パパガイ! 『ファッションは派手でなんぼ』

 ファッションとは、文化であり、生き方であり、自己表現である。「いや自分はファッションに興味ありませんから」と同じものを着続けるのもまた信条であり、ひとつのファッションである。

 

 ベルリンの壁が崩壊した当時、東西ドイツ人が肩を組んで歓びを分かち合うあの映像をみた時に、子どもだった私が最初に思ったのは「服装では東と西の人の区別がつかない」ということだった。ソ連を筆頭とした北の方にある社会主義国のイメージは、貧乏で厳しい暮らしを強いられている、とどこで聞いたか学んだか『東ドイツは貧乏で西ドイツは金持ち』と10歳の単純さで記憶していたのだが、服装からその貧富の差を推測することはできなかった。なぜなら彼らは皆似たような恰好をしていたからである。


 カトリンの子どもの頃のアルバムを見ていても、自分の子どもの頃とさほど変わらない服装をしている。いや正確に言うと、そこには欧州テイストがふんだんに盛り込まれていて、そもそも独自ファッションを突き進む日本風とは趣を異にするのだが、それでもジーンズを履き、可愛らしいセーターやブラウスを着て、寧ろとてもキッチュかつファッショナブルに私の目に映る。

 そういえば東ドイツ(DDR)時代に作られた家具や雑貨、生活用品全般は、独特な感性溢れるキッチュでレトロなものが多い。丁度、昭和レトロや大正ロマンと同じような位置づけで、今でも熱狂的なファンが多い。そうかそうか、それゆえにファッションにも力を入れていたのかDDRは、と納得しかけていたところ、カトリンから横やりが入った。

「うーん、確か、私たちの服は東ドイツ製のものより西ドイツ製が多かった気がするんだけど」

え、どういうこと?計画経済第一で、ほぼすべての物を国内生産で賄う東ドイツに於いて、それはどういうことなの?


 こういうことらしい。東ドイツはお得意の計画経済でファッションをもリードしようと試みたが、西側のテレビや様々な媒体により実は最新ファッションを熟知している東ドイツ国民は、その流行遅れ、かつ端的に言うとダサいファッションに不満を持った。

 こんなもん着れるかー!とちゃぶ台返したお洒落さんたちを宥めるためか、東ドイツ政府は大量の衣服、綿製品を西側から輸入することになる。なんだかファッション蜂起にあたふたしている東ドイツ政府を想像すると人間味があるではないか。

 そうは言っても、70年代のヒッピーファッションに、80年代のパンクファッション、と奇抜なファッションに身を包む若者は後ろ指を指されたし、政府もその反社会的な出で立ちにやきもきしたようだが、それを禁止することで『心まで』反体制になることを案じて、寛容策を取ることに決定したようだ。

 いくら優秀な東ドイツ計画社会と言えども、自己表現であるファッションまではうまく計画できなかった。それは個人に委ねられた権限でもあったからである。中国の人民服のようなものを強制されなかった辺りが、社会主義国と言えど自由度の高かった東ドイツらしい。


 もちろん西ドイツ製の服ばかりで溢れていたわけでもなく、東ドイツでは手作りや手編みのややレトロで可愛らしい服も人気だった。女性用雑誌などには服の型紙が付録についていたりして、それを使って様々な服を手作りしたらしい。

 カトリンの子どもの頃、80年代には西ドイツからの衣料品が大量に入るようになっていたが、彼女の母親の少女時代はもっと規制が厳しかったため、東ドイツ製一択だったのだそうだ。そもそもに物資不足な中、女性たちは自分たちで修繕を常とし、自分の持っている服のパターンを起こして手作りの服を作り始めた。


 今もその名残か、オーガニックの生地を使用したレトロモダンともいうべく服を手作りしては販売している店をちょくちょく見かけるのだが、丸みのあるフォルムが実に可愛らしく、私も子ども用にちょこちょこ購入している。そんな娘の服を見た西側の友人が「わー、これこれイメージしてた東ドイツの子ども服ってこんな感じ!」と嬉しそうであった。丁度ロシアのマトリョーシカのように頭を覆うコプフトゥーフも定番で、小さな女の子たちはヘアバンドよろしくカラフルにほっかむりをしていて、それは今も尚、東側ではよく見られる子どもの姿である。


 お洒落の定義はそれぞれとして、東側の人々は総じて各種お洒落に寛容な人が多い気がしている。

 私が以前暮らしていたライプツィヒには世界的に有名なものが幾つかあるのだが、その一つが世界最大のゴシックの祭典『ウェイブ・ゴシック祭』である。

 世界中から2万人以上の愛好家が集うこの祭、開催期間中はライプツィヒの町中が黒いゴスたちに埋め尽くされる。ゴスロリも居れば、本気の貴族みたいな人々に、マリーアントワネット風情も居る。趣旨がややずれて、おっぱいやらお尻やらをぷりんぷりんに出しているお姉ちゃんなどもいて圧巻である。

 同じく世界最古にして最大級のライプツィヒメッセにて、年に一度本の見本市が開かれるのだが、そこにもここは秋葉原かと見紛うばかりのコスプレイヤーが溢れかえる。皆、衣装を特注したり、自分で手作りしたりとそれはそれは熱意が伺える。


 私が個人的に好きなのは、そんなフリークとも捕えられがちな異端児ファッションが、実に暖かく世間に受け入れられているところである。ライプツィヒ市内にて、毒々しいファッションに身を包むゴスの皆様に囲まれ、嬉しそうに一緒に写真に収まっているおばさまたちの姿を幾度となく確認している。なんというか寛容なのだ。半分おっぱいがはみ出していても「ああそういうファッションなのね」と容認されているあたり、さすがは裸族の懐の深さである。


 そして東側をひとくちで語ることなかれ、と自戒するのが、東側の中でも田舎の方へ遠征した時である。ナントカ村大字のような僻地へ行くと、そこにはタイムスリップしてしまったかのような東ドイツ風情が見られる。服装などはまあ独特であるがよいとして、特筆すべきは髪型である。おばさま方は驚くほど髪がふんわりこんもりしていて、子どもたちの襟足は長い。そして独特のカラーリングが他を寄せ付けない独自性を発揮している。70年代から80年代に持て囃されたであろう髪型、及びファッションが現在も横行しているというのはなぜなのか。


 そこで私は彼らの気持ちに寄り添ってみることにした。東ドイツの田舎で資本主義の流入により職を失った彼らの怒りの矛先は、この統一による文明開化批判に向かう。東ドイツのやり方は悪くなかったのに、私たちは幸せだったのに。今や職は無くなり、西側にどんどん浸食されていく。東ドイツを忘れない『Remember DDR』の礎を心に刻むとなると、なるべく西側モダンには染まらない精神が育つゆえに、守られ続ける当時のファッション、髪型、そして思想。これは一種の反社会的精神ではなかろうか。どうだろう当たらずとも遠からずではないかと思ったのだが、カトリンは一言「うん、田舎ってどこに行っても大体時間が止まってるものなんじゃない?」


 確かに一理ある。日本の田舎にも一定数存在している、襟足の長い子どもとか、前髪がケープでふんわりと固定されたバブル風なお母さんとか。でもそこも思想は同じような気がする。旧東ドイツも、日本も、あのランバダ革命の少し前に流行っていたファッションもしくは思想から前に進めない人たちが結構な数で存在している。もしかすると、あの時代を愛していた人々が青天の霹靂を味わい、魂までは渡さないと誓った取引なのかもしれない。無理矢理奪われた、自分にとって平穏かつ幸せだった日々。そして慣れ親しんでいた日常と文化を否定された悲しさ。誰もが新しいものに飛びつくわけではない。そして多かれ少なかれ、人はいつでも過去の栄光に縋って生きていくものである。その誓いを現在も守り続けているなんて健気ではないかと思う反面、そう凝り固まってしまうと成長は見込めないのではと要らぬ心配をしてしまうが、きっとそれがプライドというものなのだろう。


 最後に、東側の路上ではよくオウムのような頭のおばさんとすれ違うという心躍る体験ができることをお伝えしたい。どれくらいカラフルかというと、ピンク・黄色・黄緑のようないずれも蛍光色を惜しげもなくカラリングしていて、皆一様にベリーショートに短くカットされてつんつんしている。一度ショッピングセンターにて文字通り虹色、七色に染め上げた誇らしげなおばさんを見掛けたことがある。西側からくる御一行様も、これに遭遇すると非常に嬉しそうであった。幸せの青い鳥ならぬ、幸せのオウム。かつて白髪頭を紫に染める日本のおばさまを派手だなんて思っていた自分を心から恥じた。紫一色、しかも部分染めだなんてとても上品だ。どうやら東側ドイツ人はさらに斜め上の蛍光色というリアルに派手な色を好む傾向があるようだ。


 東ドイツ時代、子どもの誕生日のケーキとして定番だったのが、パパガイエンクーヘンことオウムケーキである。鮮やかな色合いのオウムをドイツ語ではパパガイと呼ぶ。パウンドケーキに食品着色料を駆使して、やたらとカラフルに焼き上げる仕様で毒々しいことこの上ないのだが、確かにパーティは華やかになる。カトリンにしてみれば、誕生日ケーキといえばこれ!で、先日の彼女の娘の誕生日にも、もちろんこれが登場した。


 そして、西側のとあるファストファッションで働いていた知り合いによると、ドイツ国内でも都市によって、正確に言うと西側東側で取り扱う商品に多少の差異があるというのだ。西側がモノトーン、もしくは定番のシンプルを好むのに対し、東側ではカラフルな配色の派手目なものがよく出るのだという。


 そう、ファッションとは文化であり、生き方であり、自己表現である。

 グレーだった東ドイツが、今や色彩に溢れ、この北の大地にオウムさえも生息するようになったのだ。いつも黒っぽい服ばかりで『ニンジャ』と揶揄される私だが、今年の夏は張り切って蛍光色のドレスでも買ってみようかと思う。きっと道行く人から賞賛の眼差しを受けるに違いない。

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