第18話 意図 7月28日

 ―時間とは、人の生み出した概念に過ぎない。そう唱えるものも存在する。しかし、人は時間に逆らうことはできずその流れに身を任せる以外に選択肢を与えられてはいない。過去から未来へと紛れもない一方通行である。

さて、今回はこの“時間”を巧みに利用し完全犯罪を成し遂げようとしたある人物の事件をご紹介しよう―



「明智さん!」


 淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら広げた仕事の資料に目を通していると、何者かが事務所の扉を蹴破るかの如き勢いで飛び込んできた。


「またか…」


 私は反射的に呟いた。

時計の針は午前9時を指している。

 1日が始まったばかりだというのに私の心に陰鬱さが立ち込めようとしていた。


「今日は何の用かな。小林くん」

「何の用って事件に決まってるじゃないですか!今日もお知恵拝借しますよ」

「待ちたまえ。私には今日も急ぎの依頼が…」

「流石は明智大先生!競馬新聞おっぴろげながら仕事とは恐れ入りますぅ」

「あっ…!これは…!」


 迂闊であった。小林くんめ。広げたままだった仕事の資料(競馬新聞)に目をつけるとは…。

このままでは多分に漏れず無償で事件捜査に付き合わされてしまう。

非常に面倒……もとい、多忙な身としてはなんとか回避したいところである。



     ― ― ― 




「なんだこれ」


 パソコンの画面を見つめながら呟く。

いつぞや書き始めた物語が、いつの間にか書き進められていた。

よくよく見ると第2章辺りまでは書かれているらしい。

勿論、書いたのは俺だろう。

妹がいない時間の流れで育った俺も考えることは大して変わらないらしい。


 ちなみにこれは俺がせっせと書いている『お仕事嫌いの名探偵』シリーズ最新作だ。

ひょんなことから警視庁捜査一課の刑事・小林と知り合いになった探偵・明智五郎が主人公の(自称)本格ミステリー。

 実家が大金持ちの小林に莫大な借金を肩代わりしてもらった明智が、その見返りとして数々の難事件を無償で解決していくというもの。

 抜群の推理力や洞察力を持ちながらも仕事嫌いの明智、やる気と正義感に満ち溢れているがどこか小狡い小林、クールで知的に見えるが実はおバカな助手の和戸村わどむら

この3人を軸にストーリーが展開していく。

 誰にも内緒で某小説投稿サイトに投稿しているが、なかなかどうして閲覧数が伸びない。

いっそ異世界に転生させようかな…。

 それにしても、日付的には1週間前に書いていた物語。

なんだか随分前のものに思える。

実際、俺の体感時間では1週間どころではないし、色々あったせいで更に長く感じるのかもしれない。


「ん?」


 わくわくしながら続きを読み始めようとしたその時、マウスの横に置いておいたスマホが着信を知らせるベルの音を奏で始めた。

 時計を確認すると、おおよそ予想通りの時間だ。その相手が誰なのかも分かっている。


「俺だ。待ってた」

『気がついたら寮に居たわ。大崎君、今どこかしら?』

「家だ。」

『ではさっきと同じところでいいかしら?』

「あぁ。合流しよう」



     ― ― ―




「なるほど…」


 30分後、例の109で落ち合い、再び過ごしたこの数日の出来事をかいつまんで話し終えると、黛さんの口からこんな言葉が漏れ出た。


「確かに、何かをしたとは言い難い状況ね」

「だろ?強いて言うなら1日多く戻ったことと、啓祐にタイムリープの話をしなかったことか」

「後者はともかく、何か影響を及ぼすとしたら前者かしら」

「かもな」


 色々と考え付くことはあるが、どれも現実的ではない。

いや、そもそもの話タイムリープなんてものが1番、現実の範疇から飛び出しているわけではあるのだが。


「あと、もうひとつ」

「なにかしら」

「愛未の居場所が分かったんだ」

「居場所…!?」

「あぁ。と言っても、まだ会ったわけじゃないし、もしかしたら別人の可能性もあるが」


 あの後、昔のアルバムやら写真の束やらを色々漁ったのだが、写真の1枚出てこなかった。

10年以上前とはいえ、妹を見紛う筈はない。

故に1枚でも“再従兄妹”の愛未の写真が出てくればそれが何者なのか、はっきりさせられる。

