そなえよつねに 『ピオニールとガールスカウト』
「備えよ常に」というのはボーイスカウト及びガールスカウトの掲げるモットーであり、なんと歌まで存在する。というのも、このスカウト活動というのは何事も歌にしてしまう習性があり、集合すれば歌い、旗を揚げる前にも歌い、食事の前も後も、眠る前でもとにかく『スカウトソング』なるものが大量に存在していて、実はその殆どをまだ歌える私は、元ガールスカウトである。
このボーイスカウト及びガールスカウトはイギリス発祥で、世界中に支部を持つ青少年による活動である。集団行動や奉仕活動を通して健全な青少年を育成する目的で、イギリスの貴族かつ軍人であったベーデン=パウエル卿によって設立された。特徴的なユニフォームに縞々のスカーフを結び、毅然と団体行動をしているので、どこかで見掛けたことがあるという人も多いと思われる。
募金活動をしたり、清掃活動をしたりというのもスカウト活動の一環だが、特筆すべきはワイルドかつ厳しいキャンプで、ロープ結びに始まりテント張り、手旗信号に地図とコンパスを駆使した山奥でのオリエンテーリングを訓練するという、まるで遭難を前提としたかのような過酷なブートキャンプが行われる。夜テントの中で、神様お願い家に帰してと何度祈ったことか。夜半に飯盒炊爨の残りを漁りに来るイノシシ、か、更に恐ろしいなんらかの物音に怯えて、夜中トイレに行くのを我慢し続けたり、寝不足の中ひたすらワンダーフォーゲルアドベンチャー。雨の中傘もささんと山道行脚。お陰でトラウマとなりそれ以来キャンプと聞くと拒否反応を起こすまでになった。
しかし、苦労を知らずにぬくぬく暮らしていたバブル期の小生意気な小学生だった私にはありがたい体験であり、良い薬であった。まったくなかった協調性が少し育ったのは間違いなくガールスカウト活動による恩恵だと言える。だからこれを読んでも怒らないで頂きたい、スカウト関係者の方。今でも誰よりも早くテントを張る自信がある。ただ張りたくないだけで。吾輩はへたれである
世界中にネットワークを張り巡らせるスカウト活動であるが、ソ連や東ドイツなどの社会主義国ではそのシステムのみを取り入れ独自に発展させ、うまい具合に「子どもたちに社会主義を啓蒙する活動」へとトランスフォームさせることに成功した。
その結果、生まれたのが少年ピオニール(Jung Pionier)という組織で、7~10歳をユングピオニールと呼び、11~13歳をテールマン・ピオニールと呼んだ。テールマンというのは創始者の名前、ピオニールは英語で言うパイオニア、開拓者の意味である。
そして、あろうことか、ボーイスカウト及びガールスカウトのモットーである「備えよ常に」をそのままロシア語やドイツ語で使用する運びとなり、スローガンとして大々的に使用していた。
「ピオニールの集合があると、年長者が「Seid bereit!(備えよ!)」と号令を掛けるの。そうしたら皆で声を合わせて「Immer bereit!(常に備えあり!)」って言って敬礼するの。あ、なんか懐かしい。久しぶりに言ったわ、これ」とカトリンがはにかみながら手を頭にちょこんと乗せた敬礼をしてみせる。
私は私で、ガールスカウトの『そなえよつねに』という歌を披露する。なぜかこの歌はいつもひらがな表記なのだ。歌詞を訳してみせると「本当にピオニールの標語と同じなのね」と感心するので、ガールスカウトの方が先に設立され、その標語を使用していた経緯を話すと驚きを隠せないカトリン。もちろんピオニールはスカウト連盟には登録されていないし、ガールスカウトには軍隊的な号令はなかった。敬礼はあったけれども、右手三本の指を立て肩のあたりで制止するというものだった。
そして現在となっては、東側にもボーイスカウト及びガールスカウトの支部が存在するのだが、ドイツ語ではプファドフィンダー(Pfadfinder)と呼ばれている。そしてその標語は『Allzeit bereit(常に備えあり』と、意味は同じであるが、微妙に使用する単語に違いがある辺りに区別化の痕跡がちらりと見える。
このピオニールは自由意思での参加ということになっていたが、ほぼ強制のようなものだった。ムラ社会でわざわざ波風立ててまでピオニールに属さない理由もなかったので、ほぼ当然のように子ども会のような雰囲気で、その年齢に達すると皆がピオニールと呼ばれるようになった。白いシャツの制服、帽子などが支給され、ユングピオニールは青、テールマン・ピオニールは赤のスカーフを使用した。
スカウト活動と同じく、集団行動や奉仕活動が軸となり、キャンプなども毎年開催された。ちなみにカトリンの姉のアニャが大事にしていた高級ボールペンを盗まれたのは、このピオニールキャンプでのシャワー中のことであったらしい。
何を置いても、ピオニールは政治的関心を子どもたちに植え付けることを最大の理由として運営されていた。母体はFDJ(エフデーヨット Freie Deutsche Jugend)と呼ばれる自由ドイツ青年連盟という政治組織であり、ピオニールはこのFDJの少年部であった。
