第2話
しばらく進むうちに、日が傾き出した。熟れ過ぎたでかいトマトのような夕日によって、空が血の色に染まっていく。
「宿でも探すか」殺し屋が言うと、運転手は笑った。
「探すまでもないな。あとちょっとでモーテルがある。そこでいいだろ?」
ああ、と言い、殺し屋は穏やかな視線を窓の外へやった。
モーテルへ着くと、殺し屋がフロントへ向かった。運転手は車で待ちながら、カーラジオを聞いていた。懐かしの名曲、ということで、カーペンターズが流れていた。カレン・カーペンターっていい声してるよな、と頭で言葉にしながら、彼は赤く染まった空と、その色が地面に落とす濃い影をぼんやりと眺めた。
すると、駐車場にもう一台、車が入ってきた。ぼうっとしていたせいもあり、それははじめ、運転手の目の中で、風景と同化していた。中から人が出てきて、やっと、彼はその存在に気が付いた。二人の男と、一人の少女。男たちは嫌がって強く抵抗する少女を無理矢理車から引きずり出し、暴れる彼女を押さえつけていた。その姿の輪郭が、次第に運転手の目の中で明瞭になり、はっきりと意識を捕えた。彼は目を大きく見開いて彼ら三人を見ていたが、一人の男が少女の頬を平手で張るのを目にすると、打たれたように、外へ出た。
「てめえら何してやがる!」
怒鳴り声が乾いた空気を切り裂く。二人の男が同時に彼の方を向いた。その隙をついて、少女が男たちの手を振り払い、走り出した。が、一人の男がすぐに捕まえた。運転手は大股で彼らに近づき、少女を掴む男を殴った。その男が、地面に倒れ込んだかと思うと、もう片方の男が運転手に殴り掛かってきた。彼はもろに横面に一発食らい、ふらふらと後ずさった。倒れた方も立ち上がり、彼に向かって拳を振り上げた。やられる――しかし、
バン、と大きな音がしたのと同じくして、殴りかかろうとした男が小さな悲鳴と共に蹲った。
「次は首を狙う」
殺し屋が地べたに屈みこむ男に銃を向けていた。男たちは狼狽え、その場で固まり、寸秒、カーラジオから流れるカレン・カーペンターの声しか聞こえなくなった。《わかってるの このほんとに不完全な世界に完璧を求めているって そしてそれを見つけようとしてるなんてばかだってことも》
だが、彼らはすぐに踵を返し、自分らの車へ走った。早く消えやがれ、と運転手が頭の中で言葉にしかけた時、再び銃声が響いた。彼は咄嗟に男たちに目を向けた。すると、一人の足がガクリと折れ、ちょうど開けたところだったドアに手を掛けたままゆっくり跪くような格好になった。そして次に、頭が後ろへ仰け反ったかと思うと、そのまま上体が前へ倒れ、車内のシートに突っ伏した。その様子が、まるでコマ送りの映像でも見るように、運転手の目には映っていた。
「首だ」
と彼の横から声がし、殺し屋が倒れた男に近寄った。そして、手袋をした右手で体を掴んで仰向け、
「ゆっくり死ねよ。見せてくれよ」と言った。その脇では、もう一人の男が地面にへたり込み、震えて殺し屋を見つめていた。殺し屋は、しばらく倒れた方の男の顔を観察するようにした後、唐突に羽織ったコートからカメラを取り出し、写真を撮った。パシャリ、という音が空気を走った。
サイコ野郎
運転手は心の中で呟いた。
殺し屋は、情けなくコンクリに尻をついて震えるもう片方の男へ向き、しばし見つめた。そして、言った。
「できれば内緒にしといてくれないかな。逃がしてやる代わりに」
男は瞬きすら忘れ、目を見開いたまま、こくこくこくと、何度も頷いた。それを確認したと見えて、殺し屋はふうと息をつき、向き直ると運転手に近づいた。
「フロントの老婦人は、大音量でハードロック聞いてるから気づいてないよ、たぶんな」
運転手は彼を無視し、立ち尽くす少女の方を向くと、「大丈夫か?」
その一瞬で、呆然としていた少女の目が、瞳の円い輪郭が見えるほど、大きく開かれた。口も薄く開いたが、戸惑っているのか怖がっているのか、声は出ない。だが、数秒後、彼女の小さな口から、こんな言葉が飛び出した。
「あんたらのせいで客がいなくなったじゃん。どうしてくれんのよ? 金払ってよ」
「はあ?」
思いがけない返答に、運転手は間の抜けた声を上げてしまった。殺し屋は溜息をついた。
「子供のくせに、客なんか取るな」そして運転手の方を向き、「部屋は一番奥の二階だ。行くぞ」
しかし、運転手はそれには応えず、少女に向かって言った。
「いくらだ?」
