専業主婦の憂鬱 『女性は大事な労働力』

 今でも東側に根強く根深く受け継がれている思想に、かのレーニンによる戒律『働かざる者食うべからず』がある。健康な成人以降の人間が社会に出て労働をしないというのは彼らにとって考えられないことである。いや、もう尤も過ぎて仰る通りですと頭を垂れるしかない正論で、そんなのわざわざレーニンに言われなくても重々承知しているし、なんならレーニンより私の方がよっぽど深く理解している自負さえある。

 そして、そんな彼らに日本ではまだ一般的である専業主婦について説明をしたところで「日がな一日一体何をしているの?」「仕事を継続もしくは遂行する能力がないの?」「それはうつ病ではないの?」とまあまあ辛辣である。


 ドイツ人の伴侶を持ち、かつ専業主婦である東側在住の日本女性たちは、夫をはじめその家族一同や周りからひたすら『早く仕事を探しなさい』攻撃を受けて参っている。彼らにしてみれば悪意はなく「仕事をしないなんて精神上よろしくないでしょう」とあくまでも心配している様子なのであるが、ただでさえ失業率の高い東側の地で、言語の不自由な外国人が職を得るのがどれほど大変かまでは想像できないようだ。この空気の中で無職でいるのがどれだけ耐え難い境遇であることか、私はよーく知っている。ドイツ人的鈍感力で「無職ですけど何か?」と威風堂々とすればよいものを、なんとなくまごまごしてしまうのが日本人たる所以。


 そうはいっても、産休や育児休暇取得中の友人や知り合いが「ああもうこのままずっと仕事に戻りたくなーい」と漏らすのを聞く身としては『労働しないのは悪』という刷り込みのような同調圧力が根底にあるのではないかと勘ぐっている。現にカトリンの姉アニャは現在育児休暇取得中。システムをうまく利用し、できる限り休暇を延ばそうと尽力中である。

「これは期限があるからありがたいのよ。完全に職がない状態になればそれは不安になると思う」アニャの言葉に、なるほどと頷く。

「私はしなくていいなら仕事なんてしないで生きていきたいけどね」とカトリン。なんとも清々しい正直者である。


 東ドイツは『国民総活躍社会』であった。なんとも聞こえのいいこの表現、そういえば最近どこぞの国でもまさにその言葉が聞かれた気がするが、蓋を開けてみれば、労働力不足を補うために女性を投入せざるを得なかったというのが実態である。先の大戦で戦力となった若い男性を失い、更にその後、西への人口流出により知識層の若い男性労働者を著しく失った東ドイツの苦肉の策だった。


 国の大事な労働力であると同時に、国の将来を担う子どもたちも産んでもらいたい。東ドイツの女性たちは、そんな八面六臂の活躍を求められた。フルタイムで男女の別なく働き、そんな中で産めよ増やせよと無理難題を押し付けられ「そんなんできるか!バカも休み休み言え!」と憤慨する女性たちに押され、国を挙げての新しい家族政策、そして女性への支援政策が次々に誕生した。


 母親となった労働者が安心してフルタイム就労できるように、0歳の乳児から就学前の子どもが通う終日保育施設、KITA(Kindertagesstätte キタ)を計画的に増やした。これは日本でいうところの幼稚園と保育園一体型の施設である。

 女性が多く働いていた国営工場などにもKITAを併設したため、朝通勤がてらに子どもを預け、退社と同時に引き取るというシステムが完備された。その徹底的な対策のお陰で、なんと東ドイツは待機児童ゼロであった。しかも、このKITA及び学校が退けた後の学童保育所ホート(Hort)は無料。親を完全に仕事に集中させる狙いがあったとはいえ、それが実現できたことに感心してしまう。

 そして、子育て世帯には優先的に広めの最新プラッテンバウ住居を与えたり、無利子のローンが組めるよう取り計らったり、出産費用の無料化や出産祝い金、そして児童手当の配給など、子どもを産むことによるメリットをどんどん増やしたことにより、出生率も伸びた。今の日本の子育て世代が泣いて喜ぶ理想郷がそこにはあった。


 そういうわけで、東ドイツの女性は皆バリバリと職業婦人であったからして、独立心が強く、男女同権意識も強かった。そして、そんな自立心の高い女性たちを抱えた東ドイツ時代の離婚率は高かった。夫に依存しなくてもやっていけるという自負があったからこそである。シングルマザーへの手当ても厚かったゆえ、仕事に子育てに家事にと息つく暇もない忙しさだった女性たちは、使えない男たちをばっさばっさと斬って身軽になっていったという、なんと清々しくも逞しい話であろうか。


 さて一方、その頃の西ドイツは、同時代の日本と同じく、父親が外で働き、母親は主婦となり家庭を守るというのが一般的であった。子どもが三歳になるまでは親の元で育てるべきという、今は懐かしき三歳児神話が持て囃されていたのもこの時代である。母親が外に出て仕事をするなんて滅相もないという風潮だった。主義主張を異にしたお隣同士の国は、こんなにまで意識の差に開きがあったのだ。

 

 そして統一後あと数年で30年になる現在のドイツであるが、今も尚フルタイムで働く女性の割合は東側の方が高く、西側の方が低い。それにはもちろん理由がある。

 

 まずは保育所、KITA問題である。ドイツ全体的にKITAの待機児童問題は深刻だと言われているが、西側に比べると東側の状況は随分楽観的だ。東ドイツ時代の名残もあって受け入れ可能な施設数が多いので、第一希望は通らなくとも、なんだかんだどこか公立のKITAに預けることができるので、母親たちは子どもが1歳になるのを目安に職場復帰するのがよくあるパターンである。