そう思ったんだがなぁ。


「無事だったのね。よかったわ」

「あぁ。ただ色々とややこしいことになっててな…。また後日詳しく話すよ」

「え、えぇ。お願いするわ」

「それで、黛さんの方なんだけど」

「私?」

「愛未の手がかりは掴めた。だから、次は黛さんのご両親の…」

「そのことね。私も、私を引き取ってくれた叔父に色々聞いてみたのだけれど」

「あぁ」

「ある事件に巻き込まれて亡くなったとだけ、具体的な所ははぐらかされてしまって…」

「そうか…」

「1度その話をしたきり、それからは電話しても出てくれないわ。元々忙しい人ではあるのだけれど…」

「何やってる人なんだ?」

「議員よ。地方のね」

「へぇ」


 議員さんなら確かに忙しそうだ。

勝手なイメージでしかないがな。

だって議員さんが普段何してるかなんて知らないし知る機会もないし…。


「一応、これからも連絡を入れてみるつもりよ。なんなら直接会いに行ってみてもいいわね」

「一緒に行こうか?」

「気遣いは無用よ。不仲という訳ではないし…。寧ろかわいがってくれていると思うわ」

「そ、そうか」


 なんで今、一緒に行こうかなんて言っちゃったんだろ…?

しかもばっさり断られるし。なんだか恥ずかしいぃ。


「まぁ、そっちは任せるよ。何かあったらいつでも連絡くれ」

「わかったわ」

「俺は長野に行く準備をしようと思う。まずは旅費を稼がねばならん」

「言ってるでしょう、気遣いは無用よ。私1人で構わないわ」

「はい?」

「長野に行くのは私1人で十分よ」

「なんで黛さんが長野に…?」


 なにやら会話がかみ合ってないぞ…?


「言ったでしょう?私の叔父は長野で市議会議員をしているのよ」

「なん…だと…。いやいや、地方で議員をやってるとしか言わなかったろ」

「そうだったかしら?では、あなたは何故長野に?」

「俺は、愛美に会いに行くんだ」

「愛美さん、長野にいらっしゃるの…?」

「あ、あぁ」

「そう…なのね」


 あぁ、どこか懐かしさすら覚えるこの感じ。

一体いつぶりだったか。黛さんと出会ったあの日、いや、その次の日だったか。

符号する俺たち2人の奇妙な部分。


偶然なのか。

必然なのか。


この現状を招いた元凶が居る。

それは誰なのか。

全てのことに理由がある。

とするならばこれにも何か理由があってしかるべし。

原因があって、初めて結果が生まれるのだ。

因果性を半ば蔑ろにしている俺ではあるが、この根幹は揺るがないものだと思っている。

故に一連の事象全てに何者かの意志が介在し、今この“結果”が生まれているはず。

…はずなのだが。


「偶然…かしら」

「どう…だろうな…」


いずれにせよ判断材料に乏しい現状では、如何ともし難い。

……しかし、これは現状を打破する突破口になるやもしれないのではないだろうか?

以前、俺たちの間で起こっている様々な事象での一番の被害者は黛さんのご両親、元をたどれば俺たち2人の父親である可能性に気が付いた。

そしてその2人の共通点は物理学者であり、リケンで何かの研究を行っていたこと。

他にも何かあれば、それはきっと、とっかかりになるはず。


「なあ、長野に叔父さんが住んでるってことは、お父さんの出身は…」

「えぇ。長野よ」

「やっぱり…。俺の父さんも長野なんだ。麻績村おみむらっていう小さな村の出身だって、母さんに聞いた」

「ふふ…」

「ん…?」


 なんだこの反応…?

全く思いがけない反応に硬直しかけた刹那、黛さんは口を開いた。


「あなたの口から麻績村の名前を聞くなんてね」

「じゃあ…」

「えぇ。私の父…それに母も麻績村の出身らしいわ」

「偶然だな」

「どうかしらね」


 2人の間になんとも不思議な空気が流れていた。

つながり、というには弱いかもしれない。

だけど、確かに見つけた1本の糸。

 辿った先に、わずかでも可能性があらんことを。

そしてこの糸が、どうか蜘蛛の糸ではないことを。



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輪転世界のオーバーライト 市民 @shimin

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