持たない。
だがしかし、世界にそれほどまでに人間じゃない者がいていいのだろうか?
仮にいいとして、どういった目的で人でない者が闊歩する世界にしているのか?
その答えをザハードは持ち合わせてない。ただただ疑問に思うだけ。
「ねぇ、覚えてる?」
「何を?」
唐突なミニアーナの質問に、ザハードは頓狂な声を上げる。
「変な声で返事しないでよね」
「ごめんごめん。それより、何の話?」
「AAの人体実験の話」
「……うん」
二人がプレハブのようなボロボロの小屋の中で聞いた話の一部だ。
二人が旅に出たあの日。スタート地点になったあの小屋の中で話。
最初は信じなかったあの話。
「いまは……信じちゃうよね」
「うん」
まだ二人は世界を知らなかった。いや、知らなすぎた。
世界の実権を握ったAAという機関による情報規制の有無など知る由もなかった。
だからこそ、信じられた。
「もしだよ。その人体実験された人たちと対峙することがあったらさ、僕の力は使えるのかな?」
ザハードの脳裏に不意にそんなことが過ぎった。
人体実験された人のことをどう思うとかは、ない。だが、ザハードは圧倒的な恐怖を覚えたのだ。
世界が人と見なす、その境界線がどこであるのか。そんな曖昧なものが世界の真理に繋がるのだという事実に。
それに、先ほどのミニアーナの力。あれは一体何だったのか?
ザハードの頭の中に様々な情報が入り交じり、整理が追いつかなくなる。
「……ねぇってば!」
「あっ、ご、ごめん」
情報の整理に気を取られ、ミニアーナの呼びかけに気づかなかったザハードは、咄嗟に謝る。
──んー、普段の生活では何かミニアーナに弱いんだよな……。
「もうっ! ちゃんと返事してよねー」
「ご、ごめんって……」
脊髄反射で謝罪の言葉を零すザハードに、ミニアーナはため息をつく。
「ほんとっ、ザハードはそればっかりなんだから」
呆れたように呟いてから、ミニアーナは眼前を指さした。
雲をも穿つ摩天楼が三つ、まず目に飛び込んできた。
どのような造りで、どのような壁面になっているのか、この距離ではまだ分からない。だが、それは確実に今まで見てきた廃れた街の建物とは違っている。
「あれって……」
「多分ね」
中魏に発つ前に茂本に伝えられた、AAの支部の一つ。
第一支部は第三支部に行くまでにある。
恐らくこれがその第一支部なのだろう。
まだ全容がハッキリとしない、この距離で恐れの気持ちを抱かせる。
──有り得ない……。AAって……一体何なんだ……?
始めてみたAAの支部に戸惑いが隠せない。
徐々に明らかになってくる街の形。どうやら街は、南京というらしい。
街の中央を貫く長江の水は茶色く濁ったまま凍りついている。
かつては隣接していた
その理由は、紫金山が存在していた場所にAAが第一支部を建てたからだ。
「これが……南京?」
南京は、数年前までAA支部があるという事でかなり賑わいを見せていたのだ。
街のあちらこちらに露店があった。
だがしかし、いまは露店の残骸しか見られない。ぶりぶりに破れた布が廃れた様子を一気に強くしている。
また街の様子は港町より幾分かはマシではあるが、それでもスラム化は進んでいた。
コンクリート製の建物であるがゆえに、建物が崩れ落ちるといったことにはなっていないが、壁面のあちらこちらが削れている。
「みたいだね……」
ミニアーナはニホンが日本と名乗っていた頃から使われている日の丸国旗に大きくバツが書かれた国旗に視線をやる。
「何これ?」
少し声を荒らげてミニアーナは、呟く。
「南京大虐殺……か」
ニホン史にも残る事件の跡が色濃く残った結果だろう。
ザハードはそう考えながらも、ここから南京に入るのだと意識した。
そして同時に茂本の言葉が蘇る。
──くれぐれもAAの人間に悟られるな。そして、出来ればAAの人間に会うことなくその街を抜けろ。
「ミニアーナ」
ザハードは声を小にして名を呼ぶ。
「なに?」
ミニアーナも同じように声を小にして返す。
「今からが本番だから」
「分かってるよ」
それだけ言うと二人は顔を見合わせて微笑み、雲をも穿つ三つの大きな建物を見上げ1歩、また1歩と南京の街へと入っていった。
最凶の英雄 リョウ @0721ryo
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