 KITA以外にも、ターゲスムッター(Tagesmutter)と呼ばれる保育母制度がある。これは行政の指定する職業訓練を数年受けた個人が、自宅などで5人までの子どもを預かるというシステムで、うちの娘は3歳で幼稚園に入園するまで、この男性版であるターゲスファーター(Tagesvater)の所に通っていた。元柔道家で熊のように大きな彼は、子どもたちをいとも簡単に担いで遊んでやるので、娘は毎日とても楽しそうだった。


 そしてこれが西側の場合、なんといっても受け入れ施設の少なさが際立っていて、それこそKITAに入るなんて宝くじに当たるみたいなものであり、これじゃ母親が安心して職場復帰などできないのが解る。保育時間も東側に比べると短く設定されているし、何より保育料にかなりの差があるという不公平ぶりである。西側の保育料は暗に、アンタ家に居なさいよと仄めかされているかのように意地悪である。公立施設の多い東側に対し、それが極端に少ない西側は泣く泣くプライベートの託児所を選択せざるを得ないのだが、これがもうべらぼうな金額を要求してくるので、これじゃあ働きに行く意味がありゃしない、と母親たちを挫くのである。そしてターゲスムッター制度も浸透しているとはいえ、その数は東側に比べると圧倒的に少ない。

 

 西側の子を持つ高学歴女性が必ずぶち当たるのは『キャリアか子育てか問題』である。西側で女性がキャリアを積みながら子育てをするのは、夫か両親またはヘルパーなどの力を借りない限り非常に困難である。そこは日本の現状と近いものがある。だが皆が皆高給取りでヘルパーを雇ってまで職場復帰できるわけではないし、両親が元気ですぐ傍に暮らしているわけでもない。泣く泣くキャリアを諦め、パートタイムを選ぶ女性も多い。そしてキャリアを取ると決めたら子どもを産まない女性が多いのも、現代ドイツの問題のひとつである。

 東側は女性も仕事をして然るべきという空気が社会全体にあるので、女性にとっては働きやすく、子どもを育てやすい環境にあるのは今も健在のようだ。もちろんバリバリにキャリアを積みたいとなると、周りの手助けが必要なのは東側も同じであるが、そのハードルは西側に比べると圧倒的に低い。


 ずっと職業婦人としてやってきた母や祖母を持つ東側と、ずっと専業主婦が一般的であった社会背景を持つ西側では、受けてきた影響を鑑みても大きな差が出て当然である。子どもを小さい内から集団社会に投げ入れることが子どもの社会性を育てるという考えの東側と、子どもの傍にいない母親を『ラーベンムッター(Rabenmutter)』カラスの母親、と呼び非難する傾向のある西側では、出発点があまりにも違いすぎるのだ。ゆえに、日本の専業主婦という概念は、東側では全否定されても、西側ではすんなりと受け入れてもらえる。西側の年配政治家には未だに「母親はしっかり子育てするべきだから保育所の増設は必要ない。家でみればよいではないか」などと発言し炎上する者もいる。どこぞの国とそう変わらない環境であるようだ。


 日本では巷で、専業主婦VS兼業主婦の攻防戦が繰り広げられていたり、専業主婦叩きなる運動もあるようだが、それでも一定数の女性が希望して専業主婦の道を選択している。これはかつて自分たちが子どもだった頃の家族ロールモデルに起因するものであると想像する。子どもの頃に「将来の夢はお嫁さんです」と愛らしく答えていた女性の執念ともいえよう。現代社会では二馬力でないと暮らしていくのが難しい中での専業主婦という存在は、ひとつのブランド化しているのも確かだ。


 そして西側ドイツでは『子どもがいるから仕方ない』の免罪符付きで専業主婦が許されているようだ。件の保育環境に加え、ドイツの学校は終了時間が早い上に給食もないという親にとって厳しい条件であり、仕方なく専業主婦を選ぶといったところか。キャリア志向の女性が日本よりもかなり多いのは事実であり、また日本ほど女性の地位が低いわけでもないドイツでは、不服ながらも専業主婦の道もしくはパートタイムを選ばざるを得ない人たちが多いという状況である。そして彼女らは東側の体制を心から羨んでいる。

 ドイツ連邦共和国の首相であり『ドイツの母』と呼ばれるアンゲラ・メルケル女史はライプツィヒ大学を卒業した東側女性である。旧東ドイツ出身で、そしてカトリック勢力の強いドイツに於いてプロテスタント信者であり、更にカトリックでは許されない離婚歴がある。そんな彼女の活躍とカリスマぶりはご覧の通りである。


 この勝負、社会主義の優れた点を引き継いだ東側ドイツの圧勝。しかしお陰で肩身の狭い思いをしている極東人もここにいる。

 私はたまに在宅で仕事をすることがあるものの、まあ言わば専業主婦のような立ち位置のため、階下に暮らす近所のお婆ちゃんに非常に心配されている。

 ちなみに彼女こそがこの作品の冒頭で「東ドイツはよかった」と切々と語る老婆である。私と娘をことあるごとく自分の家に招き入れて持て成してくれるのだが「仕事はどうだ順調か」と毎度尋ねられ「どうにかやっています」とお茶を濁す気まずさに早く終止符を打ちたい、そんな私は専業主婦礼賛派ではない。ただ開店休業中なだけなのだ。そして、そんな私をカトリンは物凄く羨んでいる。いいご身分ね、と。専業主婦の憂鬱は続く……。

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