少女は再び目を見開いた。その目の中で、丸い瞳が揺れていた。そして、また、薄く開いた口をもごもごとさせ、震える声で、「100ドル」そして、ちらと殺し屋に視を向けると、「一人ね」と付け加えた。
「バカ女」殺し屋は運転手に向かって、「構うな、行こう」と言い、車の方へ歩き出した。それでも、運転手は少女を見つめ続けた。
「オレ、この子と泊まるよ」
殺し屋は運転手へ振り返り、一瞬目を見張った。しかし、すぐ苦笑しながら、ああそうか、と言って、向き直り、奥の部屋へ歩いていった。
「オレが二人分払ってやるよ。200ドルくらい持ってる」
運転手が言うと、少女は返事の代わりに、やはり口をもごもごとさせた。
彼は少女を残してフロントで受け付けを済ませてから車に戻り、彼女を乗せるとそのまま部屋の前まで行った。奥から三番目の一階の部屋だった。
車から出、ドアを開け、壁に取り付けてあるスイッチを押すと、電灯は二、三度点滅を繰り返してから室内を照らした。あるのはベッド一台にサイドテーブル、小型の冷蔵庫、ソファ、それくらい。いかにもモーテルらしい、簡素な造りだった。
「お前、ベッドで寝るか?」
運転手がジーンズと腹の間に挟んだ銃をサイドテーブルに置きながら言うと、少女は瞠目して彼に視線を向けた。
「別々に寝るの?」
「その方がいいだろ?」
少女は視線を落として、しばしそれを彷徨わせた。そして、目を落としたまま、やだ、と言った。顔を上げ、運転手に視線を定めると、
「あんた私のことガキだと思って、バカにしてんでしょ?」
「してないよ」
運転手が言っても、少女は納得いかないらしく、彼を睨んだままだ。運転手は、はあ、と息を吐いた。
「そんなこと言って、オレがその気になって犯したりしたら、どうすんだよ?」
「別に、いいよ」
少女が低い、一本調子の声で言った。それがどこか癇に障って……思いがけず、運転手の体は動き出していた。彼は少女の胸倉を掴むとベッドまで押し、その縁に膝を折られてよろけた彼女の体に覆いかぶさった。彼の体に、少女の体がぴったりと触れる――小さな乳房が潰される柔らかい感触が彼の硬い胸に、驚くほど細い肩が腕の中に、強く触ったら壊れてしまいそうなしなやかな体が彼の心に、ぐっと来た。そのせいか、無意識に彼は少女の髪を撫でていた。すると――その掌の感触と、ずっと昔に覚えた、あの、あの、細くてしなやかな髪の感触とが、重なって、内臓に電気が流れるみたいになった。臓器に沁みるその感じに耐えられなくて、意図せず意識を視線に移すと、少女の表情がそこに留まった。榛色の瞳の上で、光が震えている。
ふと、妹の姿が脳裏をよぎっていった。
彼は起き上がり、少女から離れた。
「ほら、怖かっただろ?」
彼女はベッドに体を仰向けたまま、何か言おうとしたが、口がわなつき声が言葉にならないらしい。あ……え、うう……、みたいな妙な声に続けて、彼女の右目の縁から涙が零れた。そして、震える声をそのままに、天井を仰いで、こう言った。
「別に、怖かったから……とかじゃ、ない……からね。ただ……びっくり、したんだよ、本当に……」
「分かったよ」運転手は応えると、ベッドに腰掛けた。「一緒に寝るか。本当に、寝るだけ、な」
その後、運転手と少女は並んでベッドに横になり、話をした。ずっと話していた。内容はくだらないものだった。映画や音楽の話題とか、少女の母親への不満を聞いたりだとか。そのうち、少女がその身を彼に、ぴったりと
くっつけてきた。彼の硬くて大きな体の輪郭に、小さな体が添う。心が穏やかなまどろみの中に沈んでいく――。それからどれくらい経ってからだろうか、
「あんた、もしかして勃ってる?」
開けっ広げた声が、運転手の脳に鋭く切り込んできた。彼は一時とろりとした心地良さから覚めて、
「うるせえな。そういうんじゃねえよ」と返した。
「なんでよ? やっぱり私とヤリたいんじゃないの? してあげよっか? いいよ」
「違うっつってんだろ」と言いながら、運転手は少女の顔を見た。「別にそういう気分じゃなくてもなることもあんだよ。朝起きた時ビンビンにおったってたりな」
「本当に?」
そういう少女の目は三日月形に細められていた。いかにもくすぐったそうな表情だ。
「そうだよ。女の子には分かんねえよ」
運転手は目を閉じ、寝ろよ、と言った。
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