あの頃は東ドイツがあった 『オスタルギー』

 『東ドイツ』という単語を出すと、その国が存在したことを覚えている日本の年配者などは、ああ…と訳知り顔で辛そうな表情を作り、陰鬱で貧しい社会主義国で、銃を構えた兵士があちこちにいて、とおよそ思いつく限りのマイナス要素のみを並べてくれる。秘密警察シュタージが国民を監視していて、軍事パレードがあって、自由に西側へ出る権利がなくて、政治の話はご法度で余計なことを言うと逮捕され、国境を越えようとして射殺された人々がたくさんいて……。


 こう、書いているだけで気が滅入るような、なんとも悲惨な国である。そりゃ射殺されるのを覚悟で逃げたくなる気持ちだってわかる。そんな不条理な社会、私だって尾崎豊くらいの反発でもって逃亡したくなる。こんな自由のない暮らしを強いられていた東ドイツ国民は、現代の統一ドイツでさぞや幸せに暮らしているのだろうと思いきや、カトリンから盛大な「待った」がかかる。


「ちょっと待って待って、外側からのイメージだけで私たちの子ども時代がかわいそうだったとか決めつけられると困るんですけど」とカトリンが自身のアルバムを引っ張り出してきた。そこには彼女が生まれた頃からの写真が年代別に綺麗に纏められている。楽しそうな家族の旅行写真に、笑顔の子どもたちがずらりと並ぶ学校での写真、どのカトリンも今と変わらぬちょっとはにかんだような笑顔で写真に収まっている。誕生日にクリスマス、絵に描いたような幸せで温かい家族写真が続く。


 そう、東ドイツ時代を経験した友人やその両親、祖父母世代から聞かされる『東ドイツ』は映画や文献から拾うドラマティックで悲観的なものとは程遠い『ごくごく普通の暮らし』なのである。言うなれば、貧乏で大変だったけれどあの頃は楽しかったわ、と戦後の話を聞かせてくれる日本の老人の立ち位置とそう遠くない。今は物が溢れて便利だけれど、あの頃はあの頃で良かったのよ、という論調である。


 先日、私の暮らすアパートの裏庭でそこに暮らす人々が集まるお茶会が開かれた。見事なまでの老人クラブを形成しているこのアパートでは、我が娘の次に若いのはなんと私である。

 現在の住まいであるハレは東ドイツ臭の存分に残る町で、この老人クラブの面々も当然皆生粋のオッシー(東側住民)だ。ちなみに反対語はヴェッシー(西側住民)と呼ばれるが、この言葉は外国人は使わない方が賢明かと思われる。

 老人が寄りあって話すことと言えば、お互いの健康についてか、あの頃はよかった、の二点であるからして、老人たちは東ドイツがいかによかったかという半分幻想と思しき論調で昔を懐かしむ。

 そして極東出身の外国人である私と、西側にルーツを持つ夫、しかも二人とも彼らから見れば若者である、という訳で、私たちは歴史の生き証人らから『今はなき東ドイツ』についてとくとくと説明を受けることになる。そんな老人たちは活き活きととても嬉しそうである。彼らの思い出補正に目を瞑りながらお茶を啜る時間は嫌いじゃない。


 昨今、旧東ドイツ界隈では『オスタルギー』という懐古趣味が幅を利かせている。オスト(東)とノスタルギー(郷愁)を掛け合わせたこの造語が、今はなき東ドイツを懐かしむ人々に古き良き時代として定着させる役割を担っている。当時の食品を再現したり、日用品をリバイバルさせたりして、元東ドイツ国民たちを喜ばせている。どんな時代であれ、人は辿ってきた道を否定したくないものなのかもしれない。いつだって残るのは楽しかった思い出、である方が健康的である。


 もちろん、この話の冒頭にある東ドイツの薄暗い歴史の説明に一切嘘はない。まるまる真実として存在していた東ドイツの暗黒面である。


「世の中には二種類の人間が存在していてね、どんな状況にあれ反体制に走る人と、そこにある幸せを享受する人と。だから皆が皆、東ドイツを悲観していた訳でもないんだよ。普通に楽しく暮らしていた人もたくさんいるの」カトリンの言葉がちくりと胸に刺さる。

 もしかすると、これも上昇志向の資本主義と安定志向の社会主義から来る精神性の違いなのかもしれない。カトリンの言葉に、かの森鴎外の『高瀬舟』に登場する喜助の『欲のないこと、足ることを知っている』姿を思い出す。そこにあるものに感謝して生きる心、持たざる者が誰よりも持つものであるという幸せ。他人から見れば不幸の塊に見える喜助だが、足ることを知る彼自身は、晴れやかに幸せなのである。さあ、気になる人は高瀬舟を読もう。


 お金さえあれば幸せになれる、健康以外の大体のものは手に入るという価値観の現代社会は病的であり、でもそれに乗っからないとうまく世間を渡れない。ヒッピーになって放浪でもしたいところだが、昨今のヒッピーは金持ちの道楽と化していて、無農薬野菜やらそれっぽいヒッピー御用達の手作り服につけられた値札に、回れ右してファストファッションに向かわざるを得ないほど。そしてそのファストファッションの店ではこの縫製をしているであろう国々の労働単価の低さを思って溜息をつく。つくづく暮らしにくい世の中である。近所のお婆ちゃんじゃないけれど、資本主義はごく一部だけが得をするいやらしい社会だ、なんて言いたくなる気持ちもわかる。


 ドイツ人はとにかく批判精神旺盛であることをよしとし、愚痴と愚痴でコミュニケーションを取るという高等技術を携えている。ネガティブのぶつかり合い、不満のデパートであるが、それで連帯感を高めているような節がある。ご多分に洩れず、ドイツ滞在が長くなるごとに私の中の批判精神が地道に成長を遂げていて、上記のようにとにかくなんにでも難癖つけるようになっているのが面倒くさい。ドイツ語は相変わらず下手なくせに。


 そんなネガティブの見本市であるはずの彼らが、思い出補正込みであることを考慮しても懐かしそうに目を細めて話す『東ドイツ時代』を、先入観をなるだけ外して聞いてみることにしたので、是非お付き合い願いたい。道先案内人はカトリンである。

 

 不思議なことに、このオスタルギーは極東出身の私の郷愁をも誘う。なんだか妙に懐かしいのである。それを周りに告げると「だってあんた東の果てから来たオッシーの中のオッシーだもんね」と。それ以来『誰よりもオッシー』として崇められていて、そして実はそれをかなり気に入っている。

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