第45話 ストレスフリー
病む前の俺の格言は、「ストレスフリー」だった。
ただ、それは単純に「鈍すぎてストレスに気付かなかった」だけで、自分にストレスがかかっていると気が付いたときのキャパシティは狭かった。
そもそもストレスに気付かなかったから、ストレスの解消の仕方が判らなかったのだ。
そのせいで潰れたのだが。
例えば、カラオケは好きだ。
ストレス解消になる、と言う人も居るだろう。
だが、カラオケで発散できたとしても、問題解決にはなってないから、ストレスから逃れなれない。
例えば、飲酒。
嫌いじゃない、と言うより好きだ。弱いが。
ストレス解消になる、と言う人も居るだろう。
だが、酒で発散できたとしても、問題解決にはなってないから、ストレスから逃れなれない。
問題とどう向き合うか、それが壊滅的に下手だったのだ。
これは育った環境に起因することでもあるのだが、逃げたり、我慢したりしているうちに、鈍感力が高くなってしまい、多少のストレスには「本当に気付かない」性質になっていた。
軽く自己紹介を改めてするならば、小学校6年間と中学校の9年間はいじめられていた。
集団になじめず、1人でいることが多かった。
だが、それは決して苦痛ではなかった。
いや、いつの間にか苦痛ではなくなっていた、と言うのが正しい。
特に5年生の時は酷・・・かったのだと思う。クラス中、学年中の同年代の子供たちに無視されていた。
と言うか、無視するからね、と宣言を受けた。
勝手にすれば?と思った。
だが、結果として無視はしてくれなかった、何かと嫌がらせはされていた。
上履きや体操着を隠されたり、ノートを破かれたり、筆記用具を壊されたり。
だが、特に何も思わなかった、あぁまたか、と思うだけだった。
加えるならば、無視するなら徹底的に無視すればいいのに、何でこの人たちはわざわざ俺に関わろうとするのだろう?と不思議には思っていた。
当時は、「生きている」気があまりしていなかった。
ただ、自分を取り巻く環境と出来事と、過ぎていく時間を眺めているだけ。
自殺したい、とは思わなかった。
ただ、近所で通り魔事件が起きたとき、その人が殺してくれたら良いなーとは思った。
そういえば、泣かないし笑わない子だったな、と振り返ると思う。
今は、「生きている」実感がある。
今は1人ではないし、感情表現も豊かすぎるほどになった。
それだけ、信頼できる、安心できる環境がある証拠だろう。
今は、それを手放したくない、今あるものは何1つ失いたくない。
だから、病むきっかけだった職場のストレスから解放された今は、今あるものを守るためにも、「生きることをする」のだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます