祭りだバナナ 『南国からの贅沢品』
東ドイツ時代を揶揄する時に必ずと言ってもいいほど用いられるのが、バナナジョークである。東ドイツに於いてのバナナは大変な貴重品で滅多に手に入らなかった。クリスマスや労働者の祭典メーデーなど、特別な機会でしか口にすることはできず、店頭に並べば人々は長蛇の列を作り、その非常に高価なバナナを我も我もと購入したらしい。贅沢品よ、贅沢品、とカトリンも頷く。
そして国境が取り払われ、西ドイツマルクを手にした東ドイツ人が押し寄せた西側の町は『バナナショック』を経験することになる。文字通り大挙してスーパーや青果店のバナナ売り場に殺到する東ドイツ人に、西ドイツ人は動揺を隠せなかった。
西ドイツではバナナは安価で手軽に食べられる果物であったこと、そして東ドイツ人たちが嬉々として目の色を変えてバナナに群がる姿に「こんなバナナさえ満足に手に入らなかったなんてそんなバナナ……」という経緯から、今でも『東側の人はバナナが好きすぎる』というネタがしつこく継承されている。
私の両親が子どもだった頃の日本でも、バナナは大変貴重なもので、病気をしたり、祝い事がある時でもない限り口にすることはなかったと聞いている。どちらとも事情としては、輸入措置制限がありバナナの輸入が追い付かなかったところにある。東ドイツは同じく社会主義国のキューバから輸入をしていたが、キューバとしては外貨獲得のために羽振りのよい資本主義国へどんどん輸出ビジネスを展開し、稼ぎにならない同胞の東ドイツへの輸出量は僅かであったことがバナナ不足の背景らしい。とにもかくにもバナナは、日本の戦後、そして東ドイツ時代に於いて『黄金の果物』であった。
子どもの頃の憧れというのは、ある程度お金と自由が利く大人になっても失われないもので、たとえば子どもの頃、母の権限により薄々で飲まされたカルピスを自分の采配で濃い目にして飲める歓びや、体に悪いからと禁止されていたラーメンの汁を全部飲み干した時の充足感のように『充たされなかった思い』による原動力はなかなかに強く、よく考えなくてもどうでもよいことなのに執着していたりする不思議。ということで、やはり東側の人々のバナナに対する思いには特別なものがある、と言いたいのだが、実際にはよくわからない。路上にはよくバナナの皮が落ちているけれど。
「やっぱりそんな歴史を踏まえた上でみると、東側のスーパーのバナナ売り場面積って実際広いよね」とカトリンに振ってみたら「え、そうかなあ。まだトラウマが残ってるのかな私たち……」と返ってきた。冗談のつもりが傷口に塩を塗ってしまったようだ。
カトリンの祖父母世代は、ナチス政権、そして東ドイツ時代を経験している。第二次世界大戦後の食糧難に始まり、東ドイツでの物資不足もあり、彼らの備蓄に対する意識は非常に強かったという。店に行けば欲しいものが買える訳ではないという意識が、統一後物に溢れる世界に様変わりしても抜けきらず、買い物に行くと同じものを大量に購入する習慣があったそうだ。
ドイツのお年寄りがパンを食べる際、数センチはあるであろうバターの層をぺたーりと塗っている姿をよく見掛けるのだが、あれは貴重品であったバターへの憧れがそうさせるのよ、と義母からも聞いた。そんな彼女は、まだ東西ドイツ間の移動ができた1950年代に東ベルリンから西側の町へ引っ越している。そして例に漏れずバターをたっぷりと使い、よくバナナを食べている。
私の目には東側の人々がバナナをそこまで慈しむ姿は映らないが、きっと彼らにとってバナナにはそれぞれの特別な思いがあるのだろう。あからさまにジョークにされることを恐れてひっそりとバナナを楽しんでいるのかも知れないので、子どもの頃からバナナを有難がることもなかった極東人はこの辺りで黙っていようと思う。
でも私は知っている、どこの家庭にお邪魔しても、果物カゴの中には必ずバナナの姿があることを。朝食にもバナナ、お弁当にもバナナ、小腹が空いたらバナナ。みなまで言わせるつもりはない。彼らにとってのバナナは明らかに、じゃがいもと並ぶ二大青果であることに疑いの余地はない。
ありがとう、美味しくて栄養価が高くて安価なバナナ、大好きです。でもその安価なバナナのプランテーションが抱える安価な労働力問題、環境問題も同時に考えると、バナナに貼られた巨大プランテーションのシールを見る度に複雑な気持ちになることを付け加えておく。バナナは本来、もっと値が張るものであるべきなのだ。そんなバナナのお話。
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