第53話 気の持ちよう

うつは病気だ。それは間違いないのだが、精神的に安定しているとき、テンションが高いとき、弱っているときで、同じ事象でも違うように感じることがある。

これは罹患者全員がそうかは判らないが、少なくとも俺はそうだ。


例えば、人混み。

基本的に怖いことは怖いのだが、テンションが高いときは頑張れる人混みもあるし、そもそも気にならない、むしろ人混みであることでテンションが上がる場合も(ライブ会場・ライブ映像に限定はされているが)ある。

逆に、写真を見ただけでドキドキ不安になってしまうこともあるし、酷いときには「人混み」という文字だけでも怖く感じることもある。

テンションが高いとき、精神的に安定しているときなら、少なくとも「文字」だけで怖くなることはない。

だが、弱っているときはとことん怖い。


それを総じて、相方は「気の持ちよう」だと表現するときがある。

大抵は弱っているときだ。

当たり前と言えば当たり前だ、弱っているから怖いのであって、弱ってなければ怖くない事象だからだ。

だが、弱っているときは本当に「文字」だけで怖く感じてしまうのだ。

そんなときに、「気のせいだ(意訳)」と言われても、困惑すればいい方で、酷いときにはそれで傷つく。


確かに、気の持ちようなのかもしれない。

と言うか、気分次第、精神状態次第なのだ。


それを、単純に「気のせい」で片づけられると、確かにそうなので反論は出来ないが、正直辛く思ってしまう。

今、俺がかかっている病気は、そういうものなのだ。

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