FDJは13~17歳の若者で構成され、青いユニフォームを着用した。この機関に属するかの決定権も個人に委ねられたが、非加入者は大学進学や就職に於いて不利を被ることがあったため、こちらも同じく任意という名の強制に近かった。そしてこのFDJは政治的権力の傘下にあり、当然のことながら一党独裁の東ドイツ政府を動かすSED(エスエーデー Sozialistische Einheitspartei Deutschlands)ことドイツ社会主義統一党によりコントロールされていた。
皆、特に疑わずそのまま加入するのが流れだったし、SEDは子どもたちへの社会主義意識啓蒙のために様々な企画をして関心を集めようとしたのもあり、楽しい行事がたくさん用意され、大勢の子どもたちと触れ合えて、決して誰にとっても悪くない思い出のようだ。子ども関連のイベントは非常に多く、東ドイツの将来を担う子どもたちはとても大切にされていた。子どもにとって政治的云々は後付けで、楽しければ参加する。そしてそれこそがSEDのシナリオでもあった。
でも、だからといって、皆がそのままエスカレーター式にSEDに入党するという訳ではなかった。SEDの党員というのは特別階級で、もちろんシュタージ関係者は全員党員であるが、一般の人々からは遠い存在であった。横並びの社会で突然高級品を手にしていたり、職場での身に余る昇進などがあると、それはほぼSED関係者であることが多かったようだが、シュタージ同様、市井の人々からは疎まれるポジションではあった。SED党員への贔屓は相当あからさまだったようだ。
物持ちのいいカトリンが物が多すぎるゆえに探し出せなかったピオニールの制服を、彼女の姉アニャが持ってきてくれた。丁度現在ユングピオニールの年にあたるカトリンの娘に着せてみたら、二人は懐かしさのあまり大興奮となった。もう二十数年も前にピオニールで歌っていた社会主義礼賛の歌まで口を衝いて出てくる事態となった。ガールスカウトに負けず劣らず、相当数の歌を練習していたらしく、式典などで歌うことも多かったらしい。
「覚えてるもんだねえ、楽しかったよね。この制服を着ると使命感を覚えたんだよね、子どもながらに」と姉妹は実に嬉しそうに思い出を語りだした。いつだって残るのは楽しかった記憶ばかりなり。お小遣いからピオニールの会費を徴収されるのが腹立たしかったことも帳消しになるくらい。
物を持たない私は当然ガールスカウトの制服などは手元にはないが、それでも制服着用時のぴりっとした誇らしい気持ちを思い出すと思わず背筋が伸びる。縞々のスカーフをくるりと巻いてリングを通すのが好きだった。
制服効果というのは実に素晴らしい。集団の距離をぐっと縮める上に、その集団の一員であるという自覚も植え付ける心理効果。日本の幼稚園、中学、高校では定番の制服が社会主義国の東ドイツの学校には実は存在していなかったのが不思議と言えば不思議である。これ以上に集団主義に適したアイテムはないというのに。
ピオニールは式典などのみ制服に帽子着用で、普段の活動時は私服にスカーフを結ぶだけだったらしい。この、スカーフを結ぶという小さな所作が、社会主義への入り口だった。
スカウト活動は規律が多く厳しかった上に要領の悪い私はいつも怒られていたけれど、そんな記憶さえも懐かしく、ありがたく思えてくる。思い返してみれば、とても楽しかったあの頃。
昨今、叱らない教育や子どもの自由を尊重するという類の教育法を耳にするけれど、大人から叱られずに育つ子どもというのは不憫な気がするし、規律の中に身を置いてみた上で外れるならまだしも、その環境さえ知らないというのは不公平な気もしなくもない。大人になって誰も叱ってくれなくなった今、自分の行いを顧みる時の判断基準に、叱られてきたことで体得した物差しが役立っているのを感じる昭和の私としては、叱ることが悪とされるような現在がやや物足りない。ガールスカウトは今でも礼儀や躾に厳しいのだろうか。確かめたいような、知りたくないような。
そういえば1990年に大阪で開催された花の万博で、所属する団を代表して大阪ガールスカウト発ミュージカルに合唱隊として参加したことを思い出した。よくよく考えてみればバブル期ど真ん中のこの万博は、丁度東西ドイツが再統一した時期と同じくして開催されている。そのステージでも歌ったことを思い出した。そなえよつねに。いいな、この言葉。なんであの頃気付かなかったんだろう。
カトリンの娘がピオニールの制服の魔法に掛かり「私もピオニールに入りたい!」と言い出したので、すかさず、しかしぬかりなく啓蒙した。プファドフィンダー(Pfadfinder)ことガールスカウトのことを。精一杯の恩返し。
地図とコンパスを駆使してオリエンテーリングの訓練をした甲斐あって、今でも地図を読むのと道を覚えるのが得意なのはひとえにガールスカウトのお陰。でもキャンプに行く勇気はまだ育っていない。しかし、もしものためにと新品のテントは一応手元にある。いつか使う日が来るかもしれないので、それまでは爪を隠して待とうと思いながら、気付けば8年くらい経つ気がする。そなえよつねに。きっと来年。
若者を叱る気概は常に備えているのだけれど、いかんせん他人を叱れるほど立派な大人でない自分がそこにいる。そなえよつねに。
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